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第28項 戦いの残滓

 カタカタ回る車輪につられて、ゆらゆらと左右に身体が揺れる。

 荷馬車特有の乗り心地に身を委ねながら、アルバートとリーリアの2人は、ほっと青く澄み渡った空を見上げた。

 ゆっくりと形を変える雲たちは、自分達の進行とは逆方向に流れていく。

 彼らの行く末には、想定外の苦労をしながらもなんとか越えて来た国境線の山。

 いや、今の情勢からすれば“元”国境線と言うのが正しい。

 そうでもなければ、こうやって武装した傭兵団を護衛につけたファルメアの商人馬車が、大手を振って街道を行くことなどできないだろう。


「本当に助かりました。見ず知らずの俺たちを快く乗せてくださって」

「いやぁ、構わんよ。目的地は一緒なのだし、出会った巡礼者をないがしろにしたって言うんじゃ、その方が神様にお咎めを食らってしまうよ」


 アルバートの言葉に、荷馬車の持ち主である商人は、恰幅の良い腹を撫でながら朗らかに笑って見せた。


「それで、ファルメアが築いた砦というのはどのようなものなのでしょう?」

「砦というよりは、もはや街に近いと聞いているよ。元々、国境防衛のために築かれていたオースロンの要塞を奪取して、その敷地をそのまま橋頭保としての野営地にしてしまったそうだ」

「要塞を……?」


 少なからず驚いたアルバートだったが、不意にローブの裾をぐいと引っ張られて、話の腰を折るように視線を向ける。

 見ると、リーリアが口を尖らせてじっとりとした視線を投げかけていた。


「お水ちょうだい」

「え? ああ、はい」


 皮水筒を荷袋から取り出して、彼女へと手渡す。

 ちゃんと受け取ったのを確認して、アルバートは改めて商人へと向き直った。

 リーリアはその後頭部をじーっと見つめて、尖らせた口をもっと突き出す。


「中は、どのような感じなのですか?」

「攻城の際に壊してしまった部分は多少みてくれは悪いが、傭兵達の手を借りて多少綺麗にはしているそうだ。そこにテントやらを立てて、一大野営地を築いたってわけだ」

「ファルメア軍は、王都の騒動の処理のためにあらかた引き上げてしまったと聞いていましたが」

「ああ。管理とオースロンの動向を監視するための一団を除いて、みーんな引き上げてしまった。だから、城やその周辺の守りは、そのほとんどを傭兵達で賄っとるそうだよ。だから、ほとんど傭兵の街と言っても差支えはないだろうね」

「傭兵の街……ですか」


 傭兵、と聞くとアルバートはあまり良いイメージを持っていない。

 国境沿いの村で出会った集団を思い出す、というのもあるが、そもそも国を守るなどの大儀名分があるわけでもなく、自分が飲み食いために人を傷つけ、殺すような集団だ。

 もちろん、そういう道を選んだのには個々に深い訳があるものとは理解しているが、それでもやはり、悪戯に人の命を奪うということは、彼にとってとうてい賛同できるものではなかった。

 

 一度、その話を同期の審問官にしたことがあったが、「何を綺麗事を言ってるんだ」と怒られた。

 だが、宗教家が綺麗事を言わずに誰がそれを説き、実践するのか。

 同期のいう事も現実問題正しいが、それでも譲れない信念は持つべきであるとアルバートは考えている。


「それよりも、グルグダン――ああ、その要塞の名前だ――から先は大丈夫かい? 小競り合いとは言え戦地のど真ん中で、当然、護衛の兵を連れて歩くわけにもいかないだろう。無事にオースロン本土に入れると良いが」

「それに関しては、オースロンの人々だって神の子です。あなたと同じように、寛大な心で持って受け入れてくださるものと、信じています」


 そう言って微笑み掛けると、商人はなんとも微妙な表情で眉を寄せながらも、それでも観念したように小さく笑みを返す。


「あなたの道だ、無理強いはしないよ。だが、忠告はしておいたから」

「はい、ありがとうございます」


 その時、ガタンと馬車が大きく揺れた。

 石か何かを乗り越えたかのような衝撃に、アルバートは思わず、過ぎてゆく街道へと視線を流した。

 道の上にぽつんと、何か棒のようなものが落ちている。

 それは、馬車の進行に合わせてどんどん小さくなっていき、やがてぼんやりとした輪郭しか分からない程度に小さくなってしまう。

 が、それから周囲を見渡して、あれが何であったのか何となく察しがついた。

 

 だだっ広い草原に、大量の武器が転がっている。

 剣や槍に、斧や槌。

 無造作に放り捨てられているものもあれば、墓標のように地面に突き刺さっているものも。

 どれも腐食が始まっていて、茶色いまだら模様をつけていたが、その多くが錆とは違う別の黒い何かで汚れているのが目に付いた。


 よく見れば、武器だけではない。

 沢山の骸もまた、いたる所に散見される。

 供養されることのない、名も知らぬ屍たち。

 もう何日も、何週間もこうしているのだろう。

 瞳にはとっくに希望の光はなく、永遠の闇を刻み込んだかのように濁りきっていた。

 

 そんな光景が、草原の水平線までいっぱいに広がっている。

 戦闘の痕跡。

 戦争の残滓。

 そして、それらをまるで締め出したかのように、巨大な城壁が進行方向正面の丘の上にそびえ立つ。

 

 石造りの重厚かつ長大な城壁は、大小いくつかの四角い塔を抱きながら、雄々しく、それでいて冷徹に、その姿を白日の下にさらしていた。


「ああ、見えてきたよ。あれが、“城塞の街”グルグダンだ」


 商人の声につられてアルバートの目は要塞の外壁を這う。

 その無機質な佇まいに、思わず彼の表情からもすっと感情が消えた。

 が、すぐに後方の草原に視線を戻し、両の人差し指を胸の前で合わせる。

 一人一人をちゃんと墓で供養する時間は、今の彼らには存在しない。

 だがせめて、安らかな眠りだけでも願い、アルバートは祈りを捧げた。


 そんな彼の横顔を、リーリアはどこか思い詰めた様子で見つめていた。

 だがすぐに視線を外すと、いつもの何食わぬ表情でグルグダンを見つめる。


「……っ?」


 変な悪寒が背筋を伝い、リーリアは小さく身震いしながらその肩を抱いた。

 《魔女》……?

 だけど、いつものとは違う。

 こんな距離から、僅かにでもその気配を感じることなんて今までありはしなかった。

 

 だとしたら、なんだろう。

 ただ、秋の寒気が肌を撫でただけ?

 漠然とした不安を胸に抱きながらも、通行手形を確認した門番兵に連れられて、馬車は城壁の門を潜っていく。

 

 それはまるで、悪魔の口の中に自ら足を踏み入れるような。

 そんな命知らずで、無謀な思いが、彼女の胸の内をぐるぐると駆け巡っていた。

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