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マホウは物理でなぐるものっ!  作者: 唯野 みず
第一章 眠れる森の美女と時忘れの塔
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036.進む者、留まる者

「霧が倦怠病(けんたいびょう)を誘発するのではないかという噂を広めたのは私だ。そうすれば誰も息子を疑わなくなるからな。さらに、名のある人物が倦怠病の解決に失敗したとなれば、この町を調査しに来る人もいなくなり、息子の犯行は完璧に隠蔽できると思った。だから私は自ら、『水曜の賢者』様をこの地へ招いたのだ」


 全員に取り囲まれるような形で部屋の中央付近で項垂れるコバルト。アンクルの犯行を隠し、賢者たちに毒を盛ったという自らの罪を告白する彼は、領主という名に似付かわしくないほどにみすぼらしく見えた。


「私は……病に苦しむ町の住人たちよりも、息子を守ることを優先してしまった。私は実に愚かだった。……私は……わた、しは…………」


 ショコラから聞いた話の中では悪役然としていた彼は、今はもうおれの中にはいなかった。おれの目に映るのはただ、子どもを守ろうとして間違った道を選択してしまった憐れな父親だけであった。


「アンクルさんは、その、毎晩町の人を襲っているの?」


 沈黙の降りていたところをジュジュの一言が切り裂く。ゆっくりと彼女の方へと首を回したコバルトは、弱々しい瞳を振るわせて頷いた。


「おそらくはな。住民の大半が長きに渡って倦怠病に苦しんでおるのも、あいつが行動し続けているからだろう」


「じゃあ今日も……」


 ジュジュは両の手を口元に当てる。


 ——“被害者が出る”。

 彼女の言葉は中途で終わってしまったが、きっとそう続くのだろう。


「止めよう。——いや、止めなくては!」


 打撲の痛みがズキズキと襲ってくる中、おれは平気な素振りでコバルトへと歩いて行った。窓越しに見える空からは茜色が消え、紫紺の闇が広がり始めていた。


 大丈夫、まだ間に合う。時間的余裕はある。問題ない、今からならば。

 その思いがおれを動かし、コバルトの前へと身体を運んだ。おれはこちらを見上げる彼の両肩をがっしと掴み、力加減を配慮せずに揺らす。


「アンクルさんは今どこだ? どこにいる? 頼む、教えてくれ! あんただってこれ以上息子さんに罪を重ねて欲しくはないだろ?」


「ひ、ひだり君。おち、落ち着いてくれ! 残念だが、私にもアンクルの居場所は分からんのだよ!」


 ハッとした。言われて気付いた。アンクルは屋敷にはほぼ帰ってきていないし、何より彼は父親に自分の行いを話していない。ましてや、協力など頼んですらいなかった。


 緊張感走る戦闘と慣れない状況からくる肉体的、精神的疲労により、知らず知らずのうちにおれはまたしても焦っていた。


 成平(なりひら)に優しく肩を叩かれ、おれはコバルトから手を離す。落ち着かなくては。落ち着かなくては、ことは上手くいかない。


「アンクルさんの居場所に関しては問題なしよ。言ったでしょ? 私は人や物の位置を特定する魔導具を持っているって」


 モルフォは片手を腰に当てて得意げに言った。


「そう、だったな」


「私もアンクルさんとは二回会ってお話ししているし、見つけるのにそんなに時間は掛からないと思うわよ。ただ、アンクルさんを止めに行くことに関しては一つ問題があるわね」


「問題? 何が問題だって言うんだ?」


 溜息を一つ吐き、やれやれといった様子で彼女は説明する。


「コバルトさんが話したことを思い出して。アンクルさんが何かを揺らしながら塔へと歩いて行った時、被害者の住人はふらふらとした足取りで彼の後を付いて行ったのよ? これは十中八九、アンクルさんが催眠効果のある魔導具を所持していると考えられるわ」


 たとえ先導者が領主の息子であったとしても、霧の出る深夜という非常識な時間に、それも禁足地にそびえ立つ塔の中という非常識な場所に、自らの意志で喜んで付いていく人間はまずいないだろう。


