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第31項 “み”えない気配

 その日の宿を砦の空き部屋に確保して、アルバート達は再び城内の広場へと足を運んでいた。

 前線の漠然とした緊張状態の中とはいえ、ファルメア軍の管理所の役人に聖印1つで身分を証明できたのは、なんとも拍子抜けでありながらもありがたいことだった。


 広場は先ほどの凱旋パレードの余韻が若干冷めきらず、どよどよと浮ついたトーンの喧噪に包まれている。

 話を聞きつけてそれぞれの部屋やテントからやってきたのか、心なしか屈強な男や商人、またどこか煽情的な恰好の女性がさっきよりも街にあふれているような、そんな熱気をアルバートは肌で感じていた。

 少し聞き耳を立てるだけでも、彼らの話題は死地から帰って来たという“赤の爪”団の話でもちきりであることがわかる。

 広場に増えた人々は、その士気にあやかろうと、また手柄を立てて貰ったであろう褒賞目当ての者たちであろうことは一目だ。

 そんなどこか邪まな熱気渦巻く光景にアルバートはやや伏し目がちに不快感を表すが、それでも視線はそんな人混みの中に存在しているかもしれない、あの朱を追って駆け巡っていた。


「ねぇ、アル。さっきからどうしたのよ?」


 リーリアがあからさまに怪訝な表情でアルバートを見上げていた。


「いや……見間違いだったなら、それでいいんだ」

「だから、何がって聞いてるのに」


 答えになっていない答えを受けて、皮のロングブーツに包まれたアルバートのふくらはぎを、リーリアのつま先がコツンと蹴った。

 全く痛みはなかったが、不意を突かれた形になってアルバートは僅かにその場によろける。

 そうして、人混みから外れた意識がリーリアに向いて、ふと、何か言い淀むように口をつぐむ。


「何?」

「ああ……ええと」


 アルバートは一瞬ためらうように目を反らす。

 果たして、憶測で彼女に余計な心配を掛けてしまっていいのだろうか、と。

 しかし、彼女の力を借りなければどうしようもないことであるのもまた理解していて、わずかに口惜しそうに表情を歪めた後に、真正面からリーリアを見返す。

 不意に目が合って、今度はリーリアの方が顔を赤くしながら思わずよろけていた。


「……リリー。この街、《気配》を感じないか……?」


 《気配》――というのはもちろん《魔女》の事だ。

 その問いに、リーリアはぎょっとして目を大きく見開く。

 そうして、今度は彼女の方がしどろもどろと、小石をひとつずつ並べていくかのように言葉を紡いだ。


「……感じないわ。ううん、“感じていない”と言ったほうが正しい……のかも」

「どういうことだ?」

「なんて言ったらいいのか、私にも分からないのだけれど……」


 そう言って、考えを整理するようにリーリアは俯いて、両のこめかみを2本の人差し指でぐりぐりと押しほぐす。


「実は、街に入る前になんだか嫌な予感はしたの。でも、それは予感であって、《魔女》とか、そういう気配じゃなかった。少なくとも、いつもの“アレ”じゃなかった。現に、街に入ってからは何ともなって……だから、気のせいかなって」

「気のせい……」


 その言葉が、アルバートの中でわずかに引っかかった。

 リーリアの言う「気のせい」が何を指すものなのか、聞いた話ではおそらく彼女も分かってはいない。

 だが、そこにアルバートの「気のせい」が加われば――2つの「気のせい」が重なれば――それは果たして夢幻ゆめまぼろしといえるだろうか。

 偶然も重なれば運命に思えるように、「気のせい」も重なればその輪郭をとらえることができるのではないだろうか。

 だから、そのぼんやりとした不安を明確な答えにするために、躊躇っていた《彼女》の存在を、思いきってリーリアへと打ち明けた。


「――さっき、この街で師匠の姿を見た」

「……え?」


 それはリーリアにとってもあまりに予想外のことだったのか、その思考がぴたりと止まっているのが傍目にもよくわかった。


「師匠って、あの《虚空の》――」

「――後ろ姿だ」


 言いかけた彼女の言葉をさえぎって、念を押すようにアルバートが答えた。


「顔はちゃんと見ていない。わずかに、口元が見えたくらい……あとは、その深紅の髪しか見ていない。慌てて駆け出したのはそのせいだ。だが……追った先でその姿を見失った」

「……それで、あんなに慌てていたのね」


 合点がいったように、リーリアは小さく頷く。

 だが、すぐに薄い胸元で腕を組むと、うんと唸りながら身体ごと小さく首を傾げた。


「さっきも言ったけれど、この街に入ってから私は一切《気配》を感じていないわ……単純に力を抑えていて、尻尾を出してないってだけの可能性もあるけれども。だから、私の口から明確にこの街に《虚空の魔女》が“い”るとも“い”ないとも……だけど、可能性はあるってことね」

「ああ」


 アルバートは、いくらかハッキリとしたトーンで頷いていた。

 実際のところ夢幻の霧が晴れることはなかったが、それでもこの街を調べる意義は定まった。

 それを確認できただけでも、リーリアに話してよかったのだろうと彼は1人で納得する。


 その傍らで、リーリアはまだどこか不安を覚えているかのように、表情に影を落としたまま地面の靴跡を見つめていた。

 だが、その意を決して顔をあげた時、ぬっと現れた大きな影が、2人の頭上に輝く太陽の光を、まるごとそっくり遮った。


「――おうおう、嬢ちゃん。そんなモヤシ野郎の相手なんかしてねぇで、俺と遊ばねぇか? いくらだ?」


 下品な笑いを浮かべながら、顔を赤くして酔っぱらった傭兵の大男が、樽ジョッキを片手にリーリアの肩に手を回していた。

 少し離れたところから、仲間らしき男たちの集団が同じようにニヤニヤと下品な笑いを浮かべて手にしたジョッキを傾ける。


「ちょっ……何よっ!?」


 リーリアは慌ててその手を振りほどくと、アルバートの傍に駆け寄って、その腕にしがみついた。


「何だよ、金なら十分あるぜぇ。なんてったって、俺たちゃ天下の“赤の爪”団だ! 今回の褒賞がっぽりの、良い金づるだぜ、なぁ、嬢ちゃんよ――」


 男は大げさに身振り手振りを加えながら、仲間や、周りの傭兵達に同意を求めるかのように、その名声を高らかに唱える。

 そうして改めてリーリアと、彼女がしがみついたアルバートの姿を見ると――表情を一変、眉をひそめて口を「へ」の字に曲げてみせた。


「……なんだぁ? おめぇら、どこかで……」


 正面から睨み合って、2人もはじめて男の顔をまじまじと見た。

 そして、「あっ」と小さく驚きの声を漏らしたのは、3人同時の事だった。


「「「国境沿いの村で――」」」


 重なった声が、それぞれの答えを代弁する。

 同時に、アルバートの腕に手を回すリーリアのそれに力がこもったのは、言うまでもない。

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