022.湖畔の森にそびえる塔
かれこれ、もう三十分くらいは経つのではないだろうか。あいかわらず時計を持っていないので、個人的な感覚での話になってしまって申し訳ないが、しかし、それくらいは時が過ぎているだろう。
比較的なだらかな道にも関わらず、吐く息には疲れが滲んでいる。それはおそらく、連日の霧でぬかるんでいる地面と、森の奥深くから突き刺すように向けられた何者かの視線のせいだ。まるで監視されているようで、息が詰まる。
雲の合間から顔を出すお天道様のもと、遊歩道なんて親切なものがないこの森をおれたちはてくてくと進んでいた。湖面に沿って歩いているため、目的地である巻貝の形をした灯台も常に見えており、迷うことはなさそうだ。
そして幸運なことに、禁足地にズカズカと入り込んでから今に至るまで、魔獣にも魔物にも遭遇していない。いつ、何が出てきてもいいようにと身軽になっていたロロットとモルフォの二人はきっと、拍子抜けしていることだろう。いや、二人ともしっかりしているから、こんなことでは気を抜かないかもしれないな。
「じゃあ、湖畔をぐるっと回って町の反対側に行き、そこから塔の方へと進んでいく。このルートで決定ね。禁足地に入るのが早くなるのと、塔に着くまでに掛かる時間が倍になってしまうのがネックだけれど、こればっかりは仕方がないわね」
昨夜、おれの部屋にみんなが集まって作戦会議をしていた時に、モルフォの発した言葉が脳裏を過ぎった。
視界に入っている時忘れの塔まではまだ距離がある。自分の荷物とともにロロットの荷物の半分も運んでいるおれとしては、体力が少し気になるところだ。中身は大人のままでいるつもりでも、やはり身体の方は子どものそれであり、それは体力面でも同じことだった。大人の感覚で動いていると、そう遠くないうちにバテてしまうことだろう。
しかし、それでもこのルートを選ばざるを得なかった。ボートを使って湖を突っ切っていくという案もあったけれど、モルフォの話しによれば、それよりも湖をぐるっと回り込んで行くルートの方が安全だということだった。
何故かといえば、ボート上で魔獣に襲われた場合、かなり危機的状況に陥ることになるからである。その可能性が低いとはいえ、万が一そうなってしまった場合は全滅も覚悟するべき、とはモルフォの言だ。やはり現実はRPGゲームのようには上手くいかない。
「ここで少し休憩にしようよ。ずっと歩きっぱなしだったし」
陽の光がよく当たる開けた場所に出ると、先頭を歩いていたロロットがそう言い出した。同じく先頭を歩いていたモルフォもそれに同意する。今日の彼女は流石に何も被っていなかった。そりゃそうか。こんな森の中、しかも禁足地の中を歩くというのに、いざという時に動きにくくなるハット帽など被りはしないか。
彼女の後に、おれ、ジュジュ、成平が続いた。一本の木の下に全員分の荷物をまとめて置く。ぐちょぐちょとした地面に座りたくはなかったので、しゃがみ込んで休んだ。これも長時間していると疲れてくるわけだが、立っているよりかはマシな気がした。
「魔獣が出てこないのはありがたいけれど、とはいえ、なんだか不気味だね」
領主の屋敷で準備した水筒を傾けて水を飲むおれに、成平が喋りかける。
「……禁足地に入ってからずっと感じる、あの嫌な視線のことか?」
喉を潤したおれは彼の言葉に答えた。成平は頷き、目だけを動かしてモルフォの方を見る。彼女もまた、コクリと頷いた。
「やっぱり、みんな気付いてたんだね。実は私、アレが気になってて。それで、一度みんなに相談したくって、休もうって」
おれたちのことを見ていたロロットが少しほっとした様子で言った。
「もちろん気付いてはいたけれど、でも、正直に言えば私にもアレが何なのかよく分からないのよ。一方向からというよりかは、森全体から私たちに向けられているというか。そういう、嫌な感じがするわ」
「僕もモルちゃんに同意見だな。視線の出所が掴めない。人のものなのか動物のものなのか、はたまた魔獣のものなのか。もし魔獣のものだったら嫌だけど、でも、まだマシな方かな。監視しているのが魔物だったらかなりマズいだろうしね」
