019.宴、そしてアンクル
ジュジュと合流したおれとロロットは、彼女に導かれて中央階段の左手奥にある食堂へと足を踏み入れる。いかにも貴族の屋敷という感じの、縦長のテーブルが部屋の中央に鎮座していた。卓上は山菜と魚介類で彩られており、赤ワインと思しきボトルが部屋の光を反射してキラリと光っていた。これらの料理を、あのショコラが一人で用意したのだろうか。
大きな窓と窓の間に風景画が飾られたこの食堂の最奥にコバルトは座っていた。ショコラはその横に立って領主のグラスに赤ワインを注いでいる。彼女の給仕に目もくれないコバルトが、入り口近くで突っ立ったままのおれたちに着席するよう促した。
「みな様にはこちらを」
席に着いたおれにショコラは赤ワインらし物が入ったボトルを見せ、手近なグラスに注ごうとした。いやいや。ありがたいけど! すごく呑みたいけど! 今は子どもだから、おれは飲めないんだよ。そのことを二つ結びの黒髪を揺らす彼女に告げると、
「ご心配なさらなくとも、味の分からなそうなお子様には高級ワインなど飲ませられませんよ。こちらはワインと並ぶこの町の特産品の一つ、ブドウジュースですよ」
いちいち一言多いメイドに若干イラッとしつつも、ワインじゃないならとおれは自分でグラスを傾けて彼女が注ぐのを受け止める。というか、お前だってまだ未成年なんだから高級ワインの味なんて分からんだろうに。……いや、おれも元の世界で高い酒を飲んだ経験なんて無いんだけどさ。
ガチャリと扉が開く音がして入り口に目を向けると、成平が遅れてやって来ていた。申し訳ないという雰囲気は出しているが、普段の飄々とした態度を隠し切れていない様子だった。しかし、そんなことは全く気にしていないコバルトは、おれたちの時同様、彼に席に着くよう促す。
「いやぁ~、遅れてしまって申し訳ありません」
「気にしなくて構わんよ。丁度これから始めようと思っていたところだったのでね」
卓上に様々なパンが山のように盛られたバスケットを二つ置くと、ショコラはテーブルから壁際へと一歩退いた。食事の準備が整ったということだ。
「では、賢者見習いのロロット様とその御一行のみなさんを歓迎して」
自分のグラスを手に取り、着席するおれたちを見回すコバルト。彼に見られたおれたちは各々のグラスを手に持って彼の言葉を待った。旅の面子の中では成平だけが見た目・中身ともに大人であるので、赤ワインの入ったグラスを手にしているが、その他は成人していない子どもなので手にしているのはブドウジュースのグラスだ。
「乾杯っ!」
コバルトの音頭に倣って、口々に乾杯と言ってグラスに口を付けた。見た目が赤ワインとさほど変わらないブドウジュースは非常に濃厚で甘く、特産品と言うだけある美味しさだった。飲んだ後、口に残る微かな苦みや渋みが、おれにしっかりと葡萄らしさを感じさせてくれる。
「それでコバルトさん、何かお話があるとのことでしたけど」
「ああ、そうですな。この話はとても大切だから、最初の方に話しておいた方がよろしいか」
おれの質問にコバルトがそう前置きして話し出したことは、この町で今問題となっている倦怠病と濃霧のことだった。内容はここに来る途中、馬車の中でショコラから聞いた話とほぼ同じようだ。そのことをコバルトに伝えると、「素晴らしい! さすがは『水曜の賢者』様の侍女だ!」と彼女を絶賛した。
「注意喚起は嬉しいんだけどさ、コバルトさん。わたしたちはそれらの問題を解決しなくちゃいけないんだ」
ジュジュは口に頬張っていたパンを吞み込むと、コバルトに自分たちの置かれた状況を説明し始めた。
「アリス様からうちのロロットにそういう課題が出されたんだよ。ロジューヌの町の問題を解決しないと、賢者のサインはしないって。だから、倦怠病やそれと関係があるっぽい霧のせいで今のこの町は危ないよって言われたとしても、わたしたちは退く訳にはいかないんだ」
「ふぅむ……なるほどな。領主の私としてはみな様の身の安全のためにも、今すぐにでもこの町から離れて頂きたかったのだが……修行の旅の目的に関わるとあらば、私からの忠告は無意味ですな」
ハッハッハと豪快に笑ってから、コバルトはグラスの中で揺れていた赤ワインを一気に飲み干した。ワインの一気飲みか。この領主、お酒には弱くないようだ。
「倦怠病に関する情報を集めるのであれば、町の住人に直接聞くと良いでしょう。人によって軽度だったり重度だったりと様々だが、ロジューヌには倦怠病に苦しんだ人、あるいは現在進行形で苦しんでいる人がたくさんいるからね」
コバルトはショコラに再び赤ワインを注いで貰いながらそう言った。まずは聞き込み調査をしてみてはどうかということか。彼の言葉に対して、よくできたメイドが補足を付け加える。
「患者や元患者の話だけではありませんよ、コバルト様。今の町には西方諸国の各地から学者が集まっております。彼らからの話もきっとロロット様たちのお役に立つことでしょう」
「確かにその通りだ。ここに来て調査研究を進めている学者ならば、一般住民よりも何か掴んでいるかも知れんな」
コバルトは二杯目のワインを一口飲んだ。
「いずれにせよ、明日はロジューヌの町を見て歩きつつ情報を集めてみては如何ですかな? 霧についてはどの人もまだ多くを知りはしないでしょうが、倦怠病については有益な話が聞けるでしょう」
「そうしてみます。お話、ありがとうございます」
ロロットが礼を言い、食事の席の話題はもっと身近な事へと移っていった。ロロットとジュジュはいつ友達になったのかとか、成平は今まで何処を旅してきたのかとか、ロジューヌ名物の話とか、そういったことだ。この世界に疎いおれは基本的に話を聞いてばかりだったが、分からないことについて口に出して尋ねてみると、コバルトが快く答えてくれた。
こうして、とても和やかな雰囲気の中、歓迎会は夜遅くまで続けられた。
「それでは、また明日。良い夢を!」
食事会が終わり、席を立つおれたちにコバルトがそう挨拶した。おれたちは軽く会釈し、扉を開いて食堂を後にする。美味しい料理でお腹が満たされた身体は少々重く、歩きづらい。腹八分目で止めておいた方が良かったかもしれないな。
中央階段のある玄関に差し掛かったとき、大扉が開いて一人の男が入ってきた。引き締まった身体をした背の高い男で、ぞろぞろとこの玄関に入ってきたおれたちに気付くと暖かみのある笑顔を向けてきた。
「ああ、あなたたちが父の話していた御客人ですね」
これは驚いた!
