第3項 辺境の《魔女》
グレオと名乗った司祭に連れられて、アルバートは裏口から教会の中へと入った。
リーリアはもう少し畑を見ていたいと言い、本当のところは教会に入りたくないだけなのだろうと察したアルバートは、彼女の好きにさせることにした。
「申し訳ない。少々、散らかっているものでして」
若干ガタが来て立て付けの悪い裏口の木戸の周りには、うず高く積まれた長椅子の山があった。おそらくは、礼拝堂に並べられるような聴拝者用の椅子だろう。
まるで教会を取り壊す準備でもしているかのようなその光景に、アルバートはおのずと眉を潜める。
「そちらの角の扉から礼拝堂へ入れます。私は着替えて参りますので、どうぞ、ご自由にお祈りなさってください。それとどうか、くれぐれも……驚かれませぬよう」
含みのある言葉を添えて、グレオは私室と思われる扉を潜って行く。
アルバートは心に僅かに「しこり」を残したまま、礼拝堂の扉を潜った。
「これは……」
礼拝堂は、見渡す限りの人で溢れていた。
それも、ただの人ではない。けが人だ。
頭、腕、胸、足。
けがの箇所は人によりけりだが、誰もかれも、赤黒く染まったボロボロの布切れを身体に巻きつけ、長椅子を取っ払われただだっぴろい礼拝堂の中で、虚ろな表情で座り込み、また、寝転がっていた。
そんな彼らをステンドグラスから差し込む光を背に受けた、主神フィーネの石像が見下ろす。
その光景はまさしく、この世の終わりに救いを求めに集まった大衆を描いた、宗教画さながらのものであった。
扉が開かれたという事もあり、けが人達の生気に乏しい瞳が一斉にアルバートの方へと向く。
息の詰まる思いを抱きながらも、あくまで巡礼者として、彼はおずおおずと、僅かにひらけた祭壇の前へと歩み出た。
手早くお決まりの拝礼を済ませ、彼らの気持ちを逆撫でしない程度に周囲を見渡す。
集まっているのは男ばかり。それもただの男達じゃない。
無造作に散らばった軽鎧や帷子、冑、剣――そういった、特有の血なまぐささを放つ品々が、彼らの職業を物言わずに語っていた。
「ああ……やはり、たいそう驚かれたことでしょう」
ほどなくして、グレオが礼拝堂に現れた。
祭服に着替えた彼は、どこにでもいる農村の住民から、いっぱしの聖職者の顔になっていた。
「今日、この国は試練の時世に入っている事はご存知のことでしょう」
「ええ、此度の戦争は大分長引くものと、先々でうかがっています」
本当は審問院で聞いていたわけだが、もちろん旅の都合上の建前である。
「この辺りは国境沿いですから、拠点を構える者達が多くてですね。周囲の村は補給の要所とされていたり、こうして負傷者が集まって来るのですよ」
「ファルメア軍は既にオースロンの国境を越えているはずでは?」
「ええ。ですが、まだ国境の山を越えた先に安定した砦を築いた程度だそうです。何名かの負傷者を抱えてやって来た兵士が、そう申しておりました」
現場の声なら信ぴょう性の高い情報だ。
アルバートはそれ以上口を挟まず、もう一度、鬱屈とした礼拝堂を見渡した。
ひと目見ただけで分かる、負のエネルギーの充満。
一概に、こういったところで《魔女》は生まれやすい。
こういった状況が戦争によって作られているのだとしたら、アルバートは戦争が嫌いだ。
もっと言えば、戦争を仕掛けたファルメア王国のことも嫌いだ。
「そういえば、まだ名前をお聞きしておりませなんだな」
「アルバートと申します。連れの少女はリーリアです」
「アルバート殿。これから、巡礼はどちらへ向かわれるご予定で?」
「まずは国境を越えてオースロンに入り、それも抜けてイリザンドへ向かいます」
「ほっほう、フォルタナ教の聖地ですか。目的地として、それ以上適した場所はないでしょうな。あそこは良いところでした。気候も穏やかで作物も充実。なにより、水が美味しい」
「ええ。信仰するものとして、一生に一度は拝礼しなければと思っておりましたので」
「まだお若いのに、御心からの信仰心。殊勝なお心がけだ」
グレオは心底感心したように、孫を見るような温かい笑みを浮かべると、指を重ねてアルバートへ祈りをささげた。
