第9項 《慈悲の魔女》
「そう、全ては啓示だったのだ! 負傷者がこの村へなだれ込んで来たのも、『眠り病』が蔓延したのも、すべては神が、私に、事態の――戦争の絶対悪を伝えるための、啓示であったのだ!」
「し、司祭様……?」
ミザリーは、戸惑ったように声を漏らした。
グレオ司祭と言えば、村の中だけに限らず、周辺の村々までも名が通る温和な人間だ。
フォルタナの教えがそのまま人の形を成したような、どこまでも律儀で、どこまでも慈悲深く、しかしながらあくまで自分が『人』であることを知る。
だからこそ自分の食すものは自分で育むし、自らが収穫する。
「自分が生きるための一切の生殺与奪を自らが行うことで、はじめてこの大地に生きていることを実感できる」とは、彼の有名な言葉だった。
そんな人物であるからこそ、心から尊敬していたからこそ、ミザリーの戸惑いは大きかった。
絶対悪たる《魔女》の姿が、グレオの姿に重ね見えたのだから。
露見がこの段階になれば、特別な力を持たない人間でも《魔女》を認識することができる。
初めて目にするであろう不可解な現象を前に声を失い、ひたすら力ない指先を2本、胸の前で合わせていた。
「ミザリーさん……教会の外へ避難してください。そしてできれば、外の人たちにも教会から離れるよう伝えてください」
「え……?」
事態を飲み込めていないミザリーの縋るような視線に、アルバートはもう一度改まって、強い口調で添えた。
「今すぐ、この場から、逃げるんだ……ッ!」
叫んだその言葉に弾かれて、裏口へ続くドアへと駆け出した。
逃げ道はそこしかない。
正面からは《魔女》が、大手を振って歩み寄って来るのだから。
「リリー、君も行くんだ」
「いやよ……私の見てないところでアルが死んだらどうするの?」
「俺のこと、信用できないのか?」
その問いかけに、リーリアは自信たっぷりの笑みを作ってうなづいた。
「――ええ、もちろん」
アルバートは小さくため息を吐いて、改めてグレオに視線を戻す。
「できるだけ、隅の方にいるんだ」
「わかったわ」
今度は素直に頷いて、リーリアは祭壇の後ろの方へとその身を隠す。
「そしてついに、女神はその身を投げ出した。それは私に、己の使命を全うせよとの預言に他ならない……! 私はこの不易なる戦争を、必ず、止めてみせるッッッ!!」
自らの胸に両手を重ねて、神に誓いを立てるよう声を張り上げるグレオ。
しかし、それを遮るように、アルバートの声が礼拝堂の中に響いた。
「答えが分かってみれば……全ての事柄が繋がりました。思えば、『眠り病』が蔓延しはじめたと言われる時期は、戦争が初めの激しさを見せはじめた時期に等しい」
アルバートは、祭壇の段を一歩ずつ、石畳を踏みしめるように降りていく。
「戦争を憎んでおられるのですね」
「もちろんだ! 戦い、負傷したものの苦しみを毎日のようにここで聞いていた! 戦い、命を落とした者が残した家族の苦しみを、毎日ここで聞いていた! これだけの苦しみを与えておきながら、戦いを憎まずして、何を憎めばよいのか!?」
声を震わせながら、グレオは拳を振り上げた。
「だから、『眠り病』が蔓延した。戦争を止める方法は簡単だ。成すのは難しいが、『眠り病』はいともたやすくそれをやってのけようとした」
アルバートのその言葉こそが、この事件の本懐だった。
――『戦える人』がいなくなればいい。
「……なるほど、それで働き盛りの男ばかり」
リーリアは震える肩を抱きながらも、己の至った答えに納得する。
『眠り病』の患者は、誰もかれも働き盛りの男達だ。
これをはじめ、リーリアはミザリーの嫉妬によるものだと考えていた。
自分の夫は死んだのに、彼らは――そんな、そんな単純にして強烈な恨みであったのだと。
しかしその実は違う。
――『眠り病』は祈りだったのだ。
