第1項 アルバートとリーリア
どうすれば《魔女》は生まれなくなるのだろう。
ここ最近のアルバートは、暇さえあればそればかり考えていた。
そもそも、《魔女》ばかりがこの世の全ての憎しみの担い手となっているわけでは無いが、《魔女》は必ず誕生と共に不幸を引き連れる。
不幸とは、すべからく憎しみを生むものだ。
「アル、そろそろ晩ご飯にしない? お腹がすいたわ」
ノックもなく開かれた扉の先に、空色の髪の少女がひょこりと顔をのぞかせた。
「リリー、頼むからドアを開ける時はノックをしてくれないか」
突然の来訪者に悪態をつきながらも、椅子の背もたれに掛けていた濃紺のローブをひっつかむ。
一方のリーリアはドアの枠に背中を預けながら腕を組んで、アヒルのようにつんと口を尖らせた。
「だって、アルが部屋を2つ取るんだもの。相部屋にしていたら、そもそも必要の無かったノックでしょう?」
「相部屋を取るという前提にある事が、まず分からない」
「その方が倹約的じゃない。それに、年頃の娘を見ず知らずの村で独りにさせる気?」
「長旅中、不自由をしないだけの資金は賜ってる。それに、この辺りはまだギリギリ、国教会の勢力下だ。そうそう下手な事は起きやしないさ」
アルバートは襟元についた×字の留め具を合わせると、壁際に立てかけた100数センチほどの長さがある細身の剣を、ローブの合わせからするりとベルトに下がった留め具に差し入れた。
「もしも下手な事が起きたら、アルが身体をはって助けてくれる?」
身支度を整えて向かって来るアルバートを、リーリアは試すような流し目線で迎え撃つ。
アルバートは入口を占領する彼女の前に立ち止まると、少し伸びが目立ってきた前髪から覗く額を、右手の人差し指と中指で撫でるように掻いた。
「人間相手でさえなければね」
その答えにリーリアは不満そうに溜息を吐くと、ドア枠から身を離して真正面からアルバートを見上げた。
「ちょっと前までは、あんなにちっちゃかったのに」
「男の方が成長は遅れるものだろう」
「生意気」
そう言って踵を返すと、彼女は板の間の廊下をコツコツブーツの底で打ち鳴らしながら先に行ってしまう。
しかし、途中ではたりと足を止めると、ダンスを踊るようにくるりと踵を軸に振り返って、流すように揃えた自分の前髪を指でちょんとつまんで見せた。
「髪、後で揃えてあげるから」
「ああ、助かるよ」
アルバートが小さく肩を竦めると、リーリアは満足げに頷いて、廊下の先にある階段をトントンと軽快に降りて行った。
揺れる後頭部のお団子を眺めながら、アルバートは後ろ手に部屋のドアを閉める。そして自らも下階の酒場を目指しながら、果たして自分達はどういう連れ合いに見えているのだろうかと、考えを巡らせていた。
兄妹?
恋人?