 それでは倦怠病の被害を被った住人は、何故アンクルの後に付いていったのか。その疑問に対し、彼に強制されていたからである、という答えは理に適っている。


 複数の対象に催眠を掛け、自分の意に従わせることを可能にする魔導具。魔導具という不思議アイテムが普通に存在するこの世の中、さきのコバルトの話を聞けば、そのような犯行道具を彼が持っているだろうということは、確かに容易に想像できた。故に、その考えに至らなかった自分が、どれほど冷静さを失っていたのかということが、はっきりと浮き彫りになる。そして、モルフォが口にした問題というのも、落ち着きを取り戻した今ならば考えつくことができた。


「なるほど、そういうことか。アンクルさんがそういった魔導具を持ってるってことは、あの人を止めに行けばおれたちだって催眠に掛けられる可能性がある。そういうことだな、モルフォ?」


「そういうことよ。彼の魔導具がどれほどの魔力を有しているのか分からない以上、最強クラスの魔効抵抗力を持つアリス様やロロット、それにひだり君以外の人間には催眠を掛けられる危険性が付きまとう。私やショコラにはある程度の魔効抵抗力があるから、操られる心配はほぼ無いと思うのだけれど」


 モルフォはおれの隣に立つ成平を見、次いで振り返ってジュジュを見た。口では言わなかったことを、彼女はその行為によってこの場の全員に示した。

 示唆されたことをきちんと汲み取った様子の成平は、モルフォに向けて喋り掛ける。


「僕とジュジュちゃんが一番危険だってことは理解したよ。でもね、大人としては未成年の子どもたちだけに危険な真似はさせられない。だから、モルちゃんたちがアンクルさんを捕まえる時、僕は離れた所から成り行きを見守っているよ。それで妥協してくれないかな?」


「でも、流石に魔効抵抗力の低い人を二人も連れて行くわけには……」


「わたしはここに残るよ。だからモルちゃん、成平さんは連れてってあげて」


「お前は行かなくていいのか、ジュジュ? ロロットに直接被害を及ぼしたのはここにいるコバルトさんだけど、もとを辿ればアンクルさんが元凶みたいなもんだろうに」


「いいんだ、ひだり」


 おれの呼び掛けに、彼女は銀色の耳を伏せて首を横に振った。


「毒の心配がなくなったと言っても、ロロットはまだ目を覚ましてないしさ。わたしはロロットが起きるまでは側にいたいんだ。『何があっても絶対にロロットを守る』っていう、シェルバ公国での約束は守れなかったけど、“見守る”ことなら、今のわたしでもできるから」


 心の痛みを堪えているかのように、無理にでも明るく振る舞おうとしているかのように、彼女は柔らかく微笑んだ。


「分かったわ。なら、成平さんは連れて行く」


 参りましたといった感じでモルフォが肩をすくめる。その様子を見た成平はほっと胸を撫で下ろし、安堵したようだった。


 大人としての責任、か。彼はおれよりも六つ年下で、大人の仲間入りを果たしてまだ間もない若者である。そんな彼が、当然のことのように年長者としての責務を負った。悔しいし、何より自分が情けなく思えてしまうのだが、彼のその姿はまさにおれよりも明らかにしっかりとした大人だった。


「悪いけど、ショコラも付いてきてもらっていいかしら? 万が一のことに備えて、戦える人は複数人いた方がいいから」


「構いませんよ。この様子だともう、コバルト様は(わたくし)たちに対して危害を加えようとは考えないでしょうし、ジュジュ様が残られるのであれば、監視をお任せすることも可能ですしね。まあ、手っ取り早いのがどっかの部屋に監禁しておくことですが」


