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決 〜終焉・殺戮ノ足音〜

 



  今回の襲撃は昼間の人気の多い通り道。ついに奴等は人目を気にしなくなってきた。


  今までは深夜の襲撃を決め込み、少人数精鋭で来ていたのが今回は十数人単位の投入。


  それでも僕は負けられなかった。大人しく殺されるわけにはいかなかった。


  僕には護るべき者がいるから、でもなるべく巻き添えは出さないように心がける。


  逃げ惑う人々の隙間を縫うように掻き進み、一人目の頚骨を手刀で砕く。


  絶え間なく降り注ぐ銃弾の雨は、無辜の市民をも襲う。


  僕は人通りの少ない方へと体を泳がせるが、四方八方に散らばって逃げていく人々は規則性がない。


  故に、どうしても幾人かの人は射線上に来てしまった。


  辺りはすぐさまその様子を変え、血の海へと姿を変えた。


  俺が殺す数よりも、彼らが巻き込み殺す数の方が圧倒的なまでに多い。


  ーーー血の臭い 硝煙の臭い 死の臭いーーー


  僕は腕を振るう。その腕の直線状にいた人間はかわす事が出来ずに、何が起きたかすら解らずに崩折れる。


  銃弾が体を掠める。投げナイフが体を切り裂く。


  ーーー僕の中の凶暴な感情が暴れ始める  それは俺が長らく忘れていた殺人への快楽ーーー


  あまりの人数の多さに、あまりの手数の多さに僕は少しずつ傷つき血を流し始めた。


  視認出来るだけで前方に三人、後方に二人、建物内に二人、左右に一人ずつ。


  完全に囲まれているが、僕は疾駆を止めない。出来る限りの速さで、敵に的を絞らせない。


  敵は冷酷な殺し屋。殺すのを躊躇する理由がない。ならば俺が勝てない見込みはない。


  ーーー元より俺は  殺し屋を殺す死神ーーー


  前方にいた三人の所まで全力で駆ける。射程距離まであと十メートル。


  全方向から叩き込まれる銃弾は、一発でも当たれば死に至る凶弾。


  あと五メートル。


  僕の近くにいた女が撃たれた。それには気にも留めず俺は翔ける。


  あと一メートル。


  奴等はマガジンを交代で交換し、弾幕を切らさない。しかし、連係プレー自体はぎこちない。


  おそらくは急遽結成された班であり、軍隊崩れのアマチュアなのだろう。


  一人ひとりの練度が高くとも、殺しの本質を理解しきれない時点で綻びは見えたようなものだ。


  そこに俺の勝機が在る。


  何人来ようが、どんな武器を使おうが、相手が殺し屋なら、軍人なら、人殺しなら、俺は勝つ。


  射程距離到達。腕を三度振るう。それだけで前方の三人は死に絶えた。


  銃弾がこめかみを掠り、銃弾が通りすぎた衝撃で頭がくらくらした。


  この戦闘で一番多くの血を流す。こめかみから口元にまで流れるソレを俺は舐め取る。


  ーーーああ  この感覚は久しぶりだーーー


  体制を崩し、一度地面に手を付くが、体制を崩すためだけに手を付いたのではない。


