表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マホウは物理でなぐるものっ!  作者: 唯野 みず
第一章 眠れる森の美女と時忘れの塔
16/71

015.馬車に揺られ、ブルーフォント領へ

 領土境界線を越えてしばらく進むと、少し肌寒くなったように感じた。外に目を向けると、そう遠くないところに針葉樹に覆われた山々が見て取れた。海に近かったサントレアとはだいぶ景色が異なっている。おれの右に座るジュジュと、左斜め前に座る成平(なりひら)はずっと外を眺めていた。


 電車の場合は、ガタンゴトンという規則的な揺れが座っている乗客の眠気を誘うのだが、今乗っている馬車ではどういうわけか、全く眠くならない。座席が硬いから眠れないのではないか、という声をあげる人もいるかもしれないので一応断っておくが、座り心地は最高である。上流階級の人間ではないおれには、この座席のソファーのような材質とかそういう細かなところはまるで分からないのだが、そんなド素人なおれでも「これ高級品だろ」と思えるくらいに立派な代物だった。


 話を聞く限りでは良さげな環境にもかかわらず、おれがまどろみの中に落ちていかないのは、知らない景色の中を進んでいることに対する年甲斐もないワクワクと、微妙に重たい雰囲気のせいなのだろう。


 そんな空気を出した張本人、黒髪ツインテメイドのショコラ・エヴァンスはおれの前の席に座り、涼しい顔をして何やら書類に目を通しているご様子。電車よりも揺れるこの馬車の中でよく文字が読めるものだ。おれだったらたぶん十分と経たずに気持ち悪くなってしまうだろう。


「ところでショコラ、アリスの体調は大丈夫なの? まだ具合が悪いなら、お見舞いは控えた方がいいのかな?」


 おれの左隣に座るロロットの呼び掛けに対して、ショコラは顔を上げなかった。単に書類をめくる手を止め、淡々と答えるだけである。


「お嬢様のご心配なら、そんなになさらなくとも大丈夫ですよ、シャルロッテ様。数日前に出た高熱も今はすっかり引いておりますし。ただ……」


「ただ?」


 ショコラは言葉を少し詰まらせ、ついに顔を上げてロロットを見た。その表情はやや曇っており、おれの気のせいでなければ、彼女の紅の瞳がほんの一瞬だけ潤んだ。


「ただ、熱は引いていても万全な体調ではないので、お嬢様のことを考えれば、あまり長居はしない方がよろしいでしょう」


「そっか。うん、確かにそうだね。その……アリスは、さっき言ってた倦怠病(けんたいびょう)の影響で体調を崩しているの?」


「関係はある、と思います。おそらくですが。しかし、ロジューヌの町でも重度の倦怠病を患った方が何人かいて発熱もあったのですが、お嬢様ほどの高熱は出ていませんでしたので。果たして、お嬢様の体調不良がどこまで倦怠病と関係があるものなのかは分かりかねますね」


 ロジューヌとは、今おれたちが馬車に乗って向かっている町である。ルフォン湖という比較的小規模な湖に面した、トリコロール連合国ブルーフォント領の中心地だ。小太りだと巷で噂の領主が治めるその町は、針葉樹林の深い緑と透明度の高い湖が織り成す景観の美しさから、ガルドレッド領のサントレアにも引けを取らないと言われている。また、湖を挟んだ町のちょうど反対側には、何故か巻貝のような形をした灯台が森から顔を出しており、町の名物になっていた。


 クールビューティという言葉の似合うショコラが口にした倦怠病とは、そのロジューヌの町で二ヶ月ほど前から流行りだしたという謎の奇病だそうだ。曰く、その病に罹った者は病名の通り原因不明の倦怠感に数日から数週間襲われる。重症になると働けないほどの怠さに襲われ、寝たきり状態の者もいるという。


「通常はしばらくすると身体の怠さは引くそうですが、中には慢性的に倦怠感が続いている患者さんもいらっしゃいますね。その辺は本当に程度の問題なのだと思いますが。この病については、どういった人が重症化しやすいのか、そもそもどういった経緯で発病にいたるのかなど、まだ分かっていないことが山のようにあります」


 いつの間にか再び書類に目を落としていたショコラの話によると、この新奇な病が流行りだしたのと時を同じくして、ある一つの現象が起こり始めた。ロジューヌの町を含めたルフォン湖周域で毎晩、濃い霧が発生するようになったのである。もちろん山に近いルフォン湖畔で霧が出ることは過去にあったが、こんなに毎日毎日町が霧に包まれるようなことは今回が初めてのことなのだという。


 不可解な濃霧が発生し始め、町に倦怠病なる奇病が流行りだした。ルフォン湖とともに生きてきた人々は、すぐに霧と謎の流行病には何らかの相関関係があるのではないかと考えた。いや、彼らだけではない。ロジューヌ内外の学者たちがその可能性をまず考え、調査を開始した。現在も、何人もの学者が町を訪れ、濃霧と倦怠病患者を調べている。ショコラが今目を通している書類も、学者たちがまとめた調査結果らしい。


「サントレアの宿でもお話しした通り、ロジューヌの一件について『水曜の賢者』であるお嬢様の元にも調査の依頼が届きました。二つ返事でその依頼に応えた心優しきお嬢様が、侍女である(わたくし)を連れて彼の地に赴き調査した結果、お嬢様自身が体調を崩されて役立たずの無能になり、私の負担は激増。サントレアにはお嬢様の薬の調達で訪れていた次第です。私はこう見えて薬の調合が得意ですから。……とまあ以上が、現在までの私とお嬢様の簡単な経緯となります」


