024.できないことが悲しくて
【2020/02/15】
誤字報告を受け、本文の一部の表現を修正しました。
なお、ストーリーの流れは変わっていません。
階段を登り終え、視界に入ってきた景色には、正直がっかりしてしまった。何故なのかと疑問に思う人もいるだろう。それは当然だ。ここに事件の謎を解く鍵があると踏んでいたのだから。しかし実際には、この最上階におれたちの探し物らしきものなど何一つ存在していなかった。ここまでの苦労はいったい何だったのか。
「……モルちゃん、何か感じる?」
「いえ、何も」
最上階の中心に向かってモルフォが歩き出した。四方八方を壁に覆われていた下層とは打って変わり、ここは幾本もの柱が周囲にぐるりと連なっているだけである。柱の間から陽の光が差し込んできていて開放的だ。この巻貝の塔は完全に禁足地に建っているのだが、外から吹き込んでくる風には地上で感じた不気味さなど欠片もなかった。
モルフォが到達した中心部には大きな燭台のようなものがあり、そこが光源を設置する場所なのだということは明白だった。ただ、分かったことと言えばそれだけである。
「塔から感じていた魔力は依然、ここから感じられるわ。でも……」
大燭台に手を当て、ロロットの方を振り向いたモルフォは彼女に同意を求めた。
「ロロットもそうだよね? ここに来てもなお、この塔全体から魔力を感じているわよね?」
「うん。一階にいた時と何も変わらないよ。何でなんだろう……」
隣に立つおれだけに聞こえる声で、彼女は「不思議……」と呟いた。掴み所のない魔力におれの心もまた、もやもやとする。
おれは並び建つ柱に沿って歩き出してみた。最上階を弧を描くようにして回っていく。
「地上にいた時とロロットちゃんたちが感じる魔力が変わらないっていうのは、あるはずの魔導具がここにはないってことになるのかな?」
「感じている魔力だけを頼りにして言うのなら、成平さんの言う通りだよ。でも、ここにないとは言い切れないかな。そうだよね、モルちゃん?」
「そうね。魔導具自身の力で探知されないような術が施されている可能性もあるし」
「そ、そんなことってあり得るのか?」
普段はピンと立っているジュジュの狐のような耳が、今はゲンナリとした感じで横に伏せっている。
「あり得るよ! だって、この塔に眠っているのは特殊な魔導具なんだよ? 私たちの常識を破るくらいぶっ飛んでてもおかしくないよ!」
ロロットのその答えに、「そ、そんなもんなのか」とジュジュは疑問を持ちつつも一応の納得はしたようだった。しかし、この部屋で目に付くのは太く立派な柱と、中心部にある大燭台だけだ。部屋の半分以上を歩き進んだおれには、この部屋に魔導具が隠されているようにはとても思えなかった。
「その顔を見る限りだと、この部屋に魔導具らしき物は見当たらなかったって感じかな?」
戻ってきたおれの顔を見るなり、ロロットは苦笑気味に話しかけてきた。残念だが、という言葉を添えておれは首を縦に振る。
「雲行きが怪しくなってきたし、一度ロジューヌの町に戻らないかい? 今ここで調査してもすぐに見つかりそうにないし。ね?」
成平の言葉を聞いて外に目を向けてみると、確かに遠く方に分厚い雲があり、それは風に乗ってこちらへと近づきつつあった。雨が降れば視界も悪くなる。その状況で禁足地に入っているのはできる限り避けたいところだった。おれも彼の提案に賛成の意を示す。
「残念だけれど、詳しい調査はまた後日ね」
大燭台からこちらへと戻ってきたモルフォを先頭に、おれたちは螺旋階段を下っていった。やっと見えた事件解決への糸口だったが、どうやらそれはまやかしであったらしい。これで状況は、先ほど女性陣が話していたような振り出しに戻ってしまった。ロロットが言っていた通り、情報の集め方から考え直す必要もあるだろう。
一階へと降り立ち、穴から外へと出たおれは一つの違和感を覚えた。ここに来る時に感じていた物とは別の視線、それも身体に突き刺さるような鋭い視線が向けられている。
「みんな注意して! デンキイノシシよ!」
誰よりも早くその存在に気付いたらしいモルフォが叫ぶ。その声を聞きつつ、おれが向けられる視線の元に目をやると、そう離れていないところに一匹のイノシシがいた。二つの大きな牙を持ち、まさに今、こちらに向かって突進してきている。茶色い体躯に青白く光る電流を纏っており、かなり危険な相手であることが窺える。
イノシシのスピードは驚異的であり、おれは杖を手にしていたにも関わらず動くことができなかった。驚き、恐れ、不安、緊張——様々な感情が目まぐるしく脳内を駆ける中、せめて状況だけでも読み取ろうと目をキョロキョロと動かす。すると、モルフォの右手が淡く光っており、彼女がその手の中から同様に光り輝く糸を出している様子が見えた。が、混乱しているおれの頭では、何が起きているのかよく分からない。
「ロロットッ! みんなを囲んで防壁魔法を!」
そして、咄嗟の出来事で動けずにいたのはおれだけではなかった。モルフォから瞬時に指示が飛んだのだが、魔獣との相対に慣れていないロロットは目を見開いたまま数秒固まってしまっていた。
「——ロロットッ!!」
再びモルフォに名を呼ばれ、ハッとするロロット。すぐにポケットから黒杖ルーナを取り出し防壁魔法を展開しようとする。しかし、電気を纏って突進してくるイノシシの速さに、防壁魔法の発動は間に合いそうになかった。
あの一撃を喰らったら致命傷を負いかねない! 恐怖一色に支配されたおれは自己防衛の本能からか、目を瞑ってしまう。
頼む! 誰か助けてくれッ————!!!!
