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第37項 光明

 茜色に染まる広場の裏を抜けて、アルバートは宿の部屋へと駆け込んだ。

 いぶ臭いすすの香りで満ちた部屋の中で、リーリアがぼんやりと窓の外を眺めている。

 朱に染まったその横顔を見て、アルバートは慌てて駆け寄った。


「リリー、怪我はないか!?」

「え……あぁ、アルじゃない。どうしたのよ、そんな血相を変えて」


 肩で息をするアルバートとは対照的に、ベッドの上で身を起こす彼女は落ち着いた様子で、頬に掛かった髪を物憂げに耳に掛ける。


「け……怪我がないなら良かった。この辺りは危ない。安全な場所を探そう」

「あらそうなの、それは大変ね」


 どこか他人事ながらも頷いて、リーリアはふわりとベッドから飛び降りる。

 それからゆったりと髪の毛をいつものように後ろで纏めて、細いリボンで固定した。

 その間にアルバートが手早く荷物を纏めて肩に担ぎ、先に準備を終えて手持無沙汰に窓の外を眺めるリーリアの腕を取った。


「行くぞ」

「ええ」


 2人の影が、狂乱の舞台へと踊り出る。




 城内は数多の雄たけびと断末魔、そして油の乗った子牛が焼けるような独特の匂いで満ちていた。

 昼間活気のあった野営地めいた中心街も、今では炎と死体に塗れた戦場に成り下がる。

 剣を抱いて、身を赤く染める彼らの中にはまだ息のある者もいるはずだ。

 だが、その1人1人を安否を確認している時間は今のアルバートにはない。

 一刻も早く安全な場所へリーリアを連れていく、全てはそれからだ。

 そのためにも、アルバートは探していた。

 彼女を安全な“外”へと連れ出してくれる、彼らの存在を。


「……見つけた!」


 視界の奥に、傷ついた傭兵を回収する騎馬の軍団が目に入った。

 周りに敵対者の姿がないことを確認しながら、彼らへと駆け寄る。

 突然駆け寄ってくる2人を前に騎馬隊は咄嗟に臨戦態勢を見せたが、先頭の男が左手を広げてそれを制した。


「先ほどの少年か、何の用だ」

「ユージンと言いましたね……あなたに頼みがある」


 馬上の青年を見上げてから、アルバートは後ろ手に連れたリーリアへと視線を流す。


「彼女を砦の外へ……可能なら、どこか近くの村まで頼みたい」

「ちょ、ちょっとアル、どういうつもり!?」


 狼狽えて声を荒げたいつも通りのリーリアを差し置いて、アルバートはもう一度真っすぐにユージンを見据えた。


「あいにく、こちらも今は手一杯だ……すまないが、女一人であろうとも、戦う力のない者を庇いながら逃げる余裕はない」

「そこをなんとか……!」


 頭を下げるアルバートに、ユージンは小さく1つため息をつく。


「そんなに大事な者ならば、なおさら自分の力で守ったどうだ。腰の《それ》は、飾りではないのだろう?」

「これは――」


 《剣》へ視線を落として、アルバートは言い淀む。

 今、これの説明をしている暇は惜しい。

 ユージンもまた、なにがしかの事情を理解はしてくれたのか、もう一度ため息をついて、周囲を警戒するように視線を巡らせた。


「その少女を俺たちに預けて、お前はどうする?」

「……俺には、まだやらなければならない事があるんです」

「アル……」

 

 それだけを口にして、アルバートは再び押し黙った。

 そんな彼を、リーリアは戸惑った様子で見つめる。

 

