035.救ってやりたい。ただそれだけだった。
「と、まあ以上が私の知るお話になります」
「つまりショコラは、アリス様を助けるためにコバルトさんの犯行に加担していたと?」
「はい。結局お嬢様を救うことはできませんでしたが」
つまらないものでも見るかのようにショコラは自嘲気味に笑った。大切な人を守れなかった過去の自分を否定しようとしたのか、彼女はすぐさま頭を左右に振って黒髪のツインテールを揺らす。そして太い縄で身体の自由を奪っているコバルトの背中を右脚のブーツの底で軽く押すと、彼を部屋の中央へと追いやった。
「さて、私の話も終わったことですし、今回の事件の主犯であり、おそらくは霧と倦怠病を発生させた張本人である彼からも話を伺うことに致しましょうか」
「ま、待て! 待ってくれ! ホムラグルイを用いてアリス様やシャルロッテ様に毒を盛ったのは確かに私だが、毎晩出る霧や町で流行っている倦怠病は私の手によるものではない!」
狼狽える領主に対し、成平はすかさず、彼が座り込んでいる部屋の中央付近へと進んでいった。先ほどまでおれが横になっていたソファの側まで来ると、成平はコバルトに詰問する。
「コバルトさんでないのであれば、ではいったい誰がこの騒動を起こしたのですか?」
「それは私の…………あ、いや、私には何も……」
「おいっ! この期に及んで隠しごとはなしだろ。知ってることは全部話せ!」
「ひだり君、落ち着いて。必要以上にコバルトさんを追い詰めても意味がない」
口籠もるコバルトについイラッと来てしまったおれは、彼に詰め寄って問いただそうとした。けれど、成平がおれよりも速くコバルトの横へと動き、右手を突き出しておれの行動を制してきた。その後、彼は穏やかな視線をコバルトへと送り、おれによって中断されてしまった話の続きを促す。
「コバルトさん、順番に話を進めていきましょうか。まずはショコラちゃんの話を聞いて僕が腑に落ちなかったことについて教えて下さい」
成平はあくまでも平静に、事務的に質問を投げ掛けた。
「ショコラちゃんの話では以前、『暴力を振るわれても薬の在処は漏らさない』というようなことを仰られていましたけど、今回モルちゃんに掴まってあっさりとその場所を教えたのはどういった心の変わりようで?」
「確かに、単なる痛めつけならば口を割るつもりはなかった。何も喋らなければ私の立場が崩れることはないからな。だが、あの娘に対しては黙秘という態度は意味を為さなかった。掴まってすぐに薬の在処を教えたのはそれが理由だよ」
「黙秘が無意味?」
成平が首を傾げる。
「それは私のコレクションの中に、人や物の位置を特定する魔導具があるからよ。対象が特殊なものだったり、全く知らないものだったりする場合は探すのが難しいけれど、解毒剤のようなものであればその効用について詳しくなくても、おおよその位置に見当を付けるのは容易なことよ。探す際にコバルトさんの記憶も利用すればより確実に、といったところね」
おれが座っているソファの背もたれ上部に、モルフォは腕を乗せたままの姿勢で答えた。成平は首を回して彼女を見ると、「もしかして」と呟きながらコバルトを指差した。彼の言外の問いに対し、彼女は首を縦に振って応じる。
「なるほどね。そういう訳か」
成平は視線を床にへたり込む領主へと戻し、「じゃあ次の質問に移りましょうか」と言葉を続ける。
「先ほどの一連の流れに対するあなたの反応、あれは明らかに霧や倦怠病について何かご存じであるような素振りでしたけど、いったいあなたは何を隠しておられるのですか?」
尋ねられたコバルトは、しかし、口をもごもごとさせるだけで何も語らない。
「まだ黙するというのですね。しかし、もう観念なさった方が宜しいかと思いますよ。お嬢様は情報に関する魔法の扱いに長けておられます。ですから、お嬢様の体調が戻られたら直接あなたの記憶を探り、今必死になって隠しているものを私たちの前に明らかにして下さることでしょう。要するに、あなたのその行為はただの無駄、無為な時間稼ぎでしかありません」
身動きは封じられ、解毒剤の隠し場所という切り札すら破られてもなお無言のままでいるコバルトに、ショコラはまるで針を突き刺すように冷たく言い放った。彼女の鋭い発言が頑なだった心を突き崩したのか、声色に諦めを乗せ、コバルトは重たそうに唇を開いた。
「私の息子の、アンクルだよ」
天井に吊された照明の灯りが床に反射しているとはいえ、目を伏せる彼の顔には影が色濃く落ちていた。