  地面に突き刺さっていた投げナイフを二本拾うためだ。


  必要以上の殺傷能力を秘めるナイフは、携帯性が俺の武器に劣るため、普段は使用しないが基本は同じだ。


  凶悪なまでに禍々しいそれを両手に持ち、建物に潜む奴らに向かって投擲した。


  俺の武器とは違って敵に視認されるが、飛距離はこちらの方が上。


  故に、普段の射程距離外にいたとしても、俺の死線内にいれば殺すことは十分出来る。


  ナイフは理想どおりのコースを飛翔し、また二人の殺し屋が地に倒れた。


  徐々に薄くなる弾幕は、死戦の終わりが近づいていることを知らせる。


  残りは四人になった時、宙を飛ぶ拳大の物体が足元に転がる。


  ソレを目視した瞬間に俺は反射的にその場から身を投げ、物陰に隠れる。


  ソレ地に転がり数秒後、爆音と共に鉄片が辺りにばら撒かれる。


  ソレの正体は、全方向に破片が散らばる手榴弾。凶悪に過ぎる武器だった。


  「・・・それがどうした」


  ポツリと呟いた言葉。自分のものとは思えないほど冷たい。


  しばしの膠着のあと、残る四人は固まり徐々に俺に迫って来る。


  恐らく、今真正面から行ったら銃弾の集中砲火と炸裂弾の歓迎を受けることだろう。


  それは避けるも攻めるも困難だろうが、そんなことは関係なかった。


  隠れていた場所から飛び出し、奴等の射線上に出る。再び襲い来る銃弾の嵐。


  これまでの鬱憤を全て吐き出すかのような掃射は、周囲に弾痕を刻んでいく。


  「ぬるいな」飛び散る銃弾も、跳ね回る跳弾さえも俺には当たらない。


  身をかがめ遮蔽物を上手く使いながら徐々に距離を詰めていくが、手榴弾が二つ投げ込まれた。


  空中で爆発したそれをかわすことは出来ず、かといって建物に身を潜めることも出来なかった。


  爆炎と爆音が周囲を轟かせ、閃光が周囲を白く染める。殺傷能力を秘めた鉄片は凶悪なまでに無慈悲。


  ぱらぱらと、飛び散る破片と爆煙。それらをかわす術は俺には無かった。


  視界が悪く、ねっとりと血が体を濡らす・・・。


  じゃりじゃり、と近づいてくる影。その数は四つ。銃を構えながら確実に近づいてくる。


  あと四歩で射程距離・・・・・・。


  一人は乾いた唇を舐め、唾を音を鳴らして飲み込んだ。

  

  あと三歩。


  一人は鋭い眼光でこちらを睨み、死んでいった仲間に想いを馳せた。


  あと二歩。


  一人は足を震わせ腕を震わせながらも、自分達を追い詰めた殺し屋を殺しに向かう。


  あと一歩。


  一人は傷ついた足を引きずりながらも、二本の足で地面をしっかりと踏みしめ進む。


  ーーー・・・・・・・・・ーーー

  

  射程距離到達・・・。


  その四人が、四つの指が、四つのトリガーを引くよりも速く、四つの死体が出来上がった。


  俺は立ち上がり土埃を払う。足元には一人の成人男性の屍骸が一つ。


  それは血まみれで、随所に鉄片が突き刺さっていた。

  

