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第35項 人ならざる者

「ば、バケモンだ……」


 信じがたき『再生』を目にした傭兵達は、目元をひくつかせながらじりりじりりと後ずさる。

 弱腰になりながらも彼らだって一人前の兵士だ。

 奇怪な敵を相手に足が震えこそすれ、手にした剣を捨てて逃げ出すほど臆病でも、またそうして逃げ切れると思えるほど愚かでもなかった。

 数では勝っているハズなのに恐れおののく彼らの姿を前にして、大男は満足げに頷くと、開いた距離を詰めるように大股で一歩踏み出す。

 そうして、担いだサーベルを高々と掲げあげると、ニィと口の端をいっぱいに吊り上げた。


「……頼むから、少しは踏ん張って見せろよぃ?」


 ビュンと、矢が大気を震わせるような鋭い音と共に大男のサーベルが正面の傭兵を捉える。

 頭巾をつけたその傭兵は、咄嗟に自らの剣を頭上に掲げてその一撃を受けようと足を踏ん張った。

 しかし、マサカリのように降り下ろされたサーベルは、何の抵抗もないかのようにドゴンと足元の石畳に打ちつけられる。

 数秒遅れて、薪のように真っ二つに叩き割られた頭巾男の両身が、それぞれ別の方向を向いてぺっちゃりと崩れ落ちた。


「エルセムゥゥゥ!!!」


 ひと目でその死を認識して、3人の中では最も大柄であるスキンヘッドの男が、怒声をあげながら大男へと突進する。


「貴様、よくもエルセムをぉぉぉぉ!!!」


 肩から突っ込んだスキンヘッドの剣が、攻撃の直後で大きく開いた大男の脇腹を穿つ。

 勢いも、重さも、思い切りも備えた決死の一撃。

 しかし、それを受けた大男は足元が揺らぐでもなく、濁った瞳でスキンヘッドの表情を見下ろす。


「いいねぇ。目が怒りと憎しみってやつで、バッチリ血走ってやがる」


 次の瞬間、つるりとした脳天に叩き下ろされた、大男の岩のような拳。

 そのたった一撃で、まるで果物をそうした時のように、彼の頭は無残に砕けて真っ赤な果汁をまき散らしていた。


「あー、弱っちくて仕方がねぇ。お前さんは、楽しませてくれるのかい?」


 果汁で横っ面をぐっしょり濡らした大男は、ギロリと残り1人の傭兵の姿を捉える。

 アルバートと同じくらいの年齢に見える少年傭兵が、もはや立っているのもやっとの震える腰つきで、顔面を涙や鼻水や涎でぐしゃぐしゃにしながらも、必死に剣を大男に構える。

 しかし、スキンヘッドのような勇実のよい一歩は踏み出せず、代わりに何かを求めるような視線が、アルバートの方へと向いた。


 ――たすけて。

 

 まるでそう訴えかけているかのように必死な瞳に、アルバートは思わずドキリとしてしまう。

 その胸の高鳴りは、確かに彼の全身へと運動に必要なだけの血液を否応なしに注ぎ込む。

 そして、大男がもう一度サーベルを振り上げたさ中に咄嗟に飛び出したアルバートは、少年傭兵の身体を自分ごと突き飛ばしていた。


 ドゴンと鈍い音がして、空を切ったサーベルが石畳にひび割れたクレーターを作る。

 その傍らには、もみくちゃになって倒れるアルバートと少年傭兵の姿があった。


「おう、流石に『同じように』受けようとするほどバカじゃぁねぇか」


 大男の視線がちらりと頭巾の残骸を見て、それから2人へと戻る。

 アルバートが支えになりながら2人は立ち上がると、大男はまた無防備にサーベルを肩に担ぎあげてみせた。

 

 散々見せつけられた人ならざる力を前に、アルバートの思考も完全に追いついてはいない。

 いったい、この男は何者なんだ。

 《魔女》?

 だが目の前のこいつは「人」として、その「人格」を持っている。

 《魔女》は本能のままに災厄をもたらすものであり、そこに「人格」は存在していない。

 

 いや、そうじゃない――「人格」を持った《魔女》の存在を、アルバートは“知っている”。

 なぜなら“ついさきほど”、彼は《彼女》に“会っている”。


 ――これからキミが相対する相手は、私と同じ“境地”を授かった、理の外の存在だ。


 《彼女》の発した言葉が、何度も警鐘のように脳内を駆け巡る。

 まさか……いや、まさか……目の前の男もまた、《彼女》と同種の存在だというのか?

