014.異世界から来た者
太陽が休息のために顔を引っ込み、月と星々が漆黒の天球を彩る夜空の下、サントレアの街は昼間以上に賑やかであった。観光地ということもあり、夕飯探しや食後の散歩に繰り出す旅行客はもちろんのことだが、一日の疲れを発散するかの如く、酒場のテラス席で騒いでいる多くの地元民もよく目立っている。街のあちこちには装飾の凝った外灯が夜道を照らし、美しい風景の演出に一役買っていた。
おれが成平から“ライホウシャ”に関する話を詳しく伺うことができたのは、宿に程近い海鮮系料理屋で、トーゴ一家を含めて夕食を取った後だった。場所はその料理屋の屋上。ここからはサントレアの誇る海を一望できるらしいのだが、流石にこう真っ暗だと海など見えるはずもなかった。
「さて。お前の言ったことをまとめるが、“ライホウシャ”ってのは、訪ね来る者という意味での“来訪者”でいいんだよな?」
外灯に照らされ、煌びやかで大人な雰囲気を漂わせる夜のサントレア市街を見つつ、おれはシンプルに問う。成平は多分、柵から少し離れたところにあるベンチに腰掛けていることだろう。おれは彼に背を向けているため、彼が今どんな顔をしているのかなんて知ったことではないが、おそらくはいつも通りの微笑み顔だと思う。
「そう。訪ね来る者が“来訪者”だ。こことは全く違う、異世界からね」
「だけどおれが“来訪者”ってのは何だが違和感があるな。別に自分の意志でここに来たわけではないし」
「誰かに呼ばれたんじゃないかい? ほら、よくあるらしいじゃないか。異世界召喚ってやつ」
「その手のフィクションのお約束的には、召喚した美少女とかそういう存在が目の前に現れるもんなんだけどな。けれどおれの所にそんな奴は現れていない。ま、所詮はフィクションでのお約束ってわけだ。つーか、そもそも異世界召喚とも限らねーわけだが」
「じゃあ誰かに無理矢理飛ばされてきたのかもしれないね。君のいた世界からこっちの世界にさ」
「そうだとしたら、おれは何かの事件にでも巻き込まれたのかもな」
“異世界”——。
そう、おれは自分の元いた世界から、異世界と呼ぶに相応しいこの世界にやって来た。どういう経緯でここに来ることになったのかは知らないが、おれの身の上に起きたことを一言で言うならば、異世界転移、という表現がおよそ正しい。いや、確かに元の見た目とはだいぶ違うが、赤ちゃんからやり直しているわけではないので、異世界転生という状況ではないと思われる。絶対に否定できるかと言われると、ちょっとどうかなといった感じだが。
しかし今問題なのは、おれが異世界に来ることになった原因の方ではなく、
「改めて訊くけど、異世界とか来訪者とか、そういうおよそ一般人は知っていなさそうなことをどうしてお前は知っているんだ? お前はおれについても何か知っているのか?」
成平が何故おれの身の上を知っているのか、彼がおれについて何を知っているのかということだった。おれは背後に座る彼に向き直り、その質問を投げかける。真剣な眼差しのおれに対して、成平は不敵な笑みを崩さない。
「ひだり君の認識は少しズレているよ」
「ズレている?」
「この世界において、異世界や来訪者について知らない者はほとんどいないよ。百二十年くらい前に色々とあったからねぇ。ただまあ、昔にあったゴタゴタの影響で、異世界とかそういった言葉はあまり口にされなくなったんだ。社会全体で、あの頃の恐怖がまだ癒えていないんだろうね」
色々とあった? あの頃の恐怖? 異世界という言葉があまり口にされなくなった? 百二十年ほど前に、異世界や来訪者にまつわる何か物騒な事件でも起きたのだろうか。それとも、その事件はまだ現在進行形だったりするのだろうか。
「ちなみに、君のことについてはほぼ何も知らないよ。僕が君たちの旅に勝手に付いて行っている理由も、君のことをもっとよく知りたいと思ったからだし」
「じゃあ何でおれが来訪者だって分かったんだ?」
「雰囲気、って言えばいいかな。僕には来訪者の知人が一人いるんだけど、似てるんだよね君と」
「どの辺がだよ。まさか、外見とかじゃないだろうな?」
おれの言葉を聞くと、成平は笑い出した。右手を顔の前に持ってきて横に振り、「違う違う」ということをおれに伝えてくる。
「外見は全く違うよ。その知人の見た目はどこからどう見てもただのカエルだし」
カ、カエル? おいおい、来訪者ってのは人間とは限らないのか? それとも、元の世界では人間でもこちらでの姿が人間とは限らないということか。いずれにせよ、理解に苦しむ話だ。
おれが困惑気味なのを察してか、成平は言葉を付け足した。
「言っただろう? 来訪者に見た目は関係ないって」
「ま、まあ確かにそんな感じのことを言ってた気はするが……それにしても、な」
「それはともかく、君と僕の知人が似ているのは纏っている空気だよ。気配と言ってもいいかもしれないね。他の人とは違ってかなり独特なものだ。おそらくは来訪者に共通するものなんだろうね」
雰囲気、空気、気配、ねぇ。なるほどなるほど。
「さっぱり意味が分からないな」