  服についてしまった血を拭う。それは死体を盾にしたときについてしまった返り血。


  かわすことはできずとも、防ぐことは出来た。


  鉄片から身を守るために物陰に隠れた奴等はその事に気付かず、まんまと俺に誘き出された訳だ。


  酷使した両手の指先を慣らす。


  流石に近距離とはいえ、指先だけで人を殺せるほどの威力を持たせるには、相当の負荷がかかった。


  四つの殺し屋の屍骸から、四つの武器を回収する。額に突き刺さったそれは、細く長い針。


  約十五センチほどの長さのそれを、腕に隠しているケースにしまう。


  注意深く周囲を警戒するが辺りには人っ子一人おらず、故に人の気配もしない。


  あるのは死屍累々と地面に敷き詰められた死体。この三十分足らずの戦闘だけでどれほど死んだのか。


  見渡せる限りだけでもその数は軽く二十を越えていた。


  「・・・・・・・・・殺し、足りねえ」


  久方ぶりのこの衝動は、荒れ狂いながら欲求を膨らませる。


  何かむず痒いような違和感が付きまとっていたが、それは些細な問題。


  頭の中で分泌された脳内麻薬が快感を生み、俺の判断を狂わせる始める。


  何かを守る、何かと共にいたという感覚が希薄になり、ただの想いと成り下がり始める。


  煙がかかったかのような視界は赤く歪み、靄がかかったかのような思考は真紅に染まる。


  世界と自分が切り離されたと錯覚してしまう程の浮遊感。


  ーーーーー僕はまた繰り返すのかーーーーー


  頭の中に響き渡る悲痛な叫び。「・・・・・・っ、うる、さい」俺を責めるかのように激しい頭痛が襲う。


  脳神経に直接釘でも打ち込まれたかのような激痛。


  急激な痛みは視界をも狂わせ、世界が明滅する。


  ーーーーー僕はもう殺したくないのにーーーーー


  その声は後悔に満ちた男の声は、「・・・・・・うるさい!」俺を苦しめ迷わせる。


  ーーーーー僕は彼女といたいだけなんだーーーーー


  ただ純粋にして強固な想いは古き呪縛を打ち破る。


  「黙れーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」


  ・・・・・・・・・「はぁはぁはぁ、くぁ、はぁはぁ」


  僕は膝に手を付き、額から溢れ出た汗を乱暴に拭った。


  「はぁ、はぁはぁ。また・・・・・・やったのか僕は」


  じっとりとした嫌な汗は全身から噴き出て、熱くたぎっていた体を芯まで冷やす。


  全身からくる反動の痛みは容赦が無く、弱った僕を痛めつける。


  呼吸を整え、辺りの惨状に目をやるが、自分が作り出した光景に目を覆いたかった。


  死んでいるのは大人だけではなく、まだ小さな子供もいる。


  自責の念に駆られ、死体の一つ一つを整えていく。


  「・・・ごめんなさい」


  仲の良い夫婦なのか、手を繋ぎながら息絶えた二人組み。


  「・・・・・・ごめんなさい」


  見開かれた目には光は無く、ぽっかりと開いた口元からは血を噴出して死んでいる男性。


  「・・・・・・・・・ごめんなさい」


  頭部の半分を失っていたのは恐らく母親で、腹部を撃たれたこの子はその子供だろう。


  「・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」


  兄妹だろう二人の子供は、兄が妹を庇ったのか、抱き合いながら静かに逝っていた。


  「ごめんなさい」


  謝罪の言葉は誰の耳にも届かず、ただ虚空に吐き出されるだけ。


  全ての死体を確認し、何の例外も無く整え終わった頃にソイツは来た。


  パチ パチ パチ パチ パチ パチ パチ。

                               サイレント・キル

  「腕前は相変わらずのようだな、『      』。それとも、”静かなる訪れ”と呼んだほうがよかったかね?」


 手を打ち鳴らすのは初老の男。中肉中背でありながら妙な威圧感を与えられる。


 黒い手袋に黒い帽子、黒いコートに黒いズボンと黒い靴。


 全身を執拗なまでに黒く染め上げた男の相貌。


 その精悍な顔つきに刻まれた微笑は、その下に蠢く凶悪さを隠すための偽装としか思えない。


 「僕の名前は『      』だ。そんな名前で呼ばないでくれ。魔王」


 「はっはっは、どうやら私を覚えていてくれたようだね」


 一見友好そうに見えても、自分が決めたことは決して曲げないその在り方は変わっていないようだ。


 「それはそうと、わたしが仕込んだ思考概念を打ち破るとはまったく見事なものだ。それでこそわたしが見込んだ素材であり、順列一位というのも頷けるというもの。体調に変化は無いかね?無理やり殺人衝動を押さえ込んだんだ、それなりの代償は付いていると思うが・・・見たところ何も無いか」


 僕のつま先からてっぺんをジロジロと見るその瞳には、鈍く光る興味心の影がチラついていた。


 実際に何の代償もないとはいい切れないのが癪に障る。


 断続的に来る頭痛。軋みを上げる関節。


 気を抜けば力尽きてしまいそうな疲労感。


 全てを数え上げたらきりがないほどに支障が出ている。


 しかし、それを奴に教えてやることも、悟らせてやる義理は微塵もない。


 気づかれない程度に歯を食いしばり、全身に力を込めて睨み続ける。


「ふぅむ、しかしながら残念だ。本当に残念だよ。何故君は組織を裏切たんだ?君が抜けてしまった組織は牙を失った獣も同然で、小粒の獲物ばかりを狙うようになった。君が抜けた分と、君に討たれた使途二人の戦力も痛かったね。君の命を狙っているわたしが聞くのもなんだが、そこら辺の事情とやらを説明してはくれないだろうか?」


