020.喫茶店での聞き込み調査
「ちょっとひだり~。早く来ないと置いてくよ~」
坂を登り切ったジュジュが振り返って声を掛けてくる。息を切らし、魔法の杖をただの杖として役立てているか弱きおれに対して、一切の情け容赦などなかった。運動不足であるおれが悪いが、それを差し引いてもこう突っ込みたい。鬼か、お前はっ!
「お前、わたしより若いのにだらしないな。男の子でそれだとモテないぞ」
「よ、余計なお世話、だ……」
「あそこがわたしたちの担当の最後だな」
ジュジュに追いついたおれは息も絶え絶えに、彼女が視線を向ける先へと目を移す。外観が少し汚れている、こじんまりとした喫茶店がそこにはあった。本日は既に四件の喫茶店を回っているが、この最後のお店が一番小さく、そして一番ボロい。
扉を開けると、カランカランという音に出迎えられた。どうやら、扉の上部に飾り物が付いているらしく、それが揺れて音が鳴ったらしい。
「いらっしゃい」というマスターからのお出迎えの声は、おれとジュジュがカウンター席に着くまで聞こえてこなかった。接客態度が良いとは言えないが、マスターのその程良い適当さはこの店にはよく似合っている。これは別に悪口ではない。いい意味で、そういった力の抜けた雰囲気が店内には漂っていた。だからだろうか。席に着くと、今日の疲れがどっと押し寄せてきた。まだお昼頃だというのに。
「——って! 聞き込みしないのかよ!」
おれの右に座ったジュジュが激しく批難してきた。申し訳ないが、差し出された水をまったりと飲んでいると店内の客に聞きに行く気など全く起きなかった。疲れのせいだな、うん。
そういえば、よくよく考えてみると、座った時にどっと疲れが押し寄せてきたのはここまでの道が上り坂になっており、そこをずーっと歩いてきたからなのであった。なるほど、それが真の原因か。うん、だからどうしたって感じだな。
「まあ、急がなくてもいいじゃないか。ここが最後だしさ、ちょっと休憩しよう。すんませーん、アイスコーヒーひとつ」
カウンターに突っ伏し、おれは堕落の権化のようになる。意居心地いいなーこの店。もう外歩き回りたくねぇな-。外回りしてた営業のあんちゃんは偉いんだなぁ。
「そんなんだと、倦怠病と霧の謎なんか一向に解けないぞ! ……あ、すんませーん、カフェオレひとつ」
「お前なあ、若いからって休憩を疎かにしてると脱水症状とかになるんだぞ、マジで。水ってのはさ、喉が渇いてから飲むんじゃ遅いんだよ」
ジュジュは「何言ってんだコイツ」みたいな目をおれに向けてきているが、これは実体験からくる忠告、もとい警告だ。
そう、あれはまだおれが中学生だった時の話だ。おれがまだ部活で汗を流し、スポーツに勤しむ健康的な少年だった頃、「まだまだいけるっしょ」というトイレットペーパー並みに軽いノリで水を取らずに動き回っていた日があった。で、結果どうなったか。夏の日でもないのに脱水症状になって保健室行き。あわや救急車を呼ばれるところだったと言うから、本当にシャレにならない。
まあ身長というか、身体的には今の方が幼いのだが。しかしそういう経験をしているからこそ、こうやって口うるさく言っているのだけれど、おれの忠告に対してジュジュは、
「……いや、喉が渇いてから飲んでも問題ないだろ。そうそうぶっ倒れる事なんてないし。ていうか、ひだりはわたしより年下だろ」
この有り様である。若さ故の自信。まともに受け止めてはもらえないようだ。が、おれはめげずにこの話題を続ける。決して、この休憩を正当化するためにあれこれ理屈をつけているわけではない。そこはご了承願いたい。
「水分不足だと集中力も落ちるんだぞ。……まあ、この町は割と涼しいからそんなに汗かかなかったけども」
「なら別にいいじゃん。飲み物来たら聞き込み行こ——」
「待て待て待て! 休むことは大切なんだ! これ、孔子も言ってるからっ!」
