040.視線の正体
モルフォ曰く、機銃蟻とは魔獣の一種であり、体躯は少し大きいが見た目はごく普通の蟻と大差がない。縄張り意識は強いものの、魔獣の中では比較的大人しい性格をしており、極度に接近するか、はたまたこちらから危害を加えない限りは大丈夫なのだという。
ただし、ピラニアのように血に敏感らしく、血の臭いを嗅ぎつけると興奮し、付近にいるものを無差別に襲う危険な存在と化す。凶暴化した機銃蟻は獲物近くへとすぐさま駆けつけると、腹部後端にある針の先に魔力を集め始める。そして一点に集められた魔力から、小粒の魔力を弾丸のように連続射出して獲物の命を奪い、その肉と生気を喰らうのだそうだ。
「この魔獣の恐ろしいところは集団で行動する点よ。対処法さえ間違えなければ、一匹一匹は脅威ではないわ。けれど複数を相手にするとなると……あの銃撃の嵐に晒されることになる。今の私たちのようにね」
おれはモルフォの説明を聞きつつ機銃蟻の群れから目を逸らさずにいた。アンクルが撒き散らした血の臭いで凶悪化した蟻たちが、再び魔力を集め始めているようで、地面のそこかしこが鮮血のように赤く光り出した。
「どうする? 射撃の隙を縫って塔の中に転がり込むかい?」
同じく、木陰から蟻の様子を窺っていた成平が言った。
「ここから塔までの距離は決して近いとは言えないわ。攻撃の手が止まってすぐに動き出したとしても、多分塔に入る前に次の銃撃が始まって私たちは蜂の巣にされるでしょうね。何より、今のひだり君ではその作戦の実行は不可能よ」
「それでは、高速で動ける私が、ここと塔の中を三度ほど往復して皆様を運びましょうか? 私の速さならば、機銃蟻に打ち抜かれる前に移動できるでしょうし」
「確かにショコラの魔導具であれば、あの銃弾の嵐を掻い潜って先に進むこともできそうだけれど、それでも無傷でいられる保証は無いし、それに……おそらく、背後から銃撃されることになると思うわ。私たちはもう蟻の標的にされている。だから、無事に塔に辿り着いたとしても、蟻たちは後を追ってきて攻撃を仕掛けてくるんじゃないかしら」
ショコラの提案をモルフォが却下した時、針の先端に魔力を溜め終えた機銃蟻たちが、再び雨のような光弾をこちらに向けて放ってきた。おれたちは太い幹から顔を覗かせるのを止め、樹木の陰で身を縮めて蟻の一斉射撃をやり過ごすことに専念する。
モルフォが言ったように、塔へと着いた人間に対し蟻からの追撃が無いとは言えない。蟻を放置して先に進むのは危険そうである。
「あと、できればショコラには蟻の駆除をお願いしたいわ。私の糸は元々戦闘用の魔導具じゃないから、あの蟻相手だとやりづらいのよね。……はあ。こんな時にロウちゃんが手元にないなんて。……こんなことなら修理に出さなければ良かったわ」
モルフォの言葉に木々を抉る魔弾の音が被さっていた。
「しかしそうなると、機銃蟻の群れを潰してから塔へ突入か? でも、それだと遅くなりそうだな。アンクルさんはすでに先へと進んでいるわけだし。あの人が何企んでいるのかは知らないけれど、手遅れにならなければいいんだが」
「ひだり君の言う通りね。最低一人は先にアンクルさんの後を追っていて欲しいところだわ」
「では、私が一人抱き抱えて塔へと連れて行きましょうか? 一人連れて行って、その後に蟻の殲滅に掛かる、という感じで」
ショコラの二度目の提言に、しかしモルフォは首を縦に振らなかった。
「いや、それはさっき私が言ったように背後から射撃される恐れがあるわ。たとえこちら側に三人、塔に一人と、二手に分かれたとしても、蟻たちが塔にいる方へ攻撃を仕掛けないとは言えないし」
「ということは、アンクルさんを追いかける役目の人は、蟻から攻撃されても防げるような人物じゃなきゃダメというわけだ」
未だ止まぬ弾丸の嵐の中、おれは樹木にもたれ掛かりながらこの状況の打開策を考える。ウンウン唸りながら思考を巡らすが、いい案が思い浮かばない。言い訳がましいとは自覚しているが、どうにも頭が回らないのは今が深夜であるためと、ショコラとの一戦から引きずっている疲労のためだろうと思う。
他の人は妙案を思い付いているのだろうか。少なからぬ希望を持って仲間の顔それぞれに目を向けていく。モルフォも成平も地面を黙って見つめており、その様子からして、まだ策が思い浮かんでいないことは明らかだった。
では、ショコラの方はどうなのかと彼女のいる方向へ視線を移してみると、なんと彼女はおれをじっと見てきていた。無表情で、ただじーっと見つめてくる彼女の目に、おれは少したじろぐ。何か用があるのか問おうと口を開いた時、ショコラがおれを指差してきた。
「私、良い案が思い浮かびました」
機銃蟻の二度目の攻撃の手が止んだ。彼らは再び、お尻の針先へと魔力を集める作業に移行し始める。
成平がどんな案なのかと尋ね、ショコラが語ってくれた内容を簡潔に言うと、障壁に身を包んだおれをショコラが全力で蹴っ飛ばして塔の中へ入れる、というものだった。頭のねじが何本か取れてんじゃねーかと突っ込みたくなるような作戦である。
「普通に抱えて運ぶっていうのはダメなのか?」と噛み付いてみるが、