  「・・・相変わらずよく喋るな」


  「いやいや、何せ君とは数ヶ月ぶりの再会。しかも君は既に死んだと思っていたからね。君よりも格下とはいえ十二使途のうちの四人に追われ、死なないと思うほうがどうかしている。それに、報告にも死んだとなっていたからな。・・・この際だ、生きているのが異常だとはっきり言ってしまおう。・・・・・・化け物め」


 魔王は決して声を荒げていないし、怒鳴ってもいない。微笑を保ったまま毒を吐き続ける。


 「そもそも何故君が抜け番である順列十三位の『DOLL』といるのだ?アレは組織の枠組みから外れたわたしの所有物で、わたししか知りえぬ人形だぞ」


 順列十三位。それはやつが言うところの抜け番。組織の枠組みから外れた順位、裏切りの十三番。


 通常は力の強い順で位つけられた全十二位の順列だが、番号として数えられていない数字。それが裏切りの十三番。宗教的意味合いにおいて不吉とされる番号は、実質的に存在しないことになっていた。


 そこに座っていたのが彼女。『DOLL』と呼ばれ、恐らく使途内最強だった。


 本物の人形が如く無機質で冷酷だった少女。


 しかし、それも昔の話だ。今の彼女はか弱きただの少女にして、僕が守るべき対象。


 その彼女をこんな奴に引き合いに出され、それも物扱いされたことに僕は憤慨した。


 「彼女をDOLLと言うな。人形でもなければお前の所有物でもない、彼女は一人の人間だ!」


 「ふむふむ、今の反応で君達の関係はなんとなくわかったが・・・・・・裏切り者同士、落ち合って同盟を組んだというふうでもなく、かと言って偶然居合わせた訳でもない、となると・・・」


 手で顎を撫でながら思案にふける魔王。さも面白そうに事の展開を読み解いているようだ。


 「・・・こうなると『DOLL』を独立系等の私の私兵としたのが不味かったか・・・・・・一方通行の報告はやはり隠密性に優れる分、相手側の状態がわかりづらいからな。今後の対策として考える余地は有りか・・・」

 ブツブツとなにやら呟いているが、僕にはよく聞こえない。


 「しかし、これで奴の裏切った理由も解った・・・・・・単体の回収は可能かもしれんな。上手くすれば私兵をもう一人増やすことも・・・・・・その場合とる手段は・・・・・・・・・」


  一見油断しきった格好に見えても、その実隙は一切ない。


  もしもここで僕が攻めの体制に入ったとしても、こいつには、針は一本たりとも当たらないという確信にも似た予感がする。


 そもそも、僕に殺しの技術を叩き込んだのはこの男だ。


 言ってみれば、僕の攻撃パターンなど読めて当たり前で、長所短所を完全に熟知されてしまっている。


 幾度となく頭の中でシミュレーションをするが、その全てで僕の負けと出た。


 今この場で、争うのは避けられるのならば避けたほうがよさそうだった。


  「・・・まあいいかどうせささいなことだ。しかしながら、わたしの作った最も古き傑作と、最も新しき傑作が二体そろっていたとは。格下の奴等が返り討ちに合うのも当然か。かと言って順列上位を連れて来る訳にも行かないか。いっそのこと君達二人そろって組織に戻らないか?」


  「あまりふざけるな。僕は絶対にあそこには戻らないし、彼女だってそれを望んでいない。僕達はもう人を殺したくないんだ・・・。僕達を、ほっといてくれ」


  「なかなか強情なようだが、その言葉の意味することが解らない訳ではあるまい。もう十分なほど組織のしつこさは身に沁みたろう?こちらから復帰を誘っているのだ、今までの君らの悪さは全て水に流す。そして仲の良い二人にはそのままチームを組んでもらい、わたしの下で再び殺し屋となる。そう悪い条件でもなかろう?」


 「断る」


 「そう即断されてもな、こちらにも面子というものがあるのでね、恐らくこれが最初で最後の交渉になると思うぞ。それでもいいのかね?わたしとしては、君達二人に帰ってきて欲しいのだよ。これはもちろん本心で言っている。更に本音を言えば、最強の札と切り札は取って置きたい。特に切り札である君をね」


