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第17項 おにごっこ

 緑色に輝く瞳はきょろきょろと忙しなく部屋の中を物色していたが、やがてアルバート達の方を向いたままぴたりと止まる。

 そのまま、声を掛けられるのを待っているかのようにぴくりとも動かなくなった。


「……ええと、エミリちゃんでいいのかな?」


 アルバートがいくらか警戒を解いて語り掛けると、エミリは扉の先からぴょこんと部屋の中へ飛び出した。

 彼女はしばらくもじもじとスカートの裾を揺らしていたが、やがて囁くような声で呟く。


「……おにごっこ」

「え?」


 虚を突かれたその言葉に、2人は思わず目を丸くする。


「ええと……おにごっこで遊びたいということかな?」


 アルバートが反芻はんすうするように聞き返すと、エミリは小さく、しかしながらはっきりと頷いてみせた。

 突然の申し入れをどうしたらよいものか、少しだけ首をひねったアルバートだったが、すぐに優しい笑みを浮かべてコクリと頷き返す。


「わかった。あんまり遅くならない程度にだけど、俺と遊ぼうか」

「アル……!」


 リーリアが何かを訴えかけるような目で、アルバートの名を呼んだ。

 だが、アルバートは「心配いらない」とでも言いたげに、首を横に振る。


「リリーはここで休んでて。俺のポーチを置いていくから、もし何かあったら中にある聖水を撒いて、大声で呼んでくれ。それで、助けに戻るくらいの時間は稼げるはずだから」

「いや、だけど……」


 心配しているというよりは心細そうにしてうつむくリーリアに、アルバートも流石に困ったような笑みを浮かべた。


「ついでに館の中を見回っておけるチャンスだ。それに、無茶をしたらどうなるかは村でリリーに教えてもらったよ」


 そう言って、服の上から決して厚くはない胸板をとんとんと叩いて見せる。

 それでようやく、それでもしぶしぶといった様子で、リーリアは頷いた。


「おまたせ、エミリちゃん。鬼はどっちがいいかな」


 エミリへ向きなおって尋ねると、彼女はアルバートの顔を何も言わずじっと見つめる。


「俺……ってことでいいのかな?」


 言葉を察して口にすると、エミリは肯定も否定もしないまま、ばっと扉も閉めずにゲストルームから飛び出していった。

 ぱたぱたと、どこかおぼろげな足音が、どんどんと遠のいていく。


 アルバートはベッドの上のシーツを引っ掴むと、それで《剣》をぐるぐると巻いて握り締めた。

 よく見ればすぐに武器だと分かりそうなものだが、剥き身のまま持ち歩くよりはいくぶんマシだろう。

 

「それじゃあ、行ってくるよ」

「……ええ」


 そうして、どこかまだ納得しきっていないリーリアを横目に、彼も館の廊下へと足を踏み出した。

 