「期待に添えなくて申し訳ないが、詳しいことは私にも分からない。ただ確実に言えるのは、息子が倦怠病の流行に大きく関わっているということだ。それと、あの霧にもおそらくは関与しているのだろう。霧が毎晩のように発生し始めたのは、あの病が流行りだしてからだったからな」
「アンクルさんが倦怠病に関わってる? それ、本当なのか?」
「ジュジュの言う通りだ。そう思う根拠を示してもらわないと、にわかには納得できん。顔を合わせた回数は少なかったけれど、おれの目には町の人を苦しめるような悪人には見えなかったんでな」
「ああ、そうだな。倦怠病が息子の所業による結果だと確信した理由を、きちんと話さなければならないな」
コバルトはゆっくりと顔を上げる。しかし、その目は誰に向けるでもなく、ただ漠然とどこか遠くを見つめているようであった。そんな虚ろな表情のまま、「あれはアリス様方がロジューヌに来られる前のことだった」という一言から彼は語り始めた。
「アンクルの外泊は二ヶ月くらい前から多くなっていたのだが、あいつはたまに帰ってきても真夜中に屋敷の外に出ては何かをしている様子だった。それを不審に思っていた私は、一月半ほど前、意を決してあいつの後を付けることにした。その結果、私はあいつが夜な夜な何をしていたのかを目の当たりにしたのだよ」
曰く、アンクルは濃霧に覆われた町を通り抜け、禁足地の方へと向かっていったのだという。その際、彼は何か小さなものを揺らしながら歩いていたそうで、彼が通り過ぎると静止していた住宅の戸がいくつか開き、数人がまるでB級映画に出てくるゾンビのようにゆらりゆらりと彼の後を付いていったらしい。
霧中を行くゾンビたちの後ろ姿を、なんとか見失わない程度には距離感を保って追い掛けていたコバルトは、町を出て禁足地に入り湖畔に沿って歩くことおよそ五十分、ゾンビたちが何らかの建物の中に入っていく所を目撃した。この時コバルトは、アンクルもまた町の住人たちのようにこの塔の中へと進んでいったのではないかと思ったという。
追い掛けていた数人が中に入ってから少し間を開けてその建築物に近づくと、それがロジューヌの町の名物になっていた巻貝のような灯台——『時忘れの塔』であることに気付いた。
「それから私は住人やアンクルが塔から出てくるのを手近な茂みに隠れて待っていた。彼らは確か一時間くらいで出てきたと思う。その後は行きと同じように尾行しながら帰ったんだ。ただ、行きも帰りも移動中には何も特別なことはしていなかったよ。強いて言えば、帰りも何かを揺らしながら歩いていたことだろうか」
何かを揺らしていたというのは気になるが、それだけでは何の情報も得られない。それよりもアンクルが町の人を伴い、深夜に時忘れの塔に出向いていたことの方が重要であろう。おれの予測が正しければ、
「コバルトさん、それで、アンクルさんとともに塔へ行ったって言う町の人はどうなったんだ?」
「そう、そこが重要なところなのだよ。アンクルを尾行した翌日、私は町に降りて昨夜見た住民を訪ねに行ったんだ。そうしたら、彼らはどうなっていたと思う? なんと信じられんことに倦怠病を患っていたのだよ! 塔の中に入っていった全員が! ご家族の話では前日までピンピンと元気にしていたというのにだ」
やはり、予測した通りだったか。
「ということは、アンクルさんは塔の中で住人たちに対して何かを行い、彼らに倦怠病を患わせたってことだな?」
おれと同意見らしく、コバルトがこちらに顔を向けて頷く。
「私もその結論に達し、自分の息子が巷で流行っている病の元凶であることを確信したのだ」
「では何故、すぐにアンクル様を問い詰め、犯行をお止めにならなかったのですか? ましてあなたは、霧には毒があり、倦怠病はそれによって引き起こされるなどと嘘を吐いておられました。これはどういうことなのです?」
彼の話を聞いていた誰もが思った疑問を、この場にいるみんなを代表してショコラが口にした。上げていた顔を再び伏せ、二回ほど深く息を吐いてから、コバルトは自身の、己の罪の動機を漏らした。
「息子を……恋人を失ってから、見るのも痛々しいほどに仕事に明け暮れるようになってしまった息子を、私は救ってやりたかった。無情な現実に叩き潰されたあいつを罪人にしたくはなかった。だから私は…………息子の罪を……」
領主としても、また一人の人間としても彼の行いは褒められたものではない。息子に向けられた彼の愛情は、残念ながら歪んでいたと言わざるを得ないだろう。だがしかし、歪んだ愛情だったとしても、子を持つ一人の父親としての彼のその気持ちは全く理解できないようなものではなく、だからこそおれは、彼の動機を聞いて心がチクリと痛むのを感じたのだった。
つづく