017.賢者との面会を終えて
ロロットの決意に満ちた返答に、アリスは満足そうな笑みを返す。前に会ったのがどれほど昔なのかは知らないが、思うに、彼女の成長を感じられて嬉しくなったのではないだろうか。髪の色も瞳の色も同じ彼女たちは、一見すると姉妹のようでいて微笑ましい。アリスの中にも「ロロットのお姉ちゃん」という意識があるに違いない。
「ありがとう、ロロット! 修行中の賢者見習いに対する賢者からの支援は御法度とされているから、私からは“頑張ってね!”ってくらいしか言えないけど……でもっ! 応援してるからね!」
「うん! 私、頑張るよっ!」
「さて、シャルロッテ様御一行はサントレアからの長旅で疲れておいででしょうから、今日はもうゆっくりとなさって下さい」
ショコラは喋りながらロロットの肩に手をそっと乗せた。「え~~~」と文句を垂れるアリスに対しては、涼しい、というよりかは少々冷たい眼差しで、「お嬢様も休んで下さい。まだ調子が戻ってないのですから」と言い放った。自分の主の前でもツンツン要素は包み隠さないようだ。
「あ、ちょっと待ってくれ! アリス様に聞きたいことがあるんだ」
「え、私に、ですか?」
おれは携えていた琥珀色の杖を前に突き出し、アリスの注意を引いた。
「この杖に見覚えはありますか?」
凝視する彼女の反応は良くない。少しして、彼女は小さく首を振った。
「ごめんなさい。……それ、『星の杖』に似た物のようですけど、私にはよく分からない代物だわ」
「そうですか。急に変なことを聞いてしまって申し訳ない」
「ひだり君、もしかしてその杖の持ち主でも探してるのかい?」
成平が小声で話しかけてきた。
「でも、それは君のでは……?」
「借り物なんだが記憶がなくてな。こうして持ち主を探してるんだ」
同じく小声で返してから、「さて、行くか」とロロットを促した。彼女は笑顔で頷き、アリスに別れを告げる。
「じゃあ、また明日。あっ! 今晩も霧が出ると思うので、気を付けて下さいね」
部屋を出て行くおれたちの背中にアリスはそう声を掛けた。バタンと扉が閉じられてから、おれは彼女の言葉が頭の中にべったりとくっつくような感覚を覚えた。“今晩も霧が出ると思うので”か。本当に毎日霧が発生しているようだな。“気を付けて”というのは、やはり霧が倦怠病に関係しているからだろうか。
「ねえねえ、ショコラさん。領主様が何かお話があったみたいだけど、それはどうなる感じなの?」
ジュジュがもふもふの尻尾を揺らしながら尋ねる。最後にアリスの部屋から出たショコラは、彼女の方に向き直って答えた。
「今夜は食堂にて、みな様を歓迎しての食事会が開かれる予定でございます。コバルト様からのお話はおそらくその時にあるでしょう。まあ、そんなに気になさらないで下さい」
「食事の時間まで、僕たちは自由にしていていいってことかな?」
「はい、結構ですよ。荷物も置きたいでしょうし、まずはみな様の部屋にご案内致しましょうか、成平様?」
「部屋? このお屋敷に僕たちを泊めてくれるのかい?」
「ええ。コバルト様からはそう承っております。まあ、みな様は我が主、『水曜の賢者』様のお客様なのですから、この待遇は当たり前と言えば当たり前ですがね」
その後の彼女の説明を聞く限りだと、朝食は用意してくれるらしいが、昼や夜の食事は各自で済ませろ、ということだった。B&B方式のようだ。こんな大きな屋敷で寝泊まりできるというのはちょっとワクワクする。これ、普通に海外旅行とかでやると宿泊料結構取られるんだろうなあ。
成平とジュジュがすぐに案内して欲しいと言ったため、おれたちは廊下を元来た方へと戻っていった。我々旅人にあてがわれた寝室というのは、中央階段を上って右に進んだところにある部屋だった。一人一部屋使えるという贅沢っぷりだ。ショコラは案内を終えると、「仕事がありますので」と告げておれたちのもとから離れていった。
