第5項 調剤医師のミザリー
村からそれほど外れとも言えない辺りに、ミザリーの家はあった。
白塗りの小ぢんまりどした住宅は、話で聞いていたよりはきっちり手入れが行き届いており、小綺麗な印象を受けた。
それでも、裏の畑は背の高い雑草がぼうぼうと生えており、荒れ放題となっている。
「おばさんの口ぶりだともっと鬱屈としてるかと思ったけど、そんな事もなさそうね」
アルバートが裏の畑の様子なんかを覗き込んでいる内に、リーリアはド直球に玄関ドアをノックしていた。
「リリー、勝手に……!」
「どうせ尋ねるんでしょ。周りの様子なんて、後で見ればいいじゃない」
アルバートは慌てて彼女の傍に戻ると、いたたまれない様子でローブの襟元を正した。
「はい……どちら様でしょう?」
しばらくして、閉められたドアの先から、消え入りそうな女性の声が微かに響く。
「居るのは分かってるのよ、さっさと出て来なさい!」
「ちょっと、リリー……!」
あまりに無作法なリーリアをアルバートは慌てて制すると、小さく咳払いをしてから、改めてドアの先へと声を投げかけた。
「すみません、旅の者なのですが。村で、こちらに腕の良い調剤医師様がいらっしゃると聞き、僅かばかりでも薬を分けて頂ければと思いうかがったのですが」
「それは、わざわざ……すみません、少々散らかっておりまして。お待ちいただいてもよろしいでしょうか……?」
それから間を置かず、中からガタゴトと荷物を片付けるような音が聞こえはじめる。
「よくもそうボロボロと、口から出まかせが出てくるわね」
呆れたようにして、リーリアはアルバートを見上げた。
「そういう所は師匠譲りだよ。ポイントは、決して嘘をいわないことだ。嘘はいつか、必ずばれるものだからね。かといって、もちろんド直球に本当の事をいってもいけない」
アルバートは得意げな表情でリーリアを見返すと、彼女は虫をかみつぶしたような表情で、フンと小さく鼻を鳴らしてみせた。
やがて蝶番の軋みと共に静かにドアが開くと、中から真っ白い顔をした気の弱そうな女性が、アルバート達の様子をうかがうように顔を覗かせる。
表情に覇気はなかったが、大人しく、慎ましやかな印象の美人な奥方だった。
「お待たせしました……その、どうぞ。足元、お気を付けください……」
彼女は伏し目がちな視線で、おどおどと頭を下げると2人を中へと案内する。
家の中へ足を踏み入れた瞬間、甘いとも苦いともいえない、独特な植物匂いが2人の鼻孔を突き抜けた。
リーリアは咄嗟に花をつまんだが、アルバートは流石に失礼だと心にいい聞かせて、鼻が慣れるまでそれを我慢する。
入ってすぐの居間には足場のないほどに籠が散乱し、中には野山から集めたのであろう草花が大量に詰め込まれていた。
天井にも壁伝いに数多の紐がはりめぐらされ、そこに数多の植物が、おそらく乾燥させるために吊るされている。
2台あるかまどには、両方とも土製の鍋がかけられ、中ではそれぞれ見た事も無い紫色の植物と赤色の植物が、ぐつぐつと煮えたぎるお湯の中を踊り狂っている。
甘苦い匂いの正体は、おそらくこれだろう。
「すみません……座る所もない様子ですが、こちらへ」
「あ、ありがとうございます」
勧められた椅子に腰かけると、女性は食卓の上に積まれた処理しかけの花の束を避けてスペースを作り、そこに2つのカップを置いた。
中には、かまどに掛けられているものと同じものとしか思えない紫色の液体が、湯気を立てながら甘い匂いを発していた。
「ええと、これは……?」
「ソシの葉のお茶です……リラックス効果がありますので、旅の疲れが取れるでしょう……」
アルバートは説明を受けながら、もういちど背後の鍋に視線を向ける。
(あれ……飲み物だったのか)
若干不信感を覚えながらも、向かいに腰かけた女性が、自分達と全く同じものを啜っているのを見て、恐る恐る自分も口を付ける。
強い甘みの中に若干の酸味を持った、美味しいとも不味いとも言えない、微妙な味だった。
「ええと、調剤医師のミザリーさん……で、よろしいですよね?」
「はい……私が、ミザリーです。調剤医師といっても聞きかじった程度で……とても名乗れるようなものではありませんが」
ミザリーは伏し目がちな目をもっと伏せて、申し訳なさそうに身を丸めてしまう。
隣ではリーリアが出されたお茶を慎重に舌先で舐めて、同時にエッと顔をしかめていた。
「日々教会に足を運んで、率先して負傷兵たちの看病を行っているそうですね。そんなあなたは、名実共に立派な調剤医師でしょう。評価とは、常に事実を見て下すべきです」