盛大な嘘を吐いてしまったが、もう一度言っておく。おれは別にこの休憩を正当化しようとしているわけではない。いや、本当だって。
「コウシ? 子牛は喋らないだろ。おまえ、大丈夫か?」
「お嬢ちゃん、子牛が喋らねぇことは確かだが、コーヒーブレイクを軽視するのは感心しねぇなあ。若い時は自分の疲れに無頓着なもんだ。はいよ、アイスコーヒーとカフェオレ」
真っ白な髪を七三で分け、同じくらい真っ白な髭を丁度良い感じに整えているこの店のマスターが、絶妙なタイミングで品を持ってくる。その左肩には何故かシマリスがクルミを持って乗っていた。クルミをカジカジするせいで初老の肩に殻の屑が落とされているのだが、彼は全く気にしていない様子だった。
「あ、ありがとうございます」とジュジュが言い、
「あ、どうも」とおれが言って飲み物を受け取った。
「さっき倦怠病がどうのとか言ってたけど、お二人さんもこの町を調べている学者さんかい?」
マスターはカウンターに戻ると、洗って水切りをしていたカップやソーサーを拭きながらそう尋ねてきた。彼にはおれたちが学者に見えているのか? いや、流石にないか。幼すぎるし。ただ、普通の観光客ではないと踏んでいるらしい。
「いいや。おれたちも調べちゃあいるけど、学者じゃねーな。むしろ学者の人に訊く側かな」
「ほぉう?」
「わたしたちがメインに聞き込みしてるのは、ここに住んでいる人の方だけどね。マスターはなんか知らない? お客さんから色々聞いてたりとかさー」
「そうは言ってもねぇ、お嬢ちゃん。倦怠病について既にあちこち聞き回ってんなら、俺が知ってることはあんたたちも知ってることだと思うぜ」
マスターが、今度は拭いた食器類を棚へと戻していく。
「確かに、大まかな概要は掴んでるな。じゃあ、ほぼ毎晩出る霧の方でなんか知らないか? こっちの方はみんなあんまり詳しくないみたいでな。大した話を聞けてないんだ。ほんと、些細なことでも構わないんだが」
「霧ねぇ。倦怠病となんか関係があるんじゃねーかって位しか知らねぇな」
「噂話とかは出回ってたりしないの? 九割ガセネタだろってやつでもいいからさー」
ジュジュが引き下がらずに食い付くも、マスターの返答は「う~ん……」という、微妙なものだった。やはり、色んな話が転がり込んできそうな喫茶店のマスターであっても、霧の謎について有力な情報は持ち合わせていないということか。
「君たち、面白そうな話してるね。良かったら、私も混ぜてもらえない?」
声のする方を振り返ると、そこには洒落た装いのお嬢さんがこちらに微笑んでいた。袖や裾にフリフリの付いた純白のブラウスに、ワインレッドのスカートという出で立ち。毛先だけにカールを掛けた長い黒髪の上には、スカートと同じワインレッドのハットが乗っており、彼女を優雅に演出。顔立ちからしておそらく高校生くらいの年齢だと思うのだが、彼女のファッションとそのゆったりとした雰囲気のため、もっと大人びた、二十歳くらいの印象をおれに与えた。両耳に付けられた金色のピアスもまた、大人っぽく見えるポイントかもしれない。
端的に言うと、めちゃくちゃ可愛らしい女の子だった。どこか余裕を感じさせる佇まいから、この男受けしそうな可愛さは明らかに計算されたものであることが窺えたが、そんなことは男のおれからすればあまり重要ではない。
彼女は、おれたちの返事を待たずにジュジュの隣に腰掛け、マスターにミルクティーを注文した。マスターが急いで注文の品を準備している間、彼女は、霧について調べているのかとジュジュに尋ねてきた。
「うん、訳あって調べてる」
「ワケ、ね。それで全然情報が集まらなくて困ってます、という流れで合っているかしら?」
「そんなところ。……もしかして、お姉さんは何か知ってるの?」
今度は、突然話に割り込んできた洒落た少女にジュジュが尋ね返す。すると、帽子の彼女はニヤッと笑ってこう答えたのだった。
「君たちはもう、湖の向こう側にある“時忘れの塔”については知っているのかな?」
つづく




