009.サントレア観光一日目
昨夜見つけた紙片。そこに並んだ物騒な単語——“ゴミ人間の殺処分”、“情報規制”、“人体実験”。あれはいったい何だったのだろうか。何故この異世界で、“米国”や“日本”といった言葉が、おれの元いた世界に関する事柄が、紙に書かれ、語られているのか。考えれば考えるほど訳が分からない。
思考がぐるぐると巡る頭の中では、奥の方でぼんやりと鐘の音が鳴り響いていた。身体を動かしているとその音が大きくなるように感じられる。
目的地のサントレアという街に到着してから、現在まで約二時間半。お昼ご飯を食べるのにちょうどいい時間帯になっており、街ゆく人々の数も半端ではない。そんな中、このズキズキとした痛みは収まるどころか増すばかりであった。
まさに疲労感からくる頭痛。その原因はもちろん、昨晩の列車急停止による一件、およびそれに伴う睡眠不足なのだが、
「なんか疲れた顔してるけど、眠れなかった?」
座ったままでも熟睡ができていた彼女、ロロットにはそんな事は知る由もなかった。走行音はうるさくなかったので環境的には特に問題なかったが、しかし、座った状態でよく眠れたものだ。こちらに向けられたその爽やかな顔が羨ましい。
「わたしはバッチリ快眠だったよ!」
ジュジュが両手を広げて報告した。煌めく八重歯と、眩しい笑顔だった。その元気さアピールは寝不足気味なおれへの嫌味か。……いや、あの顔はそんなこと、これっぽっちも考えてはなさそうだ。
「知ってる。ロロットより爆睡だった」
「やめろよっ! 人の寝顔——しかも女の子の寝顔見るなんてサイテーだぞ! ヘンタイッ!」
「人聞きの悪い! 見たくて見たわけじゃねーよ!」
人の肩にもたれ掛かってきておいてこの言い草とは。まあ、本人は夢の中だったのでそんなこと知らなくて当然なのだが。
「——はっ! だから寝不足なのか、ひだり君」
「おいロロット、それはどういう意味だ?」
独り合点しておれから一歩距離をとった彼女の目には、ほんのりと失望と嫌悪の色が見受けられた。ジュジュからは冗談だという雰囲気がきちんと感じられたのだが、ロロットからはそれがあまり感じ取れない。
おれの問いに対して彼女が真面目な顔をして、
「ひだり君が夜な夜な、私たちの寝顔を物色して悦に浸ってた」
と返してきたことが決定的な気がした。なるほど。この娘はジュジュの冗談を真に受けすぎているのか。
「待てロロット。ジュジュが発した言葉よりも卑猥な感じにして表現するのをやめろ」
「そんなに必死に否定するってことは、やっぱり……」
「ちげーよ! ことあるごとにおれに変態属性を付加するな!」
「で、でも……」
「んー。多分だけど、ひだりはそんな変態染みたことしてないよ? わたしのはただのジョーダンだし」
ロロットがそろそろ暴走し始めたと思ったのか、ジュジュがケロッとした顔でそう言った。すると彼女は、「え、そうなの? なぁんだ! 良かった~」と顔を綻ばせた。おいおい、おれの言葉は一言一句信じられないということか?
彼女はおれに背を向け、ずんずんと歩を進める。だからおれとの距離はどんどん開いていった。
「おまえ、信用されてないなー。あんまり変なこと言わない方がいいぞ」
少しは同情しているのだろうか。軽く笑いながらジュジュが話しかけてくる。そんな彼女の方を向いて一言、
「はいはい。助けてくれてありがとな」
礼を言った。
内心、お前が変なこと言い出したんじゃねーかと思いつつも、ムカつきを抑えて礼を言った。成り行きはともかく、助けられたのは事実なので。しかし、だからといって納得はできない。こういった怒りがストレスとなって、お肌とかその他諸々を傷つけていくのだ。
煮え切らない気持ちが燻るおれをよそに、ロロットは先へ先へと歩いていった。なんだか、時間が惜しいといった感じである。
前に彼女は、この国に最初に来たいと言っていた。鉄道が通っているからという理由だった。しかし今の彼女の様子を見ていると、この国を最初に選んだ理由はそれがすべてではなく、もっと大きな理由、本当の理由が別にあるような気がした。この国——あるいはこの街だろうか——ここに来たいと言った、彼女の本当の理由はいったい何なのだろう。
「——ま、わたしも同じなんだけどね」
お節介な思考を巡らせるおれの横を、スッとジュジュが通り過ぎていくときだった。彼女の口からこぼれ落ちたその微かな気持ちが、かろうじておれの耳に届いてきた。先ほどまでの、おちゃらけた声とは明らかに調子が違っていたそれにおれは驚き、すぐさまジュジュの背中を見やるが、その後ろ姿は普段の彼女と何一つ変わらぬものであった。
「おれの聞き間違いか……?」