誰も苦しまなくて済むよう、誰も死ななくて済むよう、誰も戦争へ行かなくて済むよう――《魔女》は男達を眠らせたのだ。
「今夜の大事件は、村を訪れた商隊のせいでしょう。あれだけ大きな一団が、戦地へ赴き物資を供給する。戦争はより悪化するでしょうし、彼らもきっと、無事では済まない」
アルバートは酒場の男達の顔を思い出しながら、そう言い添えた。
彼らには悪気はない。ただひたすらに、商売に対して無邪気なだけだ。
だが、その無邪気さが悪戯に事を大きくすることもある。
だからこそ、眠らされた。
それは心優しき願いでこそあれ、決して他人への恨みや憎悪によるものではない。
憎悪しているのは、ただひたすらに『戦争』という試練の時世だ。
「いうなれば《慈悲の魔女》――ずいぶんと、皮肉がきいてるものね」
口にして、リーリアは思わず自分で笑みをこぼす。
「それこそが神の御業! 神もまた、戦争を憎んでおられるのだ!」
「違う。これを成したのは《魔女》の力だ。神は決して、このような中途半端な干渉を行わない」
「ぬぅ……!」
アルバートの断言にグレオは言葉を詰まらせる。
が、すぐに声を荒げてそれに反論した。
「信心深き教徒であると思っていたのに、この御業が、奇跡が分からぬのか!?」
「分かりません。ですが、私を――俺をそのように買って下さっていたことは、ありがたいことです。おかげで俺は、眠らずに済んだようだ」
自らも働き盛りの男でありながらも、眠らなかった。
それは《慈悲の魔女》が、彼の名目である「巡礼の旅」を阻害しなかったという事実に他ならない。
そこにある意思こそが、グレオを《魔女》と決定づける、なによりの確信であった。
「これは神の所業でも、奇跡でもありません。これは貴方の――《魔女》の成した呪いだ」
その時、グレオの表情がハッキリと、怒りに歪んだのが見えた。
「いうに事欠いて……私を《魔女》だと……?」
ギリリと奥歯を噛み締めて、髪が文字通り天を突くようにわなわなと立ち上る。
温和な模範修道僧が見せる鬼の如き形相。
同時に、グレオの身体がまばゆい閃光を放ち始める。
「この……不信心者めがぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
怒号と共に、巻き上がる瘴気が礼拝堂いっぱいに膨れ上がった。
彼の身体は辛うじて人の形が分かる程度の光の塊となし、瘴気と共にぶくりぶくりと膨れ上がっていく。
腕を、足を、頭を、胴を。
地響きを鳴らしながら、パンが膨らむように肥大化していくその身体は、瞬く間に礼拝堂の天井に届くかというほどの光の巨人に姿を変えていた。
突如として現れた巨人はまるで、数多の民を天から見下ろす神の化身さながらに、威風堂々たる姿でアルバートを低く、低く、見下ろす。
「アル……!」
強大な敵を前にして、リーリアが思わずその名前を呼んだ。
だが、アルバートは涼し気な表情で笑みを浮かべて、ローブの首元に手を添える。
そうして、パチンと小気味の良い音を立てて聖印の留め金を外すと、支えを失ったローブは瘴気の風に舞って天井高く舞い上がった。
その中に着こんでいるのは、あの業火の夜にあの女性――師が着ていたのと同じデザインの、濃紺のロングジャケット。
一見礼装にも見えるそれは、ローブと同じ聖印のボタンを設えた、審問院の正装――祭服だ。
アルバートは、ジャケットの上から腰に巻かれたベルトの《剣》に手を伸ばすと、白塗りの柄を握り、一息に抜き放つ。
途端にその勢いを切り裂かれたかのように、瘴気の風がぴたりと止んだ。
そのまま抜き放った剣を眼前で握り締め、天高くそびえる《魔女》を見据えると、覚悟と、使命と、罪への憎しみを持って、彼は気高く宣言する。
「“異端審問官”アルバート・ロイドの名において――お前を断罪するッ!!」
その宣言に呼応するようにして、美しい白銀の刀身が、天井から降り注ぐ月光のように清く青白い輝きを放った。




