026.新たなる疑惑
ロジューヌは有名な観光地であり、かつブルーフォント領の中心地だが、坂道が多くて歩くのに疲れるということを除けば半日も掛からずに大部分を回れるほどの小さな町だった。旅行者向けの宿というのも三件しかなく、一件は町の中腹、もう一件は湖の畔、最後の一件は町の外れに位置していた。おれはモルフォや成平の宿泊先は知らなかったが、たった三件しかないため彼らと合流するのにさほど時間は掛からなかった。
「ここは……なんだか力の抜けた雰囲気のある喫茶店だね」
くすんだ朱色のソファーに腰掛けた成平が店内を見回している。
「いい意味で、だろ?」
「そうだね。込み入った話をするのには丁度良さそうだ」
彼の前におれ、おれの隣にジュジュ、成平の隣にモルフォが座る。真っ白な髪と髭がトレードマークのここのマスターはやはり気怠げな雰囲気を纏っており、おれが目を合わせるとどっこいしょといった感じでカウンター席から立ち上がってこちらに来た。とりあえず適当に飲み物を注文してから、おれはさっそく本題を切り出した。
「今朝、アリス様とロロットが高熱を出して倒れた」
「えっ、ロロットが?!」
「二人の具合はどんな感じなんだい?」
モルフォと成平は目を丸くしていた。
「ロロットはかなりキツそうだったよ。疲労や風邪による熱とは思えなかった。コバルトさんやショコラが言うには霧の毒によるものらしい。コバルトさんには、『これ以上体調を悪化させてもいけないから早くこの町を去った方がいい』とまで言われたよ。最初に会った時はもっとやんわりとした感じだったけど、今回は語気が強かったな。それとアリス様の方だが、残念ながら彼女の様子は窺えなかった。ただ、ショコラの話を聞いた限りだとロロットと似たような状態らしい」
「霧の毒による高熱? でも、あの霧って倦怠病の誘因ってだけじゃないのかしら?」
「いや、僕たちがここにくる途中で聞いたショコラちゃんの話によれば、重度の倦怠病に罹ると発熱することもあるってことだった。だから、霧が原因で熱が出ること自体は否定できない」
モルフォの疑問には成平が答えたが、彼の言葉はそこで終わらず、「ただ……」とさらに続いた。
「ただ、アリス様も同時に高熱で倒れたというのが引っ掛かるね」
そう、そこなのだ。倦怠病を引き起こす霧であそこまで重度の高熱が出るのかといった疑問も確かにあるのだが、一番納得がいかないのが成平が引っ掛かったところだ。
ロロットはここ数日の間、モルフォとともに時忘れの塔に出向いていたし、日によっては霧が出ている夜も活動している様子だったので、コバルトたちの主張も理解できなくはなかった。霧の発生にあの塔が関わっているとすれば、昼間の調査ももしかしたら発熱に関与しているのかもしれない。
だが、アリスの場合は別である。彼女はおれたちがロジューヌに来る前に一度高熱を出しており、以降体調が優れていなかった。故に彼女は自身での調査を断念せざるを得ず、賢者見習いであるロロットにサインを渡す条件として町の調査を依頼したのだ。
つまり、彼女はこの屋敷で療養していたのであり、外に出ることなど無かったはず。ましてや霧の出ている夜に外出などあり得ないことだろう。そんな彼女がロロットと同時期に、同じくらいの高熱を出して倒れた。アリスの今日までの状況を考えると、発熱の原因をロロットと同じようにあの霧だとするコバルトとショコラの見解には同意できない。
おれの考えをみんなに伝えると、話の筋には納得してくれたが、しかし誰一人として険しい表情を崩しはしなかった。
「霧が原因じゃないんだったら、いったい何がロロットたちを……?」
泣き腫らして赤くなった目を伏せたままジュジュがぽつりと零した。成平が魔法によるものではないかという意見を出したが、モルフォがすぐさま首を横に振った。
「魔法による発熱というのはあり得ないわね。おそらく、考えられる可能性の中で一番ね」
「でも、そういう魔法が無いわけじゃないんだろう? だったらロロットちゃんやアリス様もそういった類いの——あっ、そうか! 彼女たちにはそうした魔法は通用しないのか!」
自分で言っている内に気付いたようだ。おれもモルフォの意見に同意である。魔法原因説はあり得ない。彼女たちは莫大な魔力と魔効抵抗力を持つ賢者、あるいは次期賢者である。魔効抵抗力とは、“魔法による影響の受けにくさ”のことだ。魔法で彼女たちに高熱を出させるなど、同じ賢者でなければ不可能なのは間違いない。
「他に原因として考えられるものとしては…………」
おれは言葉が続かなかった。他の三人も同じらしく、おれたちの座る席に沈黙が降りる。他に考えられる原因。挙げられるとすれば毒といったところだが、これもあまり現実味が無いように感じる。彼女たちに毒を盛る犯人のメリット。それが全く思いつかないためだ。
魔法でもなく、毒でもなさそう。ならもしかして、コバルトたちの言うようにやはり霧が原因なのだろうか。おれの抱いた違和感はただの気のせいであり、アリスの発熱に関しては、屋敷内の空気中に微かに霧が紛れており、それが免疫力が低下していたアリスに高熱を出させたという感じなのだろうか。不運な偶然が重なった結果だとでもいうのか?