なんとこの男、ロロットに近づいてきて手を差し伸べたのである。つまり、初対面で握手を求めてきたのだ。いや、普通に考えれば、初めて会う人と握手をすることは別に驚くようなことではない。
しかし、コバルトもショコラも握手なんて求めてこなかった。ま、ショコラはアリスの侍女でこのトリコロール連合国生まれではなさそうだから、そういう慣習がなくても「そうなんだ。ふーん」ぐらいで終わるけども。だが領主であるコバルトがしてこなかったのだから、初対面の人と握手することはこの町、この国の習慣という訳ではなさそうなのだが。
こう考えていくと、やっぱりこの二十代後半の男の行動はちょっと不思議だった。
「初めまして。僕はブルーフォント領領主の息子で、アンクルと申します。一応ここに住んではいるのですが、仕事の都合上、二ヶ月ほど前から屋敷の外で寝泊まりする事が多くてね。中々会う機会はないかもしれませんが、何卒よろしくお願いしますね、シャルロッテ嬢」
「私の名前をご存じなんですね! よろしくお願いします! しばらくお世話になりますし、まだ賢者にはなっていない身なので、私のことは普通に呼んで下さって大丈夫ですよ」
彼の握手に応じ、ロロットが挨拶する。
「お気遣いありがとう。なら、ロロットちゃんと呼ばせて貰うよ」
握手を解き、アンクルはおれたちを見回した。
「君たちもよろしくね、ジュジュちゃん、ひだり君、そして在原成平さん」
「僕のことは成平で結構ですよ、アンクルさん。それにしても、僕らの名前まで知っているとは」
「それだけショコラさんが優秀だということですよ。彼女の手紙にはみなさんのお名前と特徴が書かれていましたから。それより、今日はもうお休みなんですか?」
「そう。明日はロジューヌ中に聞き込み調査するつもりだからさ。早く寝ないと!」
ジュジュが尻尾をゆらゆらさせながら答えた。
「へぇ、意外だな。ジュジュのことだから、てっきり夜更かしばっかするタイプだと思ってたんだが」
「騙されちゃダメだよ、ひだり君! いつものジュジュは夜更かしばっかで朝起こすのが大変なんだから!」
「う、うるさいぞロロット! そういう日もあるってだけじゃん」
「そういう日しかないじゃん!」
少女二人のやり取りを、アンクルは微笑ましく眺めていた。
「詳しい事情はよく分からないけど、ロジューヌの町を歩き回るのであれば小まめに休憩を取ることをお勧めするよ。意外とこの町は階段や緩やかな坂が多いんだ。夏じゃないからと言って油断しないで、水分補給はしっかりね。身体は、命は大切にしないとダメだよ。何の前触れもなく、突然に失われかねないのだから…………」
一瞬、彼の目がくすんだような気がした。光が失われ、影を帯びたような——。
「おっと、早く寝なきゃいけないんだったね。それじゃ、おやすみなさい!」
挨拶が済むと、アンクルは中央階段右手の廊下へと消えていった。それを見送ってから各々が各自の部屋へと再び歩き出す。本当はもう少し彼と会話をして何か情報を掴みたいところだったが、まあ少なくとも後数回は会えるだろう。何の根拠もないが、一応彼もこの屋敷に住んでいると言っていたしな。
それよりも、やはりサントレアからの長旅の疲れがあるらしい。夜も更けてきているとはいえ、普段ならバリバリ起きている時間にも関わらずおれは睡魔に襲われつつあった。手短にシャワーを済ませて今日はもうさっさと寝よう。明日はマジで歩き通しになりそうなのだから、疲れを引きずる訳にはいかないのだ。
つづく