 ユージンはしばらく無言で彼らのことを見ていたが、やがて近くの騎馬に顎で指示をした。


「保証はできない。それに、合流は自分達でなんとかするんだな」

「え……あ、アル……アルっ!」


 騎馬に跨った傭兵が、2人の傍へと近寄ってリーリアの小さな身体を抱え上げる。

 彼女は傭兵の腕の中でじたばたと暴れてみせるが、アルバートとは違い精悍な彼の力には到底抗う事ができずに、小脇に抱えられてしまう。


「ありがとう……よろしくお願いします」

「……部下の命を助けてもらった分だ」


 もう一度深く頭を下げたアルバートに、ユージンは澄ました顔でそう言い添えた。


「――逃げ出されちゃ困るんだなぁ」


 その時、不意に荒々しい声が響いて、そこにいる全員がハッと顔を上げた。


「こ、こいつら、いつの間に湧いて出たんだ……」


 騎馬隊の1人が、震える声で呟いた。

 炎の陰から、大柄な男達――不死兵が1人、2人、3人……いや、次々に現れる。

 いつしか彼らは騎馬隊を丸ごと取り囲むほどの人数に膨れ上がり、辺り一面を囲っていた。

 その肌が炎に焼かれるのも気に留めず――いや、焼けた先からボコボコと傷跡が波打って、もとの屈強な肌に戻ってしまうさまは異質としかいう他ない。


「見回りの連中はどうした!?」

「見回りぃ? ああ、こいつらのことか?」


 声を張り上げたユージンの眼前に、不死兵達の手の中からゴロリと何か球状のものが4つほど転がった。

 人の首だった。

 うち1つの目と、視線がかち合い、ユージンが奥歯を噛み締める。


「貴様ら……」

「おっと、そうイキるなよ。ここは戦場だぜぇ? 生き残る奴がいりゃ、死ぬ奴だっている。そういうモンだろう?」


 ニヤニヤと、不死兵達が唸るような笑い声をあげる。

 そんな安い挑発には乗らず、ユージンは握りしめた剣を抱えて、背にした騎馬隊を振り返った。


「一点突破でここを脱する! 遅れた者を振り返るな! 己の命を優先しろッ!!」


 そう叫ぶや否や、騎馬隊が一斉に手綱を打った。

 馬たちが高鳴りを上げて、蹄が石畳を蹴る。

 肉と肉がぶつかり合う、重く湿った重低音が辺り一帯に響き渡った。


「おいっ、暴れんでくれっ!!」

「アルっ! アルっ!!」


 駆ける騎馬の上でリーリアが、めいいっぱいに腕を伸ばして離れて行くアルバートの姿を追う。

 彼女があまりに暴れるものだから、それを抱える傭兵は彼女が落ちないように支えるのに気を取られていた。

 仲間と共に脱出を図る彼の前。

 そこに、ひときわ大きな影が立ちはだかる。


「危ない……ッ!!」


 叫ぶアルバートの声は虚しく、分厚い刃が閃いた。

 ズドンとひときわ大きな音が響いて、次の瞬間には傭兵とその馬と、2つの首が炎の中に消え去った。

 操り手と意志とを失った騎馬が、勢いに任せて大地へと崩れ落ちる。


「きゃっ……!?」


 必然的に身を投げ出されたリーリアが、小さな悲鳴をあげて石畳の上を転がった。


「なんだぁ……随分とこりゃ、縁があるじゃねぇかよ」


 群れる不死兵の中から、のしりと姿を現した大きな影。

 その男は手にしたサーベルの峰をもう片方の手で撫でながら、にっかりと綺麗に並んだ白い歯を見せてリーリアとアルバートとを見比べた。


「おいおい、ラット。俺たちにも残しとけよぉ?」

「バーカ。最初から俺の獲物だ。テメェらは他を当たりな!」

「チッ。しかたねぇな……それじゃあ俺たちは、あのむさ苦しい傭兵どもで我慢するか」


 大男の事をラットと呼んだ他の不死兵は、騎馬隊の勢いにひるむことなくドカドカと大股で輪を狭めていく。


「こいつら、どうなってるんだ……!?」


 その先には、馬の馬力に真っ向から立ちはだかり、その歩みを身一つでせき止める不死兵の壁。

 行くにも引くにもできず、跨る傭兵達はただ目を白黒させるのみである。


「活路を拓けッ! 3人1組で、1点の不死兵を崩し、そこから抜けるんだッ!!」


 ユージンの掛け声で、傭兵達は手にした槍を、剣を、立ちはだかる不死兵達へと翻す。

 肉が裂け、腕が飛び、馬の蹄に踏み砕かれ、僅かに拓く壁の穴。

 だが、それを埋めるようにすぐに覆いかぶさった不死の軍団が、疲弊した傭兵達へ無慈悲な刃を振り下ろした。

 木の葉のように、人だったモノが宙を舞う。


「おうおう、ハデだねぇ。奴さんら、他と違って多少は骨があるじゃねぇの」


 肉塊飛び散る戦場でゲラゲラと笑う大男――ラットは、足元でゆっくりと起き上がったリーリアへと視線を落とした。


「いたた……」


 視線を上げたリーリアのそれと、ラットの濁ったそれが交差する。


「よう、悪いなぁ。だが、行きたくなかったんだろう?」

「あ……あぁ……」

「リリー……!!」


 アルバートは駆けた。

 身を投げ出して動けないままのリーリアの真上で、ラットのサーベルが大きく弧を描く。

 大ぶりの刃は月の光を受けて鈍く輝きながら、彼女の瞳に映り込んでいた。


「――大丈夫、俺は2人まとめて地獄に連れてってやるぜぇ?」


 手を伸ばすアルバート、だがしかし届かない。

 あと少し。

 ほんの僅かの差を埋める、何かが足りない。

 その何かが何なのか、考えるほどの余裕も彼には残されていなかった。

 だから咄嗟に伸びた手を、あえて自分の懐へと引く。

 

 そうして、腰に携えた《剣》の柄を握り締めて――次の瞬間には、青白い光が戦場に走っていた。

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