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そして、憎しみは炎にくべた

 ――お願いだ、そいつを殺してよ!

 

 ごうごうと燃え盛る屋敷のただ中で、少年は大粒の涙を浮かべながら声が枯れるほどに叫んだ。

 彼の家も、家族も、思い出も、みんなこの業火にくべられてしまった。

 すべては、あの《魔女》の仕業だった。

 溶鉄のような身体をした《魔女》は、少年の表情に浮かぶどす黒い感情のうねりを目の当たりにして、耳まで裂けた赤銅色の口で、恍惚とした笑みを浮かべていた。

 

「残念だが、それはできない約束だな」


 ただ一人《業火の魔女》に対峙する赤髪の女性が、まだまだ余裕を残した表情で答える。

 

「どうしてさ!? あいつは僕の全てを奪ったんだ! だから、代わりにあいつの命を奪ってよ!」


 目の前の《魔女》への憎しみ。

 それだけが、残された少年が今を生きる支えだった。

 そのためなら悪魔にでも魂を売る勢いの少年に、文字通り子供を諭すように優しく、女性は言葉を添える。


「ここまで事態が深刻になってしまったのは、すべて私の力不足のせいだ。その点に関しては心底自分の事を嫌悪するし、結果として被害をこうむってしまったキミの願いは私も最大限に善処したい」

「だったら――」

「――だが、不可能なんだ」


 同時に、両手で握りしめた細身の片刃剣が、月光のように淡く青白い光を纏った。

 

「審問官の《剣》は、人を斬るようにできていない。斬れるのは――その身に纏った、罪だけだ」


 女性の身体が、炎の中で撥ねる。

 業火に負けないくらい真っ赤な長髪が、その軌跡を流星の尾のようになぞった。

 《魔女》は己が身からほとばしる火炎を、矢のように定着させて放つ。

 彼女は迫る脅威を《剣》の一閃でかき消すように断ち切ると、一息に《魔女》の目の前へと着地した。


「“異端審問官”ベルナデット・オールドウィンの名において、貴様を断罪する――」


 そうして、振り上げた刃を《業火の魔女》の肩口から袈裟に振り切った。

 《魔女》は依然その笑みを絶やさぬまま、斜めにぱっくりと引き裂かれる。

 斬り口から、おびただしい量の炎と共に、《魔女》の高笑いが吹き荒れた。

 蛇のようにうねるその炎は、目の前の敵を包み込もうと矛先を向けるが、それよりも速く、《魔女》の脇下から逆袈裟に刃が閃く。

 斜め十字に断たれた《魔女》は、先ほどよりも大量の火炎と奇声をまき散らしながら、その姿を虚ろなものへと変えた。

 そうして火の粉をまき散らすかのように、溶鉄の身体が四方に霧散する。

 悪意が砕け散ったその先には、身綺麗な肌をした年端も行かぬ少女の、一糸まとわぬ姿が残された。

 残り火に照らされながらふらりと揺れたその身体を、赤髪の女性はその胸の内に抱き留めた。

 

「死んだ……の?」


 事の始終を息を飲んで見守っていた少年は、弱々しく尋ねた。

 

「言っただろう。この《剣》で斬ることができるのは、罪――《魔女》だけだ」


 女性は返り血のない美しい刃を鞘に納めると、羽織っていた濃紺のジャケットを少女に被せてから、両の手で慈しむように抱き上げた。

 少女の空色の髪が、重力に引かれてさらりとなびく。


「“罪を憎んで、人を憎まず”――異端審問官が神に宣言する、唯一にして絶対の誓いだ」

「じゃあ、僕のこの気持ちは、いったいどこへ向けたらいいの?」


 炎の中、宗教画さながらに少女を抱える女性の姿を前に、少年は揺れる瞳で縋るように彼女を見上げる。


「それはこれからの人生で、キミ自身が見つけるしかない」


 彼女は、突き放すようにそう答えた。


「そろそろ出よう。この屋敷も、あとどれくらいもつか分からない」


 とっくの昔に焼け落ちた扉へ向けて、足早に歩みを進める女性。その背中に、少年はもう一度言葉を投げかけた。

 

「異端審問官になれば、その子に対する気持ちを消せるの?」

「逆だ。罪だけを憎めるようになれば、異端審問官になることができる」


 女性は立ち止まって、少年の姿を振り返る。

 その質問の意図を、推し量るように。

 

「僕の願いは最大限に善処するって言ったよね……じゃあ――」


 彼女の鋭い眼光を前にしながらも、少年は、この世の全てに決別するかのような強い口調で、声を絞り出した。

 

 

 

 

 

 ――僕を、異端審問官にしてよ。

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