第8項 光の中の真実
不気味な街の静けさとはうってかわって、教会の前は不自然なほどの賑わいを見せていた。
正門に集まる人、人、人。
まるで詰めかけるように、はたまた地面に膝をついて拝礼をするように。
数多の人の波が、教会の前を支配していた。
「皆さん、おちついてください! どうか! 中には病人の方もいらっしゃるんです!」
正面の大きな扉の前で、司祭姿のグレオが困ったような表情を浮かべながら、押し寄せる人々の応対に追われていた。
集まっていたのは村人が大半だったが、それ以外にも商隊の一員や、旅人と思われる身なりの者達もいる。
そして、そのすべてが女子供であった。
「あの光こそ、神のお導きに違いない! ああ、どうか! 主人をお救い下さい!」
「我々の未来を……!」
そんな言葉を口々に叫ぶ人の壁を多少強引に掻きわけて、アルバート達はグレオの傍までたどりついた。
「司祭様!」
「これはアルバート殿、よくぞご無事で!」
グレオはアルバートの姿を見るなり、驚いた表情で指を合わせ、小さくお辞儀をする。
「この状況は、もしかして村中が……?」
「え、ええ。村人旅人問わず、老人子供を除いたあらゆる男性が『眠り病』に」
話を聞いて、アルバートは宿での光景を思い出す。
あれが、きっと村中に広まっているのだろう。
不気味な静けさの正体は、『物言わぬ人々』だったのだ。
「先ほどの光は?」
「皆、口々に申しておりますが、教会の中にいた私には何がなんだか……」
額に浮かんだ汗を拭いながら、グレオは落ち着きのない様子で視線を泳がせる。
分からない?
ではどこから……?
この方角には教会以外何もない。
であれば、光が発せられたのはここで間違いはない。
アルバートは、助言を求めるようにリーリアの姿を振り返る。
「近くに『いる』……それは間違いないわ、アル。近すぎて、誰なのか分からないくらいハッキリと、その存在を感じるもの……!」
リーリアは、両の肩を抱きしめながら、瞳孔の開いた瞳を激しく震わせていた。
アルバートは、とっさに辺りを見渡す。
集まった人々の中に《魔女》がいるのか。
だとしたら、どうやってそれを確認する?
今この場で、目で見える形でその姿を現してはいない。
リーリアも、この人の波の中で、個人を特定する事ができない。
やはり――
アルバートは、息を飲みながらローブの端から覗く《剣》の鞘に目を落とした。
「……片っ端から、斬るしかないのか? リリーの言うように」
審問官の《剣》は罪――すなわち《魔女》しか斬れない。
生身の身体には、切り傷ひとつ付ける事はできない。
もっとも、単純に『鈍器を打ちつけた』ダメージは残るが。
黒い前髪から覗く迷いに満ちた瞳で、アルバートはそっと《剣》の柄に手を伸ばした。
これ以上、被害を広げるわけにはいかない。
審問官として、罪を憎むものとして、これ以上《魔女》の好きには――
その時、ズズンと大地を揺るがす振動と共に、耳をつんざくような悲鳴が、夜の帳を引き裂いた。
その声と振動にはっと我に返って、アルバートは開きかけたローブの合わせを慌てて閉じる。
「今の音と声は……!?」
「き、教会の中でしたな。今は、騒ぎを聞いて駆けつけてくださったミザリーさんが……」
「……っ!」
アルバートは駆け出すと、乱暴に扉を押し開いて教会の中へと飛び込んだ。
月明かりに照らされる教会の中は、闇の中に広がる静けさが支配していた。
天井付近のステンドグラスから差し込む僅かな月の光が、ところどころ足元を照らす。
そこに広がっていたのは、死屍累々とした人の山。
大勢の負傷兵たちがぐったりと地面に倒れ伏し、気を失ったように眠りに落ちていた。
地獄さながらの光景の中で、ミザリーの姿はすぐに見つかる。
彼女は祭壇の前にへたり込みながら、ガタガタと怯えるように震えていた。
「ミザリーさん……!」
アルバートは彼女の傍に駆け寄って、その肩をそっと支える。
「大丈夫ですか! いったい何が……!?」
彼女の姿をざっと見るが、一見特に外傷はない。
ただ、彼女は何か恐ろしいものを見たような表情で、静かに眼前を指さした。
「め、女神様が……」
彼女の指した方向へ視線を走らせ、そこにあるものを目にしたとき、アルバートも思わず息を詰まらせた。
沢山のけが人を暖かく見守っていた主神フィーネの女神像が、ない。
いや、正しくは『元の場所』に立っていなかっただけ。
その姿は大小さまざまな破片となり砕け散って、祭壇の上や周囲に無残にも散らばっていた。
「こ、これは」
「わ、分かりません……いきなり大きな音がして、びっくりして大声を上げてしまって。駆け寄ったらこのありさまで……」
「像がいきなり……?」
アルバートは立ち上がって、祭壇へと歩み寄る。
奥に設えられていた女神像は、等身大をはるかに超えるサイズの大きな像だった。
とてもじゃないが、人が押して倒せるような代物ではない。
大の男が数人がかりで押せば動かすことは可能かもしれないが、その『動ける大の男』がこの村にはもう、おそらくはいないのだ。
「不吉ね。まるで、神様が《魔女》に屈したみたいじゃない」
いつの間にやって来たのか、地面に転がった女神のご尊顔を撫でながら、リーリアは感心したように口にする。
「リリー、大丈夫なのか?」
「ええ、皮肉なことに。教会の中のほうが全然、ピンピンしてるわ」
言いながら、ひらりと回って見せたリーリア。
しかしその肩が、突然の足音と共にビクリと震えあがった。
「おお……なんという事を!」
アルバートが声の下方向を振り向くと、入口の方でグレオが天を仰ぐように両手を広げながら、今にも崩れ落ちそうな表情で、砕け散った女神像の方を見据えていた。
「司祭様、これは……」
「いえ、分かっています。決して、信心深きあなた方のやったのでないことは」
司祭はゆっくりと、祭壇のほうへと歩み寄って来る。
「これはきっと、神からの警告――いや、掲示です。その身を投げ出し、事態に当たれという啓示を、女神自らが示したのだ……!」
「司祭……様?」
司祭は、足元に転がっている負傷兵など目にも入っていない様子で、時に蹴とばし、時にむんずと踏みつけながら、よたよたとした足取りでアルバート達の元を目指す。
「ア……アル」
震えるリーリアの声に、アルバートは司祭に釘付けになっていた視線を彼女の方へと落とした。
リーリアは、外でそうしていたように肩をぎゅっと抱きしめて、歯をカチカチと鳴らしながら、虚ろな瞳で、でもめいいっぱいに見開いて、司祭を睨みつけていた。
「見つけた……《魔女》」
「……そんな、まさか」
アルバートはもう一度、司祭を見据える。
両手を広げながら、自分達を迎え入れる父のように慈しみに満ちた姿で歩み寄る彼の姿は、今やぼんやりとした黒い瘴気に覆われていた。