第13項 エピローグ
流石にけが人相手にリーリアも無茶はせず、相部屋ながらも粛々(しゅくしゅく)と夜は明けた。
ミザリーの調合する薬は、王都の良薬を知るアルバートも舌をまくほどの効き目で、身体は万全でこそないものの、処方してくれた痛み止めのおかげで旅を続けるのに支障はない程度に回復していた。
「あの、これ……頼まれておりました、お薬です」
村を出る前にもう一度寄った教会で、ミザリーはアルバートへ小さな小包を手渡した。
リーリアは、やっぱり教会は好かないと言って村の国境側の入口で待っている。
「ありがとうございます。それで、お代の方ですが――」
背負った荷包みから硬貨袋と取り出そうとしたアルバートを、ミザリーは首を横に振って制する。
「やっぱり、いりません……村を救って頂いたお礼です」
そう言って、変わらず幸薄そうながらも朗らかな笑みを浮かべてみせた。
「それに、私の迷いも断ち切っていただきました……それも含めて」
「そう……ですか? それは、助かりますが……」
アルバートはどこか釈然としないながらも、彼女の表情に今までにない活力を感じて、好意に甘えさせて貰うことにした。
「それで、これからどうなさるのです? 以前は国境を越えてイリザンドへ向かうと申されておりましたが……」
ミザリーと一緒に出迎えてくれたグレオは、無精ひげをなでながら僅かに眉を潜めた。
審問官である身分を偽って旅をしていることに、並々ならぬ理由を察しているのだろう。
直接口にはしないが、アルバート達の行く末を心配するような物言いだった。
「行き先は変わりません。ただ、目的は違いまして……グレオ司祭、ひとつお尋ねしたいことがあるのですが」
「なんでしょう。私にこたえられることなら、なんなりと」
「赤髪の《魔女》――の噂を聞いたことはありませんか?」
「赤髪の……それはもしや、リコリスを騒がせたという《虚空の魔女》のことですかな?」
グレオの返した質問に、アルバートは無言で首を縦に振る。
すると、グレオはもう1度無精ひげを撫でて、視線をややくもり掛かった空へと泳がせた。
「申し訳ない。こんな辺境の村ですから、そういう存在の話を聞いたことがある程度です」
「そうですか……」
大きな期待はしていなかったが、それでも無収穫となると落胆もする。
アルバートは溜息を吐いてから、小さく笑みを返して頭を下げた。
「では、我々はこれで。その――」
言いながら、ちらりと教会の周りに視線を巡らせるアルバート。
が、目的の人物を見つけられずに、仕方なくグレオに伝言を頼むことにした。
「シスター・ベルにもよろしくお伝えください。お世話になりました、と」
「……はて?」
その名を口にした途端、グレオは不思議そうに首をかしげてみせた。
「この教会に今現在、修道女はおりませんが……?」
「……え?」
予想外の返答に、アルバートは思わず言葉を失った。
いや、確かに昨日ここで会ったはずだ。
朝にも、昼にも。
リーリアも一緒にいたから頼めば証言をしてくれるだろうが、あいにく彼女はここにいない。
「そう……ですか。失礼しました」
漠然とした違和感を覚えながらも、アルバートは深く頭を下げて2人に別れを告げた。
村の入口へ向かうと、リーリアが足をぶらぶらさせながら暇そうに待っていた。
「ごめん、リリー。待たせたね」
「ずいぶん長かったわね。そんなにあの未亡人と別れるのが恋しかったの?」
口先を尖らせて、とげがある言い分のリーリアにアルバートは困った様子で頭を掻く。
「そんなんじゃないよ。そう言えばリリー、シスター・ベルのこと覚えてるかな?」
「なによ。未亡人より、あの垢ぬけない修道女の方が良いってわけ?」
「いや、それも違うが……覚えてるなら、いいんだ」
自分の記憶が確かであることだけを噛みしめて、アルバートは一抹の不安を抱きつつ、そのことは頭の片隅だけに留めておくことにした。
「それじゃあ、行こうか」
「次はどこを目指すの?」
「まずは国境を越えて……そうだな、ファルメアが築いた砦というのを目指してみよう。《魔女》が国境を越えているなら、何か情報があるかもしれない」
「戦場……ってことね。ちょっと楽しみだわ」
「リリー!」
アルバートが少し強めに叱ってみせると、リーリアは懲りずにべーっと舌を出す。
だが、すぐにそれを引っ込めると、ニッコリと心いっぱいの笑顔をアルバートへと返していた。
「ほら、行きましょう。これが自由の第一歩だわ!」
「……ああ」
アルバートもまた観念したように笑みを浮かべ、彼らの歩みは村の外へと続いて行った。
* * *
「……行ってしまいましたね」
彼らが去って行った方向を見つめたまま、ミザリーは少し名残惜しそうにそう、言葉を漏らした。
「同じ聖職者として、彼には大変な借りをつくってしまったよ。その償いは、これからこの身で全力で成していくつもりだ」
「グレオ様……」
決意を新たにするグレオの姿を見て、ミザリーもまた、胸に当てた手をぐっと握りしめて、彼の方へと姿勢を正した。
「グレオ様。お願いがあります」
「なんですかな?」
「私を……修道女としてこの教会に置いてくださいませんか?」
その言葉に、グレオは驚いたように目を見開いた。
「それは……構う事はないですが、修道女になるということは、その……」
「分かっております。ですが、今、私のすべきことは、もう帰って来ないあの人を未来永劫待ち続けることではなく、一人でも多くの人に、あの人と、私と、同じ思いをさせないことだと気づいたんです」
言葉を濁すグレオに、ミザリーは柄にもなくハッキリとした口調で言い添えた。
「きっとこれから、もっと多くの方が戦地からこの地に流れてくることでしょう。ですから私に、ここで修道女として、正式に負傷者の方々の看病をさせてください」
相当勇気を振り絞ったのか、力んで真っ赤になった顔で、縋るように懇願するミザリー。
その瞳の奥にある確かな覚悟を感じ取ったグレオは、ふっと顔を綻ばせて指を重ね、彼女に深い深い祈りを捧げる。
不幸が募った彼女の未来にこそ、新たなる幸あれ――と。




