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第15項 山奥の魔館

 不測の事態に備え、一度リーリアを離れた場所に下し、改めて重厚な扉の前に佇むアルバート。

 右手はローブの合わせから懐に差し込み、《剣》の柄を優しく包み込む。

 そして意を決し、もう片方の手で獅子のレリーフが咥える分厚い輪を力強くドアに打ち付けた。

 すぐさま一歩身を引いて、すぐに動き出せるよう足を開き、腰を静かに落とす。

 僅かな時間を置いて、内側からノブがゆっくりと回るのを確認して、彼は大きく息を飲んだ。


「――どちら様でしょうか?」


 僅かに開かれたドアの先から顔を覗かせたのは、栗色の髪をアップに纏めた1人のメイドだった。

 アルバートは、バッとリーリアの方を振り返る。

 彼女は不安そうな表情で小さく首をかしげながら、「分からない」と言いたげに首を横に振った。


「夜分遅くにすみません。旅の者なのですが、連れが怪我をしてしまいまして……御厄介でなければ、一晩宿をお貸し頂ければと」


 アルバートは警戒を解かないままながらも背筋は正して、メイドに事情を説明する。

 彼女は、アルバートの後方で待機しているリーリアに目を配ってから、「少々お待ちください」と言って、一度扉を閉ざした。

 

 2人が数分ほど待たされた後、扉は再び開く。

 先ほどとは違ってめいいっぱい開け放たれた扉の先で、先ほどのメイドが深くお辞儀をして出迎えてくれた。


「お待たせいたしました。主人のお許しを得ましたので、ご案内いたします。こちらへどうぞ――」


 そうして、柔らかい物腰とにこやかな笑顔を交えて、彼女はアルバート達を館の中へと招き入れた。

 

 入ってすぐに、大きな吹き抜けのエントランスがアルバート達の頭上一杯に広がった。

 赤いカーペットの敷かれたその空間は、落ち着きのある木造で、決して豪華絢爛とは言わないが、各所に施された植物模様のパターンが、館の主のセンスの良さを感じさせる。

 1階部分には左右に扉が2つずつ。

 正面には二階へ繋がる大きな階段。

 その先には左右に廊下が連なっているのが見える。

 至る所に火の灯った燭台が設置してあり、夜中にも関わらずエントランスは昼間のように明るかった。


「こんな山奥なのに……すごいお屋敷ね」


 《魔女》の感覚にまだ慣れきっていないリーリアは、アルバートに抱えられながら空間の隅々まで視線を巡らせていた。

 アルバートも、彼女のつぶやきはもっともだと思った。

 山奥にあるには、あまりに過ぎた代物だ。


「こちらです。お履き物も濡れていらっしゃるようですので、足元には十分お気を付けください」

「あ、ああ……ありがとうございます」


 状況と空間のギャップに調子を掴めず、アルバートは気おくれしたような返事を返す。

 メイドの案内で案内されたのは2階左奥の部屋。

 2階は左右の廊下にそれぞれ2部屋ずつ、さらに突き当りにそれぞれ1部屋ずつ。

 計6つの部屋が並ぶなかなかの大邸宅だ。

 

 どことなく、外で見た時よりも屋敷内が広く感じるのは、建築士の空間設計の巧みさゆえなのだろうか?

 そんな、何とも言えない歯がゆさが、アルバートの緊張を掻き立てる。


「お貸しできる客間が1つしかなく、相部屋となってしまいますが構いませんでしょうか?」

「ええ、お貸し頂けるだけでもありがたいです」


 メイドの先導で足を踏み入れたのは、突き当りの部屋よりも1つ手前にある部屋。

 いわゆるゲストルームなのだろうか。

 決して狭くはない青い絨毯張りの部屋の中に、使用感がまるでない机と椅子、ベッド等の家具がならぶ。

 山の中で半ば遭難したような状態で一晩を過ごさせてもらうには、あまりにも贅沢な待遇だ。


「あの、ええと……」

「私のことは、どうぞアニーとお呼びください」


 言葉を詰まらせたアルバートに、彼女はそう名乗りながら再び屈託のない笑顔を浮かべる。

 アルバートはバツが悪そうに小さく咳払いをしてから、改めてアニーに向き直った。


「館のご主人にお会いすることは可能でしょうか? 見ず知らずの我々を、快く受け入れていただいたお礼を申し上げたいのですが」

「それでしたら、主人の方からお二方を夕食の席へお招きしますよう、仰せつかっております。差支えがなければ、いかがでしょうか?」

「そんな、食事まで! 何から何まで、恐縮です」


 アルバートは、思わずかしこまって頭を下げる。


「汚れたお召し物は洗濯しておきますので、どうぞこちらのカゴへ。滞在中のお着替えは、タンスにあるものをご自由にお召しください。一刻ほどいたしましたら、お迎えにあがります」


 そう言い添えて、アニーは丁寧に頭を下げてゲストルームから立ち去った。

 彼女の姿が消えて、ようやく緊張の糸も途切れたのかアルバートは大きく1つ息を吐く。


「さて……おかしなことになって来たな。リリー、調子の方は?」

「どうもこうも最悪……でも、今までにない不思議な気分よ」

「と、言うと?」


 ベッドに腰かけたリーリアは、何かを探すかのように部屋の壁、天井、家具と、すみずみまで忙しなく視線を巡らせる。

 そして、眉間に皺を寄せながら、不可解そうにつぶやいた。


「いたるところから《魔女》の気配がするの……まるでこの館全体が《魔女》の呪いで覆われているみたいに」

「それはまた……」


 アルバートも思わず掛けるコメントが見当たらず、押し黙るようにして自分の頬を撫でる。


「とりあえず、足の治療だけしてしまおう。ミザリーの軟膏を買っておいてよかったよ。それと、着替え……か」


 今、この状態で疑問に答えを出すことはできない。

 まずは目の前の事に備えようとアルバートは気持ちを切り替えて、背負い袋から薬の入った包と包帯代わりの布の切れ端を取り出す。


「リリー、右足を出して」

「ええ……」


 場所が場所のせいか、珍しくしおらしいリーリアの足元にしゃがみ込み、アルバートは差し出された足をとる。

 ぷっくりと膨れた患部は先ほどよりも熱をもって、見るからに痛々しい。

 それに優しく白濁食の軟膏を塗りつけていくアルバートのつむじを見つめながら、リーリアは愚痴をこぼすように口を開いた。


「ねぇ、アルの任務って《虚空の魔女》を裁くことなんでしょう? だったら、こんな辺境の《魔女》なんて、他の異端審問官に任せておけばいいんじゃないの?」

「そういうわけにはいかないさ。そこに《魔女》という罪がある以上、放っておくわけにはいかない。仮に他の審問官を応援に呼んだとしても、彼ないし彼女が到着するまでの数日の間に別の誰かが呪いの被害に遭うかもしれない……そんなのは、とてもじゃないけど耐えられない」

「それは人助けなの? それとも、ただ《魔女》が憎いだけ?」


 そのリーリアの言葉に、アルバートの治療の手がぴたりと止まる。

 が、すぐに慣れた手つきで包帯を巻き始めると、感情の薄い声色で静かに付け加えた。


「――もちろん、両方に決まっているさ」


 それだけ言って立ち上がると、リーリアに背を向けて、広げた道具を背負い袋へ戻していく。

 そんなアルバートの背中がなんだかとても恐ろしくて、リーリアはそれ以上声を掛けることができなかった。

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