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第24項 《追憶の魔女》

 アルバート達の目に最初に飛び込んで来たのは宙に浮かぶ花だった。

 白く巨大な花が3輪、柱頭をこちらへ向けるようにして並んでいた。

 花底からは、それぞれ葉を従えた何本もの茎が絡まり合いながら伸び、3輪のちょうど真ん中あたりで合流する。

 

 中央にある花輪と、アルバートは目があった。

 いや、厳密には目はないので、目があったような気がした。

 なるほど、それを頭だとすると、他の2輪は両の手のようにも見える。

 白いラッパのような形をしたその花は見たことのない形をしていたが、しいて言えば“《魔女》の花”とでも呼べばいいだろう。


 足はない。

 代わりに地面に向かって、だらりと太く歪な根が垂れている。

 これから大地に根を下ろそうというよりは、一生を縛り付ける大地に決別し、宙へ飛び立ったかのような、そんな印象を受けた。


「師匠のもとで、何度か《魔女》は目にして来たが……その中でも、ダントツで奇妙な姿だ」


 そう茶化すように口にしてみせながらも、アルバートの表情は険しく、緊張が汗となって頬をつたう。

 

 戦いやすさでいえば“分かりやすい姿をしていたほうがいい”。

 それは、いつしかアルバートが師に聞いた言葉だ。

 “分かりやすい”ということは、“何をしてくるかも分かりやすい”ということ。

 だからこそ、奇妙な姿をした相手ほど注意しなければならない。

 思いもよらぬ性質や手段で、こちらが後手に回ることが決まっているようなものなのだから――と。


「――だからと言って、指を咥えて眺めてはいない。そういう相手こそ先手必勝。それが師匠の教えだ……ッ!!」


 転がる《剣》を取り上げて、アルバートが床を蹴る。

 真っ暗な闇の中で、どれが床でどれが壁でどれが天上なのか分かりはしなかったが、少なくとも彼が今踏みしめているものがあるならば、それは床と言えるだろう。

 照準を付けづらいよう身を低くして、できる限り相手から見たら己の身が“点”と見えるように。

 あの花が何をもってこちらを知覚しているのか知る由はないが、分からないからといって手をこまねくのは愚の骨頂。

 知っても、知らずともと、倒す事に変わりはないのだ。

 

 《魔女》へ距離を詰めるアルバートは、再び彼女と目があったような気がした。

 それが反撃の前兆であることを彼は肌で感じてこそいたものの、飛び込んだ身体はもうどうしようもない。

 ただその一瞬に覚悟だけを決めて、《剣》を掲げあげた。

 

 その時、目の前に迫る3輪の花がゆらりと風に吹かれるでもなく揺れた。

 同時に強烈な甘い匂いがアルバートの鼻孔をくすぐり、思わず顔をしかめる。

 次の瞬間だった――


「――っ!?」


 アルバートは、自らの身に迫った灼熱に思わず身を屈めた。

 咄嗟に腕を引き寄せて、掲げあげた《剣》の薄い刀身を盾にするように、身体の正面で構える。

 そんなアルバートを、どこからともなく現れた灼熱の炎が包み込んでいた。


「うっ……ぐぅっ……っ!?!?」


 花なのに炎?

 理不尽な組み合わせに脳内で悪態を吐く余裕を無理やり作りながらも、アルバートはその肌をつたう炎の確かな熱に、苦悶の声を漏らした。

 焼ける痛みというものは、この世の中で最上の痛みだ。

 打撃のように肉体を鍛えれば軽減できるものではなく、斬撃のように鎧を着こめば防げるものでもない。

 熱というものは、どのような人間であっても等しくその身を焦がし、その焼け痕は、針のむしろに寝転がっているかのような拷問を当人に与え続ける。

 そしてそれを理解しているからこそ、アルバートの脳髄を駆け巡る痛みは想像を絶するものだった。

 

 咄嗟に身を投げ出して、まとわりついた炎を振り払うように床を転がる。

 そんな彼の様子を、《魔女》は追い打ちを掛けるでもなく、ただ愉快そうに眼下に眺めていた。


「アルっ! 何してるのっ!?」


 だからこそ、アルバートが地獄のような痛みに耐える様子に、リーリアは不可解そうに、そして叱咤するように声を張り上げた。

 彼女の目に、先ほどから炎は見えていない。

 目にしたことといえば、《魔女》へ駆けて行ったアルバートが不意に転んだかと思うと、うめき声を上げながら床をのたうち回っている光景だ。

 

