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第2項 国境の村

 ――私は「《魔女》の生まれた場所」を目指す。キミは、どうする?

 

 自分の半生の中で師と仰いだ彼女の問いに、アルバートは返事をすることができなかった。

 迷っていたわけではない。ただ単純に、何も考えられなかっただけだ。

 彼女は含んだような笑みを浮かべると、呆然と荒野にへたり込むするアルバートから視線を外して、晴れ渡る青空を仰いだ。


 ――道中、何かと野暮用もあるから、いずれまた会う機会もあるだろう。上司として、師として、独り立ちしたキミの成長は楽しみだ。

 

 乾いた風が吹いて、いくばくかの砂と共に、彼女の長い深紅の髪が、別れを告げるようにはためいた。

 その風に乗って、アルバートの眼前に1本の刀剣が転がる。

 彼女が放り投げた、彼女自身の《剣》だった。

 細身の鞘は異端審問官のトレードカラーである濃紺で染められ、教会のシンボルである「×字」が金の細工でちりばめられら様子は星空のよう。

 そこに収まる刃の同じく金色の鍔は、夜空に瞬く1等星のようで。

 白塗りの柄は、昼と夜とを隔てる宵の純粋さにどこか似ていた。


 ――私にはもう扱うことができないものだ。キミのはちょうど“消して”しまったところだし……代わりに使うと良いだろう。丸腰の審問官というのも、なかなかどうして、示しがつかない。

 

 アルバートに背を向けて、彼女はその身に発現した《罪》を纏う。

 黒い霧のような《罪》は、少しずつ彼女自身を覆い隠し、その存在を希薄なものへと変えていく。

 やがて再び吹いた風に乗って、霧ごと彼女は消えてしまった。

 アルバートはただ、それを眺めていることしかできなかった。

 彼の背後には、綺麗な等円に抉り取られたような王都の街並み。

 その断面が、無残に広がっているだけだった――




「――ちょっとアル、そろそろ起きてよ」


 不躾に身体を揺すられて、アルバートはようやく目を覚ました。

 まだ少し掠れた視界の先で、リーリアのつっけんどんとした表情が、彼の寝顔を覗き込んでいた。


「おはよう、リリー……ごめん、寝過ごしたかな」


 ゆったりと身を起こして、無意識に額の汗をぬぐう。

 もう秋だというのにぐっしょりとした寝汗が、ぬぐった手の甲に張り付いた。


「そんなんじゃないわ。でも、私はもうお腹がすいたの」


 リーリアは、手持無沙汰にスカートの裾を掴んでひらひらさせる。

 お祭りの踊りの時ならまだしも、15を迎えた女性としては少々はしたない。

 だが、彼女はそんなことを気にする様子もなく、アルバートのローブと荷物をベッドの上へと放り投げた。

 さっさと行くよ――無言の命令だった。

 

 

 

 下階の酒場で女将からパンと炒り卵を頂くと、昨夜の騒ぎに関して改めて頭を下げて、アルバート達は宿を後にした。

 

 旅に適さない食材、というものがいくつかある。

 足が速かったり、量がかさばったり、縁起が悪かったり。

 そういった中でも卵はとりわけ保存が効かず、そもそも干してどうにかなるものでもなく、生や火を通したくらいでは数日で腐ってしまう。

 そのうえ、腐った卵は猛毒に等しい。

 野生のものをその場で手に入れられれば話は別だが、そうそう機会があるわけでもなく。

 こうして人里で食べることができるのは、アルバートの密かな楽しみだった。


「昨日の、まだ痛む?」

「多少腫れてはいるけれど、それほどじゃない。王都の軟膏はよく効くもんだ」


 うっすらと青くなった頬を撫でながら、アルバートは一晩を過ごした村をざっと見渡した。

 国境を越える前にと立ち寄ったこの村は、一概には辺境と言われる地にあるものの、比較的発展しているようにみえる。

 おそらくは、国境が近いという事を生かして、生業に旅を含む者達の補給地点としての役割を担っているのだろう。


 昨晩泊まった場所以外にも、数件の宿が小さな目抜き通りには立ち並び、出立を控える宿泊客が馬や馬車に荷物の運び入れを行っている。

 通り沿いには、商人というよりは農家や狩人がそのまま店を構えたような露店が点在し、店頭に立った婦人達の威勢のいい客寄せの声を交えて、朝も早いというのに買い出しの旅人たちでほどよい賑わいをみせていた。

