001.冒険の始まりは逮捕から
おれが広場にある噴水の縁に座っていると、町行く人が物騒な話をしているのがちらほら聞こえてきた。やれ西の交易都市で例の『泥棒賢者』が何件も食い逃げしたとか、やれ店先に並ばせていた品物を盗んでいったとか。はたまた、北の方で襲って来た山賊たちを『暴力賢者』が返り討ちにして、金銀財宝を横取りしたとか。
仮にも『賢者』と呼ばれている人が、話に出てきたような窃盗や暴行を働いているとは思えない。おそらく、彼らの話には、それはそれは長い尾ひれが付いているのだろう。
走り疲れていたため、流れてゆく人の群れをぼーっと見ていると、また別の話が耳に入って来た。
「ねえ知ってる? 東の方にある有名な温泉街でさ、この間『賢者もどき』が出たらしいよ。なんでも、女湯に入ってたんですって!」
「うわぁ。サイアク! 噂では可愛らしい顔をしてる男の子だって聞いたんだけど、とんだクソガキだったってわけか」
「『賢者様』みたいな格好して中身がただのエロガキだなんて、ホントーの『賢者様』たちに失礼だよね! 『変態賢者』なんてさっさと逮捕されちゃえばいいのに」
失礼な! 誰が『変態賢者』だ、誰が!
あ、いや、違うんだ、お嬢さん方。おれは故意に女湯に入ったんじゃあない。食い逃げによる足の疲れを癒やそうと思っておれが温泉に入ったときにはまだ、間違いなく男湯だったのだ。おれはただ、湯船に浸かってうとうとしていただけさ。そうしたらいつの間にか、男湯が女湯に変わっていたんだ。気付けば、可憐なお姉さん方がタオル片手に浴場に来ていた。そう、あれは不幸な事故だったんだ。
おれは視線を落とし、みすぼらしくなってしまった自分の茶色い革靴を見ながら、必死の弁解を頭の中で展開した。そりゃあそうさ。ラッキーな思いはしたが、あれは紛れもなく事故なのだから。おれ自らの意志で行ったこととされるのは受け入れがたい。
端から見れば哀れに思われるような自己弁護を行っていると、何かが風を切る音が聞こえてきた。ひゅるるるる、とでも表現すればいいだろうか。その音は次第に大きくなってきており、どうやら自分に近づいてきて——。
「んぎゃっ⁉︎」
顔面に当たった。音が気になって顔を上げてみたら、タイミングよく、そして勢いよく何かがぶつかってきた。顔がヒリヒリと痛い。そう感じたのは、衝撃で後ろの噴水の中に倒れ込んでしまってからだった。先ほど見た感じだと、この噴水はそんなに水位が深いわけではない。しかし、突然の出来事過ぎて、おれは思うように身体を起こすことができなかった。
やばい、これはマジで溺れそうだ。息ができない。あ、これ本当に洒落にならないやつだ。やばいやばい、マジやばい!
「今だー! 賢者様を騙る、例の不届き者を捕らえろーっ‼︎」
意識が薄れていくなか、男の声でそんな言葉が聞こえた気がする。結局、おれが無我夢中で動かした両の手は、水面をバシャバシャと騒がしくしただけで、溺れかけの状況を打開してはくれなかった。
おれ、このまま死んでいくのだろうか。なんでここにいたのか、どうして容姿がお子ちゃまのそれになってしまったのか。何よりもなぜ、あんな大層な杖を自分が携えていたのか。これらの謎に、なにひとつ、迫ることもできぬまま……。
「おい起きろ、クソガキ」
不愉快な男の声で意識がハッキリとしてきた。うう、気持ち悪い。どうやら、噴水の所で本当に溺れて気を失っていたらしい。あそこで溺れるだなんて、恥ずかしすぎる。
「この男の子が、二ヶ月ほど前からここら一帯を荒らしているという、賢者の名を騙る者、ですか?」
目の前にいた、フード付きの緑のローブを羽織っている子どもがそう言った。目深にフードを被っているため、こちらからでは顔は見えない。しかし声の高さから、その子どもが女の子であることはすぐに分かった。見れば、クリーム色のスカートのようなものがローブの裾の下から覗いているし、まず間違いないだろう。
「はい、そうです」
男が答えた。低音の渋いボイスだった。
「よく捕まえられましたね」
「ボールを投げ当てて気絶させたところを捕まえました」
おれの顔面に当たったのはボールだったのか。なるほどな。結構痛かったんだが、投げた奴は肩がいいのかもしれない。というか、ボールが当たって気絶したのではない。ボールに当たって噴水に頭を突っ込み、その結果溺れたから気絶したのだ。
……なんだか、心の中で突っ込んでいて悲しくなってしまった。あの噴水で溺れたという、小っ恥ずかしい事実を認めてしまった。しかも割とすんなりと。それが何よりも悲しい。
「こいつは食い逃げ、盗みの常習犯で『泥棒賢者』のあだ名を持つ者です。また、最近では女湯を覗いたとかで、『変態賢者』とも呼ばれている奴ですね」
