011.幼子を連れて
「この子、トーゴ君っていうんだ。すごい泣いてて、まだ名前しか聞けてないんだけど」
ジュジュが困った顔をしておれたちに説明する。あやすので精一杯だったらしい。
「トーゴ君、お父さんとお母さんは? いつはぐれちゃったの?」
ロロットはしゃがみ込み、泣きじゃくる男の子と目線を合わせ、優しい声で尋ねた。男の子が腕に埋もれさせていた顔を上げ、ロロットの目を見つめる。男の子の目は赤くなっており、目尻には涙が溜まっていた。
「……ぐすっ…………わ、わかんない。おとーさんも、お、おかーさんも、なんか、おっきなとりみたいなのに、にもつ、とられちゃって。それで、ここでまっててって。すぐにもどるって。おとーさん、いったのに、もどってこなくって。それで……それで……ぐすっ……」
「お父さんたちはどっちに行ったの?」
「え、えっと……ぐすっ……あっち……!」
ジュジュもしゃがんで訊くと、トーゴは道から外れた林の中の一点を指差した。そこは獣道ですらない、道なき道であった。鬱蒼としているわけではないが、この林は同じような景色がずっと続いている。もし単なる一般人がこんな所の奥深くに入り込んだら、おそらく元の道に戻るのは困難だろう。ということは、彼の両親は遭難している可能性が高い。
「大きな鳥、というのが気になるね」
成平が話しかけてきた。ジュジュとロロットが迷い子に色々と聞いているのを見ながら考え込んでいたおれは、彼の顔に目を向ける。その表情には先ほどまでの薄っぺらい笑みは消えていた。
「どういうことだ?」
「サンタ岬周辺に生息する鳥というのは、モヒカンカモメか斑白鳥ぐらいなんだ。そのうち大型なのは斑白鳥の方。だけどこの鳥は非常に温厚な性格で有名なんだ。観察ツアーでは二、三メートル程まで近づくことが出来るし、人慣れしている個体には手で触れることも出来る」
「……そんな鳥が人間の荷物を盗るような真似をするとは思えない、か」
「そういうこと。だからもしトーゴ君の言うことが本当だとしたら、考えられるのはおそらく、次の二つのパターンだろう」
言って、成平はまず右手の人差し指を立てた。
「①鳥型の魔獣がたまたまサンタ岬周辺に飛来し、トーゴ君のご両親から荷物を奪った」
次に、彼は人差し指に加えて中指も立てた。
「②ある一羽の斑白鳥が魔獣化し、トーゴ君のご両親から荷物を奪った。個人的には②の方なんじゃないかと思っているよ。そちらの方がまだ可能性が高いからね」
「魔獣がやってくるよりも動物が魔獣化する方が可能性が高いと? 魔獣化ってのがおれにはさっぱりなんだが。魔獣化って、そんな簡単にぽんぽん起こるもんなのか?」
「普通は起こらないよ、魔獣化なんて珍しい現象は。あんなのが頻繁に起こっていたら、きっと人類が滅亡しちゃうんじゃないかなあ」
「じゃあお前が②を推す根拠は?」
しゃがんでいる三人の方へ、ちらりと視線を移してみる。ロロットがトーゴの頭を撫で、ジュジュが明るく話しかけて元気づけてあげていた。トーゴの方はというと、表情がまだ固かったが、ずっと流れ続けていた涙はもう止まっていた。
少し間をおいて、成平がおれの質問に答える。
「魔獣とはいえ、元は動物さ。つまりは、生息地を中心にした、あるいはそこに縛られた行動範囲や縄張りがあるということだ。非常に危険な生物である彼らの生息地は、禁足地として立ち入りが禁止されている。そしてこの場所はというと、周辺に禁足地は存在していない。ガルドレッド領で禁足地に隣接しているのは端っこの方のごく一部のみだからね」
「それなら確かに魔獣が飛来してくるとは考えられないな。で、消去法で②ってわけだ」
「ああでも、斑白鳥に“何が起きて”魔獣化したのかは僕にも分からないけどね。そもそも、魔獣化の仕組み自体まだ解明されていない世界の謎だし。通説では“歪み”の影響だろうって言われているけどね」
「ふーん」
“歪み”というのは遺伝子の歪みのことで、いわゆる突然変異のことだろうか。
「……つーかお前、なんか詳しくない?」
「そうかい? そう言ってもらえると嬉しいけれど、僕だってそんなに詳しいわけじゃないさ。単に本を読むのが趣味だからにすぎないよ。小さい頃からたくさん読んでいてね。ありとあらゆるジャンルの書物を紐解いたよ」
真剣そうな面持ちはどこへやら、彼はまたへらっとした愛想笑いをしてそう語った。何度見てもこの顔は信用できないな。作り笑い、あるいは営業スマイルといった感じで、コイツの本心が見えてこないのがその原因かもしれない。
「それ本当かぁ? お前のそのにへら顔見てるとまだまだ隠しごとがたくさんありそうな気がしてならないんだが」
「人聞きの悪いことを。正直者で有名な僕が隠しごとなんて、ほんのちょっとなだけさ!」
「やっぱなんか隠してんじゃねーか! つーかお前が正直者ってどこで有名なんだよ!」