「魔法の結界は触れるもの全てを弾きますから、抱き抱えて移動なんて無理ですね。まあすでに、蹴り飛ばされて高速移動することは何度も経験されてますし、大丈夫かと思います。むしろ、こちらの方が過去の実績がある分、安心・安全・確実な方法かと私は思います」
と、ショコラに正論で返され、おれはあえなく撃沈してしまう。もっとも、正論だったのは最初の一言だけで、その他はろくなことを言われた気がしないが、しかしまあ、おれが蹴飛ばされる以外に有効な手を思い付かない以上、おれにはこの作戦を拒否する資格はないように感じられた。
「では、私がひだりを蹴っ飛ばして塔の中にぶち込む、ということでよろしいですね?」
足下から立ち上る炎を激しくさせながら、ショコラは何も言えずにいたおれに同意を求めてくる。よろしいも何も、おれに拒否権がないことはもうすでに示されているではないか。仮にもし断っていいのであれば、これ以上痛い思いをしたくない精神年齢二十七歳の男児としては、全力で断らせて頂きたいところだ。
「……すぐに準備する。おれが障壁を張ったらアリンコの射撃が再開される前に蹴ってくれ。できる限りおれに負担の掛からなそうな、もっと具体的に言えば、痛くならないようなところを蹴ってくれ」
機銃蟻たちが続々と紅の灯火を掲げる中、おれはポーンを両手で握り、力を振り絞って結界を張った。ショコラの蹴りの一撃、蟻たちの銃撃、そして塔内の固い地面か壁に激突する際の衝撃、そのどれにも耐え、無傷の状態でアンクルを追うには全力を注いで最大限の強度にする必要がある。
やはりと言うべきか、想像通りの高負荷が身体に掛かり、大杖を持つ手が震えているが、それでもおれは障壁の強度が下がらないよう一心不乱に杖を握り続けた。
「心の中では手心を加えておきますが、すぐにトップスピードに乗れるよう、持てる力の全てを込めて、全力でいかせて頂きます——!」
勢いよく地面を踏み込み、ショコラはおれの背中を蹴った。とてつもなく重量のある何かが流星の如くぶつかってきたような衝撃がまず走り、次いで、ずしりとした鈍い痛みが背中に広がった。魔法の鎧に身を包んでいても痛みを覚えるあたり、彼女は本当に最大限の力をおれにぶつけてきたようだ。
視界に映る景色は物としての輪郭、形を失い、色の洪水と化して流れすぎていく。風を切る音が聞こえないのは、障壁のおかげなのだろう。
二度目の衝撃が全身を襲い、おれは地面を何回転かして止まった。塔の中に到達したようだ。自身を見て、障壁が維持できていることを確認する。しかし、気を抜くとすぐに解けてしまいそうであるし、なにより強度が少し心配だった。そのため、杖を支えにして立ち上がったらまずは障壁の強度を高めなくてはと思っていた矢先、蟻たちによる銃撃がこちらに向かって飛んできた。
——考える暇などない。おれは立ち上がり切っていない自身の身体を再び地面へと傾け、転がって端の方へと移動した。赤い閃光の雨はおれがいたところに細かく穴を穿つ。
転がる途中、いくつかの銃弾はおれの障壁を突き破ってきていたらしく、端に辿り着いた頃には身体の数カ所に怪我を負っていた。大した傷ではなかったのは、障壁が銃弾の威力を幾分殺してくれていたおかげだろう。
床を穿った光弾の数からして、全ての攻撃がおれ目掛けて放たれたわけではないようだった。一部の蟻だけではあったが、モルフォの予想通りに動いたというわけである。もしショコラが誰かを抱えて塔へと移動していたら、きっと二人は背中から蜂の巣にされていたことだろう。
「さて、と。結界の強度はもう置いとくとして、すぐにアンクルさんを追いかけないと」
機銃蟻の攻撃が止んだのを確認しておれは立ち上がった。辺りを見回すが、何も見えない。思い返せば、時忘れの塔の中は昼間でも暗かった。であれば、夜間はほぼ完全に闇に包まれてしまうことも納得である。
アンクルは上層へと逃げたのだろうか。いや、そもそもここは上以外に逃げ道はなかったはずだ。暗すぎて視覚が役に立たない状況であるが、手探りでもまずは上に伸びる階段を探さなければ。早くしないと、また蟻の攻撃が飛んできてしまうだろう。
そう考え、とにかく闇雲に動き回っていたおれは、不意に何かに躓いて転びかける。床に何が落ちていたのかと目を凝らして見てみると、躓いたところが少し出っ張っていた。前に来た時にはこんな段差なんてなかった気がする。不審に思ったので、もう少し観察してみた。徐々に夜目がきいてくると、段差とその周辺がはっきりと視界に浮かび上がってきた。
「こ、これは……まさか、階段?」
そして、その段差を作っていたのは床のタイルの一枚であり、その段差の下に階段があることが窺えた。
「地下へと続く隠し階段か?!」
このタイルがきちんとはめ込まれていなかったのは、おそらくアンクルが急いでいたためであろう。あるいは、この暗闇の中ならば気付かれないとでも思ったのか。いずれにせよ、おれはある一つの結論に達していた。
「アンクルさんはこの先にいるってわけか」
おれはタイルを動かし、闇へと続く階段に一歩を踏み降ろした。
つづく