 ごくりと、乾いた唾がアルバートの喉を流れ落ち、あの日に消えた街の姿が、その頭の中にフラッシュバックする。


 その時、けたたましい鳴き声と共に、地面を掻き立てる蹄の音が雨あられのように響き渡った。

 ハッとしてアルバートが振り返ると、十数名の騎馬の軍勢が見張り塔目がけて殺到する姿が見えた。


「――エド、生きていたのか!?」


 先頭の、青い髪を短く切りそろえた青年傭兵が、長槍を小脇に構えながら力いっぱいに叫ぶ。


「た、隊長っっ!」

「2人とも、退いていろッ! はぁぁぁぁぁぁあああああッッッ!!!」


 雄たけびと共に、騎馬の勢いに載せた長槍が、大男目がけて一直線に閃く。

 しかし、その鋭い切っ先が身体に大きな風穴を空ける前に、大男が薙いだサーベルが柄先ごと刃を打ち砕いた。


「何……!?」

「そう何度も同じ手を食らうかよ!」


 すれ違いざまを目がけて、返しの刃が隊長と呼ばれた青年へと翻る。

 青年は咄嗟に槍の残骸を投げ捨てると、逆手に腰のブロードソードを抜き放つ。

 そうして、受け止めるでも躱すでもなく、サーベルの軌跡に自らの分厚い刀身を添えるようにして押し当てる。

 鈍い金属音と共に刃同士が接触し、僅に狙いをずらされたサーベルは青年を避けて、彼が座す鞍を僅かばかり抉り取るのみとなった。


 狙いが外れ、これ見よがしに舌打ちをする大男。

 勢い余ってつんのめった状態の彼の姿と、後続の騎馬の波が激突する。

 数多の騎馬、数多の蹄にもみくちゃにされたその後に、“人であれば”原型を留めていないと表現できるほどぐちゃぐちゃの肉塊が、真っ赤な絨毯と共に打ち捨てられていた。


「エド、よく無事だった」

「隊長っ、ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」


 進路を翻して戻って来た青年の騎馬に、エドと呼ばれた少年傭兵が涙ながらに駆け寄った。

 部下と思われるその他の騎馬たちは神妙な表情で武器の穂先を路上の肉塊へと突きつけつつ、その一部は無残な姿となった他の2名の亡骸の前で、静かに黙祷を捧げている。。


「そいつは、放っておくと危険だ」

「ああ……こいつらが死んでも死にきれない存在であることは、我々も理解している」


 油断できない状況であることを告げたアルバートに、青年は落ち着いた様子で答えた。

 それからその目がアルバートの姿を捉えて、訝しむように眉をひそめる。


「君は誰だ? 見たところ傭兵のようには見えないが……商人というわけでもなさそうだ」


 青年はアルバートの身なりを頭から順に見下ろして、腰の辺りで見え隠れする《剣》を捉えるといっそう怪訝な表情を浮かべて見せる。

 明らかに怪しんでいる彼の様子を見て、エドが慌てて間に割って入った。


「こ、この人は俺を助けてくれたんですっ! 決して悪い人じゃありません、ユージン隊長っ!」

「……そうか、それは礼を言う」


 彼の進言に、ユージンと呼ばれた青年隊長は若干の意味深な間をおきつつも、馬上からながら深く頭を下げた。


「いえ、そんな事よりも『こいつ“ら”』とはどういうことでしょう」

「どうもこうも、見ての通りだ。今このグルグダンは、こいつのような『殺しても死なない傭兵』で溢れている」

「馬鹿な――こんな存在が、他にもいるっていうんですか?」

「嘘だと思うなら、自分の目で確かめてくるといい。だが、そうやって命を危険に晒すくらいなら、仲間と共にはやくこの砦を離れるんだ。我々も、宵の晩で散り散りになっていた仲間達を集めたらすぐに撤退する」

「いや、しかし――」


 言いかけて、アルバートは口を噤んだ。

 彼の言っている事は正しい。

 少なくともこれが、“人がどうにかできる事件”でないことはこの場にいる誰だって理解している。

 だからこそ、命があるのならすぐにでもここを離れるべきなのだ。

 例え、それが他の一切の生存者を切り捨てていく選択であろうとも。

 

 自分の身は自分で守り、それぞれがそれぞれでこの悪夢のような宴を乗り切るしかない。

 それが、最も多くの人間が生き残るための最善の方法なのだから。


「ユージン隊長っ! 肉塊がこねくり始めやがいましたっ!!」


 大男の残骸を見張っていた兵士が慌てたように声を張り上げる。

 それを聞いて、ユージンは大きく頷くとエドを自らの馬上へと引き上げた。


「見つかっていないのはあと3人だ! その生死の確認が取れ次第、砦を放棄するッ!!」


 順手に持ち直した剣で次の進路を指し示し、ユージンが手綱を大きく引く。

 そのまま物言わずアルバートへ目配せをすると、アルバートもまた歯がゆいながらに頷いた。

 

 騎馬たちが大地を揺らしながら広場の先へと走り去っていく。

 それを視界の先に見送って、アルバートもまた自分の宿へと向かって駆け出していた。

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