くだらないやり取りをしていると、「よし! 元気出たみたいだな!」というジュジュの声が聞こえてきた。彼女たちの方を見ると、二人とも立ち上がっている。トーゴの顔は先ほどよりも明るくなっており、今はロロットと手を繋いでいた。おれは彼女たちに声を掛けながら歩み寄った。
「トーゴ君は落ち着いたみたいだな」
「うんっ! この子のお母さんたちだけど、たぶん林の中で遭難してるんだと思う」
心配そうな顔でロロットがそう答えた。やはり彼女も遭難の可能性を真っ先に考えたか。彼女の言葉を聞いたトーゴもコクコクと頷いている。おれは先ほどトーゴが指差した方向に身体を向け、持っていた杖で林の中を指し示した。
「じゃ、さっそく探しに行こう。善は急げだ!」
振り返らず、おれは足を動かし始めた。後ろから土を踏む音がいくつも続いてくる。サンタ岬へと続く観光用の遊歩道から外れると、大地を踏みしめる音に草木の擦れるカサカサした音、細い枝が侵入者に踏み折られるパキッとした音が混じってきた。
「トーゴ君のおかあーさーん! おとおーさーん!」
周囲を見渡しても、それらしき人は誰も見えない。いる気配もない。それでもおれは、見えなくともどこかにいるはずであるトーゴの両親に向かって声を張り上げ続けた。他の皆も、各々が各々に出せる声量の限界で呼びかけているようだった。その声のなかには、迷い子であるトーゴの、幼くも力強い呼びかけも確かに入っていた。
ずんずんと進んでいくと、同じような景色が続いているのだと思っていた林の、その微妙な変化に気が付くようになった。手の加わっていない林の中だから分かる。遊歩道から外れたときよりも確実に緑が濃くなっていた。生えている草の背丈も高くなっているし、何よりも数が増していると感じられる。
ふと、不安が頭を過ぎった。このまま進んでいては、自分たちもトーゴの両親と同様にこの林の中で遭難してしまうのではないのかと。もしかしたらもう既に遭難している、なんてこともあり得るかもしれない。
この世に絶対などない。否定できない不安は、徐々に膨れあがってくる。元来た道のことが気掛かりになり、おれは後ろを振り返った。ちょうど声を上げ終えた成平と目が合う。彼は不安を滲ませるおれに対して、にこっと笑った。
「大丈夫だよ。この中に入る前、道の近くの木に紐を括り付けてあるから」
「お、おう。ありがとな」
それを辿れば帰れるということか。用意周到なことである。だが成平の機転のおかげで、帰り道については悩まなくて良さそうだ。しかし、最初はあまり気に入らなかった奴だが、こうして行動を共にしてみると結構頼りになる奴だ。もしかしたら、案外こいつは信用できる奴なのかもしれない。
鬱蒼とし始めた林の中を、あっちにこっちに動き回ってトーゴの両親を呼びかけ続ける。少し陽が傾き、おれたちの中に焦りが出始めていた。そんなときだった。遠くの方でおれたちの呼びかけに答える声が聞こえてきた。
「あっちだ!」
言うが早いか、ジュジュは声のした方へと駆け出していった。その気持ちはおれにも痛いほどよく分かる。当然、おれもその後をすぐに追いかけた。十二歳の少年の背とどっこいどっこいの草を掻き分け、全身汚れながらも前に突き進んでいくと、前方に少々開けた場所が見えた。そこには、一組の男女が木にもたれ掛かって座っていた。ところどころ服に血らしきものが付着している。どうやら、彼らは怪我を負っているようだった。
「おじさんたち、トーゴ君のお父さんとお母さん?」
おれがジュジュに追いついたのは、彼女が丁度質問をしている時だった。彼女の問いに男性は頷き、助けを求めてくる。ついに見つけた。彼らがトーゴのご両親だ。おれはトーゴの両親に近づき、その周囲を見回した。すると、彼らから離れたところに荷物らしきものが無造作に転がっていた。
「おとーさん…………おかーーーさあぁぁぁああんっっ‼︎‼︎」
少し遅れて追いついてきたトーゴは、ロロットや成平のそばから駆け出し、一直線に両親のもとへと走り出した。時計を見ていないのであくまで体感だが、一時間歩きっぱなし叫びっぱなしだった。疲れていないわけがない。あんな小さな子ならなおさらだ。それでもトーゴは、そういった疲れなんてものを感じさせないくらいに元気に、泣きじゃくりながら駆けていった。これで無事にことが終わる。そう思っていたのだが——。
「来るなあぁぁぁっ! トーゴオォオォォオォォッッ‼︎‼︎」
突如、トーゴの父親が絶叫し、母親が悲鳴を上げる。おれたちの上空、そう離れていないところで何かが動いた。すぐに視線を向ける。
——鳥だ。大きな鳥だ。全身灰色で鋭い嘴を持つ、ワシのような大型の鳥が急降下してきている。その進行方向にいたのは、立ち止まって空を仰いでしまった幼子、トーゴであった。
呆然と立ち尽くすトーゴ。
いち早く動き出すおれ。
怪鳥は、鼠色の弾丸となって標的目掛けて突き進んでいった。
つづく