第4項 疑わしきは誰だ
王都から出立する前、リーリアが共にいくことにアルバートは反対していた。
戦争状態の国家間を横切って聖地イリザンドを目指す長旅に、年頃の女の子が同伴するのはあまりに危険だと考えていたからだ。
そもそも、ついて行くと言い出したのはリーリア個人である。
教会や審問院からの通達でも、ましてや神のお告げでもない。
それでも、どうしても行くといって聞かない彼女の頑固な意志に、アルバートが折れる形となった。
もっとも、彼女を連れて行くことに何の意味も無いわけではない。
元《魔女》であるリーリアは、《魔女》の気配を察知することができる。
これは全ての元《魔女》の人間にいえることではなく、彼女が特別であった。
理由はハッキリしていないが、審問院の研究者にいわせれば、おそらくは物心ついて間もない多感な時期に《魔女》になってしまったことにより、擦り込み的に《魔女》へのシンパシーが残ってしまっているのだろう、ということだった。
つまるところは、認識の問題だ。
アルバート達が神の存在を心から感じているのと同じように、リーリアは《魔女》の存在を本能的に理解している。
アルバート達は教会を後にして一度昨晩の宿へ戻ると、追加の宿泊を女将に申し出た。
「あら、もうしばらく滞在していくの?」
「ええ。グレオ司祭のお話をとても興味深く、拝聴させていただきまして。ぜひ、もっとご教義をいただきたいと」
「それは良いことだわ。グレオさんあってのこの村、といってもいいくらいの人徳者だものね」
女将は自分のことを褒められたかのように嬉しそうに、豪快に笑って見せる。
「負傷者の受け入れだって、村の空気が悪くなるって村長たちは反対していたんだけどね。『それは、助け合いを尊重する神の教えに背くものだ』って喝を入れたのがグレオさんなのよ。うちみたいな宿屋は、風紀が乱れようが何しようが、人が増えてもうけられりゃ良いんだけど」
いいながら、もう一度高笑い。
言葉は雑だが、どれだけあの司祭が村で慕われているのかは、アルバートにも十分伝わって来た。
「ひとつお聞きしたいのですが、失礼ですがご主人は? 宿を切り盛りを、女将さんがお一人で行っているように見えますが」
そう尋ねると、女将は少々決まりが悪そうに表情を曇らせた。
「ほら、『眠り病』って流行ってるじゃない。ウチのもあれにやられちゃってねぇ。ウチだけじゃない。働き盛りの村の男達はみんな、グレオさんのところの厄介になっているよ」
「すみません……不躾なことをおうかがいしました」
話の途中、「あれって《魔女》の――」といいかけたリーリアの口はアルバートの手でそれとなく塞がれた。
「いいのよ。しかし、今はまだいいけれど、これからウィトの収穫に入るじゃない。男手のない中それが心配で心配で……面倒見てる手間賃に、けがの程度が軽い兵達に手伝って貰おうかしら」
ウィトというのは、先ほど教会の裏の畑で見た、金色の穂を持つ作物の事だ。
パンやエールと言った、生活に根付いた食品の原材料である。
そんな、本気とも冗談とも取れない軽口を交えながら、女将の表情に笑顔は戻っていた。
「病気のおかげで、どこの家も似たようなものだしね。あたしだけ、愚痴をいう訳にもいかないさ。こういう時こそ『助け合い』ってヤツだろう?」
「ええ。その通りだと思います」
彼女との会話の中で、アルバートは改めて人間の強さというものを実感する。
抗う力なんてなくても、人間は《魔女》に屈すること無く生きていけるのだ。
しかし、そんなことを語っていた女将は、ふと思い出したように眉を潜める。
「ああ……でも、ミザリーのところだけはそうも言っていられないか」
「ミザリーというのは?」
「村の西の方に住んでる調剤医師の女だよ。医師っていっても学校で勉強したわけでもない。親父さんがどこか小さな町の薬師だったもんだから、野山の薬草にちょっと詳しくてね。誰かが怪我や病気なんかすると、ボランティアで薬を煎じてくれるのさ」
言いながら、女将は酒場のカウンター越しにアルバートに身を寄せて、辺りをうかがいながら声を潜めた。