 自分達も保存食を少し買い足しておこうと、アルバートが乾物屋の露店を覗き込んでいると、リーリアがローブの裾を引っ張った。


「これからどうするの?」

「村はもう出るけれど、その前に教会に寄っていこう。一応……巡礼者という建前になっているし、あるものなら情報も仕入れたい」


 教会という単語が出た瞬間に、リーリアの表情が僅かに曇る。


「まだ、教会は嫌いか?」


 アルバートが尋ねると、リーリアは小さく首を横に振った。


「そもそも嫌ってなんかない。ただ――」


 そこから先の言葉を、彼女は飲み込んだ。

 「あそこに居た人たちが嫌い」だなんて、アルバートに話しても理解されないことを重々承知していたから。


「はやく用事を済ませましょ。私、国境を超えるのが楽しみなの」

「そういえば、この国を出るのは初めてだと言っていたね」

「ええ。厳密に言えば『入って』から『出る』のは、だけれど」

「生まれは北の方だったかな」

「そう。ほとんど記憶なんてないけれど、この国ほど四季なんてなくって、年中桶に張った水が氷るような所だったわ」


 言いながらトントンと、無造作に散らばった小石を踏みつけるように跳ね歩くリーリアは、やがてぴたりと歩みを止めると、後ろ手に両手を重ねてくるりとアルバートを振り返った。


「私、この国を『出る』時はアルとって決めていたの。だから今、とっても充実しているわ」


 部屋は2つだけど、と最後に愚痴をこぼすように言い添えて、ぷらぷらと先をゆくリーリアの背中を、アルバートはゆったりとした歩調で追いかける。


「『出る』といっても、任務さえ終われば帰るわけだけど……まあ、いいか。ほら、教会が見えて来た」


 微妙な距離感の2人が目指すその先に、村の中ではひときわ目立つ石造りの教会が、朝の気持ちの良い日差しを受けてそびえ立っていた。

 ひとまずは、ここを管理している司祭に会いたい。

 アルバートは、教会の前で1人落ち葉掃きをしているシスターへと歩みを向けた。

 

「すみません、シスター。私たちは巡礼の旅をしている者なのですが」

「それはそれは、この試練の時世に殊勝なことです。おふた方に、神のご加護を」


 真っ白な修道服に身を包んだシスターは、抱えていた草箒を足元に置いて、胸元で両の人差し指を交差させ祈りを捧げた。

 これが、この辺りの諸国一帯に勢力圏を持ち、アルバートもまた名を連ねる、フォルタナ教の拝礼方法だ。

 人差し指はそれぞれ「神」と「人」とを表し、これが交わる事で人は、世界は救われる。

 シンボルマークにもなっているこの「×字」が、教団の基本的な教えをこれ以上なく体現しているのだ。


 丁寧に拝礼してくれた彼女にアルバートも礼を返すと、さっそく司祭の所在を問いただした。


「立ち寄った記念に、ぜひ、ご教義を頂きたく。司祭様にお取次ぎ頂きたいのですが」

「司祭様でしたら、この時間は裏の畑にいらっしゃると思いますよ。角の小道から行けるので、直接お伺いしてみると良いかと思います」


 言いながら、シスターは教会の脇から伸びる細い小道を指し示す。


「ありがとうございます」


 手身近に礼を言って、2人は教えてもらった道へと足を延ばした。

 草を刈り取って人が通れるようにしただけのそれを抜けると、裏の畑にはすぐにたどり着いた。

 夏の野菜の時期はとっくに終わっているだろう。

 しかしながら、それほど大きくはない面積の農地の中で、金色の穂が風にゆれて靡いていた。


「きれい……」


 リーリアが目を丸くして、息を飲んだ。

 彼女が人生の大半を過ごすことになった王都では、美しい建造物や、商業製品の数々、沢山のきらびやかな人々、そういったものは幾度となく目にされて来た。

 しかしながらこういった農地や、森の中で開けた水場、清らかな川のせせらぎなど、自然の美しさというものに触れるのは、この旅が初めてのことだった。


 そんな金色の波の中で、あくせくと収穫を行っている影が1つ。

 アルバートは足元に注意しながら畑の中に入って行くと、うやうやしさを持って、一声を投げかける。


「すみません、こちらの教会の司祭様でいらっしゃいますか?」

「ええ。ええと……旅の方ですかな?」


 村人とそう変わらない着姿ですくりと身を起こした初老の男性が、頬に滴る汗を手ぬぐいで拭いながら、砕けた笑顔を浮かべていた。

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