アルバート達くらいの年齢なら、夫婦という可能性もない訳じゃない。
むしろ、そういった風に見られているのなら、部屋を別々に取るというのは逆に注目を浴びてしまうのではないだろうか。
リーリアの抗議を改まって検討してみたアルバートだったが、やはり答えはノーだった。
実際問題、そういう関係ではないのだから、やはり部屋は別々に取るべきである。
そもそもこの旅も、対外的な名目は『諸国の聖人ゆかりの地・巡礼の旅』にしようと2人で話し合って決めていた。
巡礼者とその付き人、という事なら、やはり部屋は別々が正しい。
2人は血縁関係も婚姻関係もない、赤の他人なのだから。
任務の都合上、あまり目立ちたくはなかったが、その上でも礼節というものは弁えなければならない。
アルバートは、断固とした意志でもって、自分の出した答えを信頼することにした。
酒場まで降りると、むわりとした湿気と熱気、そして活気がアルバートを出迎えた。
この小さな村では他に娯楽も無いのだろう。
同じような旅人と思われる個人や連れ合い、商人らしい身なりの者たち、それと武装した男達の集団が一角を陣取るようにして大宴会を開いていた。
武装集団は、見たところどこかの兵士――と言うにはあまりに急ごしらえで、清潔感の無い恰好をしている。大方、ここ最近の戦争で身を立て始めた、傭兵か何かだろう。
リーリアは武双集団から少し離れた四人掛けのテーブルで、待ちくたびれたように頬杖をつきながら足をぶらぶらさせていた。
そうして、アルバートの姿を見つけると、お決まりの口をとんがらせながら、ダンダンとテーブルを平手で叩いてみせた。
「おっそーい! 上から降りてくるのにどれだけ時間掛かってるの!?」
「すまない。考え事をしていてさ」
「考え事って何よ」
彼女の向かいに座りながら、質問に対してアルバートは適当に笑顔で誤魔化した。
部屋決めに関して考えていた、なんて口にしては、またさっきの話を蒸し返すに決まっているからだ。
「すみません。エールと、彼女には水にレモの実を絞ったものを」
「ちょっと、なに勝手に注文してるの!」
アルバートがカウンター越しに忙しなく働く女将に注文を届けると、リーリアがその頭を小突いた。
「痛いな、何をするんだ」
「なんで私は水なわけ? エールくらい飲めるわよ」
「飲めるのと、飲んで良いのとじゃ違うだろう。“聖職者”として、些細な罪でも見逃すわけにはいかないな」
「むー」
アルバートが“聖職者”という単語を強調すると、リーリアは椅子に深く腰掛けて、口惜しそうに頬を膨らませた。
やはり彼女を黙らせるにはこれが一番だと、アルバートは心の中で得意気になる。
「おうおう、なんだい、お熱いねぇ」
不意に下品な笑い声が聞こえて、2人ははたと視線を上げた。
そこには見るからにべろんべろんに酔っぱらった武装集団の1人が、アルバート達のすぐ傍で、握りしめた樽ジョッキを煽っていた。
「なんだぁ、こんなご時世だってのに、若い男女2人連れの旅たぁ、焼けるじゃねぇか」
よっぽど深酒をしているのか、ギリギリ聞き取れるかどうか程度の呂律で、2本の足でまともに立っていることもできず、男は2人の間に肘をつく。
関わり合いになりたくはなかったのに。
アルバートは心の中で溜息をつきながら、ちらりとリーリアの表情をうかがった。
彼女はこれでもかと言うほど口をへの字に曲げて、眉間に大きな縦皺を作っていた。
「すみません。俺たちは巡礼の旅をしているもので……その、想像されているような関係ではないんですよ」
彼女の不満が爆発する前に、アルバートは状況を治めるべく言葉を挟む。
そのハズだったのに、彼がそう口にした瞬間、リーリアの眉間の皺が二本に増えた。
「そうかいそうかい、それはご苦労なこって。それじゃあ、あれだ、お嬢ちゃんは俺たちと一緒に飲んでくれたってかまいやしないってぇことだな」
「ああ、なるほど。そういう」
もしもリーリアがそうしたいのなら、アルバートに止める理由はない。
男もそれを良しとしたのか、本格的にアルバートのことなど背を向けて、リーリアを口説くのにご執心となる。
が、彼女の眉間に三本目の皺ができたのを見過ごすわけにもいかず、これ以上騒ぎが大きくなる前にと、アルバートは再度、間に割って入っていた。
「すみません。今日は勘弁して貰えないですかね。長旅で彼女も疲れているみたいですし」
立ち上がり、テーブルから距離を置くように、あくまで優しく、男の胸板を押しのける。