「————ッ!」
何かが倒れ、地面に引きずられる音が聞こえた。恐る恐る目を開けてみると、あの猛り狂ったデンキイノシシが大地に横たわっていた。その四本の足の一本には光る糸が絡まっており、その糸はモルフォの右手へと繋がっている。
遅れてロロットの防壁魔法が発動し、おれ、ジュジュ、成平、そして彼女自身を光の壁が取り囲んだ。モルフォがあの糸を使ってイノシシを転ばせていなかったらと思うとゾッとした。体当たりの衝撃もさることながら、感電によるダメージで死に至っていたかもしれない。デンキウナギの電撃はワニをも殺すと聞く。単なる動物でその威力だ。まして魔獣ならそれ以上だろう。
「ロロット、このイノシシに睡眠魔法を掛けて! 精神と感覚を支配する魔法は得意でしょ!」
光る糸をイノシシの四本の足全てに絡ませ、イノシシの身動きを封じながらモルフォが再び叫んだ。ロロットは、今度はすぐに彼女の言葉に応え、タクトのような形をした杖ルーナを軽やかに振り、青白い半透明の球体をイノシシに向けて放った。その光のオーブを受けたイノシシは、先ほどまで猛烈に暴れていたのが嘘であるかのように一瞬にして動かなくなった。
「ふぅ……お疲れさま。これで一件落着ね。ロロットの魔法で爆睡できてるみたいだし、早く町の方に帰りましょ!」
モルフォがこちらを振り向いて言った。彼女の右手はもう光っておらず、あの糸もイノシシの足にしか残っていなかった。
横たわるイノシシをしばしの間見ていると、その茶色い獣のお腹が確かに一定間隔で上下しているのが確認できた。なるほど、あの魔法を喰らうと一発で深い眠りに落ちるようだ。
「僕も同意見だよ。早いところここを去ろう。いつまた恐ろしい魔獣が出てくるとも限らないしね。それにしても……モルちゃんは随分戦い慣れているんだね。さっきのは魔導具だろ?」
「『アラクネの糸』よ。本来は戦闘用の魔導具ではないけれど、汎用性の高さは私が持っている魔導具の中ではピカイチね。よくお世話になってるわ。と、そんなことを話している場合ではないわね」
と言ってモルフォは町へと歩き始めた。成平は彼女の戦闘能力の高さについてもっと詳しく聞きたい様子であったが、話を切り上げられてしまったため、仕方なく彼女の後を追った。
「さ、おれたちも早く行こう、ロロット。魔獣のこともそうだけど、天気も曇り始めてきたからさっさと町に戻った方がいい」
「う、うん」
「……どうした、ロロット? 気張りすぎて疲れた?」
ジュジュはロロットの浮かない顔を覗き込んで訊いた。彼女に対し、ロロットは首を横に振って否定する。
「ううん、そうじゃなくって。ただ、私は賢者なのに……誰にも負けないくらいに強大な魔力と魔効抵抗力を持っているのに、実戦だと全然動けないんだなって。トーゴ君を助けた時だって、一番早く動けていたのはひだり君だし。自分の身の危険を顧みないやり方は今でも反対だけど、でも、ひだり君を非難できるほど、私は十分に戦えていないように思えて。あの時だってひだり君が時間を稼いでくれなかったら、私は…………」
「ロ、ロロット……」
ロロットが漏らした言葉に、しかしジュジュは何も返すことができなかった。一緒になってうなだれてしまう。
「それは仕方ないんじゃないか?」
「え?」
ロロットは顔を上げ、おれを見てきた。
「だってさ、まだ十四歳の女の子だろ? 賢者だって言ってもさ。ならこれから経験を積んで強くなっていけばいいじゃないか。この世界では最強なんだろ、賢者ってのは。胸張って今できる最善を尽くしていこうじゃないか」
「ひだり君。————うん、そうだよねっ! ごめんね、ひだり君、ジュジュ。心配掛けちゃって。私はもう大丈夫! 気持ち切り替えて、この事件を解決しないとね!」
「ロロット……。うん、その意気だよ! わたしもばっちりサポートするからさ! 頑張ってこ!」
暗い気持ちを振り払ったロロットは明るい笑顔を浮かべている。そうだよ、これから経験していけばいいのさ。まだまだ可能性に満ち溢れているんだ。自分で自分を諦めてはいけない。
「それにしても年下の男の子に慰められちゃうなんてなぁ。お姉ちゃんとして情けない限りだよ」
「ま、ロロットねーちゃんはこれだけど、このわたし、ジュジュねーちゃんはちょっとのことじゃあ落ち込まない性格だから、どんどん頼っちゃっていいぞ!」
「ちょっとぉ! 私だってそんなにナイーブじゃないもん!」
「え?」
「『え?』ってどういう意味?! だいたい、ジュジュ姉ちゃんは色々雑だから逆にひだり君が困っちゃうんじゃない?」
「なっ?! 誰が雑だ! そんなこと言ったらロロットねーちゃんだって——」
道中こんな感じでギャアギャアと騒がしかった。二人のこんな日常的な、しかも内容的にどうでもいいようなやり取りを聞いていると、今歩いているこの鬱蒼とした森が禁足地であることを忘れてしまいそうになる。まるでピクニックだ。
見上げる空は、時忘れの塔入り口でイノシシを眠らせた時よりももっとどんよりとしており、少々暗くなってきている。これは間違いなく、しばらくした後に降ってくるだろうな。なんとか町に着くまでには降ってくれるなと心の中で祈りつつ、おれは前を歩く少女二人のしょうもない言い争いに割って入った。
つづく