 「・・・・・・・・・」


 「一般的に見て殺し屋は存在しているだけで異端だ。時たま表の世界に復帰できる者もいない事は無いが、君達は殺し屋の中の殺し屋だよ。ふん、言い方を変えれば、殺し屋を狩ることすらできる死神といったところか。そんな異端の中でも例外的な君達は表の世界で生きていけるとは思えないのだがね、君はどう思っているのだい?」


 「それは、そのことは考・・・」


 「えていたとしてもだ。どの道君達はわたし達を敵に回した。わたしの言葉より今在るこの惨状を見れば、心優しき君ならどちらの選択がより被害が少なくてすむか解るだろう?なにもわたし達は善良な市民を望んで殺したりはしない。わたし達に殺される者は、巻き込まれて運悪く死ぬか、組織にとって邪魔な者か、他から依頼があった者のみだ。下手な殺人鬼とは違って、決して無駄な殺生はしない。それがプロの仕事だ」


 「昼間から堂々と僕らを殺しにくるのがお前の言うプロの仕事か?」


 「その点に関しては君にも非があると思うのだが。なにせ幾度の襲撃を全て防ぎ、君に通用しそうな札がもうあまりなかったのでな、使い捨てのカードを大量に切らせてもらった。その結果がこれだ」


 大仰なしぐさで両の手を開き、周囲の惨劇を強調して見せる。


 僕はこの時失敗をした。いや、この男と出会ってしまったこと自体があやまち。

 

 奴の口車に乗り、視線を奴から離し、改めて回りの惨状を見てしまった。


 フラッシュバックのように思い出される戦闘の場面。そして僕は考えてしまった。


 僕は何人の人を巻き込んだ?


 もっと意識して人気の少ないところに走り込めば、被害はこの半分ですんだのではないか?


 僕は戦闘中何処を走り回っていた?


 逃げ惑う人々を隠れ蓑にしながら彼らを殺していた。


 僕は戦闘中一般市民を殺さなかったか?

 

 解らない。乱戦であったあの状態だ、僕の針が間違って当たっていないとは言い切れない。


 僕は最後に何を楯にしていた?


 一人の人間を、今思うと生きていたかもしれない男性を楯にした。何の躊躇も無く、ただ自然に。


 顔にかかった彼の血を思い出す。鉄片を代わりに受けた彼はびくりと一度痙攣した。


 体を濡らす血を見やる。死んだ振りをしていたときに合った彼の濁った瞳は僕を睨んでいた。


 「・・・・・・違う」


 口の中がカラカラに渇き切り、ぽつりと零れた言葉。


 僕の中の何かがガタガタと揺れ動いた。


 「違わないさ。わたしはこの戦闘が始まった瞬間から見ていたが、間違いなく君は人ごみを楯にしていた」

  

 「・・・違う」


 ざわざわと、僕の中で何かが蠢き始める。


 それは過去に殺した人々の怨念。


 「君は否定できないよ。君が何人楯にして生き長らえたか教えてあげようか?わたしが見ただけでも最低三人は君の楯となって死んでいるよ。特に最後に死んだ彼は可哀相だったな」


 「違う!!!」


 それらは奴の言葉と共に、僕の中のナニかを一斉に貪り始め、体の内側から侵食する。


 「拳銃で腹部を撃たれただけでまだ息があったにもかかわらず、突然飛び込んできた君に楯にされて死んだんだ。それも飛びっきり無残な死にかだったね。見たかい?彼の全身には鉄片が突き刺さり、爆風で皮膚は焼け爛れ、流血で全身は血だらけだ。誰がこれをやった?それは君だよ。君が彼を巻き込んだ。それだけではない。この戦闘で死んだ市民は二十八人。これら全ての人の死を君はどう思う。一言で言ってあげよう、・・・・・・君のせいで死んだのだよ」


 貪り、食い散らかす、理性を食い破るドス黒く不気味な怨念と言う名の毒蟲達。


 それは僕を食い尽くすために隆起し、手当たり次第に意識を飲み込んでいく。


  「違う、違う違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。僕は殺してない。僕のせいじゃない・・・・・・」


