第30項 “赤の爪”団
激しく息を弾ませながら、アルバートは大きく肩で息を吸う。
広場の中央に立って、チカチカとまばゆくかすむ視界で辺りを見渡しても、目当ての赤髪はもう見当たらなかった。
「あれは……見間違いだったのか?」
周囲では、相変わらず傭兵たちの下品な喧噪が聞こえるばかり。
そもそもあの人がこんなところに居たのだろうかと、さっき見たものを白昼夢に思えてしまうのも無理はなかった。
赤い旗かマントを髪と見間違えたのかもしれない。
そう心に言い聞かせようとするものの、彼の目は名残惜しそうに雑踏の中に差す赤い閃きを探そうと躍起だった。
「――おい、“赤の爪”団が帰って来たらしいぜ!」
不意にそんな言葉がどこからともなく広場に響いて、アルバートの意識がふと現実に引き戻される。
周りの傭兵達もはっとしたようにその声の方向へと一斉に目を向けて、つぎつぎに目を丸くしてみせる。
「まじかよ! あいつら生きてやがったのか!?」
「2日も帰らねぇから、てっきりヤりすぎたもんだと……」
「いや、間違いねぇ! 今、正門の方に来てるってよ!」
そんな言葉が交わされながら、彼らはざわざわと色めきだってアルバートがもと来た方へと足を運び始める。
「何があったんだ……?」
状況をつかめていないアルバートは僅かに眉をひそめるが、とりあえず何かが起きたのだということは理解した様子で踵を返し、彼らの後を追う。
一刻を要したとはいえ、リーリアを残してきてしまった。
こんな場所でいつまでも一人きりにしておくわけにもいかないし、合流しておくか。
小さく鼻で息をつきながら、さながら民族大移動の後列に、自らも姿を埋もれさせていった。
「リリー!」
アルバートが目印の露店付近へ戻ると、リーリアは言いつけを守ってちゃんとそこで待っていた。
めずらしく大人しくぽつんと道端に佇んでいるその姿に、アルバートは僅かながら違和感をおぼえる。
「待たせてごめん。何か、あった?」
「え……? あ、ううん、何もないわ」
どこか思い詰めた表情で、ぎこちなく答えるリーリア。
流石に心配になってアルバートは声を掛けようと口を開きかける。
しかし、まさに喉から出かけたその言葉は、ものすごい数のどよめきにかき消されて、リーリアどころかアルバート自身の耳にも届かなかった。
「……今度はなんだ?」
がやがやと騒がしい傭兵達の集団へと視線を向けると、彼らの間を分け入るように、数十人の人の列が広場の通りを堂々とした足取りで突き進んでいるのが見えた。
野次馬の波の間を進む男達は、まるで勝利の凱旋パレードのごとく、悠々と胸を張って、だれもが晴れ晴れとした威厳に満ちた表情を浮かべている。
「ほ、本当に“赤の爪”団だ……」
「報告じゃ、ゲオルギウスの軍隊とやり合ったって話だが」
「馬鹿な! そしたら生きてるわけがねぇ!」
「いや、そうとも言えねぇ! み、見ろよあれ!」
雑踏の中の1人が、列の中腹ほどを歩くブレストメイルを着込んだ男を指差す。
彼を先頭にその後ろ数名ほどが、なにやら旗印を付けた長い槍を天高くつき上げて列の一部を彩っていた。
紅の旗には剣を持った竜のエンブレムが描かれ、端の根本から伸びる槍の穂先には、南瓜大の何かが突き刺さっている。
高く昇った陽を背にして、逆光の中で輪郭の霞む“何か”の正体を確かめようと目を凝らしたアルバートは、次の瞬間には大きく目を見開いて、傍らのリーリアの瞳を自分の手で抱え込むようにして覆っていた。
「な、なに? どうしたのよ!?」
「いや……リリーは、見ない方が良い」
戸惑うリーリアに、アルバートは低く凄みを効かせた声で彼女を諭す。
アルバートが目にした穂先の“何か”。
それは、兜をつけたままの人間の首だった。
それが、旗印1本につき1つずつ。
掲げる数を見れば5つ、6つ……7つほど。
まるで、それが戦いで得た勲章であるかのように、鼻高々に有象無象へと見せつけていた。
「あの旗印……間違いねぇ。ゲオルギーの部隊のもんだ」
「じゃあ、やっぱりあいつら、あのバケモン部隊とやり合って、それで無事に帰って来たってのか……?」
「ゲオルギーの首は……流石にねぇか。だが、その部下の首だって、十分に褒賞もんの戦果だぜ……」
ざわついていた雑踏の声色が、どことなく変わったのをアルバートは感じていた。
声を潜めて訝しむようなそれから、どこか浮足立った上ずった声へ。
それは内に滾る感情をさらけ出すように、いつしか天を貫く歓声となって、凱旋パレードの列を祝福していた。
「いや、すげぇ! 見直したぜ“赤の爪”団!」
「おめぇらみたいなやつがいるなら、もうこの先怖いもんはねぇぜッ!」
「“赤の爪”団、万歳ッ!」
「万歳ッ! 万歳ッ!」
口々にわき起こる雄たけびと、下品な口笛の嵐。
戦果を持って帰って来た、奇跡の軍団へ向けた祝福の歓声。
そんな歓喜に満ちた光景を、アルバートはこの世のものならざる光景を見るように、眉を潜めて一瞥する。
「ちょっと! そろそろもういいでしょ!」
自分の目元を覆うアルバートの手を乱暴に振り払って、リーリアはようやくパレードの様子を目にすることができた。
しかし、すでに最後尾の背中を追えるだけになり、その全貌を見届けるにはいたらない。
「もう、面白い見世物っぽかったのに……」
「そんなんじゃない。むしろ、見ない方が良いくらいだ」
「どうしてよ?」
ぶすっと口を尖らせて問いかけたリーリアに、アルバートは一瞬言葉に詰まる。
確かに自分の考えを彼女に押し付ける道理はない。
しかし、彼女にもまたこの気持ちを分かってもらいたいのも本心だ。
だから、それが答えになっていない事を理解しながらも、アルバートは一言だけ言い添えた。
「……ここが、戦争のど真ん中だから」
活気づいた街を見て浮ついた心はとうに冷めててしまった。
いや、あの赤髪の幻影を見た瞬間から、焦燥感のような何かがアルバートの胸の内をぐるぐる渦巻いて、やきもきとした気分を掻き立てていた。
それは一種の本能的な警鐘。
できるなら、はやいところこの街を発った方がいい。
だがそれは逆に、異端審問官である彼にとってはこの街に留まる理由にもなる。
もしもこの街で何かが起ころうとしているのなら――あの赤髪が幻影などではなかったのなら――今、この街を発ってしまったら、きっと自分は後悔する。
焦燥感の答えを求めるように、アルバートはリーリアの表情を伺う。
彼女はぶすっとした表情のまま、それでも“いつものアレ”という点で言えばケロっとした表情で、道端の小石をカツンと蹴り上げる。
その小石はコンコンと乾いた地面を転がって、パレードが踏みしめて行った広場の中央に取り残されたようにポツンと身を投げ出していた。