 そんな光景に流石に不穏な気配を感じたのか、“只ならぬ何かがアルバートを襲っているに違いない”というその想いだけで、彼女は声を上げる。

 彼の危機を前にして、溢れていた嗚咽はいつのまにか止まっていた。


 そんな2人の様子を見比べて、《魔女》は小さく小刻みに、上下に揺れた。

 素面しらふのリーリアには、それが彼女の“笑い”なのだと分かる。

 転げまわる男と、不思議そうに眺める女と、そんな状況でそれを仕掛けた奴がすることなど、笑う以外にないからだ。

 

 声なき笑いを前にして、リーリアは鋭く魔女を睨みつけながらも咄嗟に辺りを見渡した。

 アルバートがどうなったのか理解はできないが、状況から推測はできる。

 おそらくあの《魔女》の“呪い”は幻術かなにか、それに類する類のもの。

 彼には、リーリアに見えていない何かが見えている。

 なら、まずはそれを覚まさなければならない。

 そしてそれは、今現在“呪い”に掛かっていない、彼女にしかできないことだ。

 だからこそリーリアは必死に探す。

 アルバートの「気付け」になる何かを。

 

 しかし、見つからない。

 いつもアルバートが身に着けているベルトポーチがあれば、中に気付けの丸薬はある。

 だが、あれはゲストルームに置いてきた。

 そして、この闇しかない中で、他にそれに準ずるものなど存在しない。


「だったら……!!」


 考える間も惜しいと、リーリアは駆け出していた。

 自分も呪いを受ける可能性なんてすぽんと頭から放り出して、アルバートのもとへと、《魔女》の足元へと駆け寄る。

 他に手段が思いつかなかった。


「アルっ……しっかりしてっ!!」


 彼女はアルバートを抱き起すと、腕の中で暴れる彼の身に起きた事を、ようやく直視することができた。


 服や身に着けたものに、目に見えた外傷はない。

 しかしその隙間から覗く彼の肌にはミミズ腫れのような、真っ赤な痕が幾重にも巡っていた。


「これって、いったい……」


 リーリアも状況が理解できず、とにかく力強くアルバートの身体をゆする。

 だが、彼はその傷が激しく痛むかのように、うめき声を上げるばかりだ。


 《魔女》はふらりと宙を浮遊したまま、2人の姿を取り囲むように、笑いながら周囲をくるくると回り始める。

 それが、子供の時にオニを囲んでくるくる回る遊びの様子に似ていて、リーリアは余計に気が立った。


「起きて、アルっ! 貴方が何をされているのか分からないけれど、それは現実じゃないわ! はやく、戻って来なさいっ!!」


 叫びながら、アルバートの頬をピシャリと叩く。

 彼はそれに反応してうっすらと目を開けるが、すぐに固く歯を食いしばって、身を抱えて悶絶してみせた。

 

「アルっ! お願いよ……アルッ!」


 リーリアは繰り返し、アルバートを呼びかけ続けた。

 僅かでも手ごたえがあった。

 だが、それでは足りない。

 彼の目を覚まさせるには、夢から冷めさせるには、そう――現実味が足りない。


 やはり他に方法を――焦りに満ちた表情で、アルバートを胸に抱いたままリーリアはもう一度周囲を見渡した。

 周りに何もないことは分かっているハズなのに、辺りを見ずにはいられない。

 もう一度見たら、何度でも見たら、今までなかったはずの場所に探しているものがあるかもしれない。

 子どもがなくした小物を探すため何度も同じ場所を見るように、無意味に、無作為に、追いつめられた視線を巡らせる。

 

 そんな彼女を前にして《魔女》はもう一度身体を小刻みに揺らして“笑う”と、その花をだらんと垂らして左右にゆらりゆらりと振る。

 そして、闇に溶けるような黒い粒子を、その花弁の内側からさらさらとまき散らした。

 粒子は音もなく、必死に策を考えるリーリアと、悶絶するアルバートを包み込む。


 そんな事はつゆとも知らず、リーリアがようやく己の危機を察したのは、たっぷりのはちみつを塗りたくったかのように、甘ったるい匂いが鼻から脳に突き抜けたのを感じた時だった。

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