「なんだぁ、そういう仲じゃねぇってんなら、てめぇはすっこんでな。これは俺とその嬢ちゃんの問題だ」
「言いたい事は至極ごもっともなんですが、旅の連れの手前、そうとも言えないもので」
「てめぇ、すっこんでろって言ってるのが分からねぇのかよ!」
酔っ払いに何を言っても無駄なもので、男はドスを利かせた声を張り上げながら、その屈強な腕でアルバートのローブの襟元を掴みあげた。
「あん……なんだぁ?」
かと思えば、次の瞬間には自分の足元に視線を落としながら声を潜める。
捻り上げられて、ひらりと捲れたローブの先から、腰に下げたアルバートの剣が顔を覗かせていたのだ。
「巡礼っつうからどんな野郎かと思えば、てめぇもどっかの腕っぷしかよ。じゃあ、話ははえぇ」
男はアルバートから手を放すと、樽ジョッキを足元に投げ捨てて、コキリと拳を鳴らしてみせる。
「意見がぶつかったんじゃぁしょうがねぇな。力づくで、ケリをつけるしかねぇだろう?」
瞬間、それまで静かだった周りの野次馬からやんややんやと盛り立てる声が飛び交った。
武装集団はもちろんの事、商人らしき男達も、怪訝な表情を浮かべつつ、懐から出したコインを卓上に並べ始める。
「いや、そういうのはちょっと……」
アルバートは弱った様子で、男から引け腰に距離を取る。
彼は、兵士や傭兵といった類の人間が得意では無かった。
何かいざこざがあった時に、必ずこうして腕っぷしでの決着を迫られるからだ。
「立派なもんぶら下げといて、怖気づいたのかぁ? だけどすまねぇな。ギャラリーの皆さんも、このままじゃ収まりつかねぇってよ。なぁ、てめぇら!?」
男が聴衆を煽ると同時に、口笛や奇声が一斉に飛び交う。
状況は避けられなかった。
「そっちが来ねぇってんなら、こっちから行くぜぇぇぇぇぇぇ!!」
助走をつけて、男が拳を振りかぶる。
男の拳の動きが、彼の瞳にはくっきりと映っていた。
10年間、何度となく打ち込まれて来た、師匠の拳より何倍も遅いその一撃。
アルバートは目を見開いて、それから歯を思いっきり食いしばった。
拳に力をいれ、足でぐっと床を踏みしめる。
次の瞬間――
――木の葉のように吹き飛んだアルバートが、机や椅子を蹴散らしながら、酒場の床を転がっていた。
拍子抜けの展開に、あれだけ盛り上がっていたハズの店内が静寂で満たされる。
流石に一発で終わると思っていなかった男も、驚きに満ちた表情で、自分の拳と、仰向けに寝転がるアルバートとを見比べていた。
「――おい、その辺にしておいてやれ!」
武装集団の上座に座る男の声が、沈黙の支配する店内に高らかに響いた。
見るからに他の男達よりも身なりの良い、おそらくこの集団を率いる存在なのだろう。
「明日は日の出と共に出発だ。今夜はこのくらいにしておこう」
「へ、へい……」
頭の言葉に連れられて、納得いかない様子ながらも集団もろとも、男は店から立ち去って行く。
一気に密度の減った店内で、ようやくアルバートは、よろよろと上半身を起こしてみせた。
「いたた……あの男、威力だけなら師匠に並ぶな」
大きくあざになった頬を撫でながら、唇の端から漏れる血をローブの裾で拭う。
「また、やり返さなかったのね」
背もたれを胸に抱えるようにして座るリーリアが、呆れたようにアルバートを見下ろしていた。
あれだけあった眉間の皺は、いつの間にかなくなっていた。
「闘いは、互いに憎しみ合うからこそ発生するものだ」
立ち上がってローブの埃を払ってから、アルバートはそそくさと散らばった机や椅子を元の位置へと片付け始める。
彼が何事もなさそうなのを確認すると、残った客たちもそれぞれの会話に戻っていった。
「俺は人間とは闘わない――俺は、人を憎まない」
己の中の誓いを噛みしめるように、アルバートは一字一句丁寧に口にする。
「そっ……アルのそういう所、好きよ」
今までの不機嫌そうな様子からは一転、口元にうっすらと笑みを浮かべながらリーリアはアルバートの背中を愛おしそうに見つめていた。
「――そうじゃなきゃ私、アルの傍にいられないもの」
“罪を憎んで、人を憎まず”。
アルバートが命を救われた時、彼の生きる道を照らした恩人が教えてくれた言葉だ。
それが10年前のあの日から、アルバートの心のより所となっていた。
アルバートとリーリア。
周りの人々に2人の姿は、いったいどういう関係として映っているだろう。
――彼は今、自らの家族を奪った少女と共に旅をしている。