 頭が痛い。この頭が焼付くような痛みはなんだ。


 両手で頭を鷲掴みし、ギリギリと押さえつける。


 僕は完全にこの男の術中に嵌ってしまった。


 精神操作、又は強迫概念の打ち込みであろうか、これはそういった手口だ。


 しかし、頭では解っていても、心が精神がこの男の言葉に耳を傾け、猛毒に侵食されて行く。


 一言に言霊を乗せ、一言に抑揚をつけ、一言に呪毒を含ませる話術に抗う術はない。


 この毒に解毒剤はない。唯一の希望は己が精神力のみ。


 しかし、長年この毒を浴び続けていた僕にとって、この毒は麻薬にも似た強い牽引力をもたらす。


  「僕は・・・違うんだ・・・・・・あぁ・・・・・・・・・」


 僕は何を言っている?まるで解らない。


 ただ言葉を呪詛のように吐き出し、この苦しみから解放されようとしているだけ。


 酸素が足りない。呼吸は荒くなり、空気を吸っても吸ってもまるで足りない。


 まるで僕の周りの酸素だけが突然希薄になってしまったかのようだ。


 「誰がそれを認める?わたしは生粋の殺し屋だ。だがこれほどの数を殺した君が言ったところでまるで説得力を感じないな。更に、他の殺し屋達はどうした?彼らについても殺してないと言い張るつもりかね。彼らも人殺しとはいえ人の子だぞ、その数は十五人。ほら、これで総数四十三人だ。この数を人と数えるか、個と数えるか、匹と数えるか、体と数えるかは君の勝手だが、間違いなく殺したのだよ、君がその手で」


 意識が朦朧とし始める。耳から入ってきた言葉は意味を為さず、頭の中で溶けていく。


 僕は知っていたはずだ、彼の言葉には毒があると。


 こちらの弱いところを責め、精神を突き崩すことを。


 だがもう遅い。四肢からは勝手に力が抜けていき、立っているのもやっとの状態だ。


 それでもなお、彼は毒を吐き続ける。


 僕を完全に攻め堕とすために。


 「正直、わたし達裏の世界の住人でさえ君たちの存在は受け入れがたい。が、わたしの力を持ってして捻じ込んでやろうというのだ。そうだ、わたしが教えたあの言葉は覚えているか?」


 耳元で囁かれる言葉は、僕の記憶の中に沈殿していた一つの言葉を浮き上がらせる。


 遥か昔に一度だけ彼から教わった言葉。それは死に満ちた、呪縛の毒素。


 「神を殺せ 魔を殺せ 人を殺して 己を殺せ」


 僕は何も考えてない。ただ、自然と口が動き。声帯が空気を振るわせた。


 「そうだ。その言葉のとおり、何も考えず、何も感じず、何も思わないで殺すことが重要だ。さあ、わたしの手を取り共に行こう。そこには今のような苦しみもなく、葛藤もない。ただ君の腕を、針を振るえばいいだけだ。なに、難しいことはない。そこには彼女もいるのだから。人形となった君と、『DOLL』である彼女とでは最高のコンビに成れる」


 人形・・・・・・『DOLL』。僕は何か忘れている。それはなんだったろうか。


「さあ、手を取り共に行こう。君は何も考えずにわたしの言葉通りに動けばいいのだよ。」


  ーーーーー思い出せ!ーーーーー


  この手に残る感触はなんだっただろう。


  ーーーーー想い出せ!!ーーーーー


  この腕に残る温もりはなんだっただろうか。


  ーーーーーおもいだすんだ!!!ーーーーー


  この唇に残る温もりは、感触は、この想いは彼女がくれたんだ!!!


  「・・・   ・・・・・・        」


  「ん、なにを言っているのかな?小さくてよく聞き取れないのだが」


  僕はだらりと下がっていた手を握る。丸くなってしまっていた姿勢を徐々に立て直す。


  「・・・絶・・・に・・・・・・言・・・ん・・・・・・」


  「ん?そう力を入れず、リラックスしていていいのだよ。ただわたしの手を握るだけでいい、それだけで全てが楽になるんだ。さあ」


  そうだ、俺は誓ったじゃないか。あの教会で、自分自身に。


  「僕は君を何時いかなるときでも守り抜き、共に罪を背負い、共に生きることを誓う』


  たとえ欺瞞だと言われてもいい。


  僕らのせいで死んでいった人たち、僕らの手によって死んでいった人を罪として生きていくんだ。


  たとえ偽善だと言われてもいい。


  僕らは何がなんでも生き抜き、全ての罪を償っていくんだ。


  僕は確かに失敗を犯した。しかし、この場では奴も一つ間違いを犯した。


  それは、僕だけを責めるのではなく、途中で彼女を話に混ぜたことだ。


  それも最悪のタイミングで、僕が一番弱ったところで引き合いに出した。

 