「あの~……わたし気になったんだけどさ。ショコラさんって、アリス様と仲悪いの?」


「いえ、そんなことはありませんよ、ジュジュ様。むしろ仲良しです。愛ゆえの悪ぐ——軽口です」


「あははは。確かに、軽口を言い合えることは仲が良いことの証拠の一つだね」


「その通りでございます、成平様。健全な、愛ある関係でございます」


「でもよ成平、こいつさっき“悪口”って言いかけたぞ」


「口を慎みなさい、ひだり」


「なんでおれだけ呼び捨てなんだよ、不真面(ふまじ)メイドッ!」


 他の人に対してはきちんと目を見て受け答えをしていたショコラだが、おれに対しては顔を向けすらしなかった。なんと失礼極まりない奴なのだ。これで実はツンデレでした、なら萌えられる可能性はあるが、今のところそんな気配は微塵もない。あったとしてもデレた一面をおれに向けることは決してないだろう。


 万が一、デレ要素が彼女の中にあったとしても、ツンとデレの比率は九対一、いやいや、九.九対〇.一くらいだろう。


「サインの件については大丈夫かな? 私はまだ見習い賢者だから、できれば今回の機会にアリスからサインを貰いたいんだけれど」


「そちらについても前にお伝えした通りだと思います。ロジューヌ調査に協力し、霧と倦怠病の解決策、あるいはそれに繋がる有力な情報を入手すること。生真面目なうちのお嬢様のことですから、サインをするに当たってこのような条件を提示することはまず間違いないでしょう」


「こ、これは……一つ目のサインからもの凄い難問を突きつけられたって感じだなぁ。うぅ~、無事にサインを貰えるか不安になってきたよ~」


「確かにシャルロッテ様の仰る通り、難しい条件だとは思います。しかし今後、賢者の務めを果たしていくのであれば、やはりこういった難問に立ち向かっていくだけの力量が求められるのではないでしょうか」


「た、確かに……」


 ショコラの言葉に身体をシャキッとさせるロロット。賢者の務めというのがどのようなものかは知らないが、この世で最も莫大で強大な魔法を使いこなせる人間たちが賢者と呼ばれる八人だ。彼らの務めとやらが相当にハードなものであることは想像に難くない。


「昔からシャルロッテ様のことを見てきた私に言わせて頂ければ、それは杞憂だと思いますよ。大丈夫です。シャルロッテ様にはすでに、他の賢者様たちにも劣らない力が備わっているはずです。どうか、ご自分を信じてことに当たって下さいませ」


「あ、ありがとう、ショコラ。私、頑張ってみる!」


 驚いた。基本的に真顔で表情に乏しい、淡泊な女だとショコラのことを思っていたのだが、そんな彼女にも暖かみのある一面があるらしい。柔らかい微笑みを浮かべてロロットを元気付けている。


「サインも大切だけど、報酬の方も忘れて貰っちゃ困るぞ。おれはサントレアで聞いた話を忘れてないからな!」


 さきにも言った通り、おおよその話はサントレアで一度している。そこでショコラから聞いたところによると、サインをする条件であるとしても、調査に協力して成果を挙げることができた暁には、報酬としてまとまった金額を頂けると伺っている。この話はとても重要だ。


「金、金、金とうるさいですね、ひだりは。品位の程度が知れますので、そういった発言は控えた方がよろしいかと」


「そんなに金金言ってないだろ! 捏造するな!」


「報酬金についてはきちんとお支払い致しますよ、サインとともに。その点はご安心下さい」


 ショコラの言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろす。そりゃあそうさ。だっておれたちは今、旅の資金が底を尽きかけているのだ。成平は自分の旅費としてある程度の金を有しているので特に問題はないが、おれやロロット、ジュジュはマジで懐が危ない。


 おれは最初、彼女たちは余裕のある結構な額を持って旅に出ているのだとばかり思っていた。しかし、現実は無情かな、事実は全く異なっていたのである。彼女たちは彼女たち二人分の、それも本当に必要最低限な金額しか持ち合わせていなかったのである。そんな状況でおれを旅に連れ出したものだから、食費やら移動費やらで所持金がゴリゴリと削られていったのだ。


 そして資金難に陥る決定打を放ったのが、サントレア出発一日前に発覚した、所持金盗難事件である。おれを含めた三人の旅費を保管していた頑丈な革袋が紛失していたのだ。この袋を所持・管理していたのはロロットだったのだが、今思い返せば、この袋が入れられた彼女のカーキ色の鞄はしばしば無防備な状態にあったと感じる。


 要するに、抜けたところのあるロロットにお金の管理を任せたことが失敗だったのだ。いつ、どこで、どのようにして貯金袋を盗まれたのかは分からないが、これが最大の原因となって現在のひもじい旅人になったという訳である。


「ロジューヌの町にいる間はうちのお嬢様が恩情を掛けて下さると思います。みなさんはとにかく、霧と倦怠病の謎の解明に全力を注いで下さい」


 賢者のサインという旅の目的的な面からも、また今後の旅費を稼ぐという世俗的な面からも、ロジューヌにて受けることになるであろう調査依頼は絶対に成果を挙げなくてはいけない。だからおれはすでに気を引き締め始めていた。程よい緊張感を持って乗っている馬車がロジューヌに到着するまでには、さほど時間が掛からなかった。



つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