「そ、そこまではしなくていいんじゃないか? 必要なら、わたしがロロットの面倒見つつコバルトさんを見張っておくしさ」


 相変わらず涼しい顔で物騒な物言いをするメイドだ。ジュジュも苦笑いを浮かべながら対応せざるを得ない。


「コバルト様のことは時々見に来るくらいで構いません。それよりも私が留守の間、お嬢様のことを頼んでも宜しいでしょうか?」


「全然いいよ! このわたしにどーんっと任せて! そんでちゃちゃっとアンクルさんを止めてきてよ」


「はい。承りました」


 ふっさりとした尻尾を立て、丸めた拳で自身の胸を叩くジュジュ。そんな銀髪の少女に、ショコラはふふっと笑いながら返事をする。


 微笑ましいと思ったのだろう。「任せて」なんて言った彼女には申し訳ないが、そんなに頼りがいのある感じには見えない。どちらかと言うと、色んなことがあって己の不甲斐なさを再認識させられたけれど、そんな自分を空元気でもいいから奮い立たせ、目の前の現実に立ち向かっていこうという感じなのだ。


 だから、そんな彼女を応援したくなるし、こちらも勇気をもらうのである。ショコラが笑ったのはそういったことを感じ取ったからだと思う。


「よしっ! 話はまとまったな。じゃ、すぐにでも居場所調べてアンクルさんを捕まえに行こう!」


「捕まえに行こうって……もしかして、ひだり君も行く気だったのかい?」


「どういう意味だ成平! おれは行く気満々だぞ」


「どうもうこうもないでしょ。ひだり君は怪我人なのよ? ここで大人しく待っていて」


 モルフォにビッと指を突き付けられる。彼女の台詞は正論だ。魔法による治療ができず、全身あちこちに怪我を負っているおれは正直足手まといになりかねない。しかし、だからといって引くわけにはいかない。ここで待っているわけにはいかない。おれが彼女たちに付いていく必要があるのは、おれの身体が回復魔法を受け付けない理由と同じだからである。何が言いたいかと言えば、すなわち、


「賢者たちと同等の魔効抵抗力を持つおれなら、絶対に催眠魔法には掛からない。だからおれも連れてけ。というか、何があっても一緒に行くからな」


「そりゃあ、ひだり君は絶対に大丈夫でしょうけれど。でも……」


「“でも”じゃないだろ、モルフォ。確かにお前もショコラも催眠に掛かって操られちまうような、柔な魔効抵抗力をしているんじゃないのは分かる。アンクルさんが魔導具の扱いに長けてるとは思えないしな。ただ、最悪の場合への対応策は打っておくべきだとおれは思う。それがいかに、起こる可能性の低いものだとしてもだ」


 万が一にも、というのは想定していない時に限って起こったりするものである。万全を期せられるのであれば、そうするに越したことはない。起こらなければ起こらないで全く問題ないのだから。


「もし仮に、私やショコラがアンクルさんの手駒になったとして、それでひだり君に何ができるの? 結局何もできないようにしか思えないのだけれど?」


「手厳しい意見だが、おれも同感だ。でも、このまま屋敷に留まっていたら最悪の事態になったとしても気付くのが遅くなる。いつ、どんな時でも情報は極めて重要だ。状況が速く知れれば対策も速く打てる。そうだろ?」


「…………はぁ。仕方ないわね。ひだり君の同行も認めてあげる。とりあえずは、君の言う最悪の事態に陥らないことを祈っておくわよ」


 深い溜息を吐いたモルフォは渋々、おれが付いて行くことを承諾した。今度こそ、準備は整った。


「じゃあ、モルフォ。すぐにでもアンクルさんの所に向かおう」


「向かわないわよ。行くのは霧が出て、夜が更けてからよ」


「んなっ⁈」


 何を考えているんだ、この少女は?


「私だってアンクルさんはほぼクロだと思う。でも捕まえるのであれば、決定的証拠が欲しいところ。それなら、現行犯逮捕を狙った方が確実でしょ。ひだり君、君はやっぱり焦りすぎね。出発までに深呼吸しておいた方がいいわよ」


 そう言って彼女はおれの胸を小突いてきた。ショコラとの一戦、いや、一方的暴行によって付けられた打撲が、彼女の小突きに反応して鈍い痛みを広げる。それはまるで、静かな池の水面へと石を投げ入れた時に生じる波紋が、幾重にも連なって池全体へと広がっていくかのようであった。


 身体全体へと広がっていくズキリとした痛みに、おれは思わず胸を押さえてソファへと倒れ込む。こうしておれは、ソファに二度抱擁されるのであった。



つづく

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