第21項 鍵
それから、リーリアの足を気遣いながらも、2人は確かな足取りで館内を進む。
時折、薄気味悪い笑い声や、姿の見えない足音が2人を攻め立てる。
初めてそれを目の当たりにして、リーリアはどこか気味悪そうに身を竦めていた。
しかし、そんなもの気にならない様子でずんずんと進んでいくアルバートの堂々とした背中を見れば、少しずつそんな気は薄れていった。
「――ここだ」
やがて、アルバートの歩みが止まる。
彼の目の前には、大きな南京錠のついた扉が佇んでいた。
2階の突き当りにあった、あの閉ざされた部屋の入口だ。
「ここは……?」
リーリアが扉に近づき、その存在を確かめるようにそっと手を触れる。
すると、途端にビクンとその身体が波打って、ガタガタと肩を抱いて震えはじめた。
そうして、何かに縋るようにゆっくりと、アルバートを振り返る。
その瞳は、その先に満ちているであろう悪意に激しく震えていた。
「……アル。ここ……ビンゴ」
そう言葉を絞り出すと、先を譲るように扉から離れる。
入れ替わりにアルバートが扉へと近づいて、拳大はあるその南京錠をガチャリと掴みあげた。
初めて《剣》を握った時にも似たずっしりとした重みと共に、誰にも心を開きはしないという強い意志を持った冷たさを、手のひらいっぱいに感じる
それは文字通り、この館の正体をいつまでも愚直に守り続ける、重厚で愚直な門番のようであった。
「この館自体が《魔女》の“望み”なのだとしたら、『入れない部屋がある』というのがどうしても引っかかっていた。勿論、鍵は《魔女》自身が持っているのだろうけれど、だとしたらわざわざ鍵をかける意味は? 家人を入れないため、という可能性も考えた。だが、部屋の中からエミリちゃんらしい足音は聞こえた。鍵がかかっているのにどうやって……という謎は今は捨て置いてもいい。大事なのは、『家人は中に入れる』という事実だ。つまり“この鍵は家人のためにかけられたものじゃない”と言える」
「じゃあ、誰のための鍵なの?」
深呼吸をして落ち着きを取り戻したリーリアが尋ねる。
「俺たちのような、“部外者”を入れないための鍵だ」
アルバートはそう、断定した。
そして、ガチャガチャと構造を確かめるように持ち上げたり、裏から見上げたりと、鍵をいじくりまわす。
「きっと、部外者に見られたくないものがこの先にある。リリー、ちょっとこれ見てくれないかな」
アルバートが前を譲ると、リーリアは言われるがままに扉に近づいて鍵に手を触れた。
その瞬間、彼女ははっきりと眉を潜めた。
「……これ、ただの鍵じゃないわ。おそらく《魔女》の呪いによるものよ」
「やはりか、ありがとう。立て続けに悪いけど、また少し下がってくれるかな」
リーリアは頷いて、そそくさと扉から離れる。
入れ違いに再びアルバートが鍵と対峙して、その鍵穴とにらみ合った。
大きな南京錠についた大きな鍵穴。
この穴に入る鍵を創り上げるには、いったいどれだけの想いを重ねればよいのだろうか。
アルバートにそれに勝る想いがあるのかは分からない。
しかし異端審問官として、《魔女》を裁くためにも、扉を開け放たなければならない。
彼は慣れた動作で《剣》を引き抜いて、その切っ先を鍵穴に優しく突き入れた。
「《剣》は《剣》、そして《鍵》だ。その扉、開かせてもらう」
そうしてゆっくりと、本当に鍵を差し込んでいるかのように、切っ先を刺したままの《剣》をひねった。
鍵穴はもちろん、己を侵略する異物に抵抗する。しかし、それを《剣》から放たれた青白い光が遮った。
光は隙間を埋めるように流れ込み、少しずつ、少しずつ、鍵穴の中を満たしていく。
そしてやがて穴が光でいっぱいになった時、《剣》は、まるでそれが正しい鍵であるかのように、なんの抵抗もなくひねられた。
ガコンと重い音がして、大きな鍵が咥えて離さなかったその口を開く。
存在意義を失ったそれは、やがて初めからそこになかったかのように、光の粒子となって消えていった。
「――これでよし、だ」
アルバートは《剣》を鞘へと納めると、背後に軽く目配せをする。
そこにいたリーリアは何とも言えない思い詰めた表情を浮かべていたが、それでも小さく頷き返してくれた。
それを見届けて、アルバートは広い観音開きのその扉を押し開いた。
開かれた扉の先は真っ暗な闇が広がっていた。
しかし、肌に触れるひんやりと冷え切った夜の空気が、少なくとも普段使いされているのであろうその生活感を、微塵も感じさせなかった。
アルバートはもう一度《剣》を抜き放つと、柄を握る拳を胸元に引き寄せ意識を研ぎ澄まし、刀身を光で包み込む。
そうして、輝きを持った《剣》で目の前を飛ぶ虫を払うように、横一文字に闇の帳を引き裂く。
その切っ先から文字通り霧が晴れていくかのように、ぶわっと光が部屋中に溢れた。
やがて光が部屋をまるごと包み込むと、青い炎に照らされたかのような幻想的な空間の中で、《魔女》の“心臓”が露となっていた。
そこは、先に感じた通りにまるで生活感のない、ただただよく開けた空間だった。
ゲストルーム2個分はありそうなほどに広い面積に、目に付いた家具は1つもない。
椅子も、テーブルも、ベッドも、タンスもない。
棚や本棚はおろか、窓すらも存在しない。
とはいえ、物置というでもなく、掃除も行き届いているのか埃っぽさは微塵も感じさせない。
“扉のついた箱”。
それが、この部屋を形容するのに最も適した言葉だろう。
しかし、その部屋の中には何もないわけではない。
まず花だ。
床いっぱいを敷き詰めるように、大量の花弁が部屋中を飾っていた。
次に、向かって突き当りの壁に大きな「×」の聖印。
それもまた、色とりどりの花でパッチワークのように彩られている。
その光景はまるで聖誕祭の日の、教会の祭壇のようだとアルバートは感じた。
ただ、聖誕祭のそれとは似ても似つかない“異物”が、まるでその部屋の主であるかのように物言わず、それでいて堂々と横たわっていた。
「これは……どういうことだ?」
「さ、さぁ……」
アルバートもリーリアも、その現実離れした光景に思わず大真面目に首をかしげる。
花でいっぱいの祭壇にまるで捧げる――いや、この祭壇はきっと、それらのためにこそ作られている。
“棺”。
花びらのなかに埋もれるように、包まれるように、3つの黒塗りの棺が、綺麗に「川」の字に並んでいた。
それを見て、アルバートは“聖誕祭のよう”と感じた自分の認識を改める。
この花は決して“誕生”を祝うものでは決してない。
そう、これは――
――死者を偲ぶ、“葬送”の花だ。
そしてこの時、異質な部屋の光景に目を奪われていた2人には、廊下側から近づく人の気配など微塵も意識する余裕がなかった。
だからこそ、その人物が、まるで窓の隙間から迷い込んだ害虫を見るかのような冷酷で残酷な瞳でもって2人を見つめ、開いたままの扉に手を掛けたのなど、気づきようもなかった。
2人がようやくその大きな失態に気付くのは、蝶番の軋む音と共に、扉が閉まりきった時。
そして、あの大きな大きな南京錠の閉まるガゴンという乾いた金属音が、無慈悲にも扉の外から響いたのを聞いた時だった。




