第16項 《魔女》一家
タンスに用意してあった礼服から、適当に背丈に合うジャケットを頂戴して、アルバートはアニーの案内で、館の食卓に腰を下ろしていた。
隣には、同じく自分に合った白いドレスに身を包んだリーリアが幾分緊張した様子で座る。
その緊張は、館に潜む《魔女》を警戒してのものか、不慣れな夕食会に出席することになってしまったからか。
おそらくは、その両方だろう。
アルバートはこういう席こそ慣れたものだが、やはり《魔女》の存在は気にかかるところで、物腰こそ柔らかながらも、どこか気持ちを張った様子が表情に現れていた。
「よくおいでくださいました。ええと……」
長テーブルの最奥。いわゆるお誕生日席に腰かけた3~40代ほどの紳士が、アルバートらへにこやかにほほ笑み掛けながらもわずかに言葉を濁す。
傍に控えていたアニーがそそくさと彼のもとに駆け寄って、ひっそりと耳打ちすると、紳士は大きく頷いてみせた。
「アルバートさん、リーリアさん。こうしてこの館を訪れたのも何かのご縁、一晩かぎりと伺っておりますが、その一晩、是非とも懇意にし、大いに語らいましょう」
「宿だけでなくこのような席までお呼びいただき、言葉もございません、リドルさん。一宿一飯の恩義は、決して忘れることはありません」
紳士の親切に、アルバートは慣れた所作で恭しくお辞儀を返す。
この館の主リドル・アーケンの名は、食堂までの道すがらアニーから仕入れていた情報だ。
そして、アルバートから見て彼の左前側に座る慎ましやかな女性が彼の妻のハンナ。右前側に座る年端も行かない少女が娘のエミリ。
彼ら3人に、幾人かの使用人を加えたごく少数がこの森の屋敷の住人であるという。
「ぜひ、旅のお話などお聞かせください。なにぶんこんな所に住んでいるものですから、たまに街へ下りるとは言っても、外の話は常に新鮮なものです」
「ええ、もちろんです」
アルバートは、ざっと自分達の旅について説明をする。
もちろん、先の村の時と同じように全てを口にはしない。
巡礼の旅として、聖地イリザンドを目指している――そんな、うわべだけの情報を過不足なく語り上げた。
その間、アニーが食事の配膳をしてくれる。
運ばれてくるのは決して旅先の宿や酒場では口にできないような、凝った料理の数々。
野菜がたっぷりのスープや、少し獣くさいが柔らかい赤身のステーキ。ふかふかのパンに、色とりどりのフルーツ――などなど。
こんな山奥に、よくこれだけの食材があるものだと感心しながらも、肝心の味は2人とも緊張のせいなのかよく分からなかったというのが本心だった。
仕方がないとはいえ、どうせなら何の憂いもなく味わいたかったものだと、アルバートは心の中で小さく溜息を漏らす。
「リドルさんはなぜこのような山奥にお住まいを? 流石に別荘……のようには見えませんが」
アルバートは単刀直入に尋ねると、彼は苦笑しながら葡萄酒の入ったグラスをあおった。
「ここは元々、私の父が余生のために建てたものなのです。しかしながら、完成した矢先に父には天寿が来てしまいました。元の家から引っ越す前のことでしたので、売却も視野にいれていたものですが、このような立地で買い手がつくわけもなく、せっかくだから――と、当初の予定通りに住むことにしたのですよ」
「ご不便ではないですか?」
「住めば都と申しますか、静かで空気もおいしく、山には新鮮な食物も溢れている。街から数日おきに商人も来させておりますし、お考えのほど不便はありませんよ」
「街から、ということは街道があるのですか?」
「街道と呼べるほどの整備はされておりません。ですが、オースロン方面へ下りるための私道のようなものはありますよ」
その言葉を聞いて、アルバートは1つ大きな肩の荷がおりたのを感じた。
少なくとも、現在位置が分からずオースロンへ下りられないという最悪の事態は回避できそうだ。
「こら、エミリ。お客様の前ではしたないでしょう」
不意に、ハンナの静かながらも厳しく諭すような声が食堂に響いた。
何のことかとアルバートが視線を向けると、エミリはお皿の上の切り分けられた肉片を、フォークを使うでなくお皿へ直接口をよせて、犬が餌をがっつくように、はむはむと租借していた。
彼女は怒られてバツが悪そうにしながら、ごしごしと口元についた油をナプキンで拭うと、慣れない手つきでフォークを肉片に突き立てる。
「すみません。自然の多いおおらかな場所で育ったせいか、なかなかマナーが行き届かず……」
「いいんですよ。我々も、気にする程マナーに長けているわけではありませんので」
面目無さそうに頭を下げたリドルに、アルバートは小さく首を横に振る。
それからもうしばらくリドルに尋ねられて旅のことや外界のことを語り、食事会はつつがなくお開きとなった。
館の主人はいろいろな面白い話を聞くことができたのか、実に満足そうな表情で握手を求め、2人がゲストルームへ帰っていくのを家族総出で見送ってくれた。
「それでは、何か御用がありましたらなんなりとお声掛けくださいませ」
再び部屋へと案内してくれたアニーは、そう言い残して部屋から立ち去った。
ゲストルームにはアルバートとリーリアが2人きりとなる。
アルバートは緑色の布張りの椅子に、リーリアはベッドにそれぞれ身を任せながら、神妙な顔つきで天井を見上げた。
「リリー……それで、どうだった。ここの家族と会ってみて」
「どう」というのはもちろん、《魔女》に関しての事だ。
リーリアもそれは分かっているのか、ぼふんとベッドに身体を投げ出しながら、しかしどこか不安げに口を開いた。
「ねぇ、アル。今から変なこというけれど……笑わないで聞いてくれる?」
「俺がいつ、リリーの事を笑ったことがあるかな」
アルバートが優しく諭すと、リーリアは「それもそうね」と言って、そのまま言葉を続けた。
「それが呪いのせいなのか、それとも……本当にそうなのか、私には全く分からないわ。だけど、これだけは確かに言えるの――」
――この館の人たち、みんなから《魔女》の気配を感じるの。
リーリアのその答えは、今直面している敵が想像以上に“やっかいな相手”であることを物語っていた。
まだ《魔女》の尻尾どころか輪郭すら掴めてはいない。
だというのに、館中の人間を既に人質に取られているような、そんな認識すら彼らに覚えさせた。
アルバートは深く息を飲み込むと、壁に立てかけていた《剣》を静かに手元へと手繰り寄せる。
流石に招待された食事の席に、見るからに武器である《剣》を持ち込むわけにはいかない。
ただこれ以上、少なくともこの一晩は、もう《剣》を肌から離すこともまたできないのだ。
その時、突然ドアがノックされて、アルバートは椅子を倒しながらも咄嗟に立ち上がると、鞘ごと《剣》を腰に構えて柄を握り締めた。
リーリアもまた弾かれたように、ベッドの上で身を起こす。
2人の意識が集中するその先で、金属の軋む音を響かせながら扉が風に吹かれるかのようにゆっくりと開いていく。
そうして半分ほど開いた時――その隙間から、大きな2つの瞳が部屋の中を覗き込んでいた。




