第34項 月夜の宴
見張り塔を駆け下りたアルバートの眼前に広がっていたのは“戦場”だった。
黒い煙がたちのぼる城内で、数多の影が振るう刃が炎に照らされて星の瞬きのように地上で煌く。
ガキン、カキン、と精錬の甘い金属がぶつかり合う不協和音と共に、男たちの怒声があちこちで響いていた。
「どうなってやがる!」
「敵襲なのか……!?」
その混乱具合は、武器を振るう彼らにとってもこの戦闘が不可解なものであり、また、まったく統率が取れていない現状を表していた。
しかしながら戦闘という事は当然敵がいるわけであり、戦っている傭兵がいれば、その刃を交える相手もまた身なりを見れば傭兵のそれと分かる。
では、同士討ち?
いや、裏切り?
ある種客観視できる状況のアルバートであっても、その惨状は理解に至るものではなかった。
「な、なにが起きてるんだ……?」
ただ茫然と眺めるしかないアルバートのすぐ傍に、ものすごい勢いで吹き飛んできた男が転がりながら棟の壁にぶつかる。
彼はその衝撃で胃の中身を吐き散らして、虚ろな表情で熱気に包まれる戦地を見つめる。
「バケモノ……どもが……」
そのまま恨めしそうな言葉を残して、男の意識はふっと途切れる。
彼の腹のど真ん中にある大きな傷跡から、その中に大事にしまい込まれていた臓器がどろりと零れ落ちていた。
「……っ!」
アルバートは眉間に皺を寄せながらも、開いたままの男の瞳をそっと閉じさせる。
――これからキミが相対する相手は、私と同じ“境地”を授かった、理の外の存在だ。
ふと、つい今しがたベルナデットの発した言葉がアルバートの脳裏に響く。
その言葉の通りを取るならば、バケモノ――いや、《魔女》?
もしもそうであるならば――
「――おうおう、兄ちゃんこんなところでどうしたんだ?」
こんな状況で声を掛けられるなんて思っておらず、その言葉を聞いたアルバートは思わず《剣》の柄に手を置いて、声のした方へとぐるりと向き直る。
「おっと、そうイキんなよ! こんな状況じゃ、流石の兄ちゃんでも抜かざるをえねぇってか?」
「お前は――」
アルバートの目の前には、昼間リーリアに絡んでいたあの傭兵が、変わらず下品な笑みを浮かべて立っていた。
1つだけ先ほどと違うところがあるとすれば、エールに満たされたジョッキの代わりに、真っ赤な液体に濡れた抜身のサーベルを肩に担いでいることだ。
「わりぃな、起こしちまったか? 寝てたままの方が、幸せに神様んとこに行けたんだろうがなぁ」
「……どういうことだ?」
大男はニタニタと笑ったまま、まるでジョッキのエールを煽るかのように、サーベルから滴る液体をだらしなく伸ばした舌先に垂らし、ゴクリゴクリと喉を鳴らして飲み込んでいく。
「――っかぁ! たまらねぇ! やっぱり、宴の酒は格別だ!」
「なに……を?」
「ほら、抜けよ兄ちゃん。少なくとも飾りじゃねぇんだろう?」
思考の追い付いていないアルバートに、大男は口の端に赤い筋を垂らしながら畳みかけるように声をかぶせる。
「今日の宴は、俺たちホストを残して動いてるやつぁ全員皆殺し! それがパーティの最っ高の余興だ! だからよ兄ちゃん、抜かねぇってんなら――」
唖然とするアルバートの前で、大男が深く腰を落とす。
そうして、次の瞬間にはまるで肉食動物が飛び上がるかのように、2mはあるその巨体が空高く跳ね上がった。
「――大人しく、テーブルの皿に盛られてくれよぉ!?」
丸い月をバックにシルエットとなった大男の刃が、ゴウと音を立てて頭上へと迫る。
アルバートは咄嗟に真横に倒れこんで、その一撃を回避した。
たった今まで彼が立っていた所にズドンと着地した男の刃は、バリバリゴリゴリと聞いたこともないような音を立てて棟の石造りの壁にめり込んでいく。
転がりながら体勢を立て直したアルバートは、石壁にできた稲妻のような跡を見て思わず息を詰まらせた。
「馬鹿な……人間業じゃないっ!」
バケモノ――再び、先ほど息を引き取った男の言葉が思い起こされる。
人の形をした何か――だが《魔女》ではない……?