  それが僕の意識を蘇らせる。僕の体に力を与える。僕の心を支えてくれる。


  もう僕は何を言われても揺るがない。


  困惑の表情を浮かべる奴に向かって言い放った。


 「僕は絶対にお前の言うことなんか聞かない!全てを背負って行くと、常に傍にいると彼女と誓ったんだ!!!」

  

  熱く滾る物が体の奥底から溢れ出てくる。精神的、肉体的疲労の窮みに立っていたのがまるで嘘のようだった。


  気が付けば僕は驚くほど滑らかな動作で武器を取り、一瞬にして投擲していた。


  奔る!鋭く鍛え上げられた一本の鋭針。


  日光を反射し、白い線となって魔王に吸い込まれる・・・!


  しかし、乾坤一擲にも勝るとも劣らないその凶針を、やつは半身を傾けただけでかわす。


  数瞬の瞬きの間に滾る双眸と、怜悧な双眸が交差する。


  「・・・・・・ふぅ、交渉は決裂、といったところか」


  先刻命を奪われるかもしれない目にあったというというのに、この男は何の感慨もないのか泰然とした体で吐息を吐く。その様相には何の変化も見て取れず、さも当たり前のことが起きたとさえ感じさせるほどの凪いだ表情だ。


  「いやはや、ここで師弟対決と洒落込むのもわたしとしては吝かではないのだが、時間切れのようだ」


  タッタッタ、と一人分の足音が徐々に近づいてくる。二人のみのこの場に現れようとする第三者は、このタイミングから鑑みるに彼女一人。


  弱りきってしまった彼女とて、この惨劇に黙っていられる筈はないだろう。


  足音に籠められた遣り切れない想いが僕にも突き刺さるほどに伝わってくる。  


  その籠められた感情をどのように受け取ったのか、ソロモンは身を翻しながら最後の毒を吐く。



「流石に君達二人を同時に相手にするほどわたしも自身の腕に溺れていないでね、ここは早々に引き上げさせてもらうとするよ。次に合間見える時が君達の最後となるのか、そうではないのかは君達次第だ。それまで今の答えは保留ということにしておく。いずれ訪れる再びの邂逅の日までに、君が懸命な答えが出せることを祈っている」


  そう言い残すと、悪魔の如き男は颯爽と屍の山を越えて姿をくらませた。


  それが引き金になったのか、シンッ・・・とした周囲が一気に息を吹き返す。


  逃げ惑った人々が治安隊に救援をよこしたのか、ガチャガチャと無骨な無機物同士がぶつかり合う異音が耳に入り込んできた。


  呆然と奴が去っていくのを見届け、いつの間にか僕の服の裾を握っていた彼女の手を取る。


  「大丈夫?」


  「うん、大した怪我はないよ」


  白蝋のように青白い彼女の顔色は重病人のそれ。今すぐにでも倒れてしまいそうなほど儚く、吹けば消えてしまいそうなほどに消耗していることが見て取れた。


  ここまで辿り着くまでに見た光景は確実に彼女を抉り、甚大なダメージを彼女に与えたのだろう。


  立っているだけでふらつく足は、見ているだけで辛い。


  その原因を作ってしまった自分自身を責め立てたかったが、今はそんなことをしている暇はない。


  僕達は言葉少なに互いの無事を確かめると、すぐさまその場を後にした。


  背後から迫る保安隊の気配を感じながら、背後から放たれる無言なる怨嗟の声を確かにその身に受けながら、裏路地に身を隠した。


  背後から軋みを上げて瓦解し始めた僕らの世界を確かに感じながら、そう遠くない日にその崩壊に飲み込まれると確信した日だった。


  ーーー魔王の足音はすぐそこだーーー






 

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