第6項 《魔女》の影は見えず
商隊の賑わいを通り越して向かった教会の前では、今朝見かけたシスターが花壇の手入れにいそしんでいた。
「こんにちは、シスター。今朝はお世話になりました」
アルバートが声を掛けると、シスターはニッコリと微笑みを浮かべながら作業を止めて、挨拶代わりに祈りを捧げる。
「巡礼者様がた、こんにちわ。司祭様にはお会いになれましたか?」
「はい、おかげさまで。とても良いお話をうかがえましたので、もうしばらく村に滞在して、ご教義を頂くことにしました」
「それは良いことですね。司祭様には、私も多くを学ばせて頂いているところです。あなた方の行く末にも、光を示していただけることでしょう」
シスターは、花壇に咲く色とりどりの花に負けないくらいの暖かい笑顔で、アルバート達の未来を祝福する。
「ねえ、アル。はやく司祭の所へ行きましょう」
「リリー、少しだけ我慢してくれないかな……せっかくだから、シスターにも話を聞いておきたいんだ」
暇を持て余したリーリアがアルバートのローブを引っ張ったが、アルバートはそれを制して、シスターに向き直る。
それを見て、リーリアはふてくされた表情でそっぽを向いた。
「シスターは、この村に流行っている奇病のことはご存知で?」
「ベルとお呼びください。『眠り病』のことでしたら、もちろん存じております。今日も1人、運ばれて来たのを目にしておりますし……なかなか、他人事と思うわけにもまいりません」
ベルは、はるか頭上に据えられた教会のシンボルを見上げながら、心を痛めた様子で目を細める。
「『眠り病』は、どのような方がかかっているのでしょう?」
「男性の方ばかりですね。それも、働き盛りの。子供やお年寄り、それに女性の方も、運ばれて来たことはありません」
「病に掛かった原因に、共通点があったりは? 同じものを食べたとか、同じ場所に行ったとか」
「今のところは特に……職業もバラバラですし、食べ物に関しても最近は外のものが沢山入って来るようになりましたので、同じものを食べていると断言することは難しいです」
「なるほど……」
ベルの言葉を信じれば、《魔女》の呪いは無作為にかけられていることになる。
アルバートが得られた僅かな情報を難しい顔で吟味しているど、ベルは心配そうな表情でそれを覗き込んだ。
「あ、あの……何か、気になることでも?」
「ああ、いえ。自分も一応『働き盛りの男』ですので、何か予防の手がかりでもあればと思ったのですが」
アルバートは、はにかむような笑顔を浮かべて取り繕うと、ベルはほっとした様子で胸を撫でおろす。
「大丈夫です。もしも仮に、この病が《魔女》の仕業だとしても、巡礼で徳を積まれているあなたには、大いなる神のご加護があることでしょう」
そうアルバートを勇気づけるように口にしたベルの言葉だったが、それを聞いたリーリアはキッと彼女の事を睨みつけた。
「ねぇ、あなた。病が《魔女》の仕業だって、どうして知っているの?」
リーリアが尋ねると、ベルは少し困ったような表情で足元へ視線を外した。
《魔女》に関しては、司祭以外の村の人間には誰にも話していない。
その司祭にも、とりあえず妄言をはぐらかすような形で言いくるめていて、詳細は語っていない。
だとしたら、何故、そのことを知っているのか。
アルバートも、確かにそれは気になっていた。
「す、すみません……聖職者としてあるまじき妄言でした。その、礼拝堂の兵士の方々が、『眠り病は魔女の仕業だという話を聞いた』と噂しておりまして」
決まりの悪そうに答えたベルに、アルバートは驚いたように目を見開く。
「う、噂……!?」
「で、ですが……それならなおさら、我々の力で呪いを撥ね退けなければなりません。日々のお祈りにも、熱がこもるというものです」
しどろもどろながらも、決意を新たに胸元で手を握り合わせるベル。
代わりに今度はアルバートが冷汗を流しながら、横目でそっとリーリアを見た。
もしかすると、今朝のやり取りを外で聞かれていたのだろうか……聞かれていただろう。
そう改めて認識すると、これ以上そのことでベルを追求することはできない。
溜息交じりに、アルバートはベルに小さく一礼した。
「お仕事中に失礼しました。申し遅れましたが自分はアルバート。こっちの仏頂面はリーリアです」
「誰が仏頂面よ!」
リーリアがアルバートの背中をポカポカと小突いたが、彼はそれをものともせずに慣れた笑みを浮かべてみせた。
「シスター・ベル、よい1日を」
「アルバート様、リーリア様、よい1日を」
お互いに祈りを捧げ合いながらアルバートはベルと別れ、それに不機嫌そうなリーリアが続いた。
それから教会の中でグレオに再び話を聞いてみたが、ベルが教えてくれた以上の情報はとくには得られなかった。
「やはりまだ、病は《魔女》の仕業とお考えですかな……?」