「お宝を横取りするために北の方の山賊をぶっ飛ばしたことから、『暴力賢者』とも呼ばれてるみたいっすね。あー、あと『賢者もどき』って呼んでいる人も町中にはたくさんいました。……コイツ、あだ名多いなぁ」
おれの前には、フードの女の子を含めて三人の人間がいた。おれの真ん前にいるのが、強面の男だ。紺のシャツとカーキ色のズボンという出で立ちで、シャツの上には焦げ茶色の革製の胸当てを付けている。
そして、男の返答に補足を加えたのは、男の右隣、おれから見れば男の左隣にいる銀髪の女の子だ。ゆったりとしたシルエットの黒い服を着ている。白い襟元には簡略化された桜の花があしらわれていた。裾の長い服の下から白いホットパンツがちらりと覗いており、可愛らしい装いだった。
おれの持っていた杖は、彼女が両手でしっかりと握っていた。だいたい百五十センチ前後くらいの身長であるおれよりも大きなその杖は、おそらく二メートル近い背丈を誇っているだろう。まあ、大きさの割には片手でも難なく持てるくらいには軽いのだが、流石にずっと持っていると腕が疲れる。これは実体験からくる血の通った感想だ。
しかし、そんなことよりも気になることがある。彼女の頭の上には動物の耳が付いているのだ。そして目を凝らしてみると、尻尾らしきものも見受けられた。あれらは本物なんだろうか。
「無一文でこの世界に放り出されたんだから、食い逃げは仕方ないだろ!」
おそらく、おれが無罪になることはないだろうが、一応反論しておいた。これで逆に刑が重くなったらどうしよう、などという悲観的なことはあまり考えないようにした。
「お前、山賊の宝を奪ったんじゃないのか? どれくらいあったかは知らんが、結構な金額を手に入れているのでは?」
「あれは話に尾ひれが付きすぎだ! 山賊をぶっ飛ばしたのは事実だけど、それは結果的にだ。おれはあいつらに襲われて無我夢中だったし、とにかく生き抜くのに必死だったんだ! お宝云々は噂する人々が勝手に付け足した妄想だ!」
クソ、男の追及が激しいな。おれだってそこそこのお金持ってて、ここで何かしらの仕事にありつけてりゃこんな軽犯罪なんて犯してないさ。
「とにかく! どんな理由があろうとも罪は罪だ。大人しく裁かれなさい」
「うぐっ……」
ぐうの音も出ないほどの正論。今は子どもの姿になっているが、おれは元々立派な大人の男だ。どう考えてもおれが悪いというのは、流石に自覚はしている。納得はできないが。
「ず、ずいぶん堕落しているんですね、この非行少年は。あっ! ということは、『堕賢者』ですね、『堕賢者』!」
ローブの少女が嬉しそうに声を発した。そんなに気に入ったのか、『堕賢者』って言葉。
そもそも、おれは自分から『賢者』だなんて名乗った記憶はない。ここに来たときに持っていた杖と、山賊をボコボコにしたという噂話を聞いた一般ピーポーの皆さんが、おれのことを勝手に『賢者』と言い出しただけだ。
「呼び名なんて何でもいいよロロット! それより、コイツどーすんのさ」
「そういえば、この子の処遇は『月曜の賢者』であるシャルロッテ様に一任されているんでしたね」
「わ、私はまだ賢者見習いの身ですよ~。一人前になるための修行の旅に出たばかりですし」
獣耳が付いている、見るからに活発そうな少女が“ロロット”と呼び、強面の男が“シャルロッテ様”と呼んだ女の子は、フードから頭を出して言った。絹のような白い肌にゆるふわボブの金の髪、淡い水色の瞳が印象的な、端正な顔立ちをしていた。
なるほど。話を聞く限り、おれの今後についてはどうやらこの女の子に決定権があるらしい。
「見習いであろうとも、先代が年甲斐もなくヒキコモリになった今、あなたこそが実質の賢者様だと、みなが思っておりますよ」
「警備隊長さん……。ありがとうございます! その期待に応えられるよう、私、頑張りますねっ!」
「応援していますよ、シャルロッテ様」
いや、そんな話はどうでもいいよ。それよりおれの今後だよ。おれはこの後どうなるんだ。軽いとはいえ、犯罪を犯している身である。どんな裁きが下されるのか、考えただけでドキがムネムネしてしまう。
丁度、銀髪の女の子も同じように思っていたのだろう。おれの言いたかったことをズバリと口にしてくれた。
「そんな話は今どーでもいいから! ほんとどうすんのさぁ。コイツをどう裁くのかなんて、まだ決めてないじゃん。わたしとロロットの旅に連れてくわけにもいかないんだしさぁ」
「…………そっか、連れていけばいいのか」
「へ?」
あっ。銀髪の女の子に付いている獣耳がピクッと動いた。そうか。あれ、本物なんだ。
つづく