珍しく成平の顔は真剣で、おれたちが目指す時忘れの塔とは別方向の、森の奥、そのさらに奥を睨み付けていた。
「僕が思うに、この視線は一つではないだろうから」
複数の視線。四方八方から向けられる監視の目。おれたち五人の中でまともに戦えるのは、ロロットとモルフォの二人だけだ。何体もの魔物が押し寄せてきてしまったら、確実に対処しきれないだろう。
賢者が携える『星の杖』に似た代物を持つおれも、戦闘要員になれれば良かったのだが、未だ魔法一つ満足に使えない身では味方はおろか、自分の身すらも守ることができそうにない。今でこそ思うことだが、トーゴを守ることができたのは、やはり偶然の賜物であった。毎朝行っているトレーニングによって、魔力とやらが少しずつ身近なものに感じられはしてきたが、しかし、まだ未熟者であることに変わりはない。不甲斐ないが、おれでは魔物も魔獣も退けることができない。それは十分に自覚している。
「なら、あんまり休んでいないで先を急ごうよ。同じ所にずっと留まっててさ、なんか変なのがやって来てもヤだし」
「私もジュジュの意見に賛成。早く時忘れの塔に着いた方が安心できるもの」
モルフォの返事を聞き、ジュジュはすぐに自分の荷物と、彼女が運ぶことになっているロロットの荷物のもう半分を背負って一同を見回した。それに対して成平はいつも通りの薄っぺらい笑顔を返し、二つの荷物に手を伸ばす。彼はモルフォの荷物を運ぶ係でもあった。
「よしっ! じゃあもう一頑張りといきますか!」
おれも荷物を持ち上げ、鞄の底に着いた湿った土を払い、みんなの後に続いた。もちろんおれの背中には、何者かの視線も纏わり付いてきていた。
ひたすら湖の側を歩き続け、時忘れの塔に限りなく近づいてからおれたちは進行方向を塔へと変えた。
これまでは湖のおかげで視界の一部が開け、また遠くには調査の拠点としているロジューヌの町並みが見えていたこともあり、常に危険と隣り合わせである禁足地の中においても少しばかりの安心を抱くことができていた。が、塔へと直進するとなると、当然景色は木々に遮られることになる。それは、単に視界が狭まるだけではなく、おれたちの心持ちにも影を落とし、さらにはあの嫌な視線をも強めているようであった。
「あっ! みんな見て! 着いたよ!」
前を歩くロロットが喜びの声を挙げる。鬱陶しい草木を掻き分け、彼女の隣に到達すると、目の前にはあの大きな巻貝がそびえ立っていた。町からは細く見えていた乳白色と橙色の縞模様も、こう近くで見るとかなり大きな縞々であった。
一行の殿を務めていた成平が、おれの隣を通り過ぎ、巻貝に触れる。彼は壁に触れながら塔を見上げた。それに釣られておれも首を上げてみる。海が近くにあるわけでもないのにこんな姿形をした、『時忘れの塔』と呼ばれる灯台はかなり背が高かった。これは天辺まで登るのも苦労しそうだ。
「入り口はどこかな~?」
ジュジュが前に出てキョロキョロする。おれも同じように軽く見回してみるが、それらしきものは見当たらない。
「無いなんてことはあり得ないだろうし、とりあえず周囲をぐるっとしてみようよ」
そう提案するロロットはすでにおれの隣にはおらず、モルフォや成平とともに先の方へと進んでいた。おれとジュジュもすぐに彼らの後を追う。
「ん? あれは穴じゃないか?」
塔の壁面に沿ってしばらく歩いていると、成平が何かを見つけたらしい。彼が言葉とともに指差す方を見てみると、そこには確かに穴らしきものが見えた。だが、ここからだといまいちよく分からない。すると、おれの後ろを歩いていたジュジュが急に駆け出していった。彼女の後ろ姿がどんどん小さくなっていく。
ある地点まで行くとジュジュは立ち止まり、両手を挙げ、大声でこちらへと叫んできた。
「みんなぁー! ここぉー! 入り口だったよぉーーーっ‼︎‼︎」
ありったけの声を出しているのか、若干うるさいが、それはまあ元気な証拠だろう。耳と尻尾をピンと立てている彼女は、嬉しそうにおれたちが来るのを待っていた。
つづく