「あははは。だろうね。いつか君にもその人と会わせてあげるよ。会えばきっと僕が言っている言葉の意味が理解できると思う」
「そうか。なら、あんまり期待せずに待っておくよ」
おれと成平の会話に一区切りが付くと、丁度よいタイミングで誰かが階段を上がってくる足音が聞こえてきた。その足音はロロットだった。屋上に顔を出してきた彼女は、店内が思っていたよりも暑かったのか、緑のローブを脱いでいた。微かに吹く風によって、彼女の着ているクリーム色のワンピースの裾が小さく揺れる。
おれが右手を挙げて挨拶すると、ロロットは小走りで駆け寄ってきた。成平も振り向いて近づく彼女を笑顔で迎える。
「そろそろ宿に戻りましょう、成平さん、ひだり君。みんなもう下で準備を整えていますよ」
「確かにもういい時間だしね。じゃ、下に降りるとしようか、ひだり君」
「だな」
昨日はよく眠れてないし、今日は色々あって疲れたからさっさと宿に帰って寝るべきだなと自分でも思った。朝から続いていた頭痛は午後には治まっていたのだが、あの怪鳥の件でぶり返してしまっている。身体から無理はするなとお達しが出ているということだ。
おれたち三人が下に降りてきた時には、すでに会計は済まされ、帰り支度もみんな終えていた。おれの財産は底を尽きているので、旅の中で発生するおれ関連の諸々の費用については、ロロットたちの資金から出してくれることになっている。なので今回の夕飯代もそこから出ていた。ありがたいことである。これは旅を続ける中で何らかの形で働いて返さねばなるまい。それが人としてのあるべき姿だろう。
美味しい魚料理に舌鼓を打った店を出て宿に向かって歩いていると、おれの後ろを付いてきていたロロットがおれの袖口を軽くつまんで引っ張ってきた。何の用かと思って顔を後ろに向けてみると、彼女はこう話しかけてきた。
「あのさ、今後は無しにしてよ? 今日の夕方みたいなことは」
「それっておれの魔法の——」
「魔法じゃないでしょ、あれは! ただの無茶! 本当にやめてよね。命が幾つあっても足りなくなっちゃうよ?」
「つっても大丈夫だろ? ロロットがいれば怪我は魔法で治してくれるし……って、おれの怪我は治ってなかったんだったな。なんで治癒魔法が効いてないんだ?」
「それは……私にも分からないけど。と、とにかくっ! あんな魔法にすらなってない未熟なものは今後使用禁止っ! いいね⁈」
「わ、分かったよ」
ロロットはまだ怒っているようだ。そんなに心配してくれていたのか。でも自分の身に危険が迫ったときは無意識にまた使ってしまいそうだ。守れるかどうかちょっと不安な約束を誓ったおれは、顔を前方へと戻して再び歩き出した。道を進んでいて、一つのアイデアがふと閃く。
「なあロロット」
おれは再度振り向いてロロットに呼びかけた。彼女は首を傾げておれの言葉を待っている。
「おれに魔法を教えてくれよ」
彼女の目が大きく開かれ、一瞬の間が空く。口がゆっくりと開かれ、
「えっ、どういうこと?」
彼女はおれの言葉の意味が分からないといった様子でそう答えた。
「だって、おれの魔法が未熟すぎて魔法の体を成していないのが問題なんだろ? だったら魔法の扱いに長けているロロットに教えてもらって、みんなに安心してもらえるくらいの実力を付ければ解決ってことだよな?」
「う~ん。でもなぁ……」
「ポーンっていう無駄にでかい杖も持っちゃってることだしさ、頼むよ。おれに魔法を教えてくれ!」
両手を合わせ、頭を下げて懇願した。ロロットの魔法をこの目で見た感じ、魔法ってのはその言葉通りかなり便利なもののようだし、そこそこレベルでも使いこなせれば様々な場面で役に立つことだろう。できるのであれば、是非とも習得しておきたい技術だった。
ロロットは再び「う~ん……」と言ったきり、黙りこくっている。もう一押し欲しい。そう思ったおれは、「魔法が使えるようになれば自分の身は自分で守れるようになるし!」という言葉も付け足した。この言葉が決定打になったかは分からない。だが、おれがこう言って少しした後、彼女はおれのお願いを聞き入れてくれた。
「マジか! ありがとう、ロロット先生!」
「ただし、基礎の基礎ぐらいしか教えないからね! 忘れてないと思うけど、ひだり君は罪人で監視対象なんだから、危ない魔法は教えないよ! あと、その“先生”っていうのやめて!」
色々と念を押されたが、要望が無事に通ってよかった。これでおれの魔法使いとしての第一歩が踏み出されたことになる。便利な魔法をさっさと覚えて楽に旅ができるようにしていこう。あわよくば、何か金になりそうな魔法的パフォーマンスができるようになれたら最高である。おれはにやりと笑いながら宿へと急いだ。
「シャルロッテ様……? どうしてこちらに?」
宿に到着したおれたちに最初に声を掛けてきたのは、黒を基調としたフリルたくさんのメイド服に身を包んだ、黒髪ロングツインテールの少女だった。短いスカート丈と黒のニーハイブーツで絶対領域が作られている当たりが、なんとも現代的なメイドさんである。
「ショコラっ⁈ どうしてここに……?」
メイドの呼びかけに、ロロットは目を丸くして一言、そう答えることしかできなかった。
つづく