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第10項 《剣》

 金色の装飾鍔から伸びる淡い光は、夜空を流れるほうき星のようで。

 それでいて穢れのない純真無垢な意志を、見た者に感じさせる。

 その輝きを遠巻きながら目にしたリーリアは、記憶にないはずの感情をぞくりと背筋いっぱいに感じていた。

 

 ――畏れ。

 

 心臓をわし掴みにされたような、どうしようもない畏怖に支配され、思わず目を背けそうになるのをぐっと堪える。


 その感情は《慈悲の魔女》もまた同じのようで、ひるんだように1歩、2歩と後ずさる。

 しかし、その輝きが自らを滅するためのものであると本能的に理解しているのか、3歩目を踏み抜こうとした右足を踏みとどまり、逆に前へ1歩、大きく踏み出した。

 同時に、前進の勢いに合わせて振りかぶった右腕が、真っすぐにアルバートへ向けて放たれる。

 まるで砲弾のような、巨大な拳の一撃が彼の眼前へと迫った。


 アルバートは左足を軸に、くるりと回転するようにのけぞって、鼻先をかすめるように拳を回避する。

 目標を見失った鉄拳は、そのまま床に叩きつけられて――するりと、水面に腕を沈めるかのように、硬い石畳をすり抜けた。

 

「なるほど……避けられない訳じゃないが、まともに食らいたくはないな」


 かすめた鼻先から僅かに垂れた赤い血液を指先で弾くように払いのけ、大きく飛び退くように距離を置くアルバート。

 それから一拍おいて、《魔女》の拳はするりと引き抜かれる。

 《魔女》が渾身の一撃を見舞ったはずの石畳には、ひび割れの1つも入ってはいない。


「意識を《魔女》に支配されても、教会を破壊せまいとする。無意識にまで刻み込まれた信仰心は、さすがと言わざるを得ないな」


 そのまま何度か飛び退いて、アルバートは祭壇から大きく離れる。

 教会は透過しても、祭壇に隠れたリーリアがどうなるかは分かったものじゃない。

 そもそも、《魔女》を相手に、壁を背に戦うのはあまりにナンセンスだ。


 敵に距離を取られ、《魔女》が大きく足を振り上げると、ドシンと大きな地鳴りが教会を揺らした。

 悠然とした動きで、大地を踏みしめるように歩み出す《魔女》。

 しかし、その歩みの先に転がる負傷兵達の身体は、先ほどの石畳と同じように光り輝く足をすり抜け、一切の外圧を受けていない。

 

