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第12項 人は変わらず、罪は赦される

 心臓を失った《魔女》は、その身を支える力を失ったように、ドシンと膝から崩れ落ちた。

 腕も肩から力が抜けて投げ出され、その身は光の粒子となって天高く昇って行く。

 それはどこか、夏の川辺でダンスを踊る蛍のように幻想的で、美しい光景だった。

 

 やがて残ったのは、魔女と同じようにぐったりと膝をついて天を仰ぐグレオの姿。

 ボロボロの祭服を身にまとった彼の表情は、不幸とも幸福とも言い難い虚ろな表情で、昇っていく光を見つめていた。


「私は……どうなったのでしょう」


 ぽつりと、落ち穂を拾うようにたどたどしい口ぶりで、グレオが尋ねる。


「あなたの罪は断たれました。あなたは神に、赦されたのです」


 アルバートは《剣》を鞘に収めると、恭しく敬意をもって指を合わせ、グレオに祈りを捧げた。


「審問院の方だったのですね……仰ってくだされば、教会として相応の歓迎をいたしましたのに」

「いえ、こちらにもやむをえない事情が――」


 言いかけたところで、不意に大勢のざわめきが畑の方へと近づいて来るのを感じ、アルバートはグレオから視線を外す。

 見ると、おそらく戦闘の音や先ほどの光をみて集まって来たのだろう。

 先ほどまで教会の前に集まっていた女子供たちが、ランタンを手におっかなびっくりと歩いて来る様子が見えた。


「アルバートさん、グレオ様!」


 その先頭に立っていたミザリーが、ウィト畑に佇む2人の姿を見つけると、小走りで駆け寄ってきた。


「よくご無事で……!」


 ミザリーは2人の前で感極まったように膝をつくと、教会の祭壇で神像に捧げるときのようなていねいな祈りで、何度も何度も頭を下げた。


「それで……あの……事態のほうは……?」


 口にしながら、どこかスッキリとした様子のグレオと、額から血を流して満身創痍のアルバートとを見比べる。


「――万事解決よ。私とアルバートに感謝することね」


 それに答えたのはアルバートでもグレオでもなく、ワンピースの両端を持ち上げながら、畑の泥に注意して歩み寄るリーリアだった。


「つまり、それは……?」

「万事は万事。例の『病気』もね。今、教会の寄宿舎のほうで、次々と眠りから覚めているところよ」


 その言葉を聞いて、集まっていた他の村人旅人たちは、わっと表情を綻ばせて壁に開いた大きな穴から教会の中へと駆けこんでいく。

 グレオと、そしてミザリーも、どこかホッとしたような、それでいて複雑な表情で彼女らの後ろ姿を見守っていた。

 

 アルバートもまた、一仕事やり遂げた達成感に身を包み、安堵の息を漏らす。

 ただ、漏れたのは息だけではなく、張り詰めた緊張も一挙に抜け落ちてしまっていた。


 ふらりと、アルバートの身体がなびく稲穂のようにゆれる。

 大地が壁のように迫ってくる感覚を覚えて、次の瞬間に彼の意識は完全にブラックアウトしていた。

 最後に感じたのは、リーリアが自分の名前を呼ぶ声と、彼女の柔らかい身体の感触だけだった。

 

 

 