聞こえるか聞こえないか、というくらいに小さな声だったので、その可能性を否定することはできなかった。声のトーンも凄い違ったし、近くを通り過ぎた全く知らない別の誰かが言った言葉なのかもしれない。
いずれにせよ、こんなことを考えて立ち止まっていては彼女たちを見失ってしまう。おれも小走りでロロットとジュジュの後を追いかけた。人を避け、彼女たちに近づいていく。
駅に降りたときにジュジュから聞いた話では、サントレアという海の近くにあるこの街はなかなか有名な観光地らしい。見た限り、「観光地のお昼時は人の数が凄い」、というのはこちらの世界でも通じる話のようだ。はぐれないようにしっかりと付いていかねば! 頭痛の続く身体が小腹の空いたことを訴えていても、おれは歩くスピードを落とすことはしなかった。
「さてさて、美味しい海の幸でお腹も満たしたことだし、そろそろ出発しよっか」
大小様々な観葉植物が空間を彩り、天井では大きなシーリングファンがゆったりと回る。ギターが奏でるボサノヴァの音色が耳に心地よい小洒落たお店の中、ロロットがナプキンで口を拭いてから言う。一息ついていたおれは、「どこに?」と尋ねた。観光地サントレアにどんな名所があるのかをおれは知らなかった。
「絶景として名高いサンタ岬だよ! その岬からはね、塔みたいに高くそびえる岩が海からいくつも出てるんだって! 『他では見られないその風景はまさに幻想的! 特に、夕日に染まる大星洋は、あなたに特別な時間をもたらしてくれるでしょう』って、この観光ガイドにも書いてあるよ。ほら!」
ロロットはいつのまにか、サントレア駅にて観光ガイドなるものを頂戴してきていたらしい。手渡されたそれは折りたたまれており、広げてみると一枚の大きな紙であった。中を見てみると、観光ガイドというよりかは街の案内図である。紙の真ん中の大部分が地図であり、その横に各観光名所の紹介文が絵付きで紹介されていた。大量生産物だからか、それとも印刷技術の限界なのか、色彩は簡素なものであったが、どれも情緒溢れる美しい絵だった。
彼女が興奮した面持ちで話してくれたサンタ岬の紹介は、ガイドの左半面、下から三番目の位置にあった。記された番号は四番。その丸で囲まれた四という数字を地図上で探してみると、思っていたよりも早く見つけることができた。地図の左端に矢印付きで書いてあるので、この地図で示された範囲よりも西の方にサンタ岬はあるということだろう。今いる場所はサントレア駅付近、地図上でいえば右半面の左上あたり、もっとざっくり言うと、この地図の上の方の真ん中ちょい右、といった感じの所だ。
「パッと見た感じだと結構距離ありそうだけど、馬車使う感じ? ロロット?」
おれが広げていた地図を、ひょいっと覗き込んできたのはジュジュである。彼女のやわらかな銀髪がおれの右頬に触れた。思わぬ行動にドキッとしてしまう。一回り以上年下の女の子なんだけどなぁ。ふとした瞬間にドキリとさせられるのに、年齢なんて関係ないということなのか。
「そうなるねー。なにせ歩いて行ったら日が暮れちゃう距離ですから」
ロロットのまったりした返答を聞くやいなや、ジュジュはすぐにおれの横を離れ、ロロットのそばへと移動する。なにやら耳打ちをしているようだ。心配そうな顔のジュジュと、へらへらと笑うロロット。
ジュジュが顔を離すと、今度はロロットが彼女に顔を寄せる。ジュジュが少し屈み、ロロットが少し背伸びをしてジュジュのふさふさした耳に、おれには聞こえないように話しかけ始める。手で口元を隠しているため、読心術も使えなかった。まあ、おれはそもそも読心術など使えない人間なので、そんなことは本当はどうでもいいのだが。
ロロットから耳打ちされたジュジュはどこかほっとしたような表情をしていた。そんな彼女に、ロロットはニッと最後に笑って見せた。その笑顔を確認してから、ジュジュがロロットと一緒におれの方を見てくる。少女たちの内緒話は終わったらしい。二人は並んでこちらに歩み寄ってきた。
「それで、お二人さん? 馬車使ってサンタ岬に行くってことでいいのか?」
「ロロットと話し合った結果、そうなった!」
「ジュジュも納得してくれて良かったよ。サンタ岬行きの馬車はここから西南に行ったところにある広場から出てるんだって! さっそく行ってみよっ!」
「了解した」
こうして次の行き先が決まったわけだが、この子たちは何を話し合っていたのだろう。ジュジュも納得って、彼女はいったい何を心配していたというのか。
ちょっとした疑問が頭を過ぎっていると、
「サンタ岬の方へ行くのかい? だったら僕も、君たちに付いて行ってもいいかな?」
聞いたことのある声が、おれの背中に届いてきた。若干の不愉快がおれの中に広がり始め、イライラが募り始めた。
つづく