 アルバートは、《魔女》を中心に円を描くように、礼拝堂の中を走り抜ける。

 鈍重な《魔女》は、素早い動きの彼の動きに完全には追いついていないながらも、時折タイミングを見計らって、先ほどの砲弾のような鉄拳を繰り出していた。

 アルバートは拳の1つ1つをひらり、ひらりと身を捻るようにして回避してみせると、伸び切った腕が引いたその瞬間を狙って、一気に《魔女》の懐へと飛び込む。

 そうして勢いに乗ったまま、床に転がったかぶとを踏み台に大きく飛び上がると、両手で《剣》の柄を握り締め、下段から一気に振り抜いた。


「……はぁッ!」


 腰の回転も加えた渾身の袈裟斬り。

 その一閃は、《魔女》の厚い胸板を削ぎ取るように、深く切り込まれる。

 刀身から放たれた光の軌跡が、一切ブレの無い性格無比な一振りを物語っていた。


「オオオオオォォォォォォォォ!!!!」


 《魔女》は口の無い顔で唸るような悲鳴をあげると、腹を庇うように身を屈めて、よろよろと引き下がった。

 何が起きたのか分からない。

 人間ならそんな言葉を漏らしそうな戸惑いが、切り裂かれた胸元を掻きむしるようなその仕草からありありと伝わった。


「実体のある剣で、まさか斬られるとは思わなかっただろうな。いや、グレオ司祭の身を糧としているなら、認識くらいはあるのだろうか」


 可もなく不可もない手ごたえを感じながら、アルバートも距離を取って、呼吸と姿勢を整える。

 そうして、狼狽える《魔女》へ向かって、輝きの増した《剣》の切っ先を差し向けた。


「異端審問官の《剣》は、《魔女》のことわりを捻じ曲げる。お前が望む、望まざるに関わらず、この刃はお前を切り裂く……ッ!!」


 ひるんでいる《魔女》へ、負傷兵の合間を縫うようにして、アルバートは再び距離を詰め寄る。

 《魔女》は、迫る敵へ向け再び拳を振るった。

 かすめただけで皮膚を切り裂く。

 その拳の威力、衝撃は折り紙付きなのだろう。

 だが、大きさに威力は比例しこそすれ、速度までも追従するとは限らない。


「やはり、師匠の拳の方が小さくても何倍も速い」


 アルバートはその一撃も難なく躱し、そのまま《魔女》の脚を横一文字に薙ぐ。

 丸太のように太い脚に、青白い光のベールが突き刺さる。

 次の瞬間、斬り飛ばされた足先が宙を舞い、そのまま黒い瘴気となって霧散していた。

 

 《魔女》は再び咆哮にも似た悲鳴をあげるが、今度はその身を庇うことはせず、足を斬り飛ばした敵へ恨みを込めるように、瞳の無い眼で睨みつける。

 そうして大きく拳を振り上げると、片足ながらも器用に踏ん張り、攻城兵器バリスタを彷彿とさせるボディーブローを繰り出した。


「何度繰り返したところで――」


 アルバートは軽いステップだけでブローを避けると、もう一本の脚も斬り飛ばすべく、《剣》を振り上げ力強く一歩を踏み出した。

 しかし、この一歩が災いとなった。


「だめよ、アルっ! 《魔女》はまだ、拳を振り抜いていないわっ!!!」


 リーリアの叫びで気付いた時には、もう遅かった。

 アルバートの足元の石畳から、もこりと、光の巨腕が突き出ていたのだ。

 この数瞬で回避に移れるわけもなく、無防備に開いたアルバートの懐に、攻城兵器バリスタの、いや、それ以上の重さと威力を持った一撃が、深々と突き刺さっていた。


「こいつ……自分の身体を……ッ!?」


 岩石に押しつぶされるような感覚を身に受けながら、アルバートは衝撃で掠れた視線の先に、不可知の一撃のカラクリを確かに目にした。


 《魔女》の胴が、水を絞った雑巾のように、螺旋を描いてねじれている。


 《魔女》は空ぶった拳をその勢いのまま、“胴体を超360度回転させる”ことで、ノーモーションでの2撃目を繰り出したのだ。

 しかも、あろうことか、床を“すり抜けて”、アルバートの絶対の死角たる地面から。


 2回転分の勢いが乗った鉄拳をまともに受けて、アルバートは軽々と吹き飛び、対角の壁へと背中から叩きつけられた。


「かは……っ!」


 正面と背中を激しく打ちつけられ、吐息の代わりに血反吐を吐きながら、巨大なひび割れを生じた石造りの壁から、アルバートの身体がベロリと剥がれ落ちる。

 それを見計らったかのように、片足の強靭なバネで床を蹴った《魔女》は、その鈍重な身体で空中のアルバートを捉えた。

 樹齢数百年はありそうな、大木のような太さの腕が繰り出すラリアットが、死に体の身体にを追い撃たれる。


「アル……ッ!?」


 リーリアの悲痛の叫びが、礼拝堂の天井にこだまする。

 しかし、その叫びも虚しく、2度目の衝撃を受けた壁は勢いいとも簡単に崩れ落ち、アルバートはその破片もろとも礼拝堂の外へと吹き飛ばされていた。

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