 ゲストルームを出てすぐの廊下は、とにかく静かなものだった。

 アルバートは突き当りの部屋の扉を背に、長い廊下をずっと、反対側まで見渡す。

 階段を過ぎた対岸の廊下には、まだ足を踏み入れたことがない。

 ただ、おそらくはアーケン一家の私室が連なるのであろうことは、食後にリドル達がそちらの方へ上がって行ったことから容易に想像できた。


「さて、どこへ行ったものかな……?」


 だだっ広い廊下で、アルバートは小首をかしげる。

 先ほどの音を聞いた限りでは、近くの部屋へ入ったようには思えない。

 であれば、向こう側の部屋か、はたまた階段を下りて一階へ向かったのか。


「これじゃあ、『おにごっこ』というよりは『かくれんぼ』みたいだな」


 アルバートも、小さい頃に家の中で兄弟姉妹とおにごっこをして遊んだ記憶は多々ある。

 限られた敷地の中を最大限に生かすため、またすこしでも捕まる可能性を減らすため、結局はかくれんぼのようにどこかへ身を潜めるのが、屋内の遊戯では常套手段だ。


「とりあえずは、下の階から回ってみようか」


 立ち止まっていてもらちはあかない。

 アルバートは、鬼というには優雅すぎる足取りでゆったりと、軋む廊下を歩きはじめる。

 歩きながらふと、そういえばこのゲストルームの両サイドの部屋は何なのだろうと考えた。

 順当に考えれば突き当りの部屋はまだしろ、隣の部屋は同じようなゲストルームなのだろうか。

 しかし、使える部屋は1つだけだと、館に入った際にアニーが言っていた。

 であれば、別の使われ方をしているのだろうが……エミリが入った可能性が無いのならば、“鬼”としてはそこに立ち入る理由はいまのところない。


 先ほどリーリアに言ったように、館の中を堂々と散策するというのがエミリの誘いを受けた一番の理由として間違いない。

 とはいっても“鬼”は“鬼”として、その責務は最大限に果たさなければならない。

 それは建前とはいえ、幼い少女との遊ぶ約束をないがしろにできないということであり、約束を守るということはアルバート自身の信条でもあった。




 手すりを伝って幅の広い階段から一階を目指す。

 食事を終えれば、おおむね消灯の時間なのだろうか。

 煌々と輝いていた燭台の蝋燭は、既に小指の第一関節ほどしかなくなっており、最後の灯火をか細く燃やしているだけだ。

 

 心なしか、館全体も暗く冷たい空気に覆われているような気がして、アルバートの足取りは自然と重くなった。

 歩みを進める度に、ギシギシと木造の階段が歯ぎしりのような音を立て、誰もいないエントランスの高い天井で、不気味な笑い声のようにこだまする。

 それはまるで、自分がオペラホールの舞台のセットを下りているみたいで、そのヘタクソな演技に観客が嘲笑の声を上げているかのように聞こえた。


 もちろんそれはたとえ話だが、どこかから誰かに見られているような気持ちの悪い感覚を、この時のアルバートは確かに感じていた。


 倍ぐらいの時間を掛けた気分になりながらも、エントランスの絨毯の上にたどり着いて、用心深く周囲の様子を伺う。

 見渡す限りでは、エミリの小さなシルエットを含めて、人影は1つも見当たらなかった。


 エントランスの扉は左右に2つずつ。

 1つは、先ほどアーケン一家と共に夕食を取った食堂。

 残りの3つは見当がつかないが、館という作りからすればうち1つは来客用の応接室だろうと、アルバートは軽くあたりをつけていた。

 

 さて、どこから巡ったものか。

 セオリー的に考えて、“捕まったら負け”というルールにおいて狭い部屋に入り込むのはナンセンスだ。

 仮に見つかった時に、逃げるためのルートが大きく限られる。

 となれば、広く、かつ机や椅子があって身を隠す場所が多いところ。

 食堂か、まだ見ぬ応接室あたりが妥当だろう。

 

 そんな事を考えながら、ひとまず見知った食堂の階段へ向かおうとした時、アルバートの視線は、別の部屋の扉から漏れる光に吸い寄せられた。

 光がある――という事は、誰かがいるのだろう。

 見比べるように食堂の扉へ目を向ける。

 こちらからは、光は漏れていない。

 

 果たして、あのくらいの年齢の子が、夜中に真っ暗な闇の中に身を潜めるだろうか?

 自分があのくらいの年齢だった時のことを思い返してみると、「それは無い」と言い切れるだけの確証はあった。

 アルバートは踵を返して、光の漏れる部屋へと歩み寄る。

 シーツに包んだ《剣》を胸元に抱え、そっと扉の外から聞き耳を立てて中の様子を伺う。


 灯りをともしているのだから当然だが、中には人が動く気配があった。

 大人数ではない1人……多くても2人。

 何の部屋なのか、何をしているのか、この状態では全く見当はつかないものの、時折聞こえるぴちゃぴちゃとしたはねるような水音が、中に水場がある事を想起させた。

 

 遊戯中とはいえ、他人の家を我が物顔で闊歩かっぽしている事に変わりはない。

 エミリに気付かれてしまうことはやむなしとしても、アルバートはシンプルな造りの扉を軽くノックする。

 返事はない。

 もう一度繰り返した後に、それでも返事がないことを確認すると、意を決してドアノブに手を掛けていた。

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