ごおすと~影響という不安の種~
小説家志望のしがない大学生の俺にとって、現役で本を出しているプロ作家の速水一也先生との繋がりができたのはとても大きな一歩と言っていいだろう。
ただ、繋がりと言っても別に強力なコネができたというわけじゃなく、俺が新人賞に応募した作品を見て直接声をかけられたなんて幸運な出来ことがあったわけでもない。
ネットで知り合った作家志望仲間のつての、そのまたつてのつてのつてでひょんなことから、俺が先生の熱烈なファンである作家志望の人間ということで話をさせてもらったのが始まりだ。立場的には、SNSで一方的にコメントを送るただのファンから、それに対するお返しのコメントを貰えるファンに昇格したという程度。知人や友人なんて呼称は恐れ多いし、先生の口利きで作品を出版できるなんてことも期待できない程度の繋がりだ。
しかし、純粋に速水先生のファンでもあった俺は直接言葉のやり取りができるだけでも光栄の極み。新人賞も先生と同じジャンルのミステリーで挑んでいる俺は、正直なところ先生の作品の影響をとても強く受けている。心の中では勝手に師として、また、追いかけるべき目標として掲げている相手だ。
しかも、やり取りを続けるうちになんと速水先生が俺の書いた小説を読んでくれることになったのだ。自作の刊行ペースはかなり遅めな速水先生だが、小説を書く人間が他人の書いたものをのんびりと読んでいられるほど暇ではないことはアマチュアの俺でも実感とともに理解している。読むものが素人の書いたものとなればなおさらだ。
だが、速水先生は快くそれを引き受け、アドバイスできることは何でもしようと言ってくれた。先生がそんなことを言ってくれたのは、きっと俺が先生の熱心なファンだったからだ。ある種のファンサービスと言っていいかもしれない。
そうして、俺は今日このとある喫茶店で先生と顔を突き合わせている。
最初はネットだけのやり取りのはずで、先生に俺は自分の最新作兼最大の自信作を送りその感想を後日貰う予定になっていた。二日後には連絡すると言われたが、実際にその時に来たのは本棚の写真を撮って送ってくれというメールだけだった。もちろん中身は小説に限ってで特に好きなものや作品として高く評価しているものを、という注文つき。俺の読書傾向も踏まえてくれるとは、速水先生は本気で俺にアドバイスをしてくれるらしい。感激した俺は、本人に送るには少し恥ずかしいが正直に速水先生の出版している全作品とその他特に好きな作家の小説を選んで画像を送った。
その後、連絡が来たのはさらに二日経ってからだった。直接会ってアドバイスを伝えたいと、速水先生はそう言ってきたのだ。
大ファンの作家に直接会って自作の感想を貰えるなんて。俺はその時舞い上がるような気分だった。
喫茶店というロケーションも俺の気持ちをほんの少し昂らせる。子供でもあるまいし、別にその場所が珍しいわけではない。個人経営の喫茶店での待ち合わせというシチュエーションがなにか小説に出てくるよくあるシーンっぽかったからだ。ミステリーにおける探偵や刑事の聞き込みや恋愛にモノおける様々な関係の男女、他にも人情ものやホラー、果てはSFにだって出てくることもある。作家志望の大学生とプロの作家という組み合わせも小説のワンシーンにあっておかしくはない。そんな事実にひとり興奮していたのだ。
そして速水先生が俺の目の前に現れてからはもう嬉しくて踊りだしたい気分だった。確か現在四十過ぎのはずの速水先生はお世辞を抜きにすれば少し歳を食って見えたが、しかしそこには確かなオーラがあった。現役プロ作家としてのオーラだ。表情はどこか憂いを帯びて見えて、そこもまた作家らしかった。おまけに俺が作品から感じていたイメージにもぴったり。まさにミステリー小説家速水一也がそこにいた。
俺は先生と挨拶を交わし、しばらくはネット上でもしていたような軽い雑談をした。最近出た他の作家の新刊で面白かったもの、気になっているものを上げたりした。速水先生からは珍しくドラマや映画の話題も出たが、そっちは俺はほとんど見ていないので残念ながら話が弾むことはなかった。俺は小説一本の男なのだ。
そんな風に場が和んだ後で、不意に先生は切りだした。
「……きみの作品、読ませてもらったよ」
言われ、反射的に体が前のめりになりかけた。
どうでしたか、という言葉が出かけたがすぐに引っ込める。まずは落ち着いて先生のお言葉を聞くべきだ。