 次にアルバートが目を覚ました時、彼は宿のベッドの上で横になっていた。

 意識を取り戻した瞬間に、全身を焼けるような鈍痛が襲い、それを抑えつけるような包帯の感触を身体の至る所で感じていた。


「あ……目を覚まされましたか?」


 部屋の隅の方で、聞き慣れない女性の声がする。

 視線だけ動かしてその方を見ると、ミザリーが小さな机で乳鉢を握り締め、慣れた手つきで植物のようなものをすりつぶしていた。

 彼女は腰に巻いた前掛けで簡単に手を拭うと、静かな足取りでアルバートの傍まで寄ってくる。

 そして、彼の足元でベッドに寄りかかりながら眠ってるリーリアの肩を優しくゆらした。


「リーリアさん……その、アルバートさんが目を覚ましましたよ」

「……アルっ!?」


 その言葉にリーリアはぱっと飛び起きると、ベッドの上に飛び乗って、アルバートの身体を力いっぱい抱きしめた。

 同時に、木槌で殴られたかのような感覚が、アルバートの身体の内からわき起こった。


「い、いたっ! 痛いよリリー!!」

「我慢しなさい! 心配かけるとこうなるって、アルの身体に覚えさせてるんだから!」


 悶絶するアルバートを尚もギリギリと締め付けるように抱き着くリーリア。

 ミザリーはそれを止められるでもなく、ただおろおろとして眺めていることしかできなかった。


「お、俺はどのくらい眠っていたんですか……?」

「あれから夜が明けて、まだ日が高く昇ったくらいです。押しつけがましいことですが……リーリアさんとグレオ様と、3人で運ばせて頂きました」

「それは助かりました……ありがとうございます」


 やっとの思いでリーリアを引きはがしたアルバートは、軋む身体に鞭を打つようにしてゆったりとその身体を起こす。


「ああっ、まだ起き上がっては……!」

「大丈夫。骨はあばらを数本――といったところですし、それと――」


 言いながら、部屋を見渡すアルバート。

 すると察したのか、ミザリーは自分が使っていた机の上から、綺麗に畳まれた紺色の衣装を持ち出してアルバートへと手渡した。


「あの、これ……汚れていたので洗濯しておきました」

「すみません、何から何まで」


 アルバートは祭服を受け取ると、包帯姿の上からそれを着込む。

 ボタンをはめて、スッキリと背筋を伸ばせば、とても中身が満身創痍の包帯男とは見えないだろう。

 が、さすがに虚勢を張るのも無理があるようで、よろりと足元がおぼつかなくなったところを、リーリアが支えに入った。


「すまないリリー。このまま教会まで行けるかな」

「わかったわ」


 リーリアはアルバートを脇から支えながら半歩先を行き、その後にミザリーが続いて3人は宿を後にした。




 訪れた教会では、男達の威勢のいい声が賑やかに響いていた。

 声のする方へと足を運んでいると、裏のウィト畑の方で村の男達や、程度の良い負傷兵達が力を合わせて壁に開いた大きな穴の修繕を行っていた。


「アルバートさん!」


 彼らの中に混ざって、肌着姿で汗を流しながら石片を運んでいたグレオは、現れたアルバートの姿を見つけると慌てて駆け寄り、膝をついて祈りを捧げる。


「よかった……よくぞ、ご無事で!」

「ええ、ミザリーさんのおかげです」


 アルバート達の後ろを心配そうについてきたミザリーは、少し恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。


「今回は、私の心の至らぬままに……本当にご迷惑をおかけしました」


 そう言って、グレオは深く頭を下げる。


「私は、これからどうなるのでしょう……神職の身で《魔女》などにたぶらかされてしまって……『追放』でしょうか」


 若干の口惜しさを残しながら、苦しそうにその2文字を口にするグレオ。

 だがアルバートは、間を置かずに首を大きく横へと振った。


「グレオ司祭。あなたの罪は、既に赦されています。そうであるならば、あなたはあなたのまま、あなたの成すべきことを成せば良い。それが審問院としての規律に則った、私の判断です」

「ですが、それでは私はどうやって償いをすれば……」


 グレオは、どこか腑に落ちない様子で表情に影を落とす。


「――グレオ様、どうか変わらず、この教会にいてくださいよ!」


 その時、不意に威勢のいい男の声がウィト畑に響き渡った。

 その声に弾かれてグレオが辺りを見渡すと、復旧作業に当たっていた男たちが一同にグレオの傍へと集まっていた。


「俺たちは寝ていただけだから、詳しいことはわかりやせんが、手厚く看病してくださっていたことは、女房やせがれから聞いてるぜ」

「俺たち負傷兵だって、嫌な顔ひとつせずに受け入れてくれたじゃないか!」

「あんたは、あんたのまま、今までだってこれからだって、変わりゃしないでしょう!」


 村人も、負傷兵もみなすがるようにグレオの肩を、腕を、手を掴む。

 そうして懇願するように、必死に言葉で訴えかけた。


 アルバートは、「グレオあってのこの村」という宿屋の女将の言葉を思い返す。

 そうして彼を囲む村人たちの姿を目にしてみると、なるほどなと頷けた。

 国境の宿場村として、大勢の外の人間を快く引き入れる村の雰囲気。

 それは、グレオという存在がこの村で培い、村人が手本としてきたことだったのだろう。


「ありがとう……ありがとう……!」


 グレオは涙ながらに彼らの手を取ると、ただひたすらに頭を下げていた。

 まさしく、彼の罪は赦されていたのだ。


「戻ろうかリリー。これから夜になるし、もう1日だけ休ませてもらおう」


 これ以上言葉を掛ける必要はないだろうと、アルバートは支えてくれているリリーへと視線を落とす。

 リーリアはぐっと唇を噛みしめて、険しい表情でグレオ達の様子を眺めていた。

 

「……今日も相部屋にすること。じゃなかったら、私だけ先に出発するわ」

「わかったよ、リリー」


 アルバートはリーリアの表情の理由を問うことはせず、ただ優しく笑みを浮かべて頷いた。

 踵を返して宿へと戻る2人の背で、女神フィーネを模ったステンドグラスが、秋の日の光を受けて神々しく煌めていた。

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