「実は、新婚ほやほやの旦那が一念発起して戦争に行っちまってね。帰って来たのはお守りに持たせたっていう薬瓶だけだったもんだから、しばらくふさぎ込んでいたのさ。それが、村にけが人がわんさかやって来るようになってから、自分の出番だってやる気を出したみたいでさ。毎日のように教会に通って彼らの看病をしているよ。みんなで心配してたもんだから、元気になったこと自体は良いんだけれど……その変わりようはちょっと不安にもなるわけさ。畑だってほっぽり出して、金にならない薬作りに専念しているようだし……」
村の西のミザリー。
少し引っかかるところを覚えたのか、アルバートは記憶に刻み込むように、その名前を脳裏で反芻する。
が、その際中に手の平に猛烈な痛みを感じて、思わず飛び上がった。
「いったぁ!?」
同時に、彼の腕を振りほどくようにして、リーリアがその懐から抜け出していた。
代わりに、アルバートの右の手のひらには綺麗な歯形がくっきりと浮かぶ。
「いつまで塞いでるのよ、苦しいじゃないの!」
「ご、ごめんリリー。話に聞き入っていて」
「口を塞ぐなら唇でだけにすること! いい!?」
唇を尖らせながら言ったその言葉にぎょっとして、アルバートは女将の表情を盗み見る。
女将は緩んだ口元で笑みを浮かべて、生暖かい視線で2人を見守っていた。
「リリー。誤解を生む表現はやめてくれないかな……苦しかったのは、本当に謝るから」
「ねえ、おばさん。そのミザリーって女の家、詳しく教えてくれないかしら。ぶっちゃけ、とっても怪しいわ」
アルバートの事などお構いなしに、リーリアはカウンターに寄りかかるようにして女将の顔を覗き込む。
「いいけど、怪しいってなんのことだい?」
女将は首をかしげながらも、布の切れ端に簡単な地図を描いてリーリアへと手渡した。
「ありがとう、おばさん。ほら、行くわよアル」
女将ににっこりとよそ行きの笑顔を作って、それからリーリアは馬の手綱を引くように、アルバートのローブの裾を引っ張って宿を後にする。
アルバートは慌てて女将にお礼のあいさつをして、彼女に引きずられていった。
「人を疑ってかかっちゃダメだ、リリー」
地図を片手に村を歩きながら、アルバートは先ほどのリーリアの言動を諫める。
「でも、疑わないと話は進まないじゃないの。違っていたなら、ごめんなさいって謝ればいいことだわ」
「そういう問題ではなくてだね」
「じゃあなに、『私がこの村の《魔女》です』って高笑いしながら表れてから断罪するの? その頃にはこの村はどうなっているでしょうね」
「それは……」
アルバートは言葉を返す事ができなかった。
彼女のいっている事は、なんら間違ってなどいないからだ。
ただ、人を疑うということは、人を憎むことに近い。
“人を憎まず”の誓いを立てているアルバートにとって、それは理解できない思考でもあった。
「面倒な戒律ね。あなたの師匠は、その辺どうしていたの?」
アルバートの師、ベルナデットはその辺りがとにかくうまかった。
うまかったというより、彼女は間違えることをしなかった。
《魔女》の関わった事件において、彼女が睨んだ人物はすべからく《魔女》であった。
鼻が利くというのか、勘が良いというのか。
そういう意味では、彼女の下について、《魔女》を探すプロセスに関しては殆どといっていいほど勉強できていない。
「わかったよ。どちらにしろ、そのミザリーに話は聞かなきゃいけないだろうし。教会に通っているのなら、『眠り病』の患者も診ているだろうから。詳しい状況も聞けるはずだ」
そうアルバートが折れてみせると、リーリアは満足げに頷いた。
それから道端の石をけっぽって、彼女はぽつりと投げやりに呟く。
「もう、めんどくさいから、村人全員その《剣》で斬っちゃえばいいのに。どうせ生身の人間は斬れないのだから、いつかは《魔女》を断罪できるんじゃないの?」
「リリー!」
少し強めのトーンでアルバートが諫めると、リーリアは悪戯好きの子供のように、べーっと舌を出してみせた。