おれに与えられた部屋を開けてみると、中の様子はアリスの部屋とそれほど変わらず、広さもそこそこあって快適そうだ。振り向いて他の人の様子を窺ってみたが、だいたいおれと同じ反応をしていた。ということは、みんなの部屋も立派なのだろう。う~ん。さすがは領主様である。
「んじゃ、わたしはちょっと散歩でもしてこようかなぁ。馬車の中ではずっと座りっぱなしだったからさ、なんか身体が固くなっちゃって」
各自が部屋に荷物を置いて再び廊下に集合したとき、一番最初に口を開いたのはジュジュだった。湖に面した町からこの丘の上の屋敷までの景観は、たとえ曇天の下で少々鮮やかさが損なわれていたとしても十分に美しいものだった。好奇心旺盛な彼女が散歩に繰り出したくなる気持ちは十分に理解できる。
言いたいことだけ言うと、ジュジュは手と尻尾をひらひらと振りながら中央階段を降りていった。それを見てから今度は成平が言葉を発する。
「僕はしばらく部屋に籠もっているよ。情緒ある景色とアリス様の美しい姿を見ていたら、なんだか創作意欲が掻き立てられてしまってね」
「お前……さてはロリコンか?」
「僕はアリス様のことを客観的に美しいって言ったんだよ? 第一、僕は彼女に手を出していないだろう? それなのに僕のことをロリコン呼ばわりだなんて。心外だなぁ」
何が「心外だなぁ」だ。お前は色んな意味で怪しいだろ。というか、手を出したら言い訳の余地なく犯罪だぞ。……いや、犯罪なのはおれの元いた世界でのことで、この世界でも犯罪なのかは知らないな。と、とにかく! 倫理的にいかんだろ、倫理的に。
「ま、そういうことだから。また晩ご飯の時にね」
踵を返して自分の部屋へと成平は戻っていった。こうして、この場にはおれとロロットが取り残されてしまった。防犯の関係上、両者とも杖は手元に残していた。おれは右手で大杖ポーンを持っており、ロロットはローブのポケットに黒杖ルーンをしまっている。これは丁度いい機会だと思った。
「なあロロット、今時間あるか?」
「んー? まあ別に、取り立てて用事がある訳じゃないし大丈夫だけど、何か用?」
「ああ。やっと二人きりになれたんだ。だから——」
ここで、勘の鋭い方はこう思ったことだろう。「なるほどなるほど。ひだりは成平に対してロリコンがどうの、年下(それも一回りも下)に手を出すのは倫理的にいかんだの言ってたけども、実のところはロロットに気があって、今まさにデートにでも誘おうとしているのか」と。だがしかし、そんなラブコメチックな展開にはならないのだ。現実というのは、思った以上に淡泊なのだ。というか、そもそもおれにそんな気はない。
「今からおれに魔法を教えてくれ!」
そう、おれがロロットに時間があるかどうか尋ねたのはこのためである。おれは数日前からロロットに魔法を習っているのだ。実際に魔法を使う訓練はまだしていないが、魔法の基礎の基礎の基礎くらいは教えてもらった。座学だったので睡魔との戦いだったが。
「魔法のレッスンかー」
「だいぶ基礎的な知識は頭に入ったと思ってるんだが……まだ実践練習は早いか?」
「う~ん……そだね。今日からは実際に魔法を使ってみようか。魔法って言うよりかは“魔力を操作するだけ”って感じのトレーニングが中心になるけどね」
魔力の操作だけだとしても、おれにとっては有難いことだ。魔法に限らない話だが、こういった技術というものは理論を頭に入れていれば、必ずしも上手に活用できるというわけではない。技術を身につけ、スキルを磨いていくためには実践を積む必要がある。要するに、実際に取り組んでみることが大切なのである。