『眠り病』の患者たちを前にして、グレオは少し怪訝な表情を浮かべていた。
その視線は、問題の言葉を口にしたリーリアへ自然とそそがれる。
リーリアは少しムっとした表情を浮かべたが、前言を撤回するつもりなどないと暗に言い張るように、沈黙を貫いた。
「決めつけるわけではありませんが……ですが各地をめぐって、《魔女》の呪いにも何度か出くわしたことがあります。その時と近しいものを感じるのです」
アルバートは彼女を庇うように言い添えると、並べられたベッドの傍にしゃがみ込んで患者の脈をとる。
真っ白になった手はとても冷たく死人のようであったが、か細い脈拍が、確かにまだ生きていることを物語っていた。
その寝顔も安らかであり、目を覚まさないことを除けば、とても呪いに蝕まれているようには見えない。
「ミザリーさんは、今日もこちらにいらっしゃったのですか?」
「ええ、彼女をご存知でしたか」
グレオは少し驚いたように目を見張るが、旅支度のために紹介してもらったとアルバートが説明すると、納得したようにうなづく。
「彼女は早朝の拝礼時に欠かさずやってきますよ。薬を届けながら、患者の容体を確認して、次の日にはまた、それに適した薬を準備してやってきます。心苦しい時期であるにも関わらず、とても慈悲深い方です」
「旦那さんが戦争で亡くなられたと聞いています」
「ええ……若く、精悍で、信仰深い方でした。なぜ戦争になんて行ってしまわれたのか」
歯がゆさを滲ませながら、グレオは冥福を祈るように指を合わせた。
「――で、何か感じることはできたかな?」
「ぜんぜん。かくれんぼが上手いのか、もしくはもう、この村にはいないのかしら」
日が陰って来たので教会をあとにし、2人は宿へと戻る。
商隊たちもそれぞれ一晩過ごす宿を見つけて入ったのか、通りには今日一番の静けさがやってきていた。
「村にいないということは無いな。今日、方々で聞いた話で少なくともそれだけは分かった」
自信を持った様子で、アルバートが答える。
「問題はその目的だ。原因――と言ってもいいのかもしれない。《魔女》は理由もなしに生まれるものではないのだからね」
「なら、やっぱりあの調剤医師よ。夫を失った悲しみなんて、これ以上の原因はないわ。私だって、アルが死んだらもう一度《魔女》になる自信があるもの」
「リリー!」
不意にアルバートが声を荒げて、リーリアはびくりと肩を震わせた。
怯えた様子で見上げる彼女に、アルバートは強い口調で言い含める。
「そんなめったなこと、言うんじゃない。《魔女》になるだなんて……!」
「ア、アル……その、ごめんなさい」
その迫力に気圧されたように、珍しくリーリアはしゅんとして、頭を下げた。
「でも、ミザリーが怪しいのは変わらないわ。呪いを受けているのは全員、働き盛りの男達。夫は亡くなったのに、のうのうと生きてるヤツらがいるなんて――そんな風に思ったなら、辻褄は合うもの」
「確かに、俺もその可能性は捨てていない。でも、本当にそれが答えなんだろうか――」
アルバートは、一概に判断しかねた。
リーリアは納得いかない様子だったが、叱られたばかりで多少きまりが悪いようで、それ以上意見を挟むことはしなかった。
宿に着くと、既に一階の酒場は満員だった。
女将は忙しそうにしていたが、アルバート達の姿を見かけると、大手を振ってカウンターへと呼び寄せる。
「いやぁ、ちょうどいい所にきたよ! 実は、あんたたちに折り入って相談があってさ!」
「ええ、なんでしょう」
「申し訳ないんだけど、今晩、お嬢ちゃんと相部屋取ってくれない?」
「……は?」
アルバートは、虚を突かれた様子で固まっていた。
「日中、大商隊が村にやってきたのはあんたたちも見ただろ? それでちょこっと部屋が足りなくってさ……具体的にはあと1部屋。あんたたちが相部屋にしてくれたら、とても助かるんだけど……」
言いながら、女将はちらちらとアルバートの反応をうかがう。
「いや、そ、それは流石に――」
「――ええ、おばさん! 今朝地図をくれたお礼に、喜んで引き受けるわ!」
アルバートが断るのより先に、リーリアがカウンターに身を乗り出して、女将の手を取っていた。
「悪いね、助かるよ! お礼に多少、夕食はサービスするよ! じゃあ、見ての通り忙しいんで、後はよろしく! 部屋は、元々お嬢ちゃんが泊まってたところだよ!」
「ええ、ありがとうおばさん!」
「いや、ちょっと、リリー……女将さん!」
慌てふためくアルバートを他所に、女将はカウンターの奥にある調理場へと引っ込んでしまう。
リーリアは今日一番に表情を輝かせて、途方に暮れるアルバートを見上げた。
「私、覚悟はできているわ!」
「いや、リリー……これって冗談だろ?」
アルバートは思わず両の指を重ねて天を仰いだ。