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第32項 招待状

「どうしてあの時のモヤシ野郎がこんなところに……まさか、戦場に出るってんじゃねぇだろうな?」

「まさか、俺が戦うのに向いてないことは、あなたが良く知ってるでしょう」


 顎に手を当てながら値踏みするように頭からつま先までをじろりと睨む男に、アルバートはよそ行きの笑顔を浮かべてやんわりと距離を置いた。

 もうすっかり治ったはずの以前彼に殴られた頬が、ほんのり熱い熱を発する。


「それはそうだ。使いもしねぇモンぶら下げてよぉ」


 男の視線が、ローブの上から分かる《剣》の膨らみで止まる。

 そして嘲るような笑みを浮かべると、エールをぐいっとあおり飲んだ。


「ただ、道すがらに寄っただけです。では、俺たちはこれで――」


 じりじりと後ずさるようにして男に別れを告げようとしたアルバート。

 しかし、その腕にしがみ付いたリーリアが、力を込めて待ったをかけた。


「ねぇ、アル。この人、なんか気持ち悪いわ……」


 しかめっ面をしながら吐いたその言葉に、アルバートは思わず顔を引きつらせる。


「ああん? 何だそりゃ、どういう事だぁ!?」


 リーリアの言葉に、男は凄みを効かせた声でずいっとアルバート達に迫る。

 大きな身体が太陽の輝きを遮って、2人の頭上に再び影を落とした。


「リリー、何を言って……!」

「だって、キモいんだもの」


 冷汗たらたらのアルバートをよそに、リーリアは汚らわしいものを目にしたかのように顔をしかめて、掴んだローブに顔をうずめる。


「て、てめぇら……喧嘩売ってんのか……?」


 みるみる青筋が増える男を前に、さっと顔の血の気が引くアルバート。

 慌てた様子でリーリアを抱え上げ、そのまま引きつった笑みを浮かべて小さく手を振った。


「いや……その、今度こそこれで……」

「あっ、おい! 待ちやがれっ!!」


 静止の声はもちろん聞かず、2人は一目散にその場を退散する。

 決して振り返ることはしなかったが、彼らを追いかける足音もまた、聞こえることはなかった。




 人混みを抜けて今日の宿へと駆け込んだ2人は、息も絶え絶えに呼吸を整える。

 厳密には汗だくなのはアルバートただ1人で、リーリアはケロっとした顔をしているわけだが。

 

「ど……どうして、あんなことを……」

「だって、ホントのことだったのだもの」


 額に浮かんだ大粒の汗をぬぐいながら、アルバートは板を組み合わせただけの簡素な椅子にどっかりと腰かける。

 あてがわれた客室は、元々はオースロン軍の駐屯地か何かであったのだろう建物の一室だった。

 土づくりの部屋の中には椅子と同じように飾り気のない机や、箱にシーツを被せただけの簡素なベッド、夜間用のランプの他には家具らしい家具もない、正直、ちょっと豪華な独房レベルの代物だ。

 それでも外で野宿をするよりはやはりマシというもので、聖職者からはお代も取らないというので、その好意に甘えさせて貰うことにしたのだ。

 

 代わりに貸してもらえる部屋は1つだけで、相部屋になってしまったことだけはアルバートの頭を悩ませたが、文句を言える立場でもないのでここは甘んじて受け入れた。


「……とにかく。これ以上、無駄に騒ぎは起こさないでくれないかな」

「約束はできないけど、善処はするわ」


 妙に引っかかる言葉を添えて、リーリアは固いベッドに腰を下ろす。

 そうしてぶらぶらと足を揺らしていると、不意にコンコンと部屋の扉がノックされた。


「はい?」

「こちら、アルバート・ロイド様のお部屋でお間違いないでしょうか?」


 こんな場所で来客の予定はない。

 不審に思いながらも返事をしたアルバートだったが、軍人らしい規律の正しい口調の声が扉の外から響いて来て、一瞬張り詰めた緊張を解いた。


「はい、そうですが」

「お手紙を預かっております! 差し込ませて頂きますので、開錠は結構です!」


 いらぬ気を使ってくれたのか、そう言うや否や3cmほど空いた扉の下の隙間から、丸められた短い羊皮紙の書状が差し込まれた。


「すみません、ありがとうございます」

「では、失礼いたします!」


 足音が遠のいていくのを聞いて、アルバートは扉へと近づいて書状を片手で拾い上げる。

 来客にしてもそうだが、書状に関しても全く心当たりがない。

 そもそも、彼が「今」ここにいることを知る人間なんてそう居ないはずだ。

 可能性があるとして、動向を気に掛ける教会が先んじて書状を残し、彼がやってきたら渡すようにと軍に頼んでいた……ということも無いわけではない。

 実際、師がそうやって「言伝ことづて」のように審問院からの指令を受け取るところを何度か目にしたことがある。


 とはいっても、誰から送られて来たものかに関しては、丸めた書面の封蝋を見れば一発だ。

 そう思ってくるりと書状を回転させ、羊皮紙の合わせを抑える真っ赤なワックスの塊を目にして、アルバートの意識は咄嗟に凍り付いた。


「誰から?」


 話半分に尋ねたリーリアだったが、そんなのは聞こえてすらいない様子で、アルバートは刻印を凝視する。

 そうして、ぽつりとかすれた声でつぶやいた。


「……師匠だ」

「え?」


 その言葉を聞いて、リーリアも思わずぶらつく足を止めて眉を寄せる。

 波打つ赤いワックスのその中央には、印璽いんじとして円の中に「×」と「☆」を重ねたような幾何学な文様が刻まれている。

 この印はほかでもない。

 忘れもしない、アルバートの師――ベルナデット・オールドウィンが審問官として与えられ使用していたパーソナルマークだった。


 弾かれたように封を切ったアルバートは、丸めた紙を乱暴に広げて、その中身に目を通す。

 それほど質のよくない、まるで安い露店か何かで買ったような紙の上には、まるで落ち着き払ったような整った筆跡で、たった1行だけ文章がしたためてあった。

 

 ――宴の席に遅れることなかれ。今宵、赤い月が昇る。

 

「――なにこれ、どういうこと?」


 いつの間にか横から覗き込んでいたリーリアが、小さく首をひねりながらため息を吐く。

 そんな彼女とは対照的に、アルバートは大真面目な表情で何度も文章に目を走らせ、そして震える手で書状がぐにゃりと変形するほどに握りしめた。


「……どういう事だ師匠。いったい、あなたは何がしたいんだ……?」

「アル?」


 わなわなと肩を震わせるアルバートは、手紙をくるくると巻きなおすと、そのままローブの合わせから懐へと滑り込ませる。

 そうして、再び椅子に腰を下ろすと、机に両の肘をついて自分の口元を覆いながら静かに目を閉じた。

 閉じたというよりは、力を込めて瞑ったといった方が正しいのかもしれない。

 眉間に皺を寄せて、まるで何かを耐え忍ぶかのように表情に力が籠る。


「アル、大丈夫……?」


 リーリアが心配して傍に寄るも、アルバートは答えるでも、また邪険にするでもなく、ひたすらにそうしているだけだった。

 ギリリと奥歯を噛み締める音が、静かな部屋の中にやたらと大きな物音となって聞こえる。


「……“今宵”か」


 やがて、噛み締めるように口にした一言はリーリアへ届かず、ただ自分自身へと言い聞かせるように彼の脳内で反芻される。

 まるで、何かの始まりを告げるかのようなその時間宣告に、胸の内のざわつきはより激しく心臓を掻き立てていた。

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