さっそくおれとロロットは大扉を開けて屋敷の外へと出た。屋敷の周りは一角が庭になっており、花が色取り取りに咲いている。反対側の一角は開けた芝生になっていて、おれたちはその何もない場所へと移動した。
「じゃあまずは復習からだね。ここ数日の間に私が教えたことが何だったか、言ってみて、ひだり君」
おれの隣に立つロロットが、右手に持っている黒杖をマイクのようにこちらへと向けてきた。なんだかテレビや雑誌のインタビューを受けているような気分になるな。ちょこっと緊張しつつ、おれは彼女に教えてもらったことを頭の中から引っ張り出す。
「ええっと、魔法ってのは魔力を動力とした技術で、高度な魔法ほど膨大な魔力を必要とする」
この辺はファンタジーやらゲームやらなどの創作物でもお馴染みだな。
「うんうん、それでそれで」と、おれに向けていた杖を下に下げながらロロットは言った。インタビュアーのまねはもう飽きたのか。
「人間にも魔力はあるけれど、それは微々たるもので魔法の動力としては到底利用できない。そのため人が魔法を使う場合には、人が持つ以上の魔力を宿す魔導具の利用が不可欠となる。その魔導具ってのはおれやロロットが持つ杖などのことで、ええっと……あ~っと…………ま、まあそんな感じだ!」
「それで他には?」
「そ、それで……あっ! それで、魔法を使用するときには魔力以外にもう一つ重要になる力があって、それが魔効抵抗力と呼ばれるもの。魔効抵抗力ってのは“魔力による影響の受けにくさ”を表す力で、要はこの力が低いと魔法が効きやすくて、高いとその逆に魔法が効きにくいってこと」
おれはとにかく、必死になって頭を働かせた。多分異世界に来て、今が一番脳細胞を使っていると思う。
「で! う~んと、どうして魔効抵抗力が大切なのかというと、作用反作用の法則よろしく、魔法発動に利用している魔力ってのは発動者の方にも作用してきていて、えー……つまりですね、自分の方に返ってくる魔力よりも高い魔効抵抗力を持っていないと、魔力の制御ができなくて自分の身にも危険が及ぶし、魔法自体も発動しないか、最悪暴発して大変なことになると」
「ふんふん、そいで?」
「そいで⁈ えーっと、あーっと………………以上です、はい」
「う~ん、六十点かなぁ。ギリギリ及第点ってところ」
キ、キビシイ。しかし、ロロット先生のお話をなんとか思い出してこのレベルか。基礎の基礎の基礎はもうしっかり頭に入っているとばかり思っていたのだが、この有り様だとそうでもないようだ。力がどうの作用がどうのと、なんだか小難しくて眠気を誘う話だったからうとうとしてしまった時もあったのだが、間違いなくそれが原因で記憶に残っていないんだろうな。
もっと集中しなくては、と思うのと同時に、これからは実践も始まるので、きっと以前よりも色々と身につくだろうという楽観的な考えも頭に浮かんだ。
「こういう基本的な話はつまらないかも知れないけど、実際に魔法を扱う段階でも重要になってくる要素なんだから、ちゃんと覚えてよね! 分かった? ひだり君」
「わ、悪い。おとなになると、どうも暗記する系の座学は苦手になってしまってな」
「出た、ひだり君の自称おとな発言。私と二つしか違わないんだから、言い訳しないの!」
「は、はい。スンマセン」
こちらにジトッとした冷ややかな目を向けるロロットは、「しょうがないなあ」と言ってわざとらしくコホンと咳払いをした。どうやら、おれの回答に対する補足説明を付け加えてくれるらしい。
彼女の要望により、いつもは朝一番に魔法を教わっていて、そのために睡魔との格闘を強いられているのだが、今日のレッスンは午後である。おれの目も頭も早朝時とは違ってシャキッとしている。今日こそはちゃんと頭に叩き入れよう。そう固く決意して、彼女の説明に耳を傾け始めた。
つづく