「まず…………物語そのもののクオリティの前に言うべきことがある」
先生は視線をあらぬ方向に向け、いかにも言いづらそうにそう口にした。
ごく、と俺は唾を飲む。
態度からしてそれが良い内容じゃないことは一目瞭然だ。しかしプロ作家から感想をいただくのならそれぐらいは俺も覚悟している。俺の作品はいまだ新人賞の受賞に至っていない。つまりはアマチュアレベルということだ。批判は当然あるだろう。
しかし、一点気になる。クオリティの前に、というのはどういう意味か。作品を読んだのだからなにはなくとも批判するのはクオリティのことになる。先生はそれ以外になにに言及するつもりなのか。
批判への覚悟と、不安、そして捉えられない疑問を胸に俺は速水先生の次の言葉を待った。
先生は唇を舐め、言葉の代わりに何度か息を吐き出し、言った。
「きみの作品……いや、きみはある作家の影響を強く受けているようだね」
「あっ……!」
それは予期できていなかったが、しかしこれまでに何度も自問自答してきたものだった。
「違います、先生!」
俺は思わず大きな声を出していた。
「僕は確かに速水先生の影響を受けていると思います。でも、先生の作品からなにかをパクるだとか盗作にあたるようなことをしたつもりはないです。特に書き始めのころは手本にしていましたけど、あくまでエッセンスというか、結果としては雰囲気が似通っているというぐらいのはずです」
そんな風に慌てて弁明する。
既存作家の影響。それは俺自身がこれまでの執筆生活で十分に意識していたことだ。
速水先生の作品を模倣した覚えはない。もしそうなら本人に堂々と見せるわけもない。
「きみを糾弾したいわけじゃないよ。少なくとも私が知る限りは、きみの作品は誰かの盗作ではない」
そう断言され、俺はほっと胸をなでおろす。まだ心臓はバクバクと鳴っていた。作者本人から盗作の疑いをかけられるなんて堪ったもんじゃない。
「……ところで、きみの本棚を見る限り、私以外にも特に好んで読んでいる作家がいるようだね」
先生は突然話題を変えてきた。
「向井ひろ……本藤常行……あくたかほ……微龍院光。ジャンルはバラバラだが、この四人の本が特に多く見受けられる」
「そ、そうなんです!」
速水先生が話題を変えた意図はわからなかったが、俺はその話に乗って自分を擁護する。
「実は僕はその先生たちの影響も受けてて、だからその作品も誰かのパクリとかじゃないんですよ! 速水先生も含めていろんな作家の人たちのいいと思ったところを吸収して、そこに自分の感性も加えて、そうしてオリジナルができる! 僕は真似をしてコピーを作ってるわけじゃないんです!」
ひとつのものから影響を受ければコピーだが、複数のものから影響されればもうどれの原形もなくなるのだ。俺は好きな作家の影響を受けやすいたちなのかもしれないが、その点はしっかりと自覚していた。
「きみの言っていることは正しいよ」
速水先生は、しっかりと俺の方を向いて言った。
「だが、私はきみに伝えないといけない。きみの作品は…………ひとりの人間の模倣でしかない」
「い……いや、だから――」
「私がきみの作品を呼んだ時に感じた思いは、既視感だった。少し抽象的かもしれないが、いつ書いたかも覚えていない自分の作品を読み返している気分、といったところだ」
俺の頭は混乱した。主張には納得してもらえたはずなのに、速水先生はそうとは思えないことしか言ってくれない。
なぜそんなことを言われているのかわからない。自分で書いたものだから、そして速水先生の大ファンだから自信を持って断言できる。俺の作品は速水先生の模倣ではない。そんなものなわけがない。
「そんな……そんなわけがないんですよ!」
「あえて酷い言い方をすれば、この作品は劣化速水一也だ」
その言い様にはさすがに俺の中にも怒りの感情が湧いた。悲しみよりも怒り。理不尽な評価への瞬間的な怒り。
「あんた、なにを――」
「この四人の作家はすべて私だ」
テーブルを叩きかけていた手がギリギリで止まる。
怒りが、消失する。
「きみが見ていたのは五人の作家でなく、私というひとりの作家とその変名だ」
理解が追いつかない。だが、あれだけ激しく鳴っていた心臓が、ぎゅっと掴まれたような感触だけははっきりと感じられた。
「私にはこの作品は評価できない。…………すまなかったな」