「あ……その……ありがとうございます」
視線を合わせずに、だがどこかこそばゆそうに頭を下げるミザリー。
「そう言われると……自分の行いに自信が持てます」
言いながら、照れ隠しのように自分のコップを一息であおった。
「それで、どのようなお薬をお求めなのでしょう……? 内服薬、外用薬……この間、良い馬油を頂いたので……少しお時間を頂ければ軟膏も調合できます」
「むしろ、どのような効能のお薬があるんでしょう?」
「そうですね……旅をなさっているのでしたら、内服薬なら『腹痛』『頭痛』などの『鎮痛剤』。『食当たり』や『下痢』の薬。外用でしたら、怪我の『消毒薬』。『腫れ』『発疹』などの熱を持った患部への『軟膏』。あとは、薬ではないのですが、人体を『食う』虫の嫌いな臭いを発する『虫よけ薬』などがおすすめです」
それまでのおどおどとした様子からは一変、すらすらと聖書でも読み上げるかのように効能を語るミザリー。
どことなく、陰鬱とした瞳にも光が宿る。
「独学で、それだけの薬を作られるのは素晴らしいですね」
「あ……いえ……その……いろいろと、時には自分で試してみながら、試行錯誤を重ねました」
「それは、なおさらだ……!」
アルバートが少し大げさにほめたたえると、ミザリーは先ほどもそうしたように、小さくまるまるようにしてぺこりと頭を下げた。
「それなら、『食当たり用』と『虫よけ』というものをいただけますか。軟膏は、生成にどのくらいお時間が?」
「ええと……早ければ明日の夕方には」
「では、それも。お代は受け取りの時で?」
「そんな……ただの趣味でやっていることで、お代なんて」
「でも、効能は確かなのでしょう。だったら、払わせてください」
少し強引に言い添えると、ミザリーは迷いながらも小さく頷いた。
手早く商談を済ませて、アルバートは手荷物を整え立ち上がる。
暇を持て余したリーリアが、その辺の花を手に取って花占いを始めたものだから、あまり長居はできないと察したのだ。
「では明日、また伺います」
「はい……お待ちしております」
玄関先で深く頭を下げるミザリーに見送られて、2人は家を後にした。
村の一番大きな通りに戻ると、賑やかな人々の声が耳に届く。
通りには沢山の荷馬車の列。
商隊か何かが、通りがかりに村を訪れているようだった。
「それで……どうだったかな?」
喧騒を横目に、アルバートはリーリアに尋ねる。
「わかんない。今は表に出てないのかなんなのか、少なくとも家の中じゃ《魔女》の気配は全く感じなかったわ」
リーリアはふてくされた様子で、傍にあった石ころをこつんと蹴り上げる。
飛んで行った石ころは、民家の庭先の小樽にぶつかって、スコーンと小気味の良い音を響かせた。
「どうして機嫌が悪そうなんだ。疑いが晴れたのなら良いことじゃないか」
「そんなんじゃないわ。それに『今』感じなかっただけで、まったくのシロってわけじゃないんだから」
「じゃあ、なんだっていうんだ?」
アルバートが尋ねると、リーリアはツンと口先を尖らせる。
「どっかの誰かが美人の未亡人に鼻の下を伸ばすからよ」
「俺は鼻の下なんか伸ばしてないよ」
「アルのことだなんて私、ひとっこともいってないわ……!」
「※〇▽×※◇!?!?!?」
リーリアは声を荒げながらアルバートの脛を力いっぱい蹴り上げると、アルバートの口から飲み込んだような悲鳴が漏れる。
その場に崩れ落ちるようにうずくまったアルバートを放り捨てて、ひたひたと先を行くリーリア。
が、しばらくしてピタリと足を止めると、思い残したように振り返って、そっと眉を下げた。
「――それとも、本音しか語れない女は嫌い?」
アルバートは涙交じりの顔でリーリアの事を見上げると、痛みでひくつく頬で、精いっぱいの笑みを浮かべて見せた。
「そんなことはない。これでも俺は、そんなリリーのことを心から尊敬しているつもりだよ」
「……そっ」
それは望んだ答えだったのか否か。
それでもリーリアはとことことアルバートの傍まで戻って来ると、その手を取って立ち上がるのを助けてあげた。
「で、次はどうするの」
「そうだな……ええと、俺はもう一度教会へ行ってみるけれど。リリーは宿で待つかい?」
「何いってるのよ。私がいなくって、どうやって《魔女》を見定めるっていうの?」
「……ああ。頼りにしているよ」
アルバートがほほ笑み掛けると、リーリアは得意げに胸を逸らして見せる。
そうして2人の足は、再び教会を目指して歩み出した。