「毒、くらいしか思いつかないなぁ。僕には」
しばし続いた沈黙を破ったのは成平だった。毒と言った彼の表情は曇っている。自分でもその可能性は低いと思っているのだろう。理由はおれと同じだろうか。
「仮に毒だとしても疑問は深まるばかりよ。誰が盛ったのか。何が目的なのか」
「成平が出て行ったあの屋敷で犯人だと考えられ得るのは、領主のコバルトとその息子のアンクルくらいだな。ショコラはアリスの侍女だから毒を盛る訳がないだろうし。それに、アンクルもあまり屋敷に出入りしていないから可能性はだいぶ低いだろうな。ただ、仮にあの二人の内のどちらかが毒を盛ったのだとしても、それを行うメリットがおれには思いつかないんだよな」
「やっぱそうだよねぇ。霧で高熱が出るということになれば霧の調査は慎重に行われるようになり、解決までに掛かる時間が延びる。犯人側には何も良いことなさそうだからね」
「霧とか倦怠病のことも含めて犯人の思惑ってことは?」
おれたちの話を紅茶を飲みつつ聞いていたジュジュは、暗く沈んでいた気持ちが少し落ち着いたようで、そう発言してくれた。けれど、それもあまり考えられそうにない。おれは隣に座る彼女に顔を向けてすぐに口を開いた。
「それこそかなり可能性低いと思うぞ。霧や倦怠病の影響でロジューヌの町を訪れる観光客は激減していると聞いたし、倦怠病による怠さが住民の仕事にも影響を与えていると聞いた。可能性の一番高いコバルトさんを犯人だと仮定して、一つの町、一つの領地を治める立場にいる人がそんなことをするとは思えない。町の経済が悪化する、治安が悪化する、良くない評判が立つことは領主にとっては好ましくないことだろ。それらのデメリットをものともしないメリットがあるのなら可能性は否定できんが、さっきも言った通りおれにはそのメリットは思いつかない」
「ジュジュはそのメリット思いつくか?」と尋ねてみたが、おれ同様何も思い浮かばなかったようで、少し目を泳がせてから顔を伏せて黙ってしまった。難しい質問だよな、これは。
「ねえ、ひだり君」
モルフォがおれの名前を呼ぶので、今度は彼女の方に視線を向ける。
「確認したいのだけれど、コバルトさんから『この町は危険だから早く立ち去った方がいい』って言われたのよね?」
「ああ。そんなようなニュアンスのことを何度かな」
おれの返答を聞くと、モルフォはそのまま黙ってしまった。口元に手を当てて視線をテーブルに落とし、考えごとに耽っている様子だ。少し待ってみるが、一向に口を開かない。痺れを切らしたおれは、何か思いついたのかと彼女に訊いてみる。
「目的が何かは分からないけれど、私は誰かが毒を盛った説が一番有力だと思う。そしてコバルトさんがそれに関する何かを握っているんじゃないかって疑ってるわ」
「それは、コバルトさんがアリス様やロロットに毒を盛ったってこと?」
ジュジュの問いにモルフォは首を横に振る。
「コバルトさんが犯人かどうかまでは分からない。けれど、犯人に繋がる何かが彼にはあるんじゃないかって気がするのよ。『この町を早く去った方がいい』。領主としては当たり前の発言だわ。でも、その発言がなんだか妙に引っ掛かるの」
言い終わると、モルフォはすっかり冷め切った紅茶を一気に飲み干し、視線を上げておれとジュジュを交互に見た。確証はないが疑惑が晴れない。そのことを強く訴える目をしていた。
「それはいわゆる、女の勘ってやつか?」
おれの問いに、モルフォは大げさに肩をすくめてみせる。
「アイテムコレクターとしての勘ってところかしら。求めているものとは関係なさそうな些細なところにも、懐疑の目を向けてしまう質なのよ」
ここで話し合っていても仕方がない。ことの真実を突き止めるためには、不確かで曖昧な道にも進む必要があるということか。
おれが一言、コバルトのもとへ行こうと言うと、成平とジュジュは頷き、モルフォは席を立ち上がって賛成の意を示した。
つづく