「へぇ、受けるんでなくて避けるたぁな……戦場の“カン”ってやつは、持ってるみてぇじゃねぇか」
がらがらと崩れた壁岩の中からサーベルを抜き取り、男の巨体がアルバートへ振り返る。
その時、背後から幾多もの足音が響いて、アルバートもまた背後を振り返った。
「どけ、小僧ッ!」
駆け込んできた3人の傭兵たちが、一斉に大男に槍の穂先を大男に突きつける。
鋭い切っ先は厚い胸板に突き刺さって、背中まで貫通してなお、3人がかりの勢いのまま大男の身体を亀裂の入った棟の壁へと叩きつけた。
まるで槍をピン代わりに石壁に縫い付けるかのように、大男の身体は張り付けられていた。
「はぁ……はぁ……大丈夫か? 見たところ、傭兵じゃ無さそうだな……商売人の付き添いか……?」
「あ……いや、俺は――」
身分を証明しようとしたアルバートを手の平で制して、傭兵達は剣を手に取り、壁に背を預けてぐったりとする大男の周りを取り囲むようににじり寄る。
3人がかりの突撃でヒビも入らない塔の壁を目の当たりにすると、斬撃1つであれだけの亀裂を入れた大男の力がいかに人外じみているかが分かる。
「やれたのか……?」
「いや、わからねぇ……」
確実に息の根を止めているような光景。
それなのに警戒を解かない3人を前にして、アルバートは只ならざる空気を感じる。
「何を警戒しているんだ……?」
「……わからねぇ」
頭巾を巻いたその傭兵は、煮え切らない様子で唸るように喉を鳴らした。
「わからねぇんだ……俺たちにも。誰か、教えてくれるってんなら教えてくれよ……」
他の2人も、口には出さないがそれに同意するように押し黙る。
アルバートを含めて、その不安に答えられる者はここにはいない。
「――ああ、少しばかり寝ちまったか?」
そう――その本人を除いては。
「おう、兄ちゃん。さっきぶりだな……俺ぁ、どのくらい寝てた?」
「お、お前……いったい……」
突然目を覚ました大男が、槍に突き刺されたまま、変わらぬにやけ顔でアルバートに問いかける。
「ああ、こいつが気になるか? なら……よっと!」
状況を飲み込み切れていないアルバートの目の前で、男は大きく伸びをするように胸をのけぞらすと、そのまま足に踏ん張りをつけて、大きく一歩、前へと踏み出した。
赤い粘着質の液体が尾を引きながら、大男の身体は槍の柄を滑るように、穂先から石突の方へとずるりずるりと動いていく。
身体から槍を抜くのではなく、槍から身体を抜くかのようにして、1歩ずつ歩みを前へと進めていく。
その度にずるり、ぴゅるりと液体が傷口から噴き出し、背にした壁に赤い染みを作る。
「……おし、これでどうだ。なぁ?」
ちゅぽんと、石突まで完全に身体から抜けて、大男は張り付けから完全に自由になっていた。
唖然として見守る4人の目の前で、男は胸に大きな3つの風穴を開けたまま、何食わぬ顔でコキリと首の節を鳴らす。
「嘘だろ……おい」
傭兵達は怯えた様子で後ずさるが、それを追うように大男は1歩、2歩と歩み寄る。
それだけでも理解の範疇を越えているのに、先が見通せる胸の風穴がボコボコという皮膚の泡立ちと共に塞がれたのを見て、アルバートはその顔色を一変させる。
それは驚きや不安に満ちたそれではなく、ハッキリとした敵意を映し出した、鋭い眼光を伴うものだった。
「ハッピーバースディ、俺~♪ これで生涯、3度目だ。だいぶ慣れても来たってもんだぜ~?」
そんな表情に大男は満足げに頷いて、まるで機嫌がいいように鼻歌を奏でて見せた。