「今、戦争状態は一旦落ち着いておりますが、暇を持て余した各国の傭兵達が山賊の真似事をしているようです。道中、なにとぞ気を付けられよ」
「ありがとうございます、肝に銘じておきます」
アルバートは精いっぱいの礼を込めて、グレオ司祭へ祈りをささげる。
「ところで、グレオ様。お聞きしたことがあったのですが――」
そう言いかけて、礼拝堂のドアが正面から開け放たれた。
大きな扉から外の光が差し込み、アルバートを含め、大勢の視線が一斉に向かう。
そこには、後光を受けてながらも、険しい表情で空色の前髪を揺らすリーリアの姿があった。
「アル、こんなところに居たのね……!」
リーリアは切迫した様子で足元もろくに見ず、ずかずかとアルバートを目指し礼拝堂を横切る。
途中に寝ころぶけが人の姿などお構いなしで、時たま「ぐぇ!」だの「ぎゃあ!」だの、声にならない悲鳴が、高い天井にこだました。
「リリー! 足元をよく見て!」
アルバートの忠告も虚しく、数人の苦痛を犠牲に彼の目の前へとやって来たリーリアは、自分の目線よりも高い所にあるアルバートの首根っこをひっつかんで、無理やり身を屈めさせた。
「……この村、やばいわ」
リーリアはアルバートにだけ聞こえるような声でそう言って、盗み見るように辺りを見渡す。
そうして礼拝堂から繋がるいくつかの扉のうちのひとつに視線を向けると、大きく息を飲んだ。
「あそこ、胸がざわざわする」
リーリアの目が取りつかれように見開かれ、琥珀色の澄んだ瞳が意図的に焦点を定めないかのように、小刻みに震える。
それを見た瞬間、アルバートは咄嗟に右の手の平を、濃紺のローブ越しに《剣》の柄頭に添えた。
「……グレオ様、あちらの区画は?」
押し殺したような声で、アルバートは左の手でリーリアが注目する扉を指す。
その瞬間、グレオは目に見えて表情を曇らせた。
「あちらも、病棟として開放しております。ここだけでは足りなかったもので」
「よければ、お見舞いをさせて頂いても……?」
アルバートの申し出に、グレオは迷いのある表情でしばし喉をうならせた。
「……巡礼で徳を積まれているあなた方の祈りがあれば、あるいは、回復の兆しも見えるやもしれませんな。ご案内いたしましょう」
案内された先には、狭い板張りの廊下に連なる小部屋があった。
元々は修道者や、アルバート達のような旅の聖職者のための寄宿舎だったのだろう。
今はその面影はなく、どの部屋にも簡易的なベッドが組まれ、大勢の人がそれに横たわっていた。
「彼らも兵士達……いや、違うな」
それぞれの部屋の中を覗き込みながら、アルバートは柄頭を握る手に、僅かに力を込めていく。
「死んでるの?」
「いえ、彼らは確かに生きております」
リーリアの本質的な問いに、グレオは首を横に振る。
ベッドに横たわる、これも大勢の男ばかりの病人は、外の兵士達と違って誰一人目に見える外傷がなかった。
それどころかまったくの健康体そのものの色よい表情で、ただひたすらに、安らかな眠りについているように横たわっているのだ。
「『眠り病』と呼んでいます。最近、この村一帯で流行っている奇病です」
「それは、どのような症状で?」
「文字通り、眠っているのです。いや、そうとしか思えない。ある朝、周りの者が目を覚ましても、その者だけが目覚めない。まるで永久の夢を見ているかのように。何日も何日も。最も長い者だと、既にふた月は目を覚ましておりません」
「それはまた……」
掛ける言葉は見当たらず、代わりにアルバートは、彼らに祈りを捧げた。
右手は塞がっているので、左の人差し指と中指をねじるように交差しての、簡易的なものではあったが。
それから、判断を委ねるようにさきほどからずっとローブの裾を握り締めるリーリアの方を振り返る。
彼女は震える瞳の瞼を閉じて、自身の判断を反芻するように、ゆっくりと口を開いた。
「間違いない。この人たち――《魔女》の呪いを受けてる」
その言葉を受けて、アルバートの赤銅色の瞳に憎悪の陰が差したのを、瞼を開いたリーリアが、思い詰めた表情で見つめていた。