転 〜選択〜
彼との生活が始まって数ヶ月 私の中では変化があった
らしい 変人の彼の言うことだ あまり信用は出来ない
今日も今日とて台所で炭素を作り それを私に食べさせる
彼が栄養が在ると言うから食べる 外はガリガリ 中もガリガリ
・・・うん とても不味い
たまに私のほほが固く 引き攣るのはなんだろう この破壊衝動はなんだろうか
私には解らなかったが とりあえず 彼のことを殴った
うん スッキリした
最近の私には解らないことが増えた 彼と居ると何故か落ち着く 彼が居無いと落ち着かない
無意識のうちに 彼の姿を追っている 無意識のうちに 彼の傍までよっている
何故なんだろう 何故私は彼と こんなにも居るのだろうか
彼に尋ねてみると 彼はこう言った
可愛くていいんじゃないか?
答えになっていなかった でも 何故か耳が熱くなった
最近こんなことが多い 何かの病気なのだろうか
不調は特に無いしむしろ好調だ なので私には解らなかった
ある日彼は犬を拾ってきた 小さな子犬
弱々しく震え それはまるで 初めて出会った時の彼のよう
何故拾ってきたのか彼に聞く 非常食にするのかと彼に聞く
すると彼は 犬を抱きかかえ 超高速で部屋の隅に移動した
また彼の新たな奇行に驚きつつ 彼が離れたので近づく
離れた 近づく 離れた 近づく ぐるぐるぐるぐると
部屋の隅から隅に逃げる彼
彼の奇行にも慣れたつもりだったが これほど不可解なものは初めてだった
私と彼の鬼ごっこは続いた 時計の長針が一周するくらい続いた
あまりにも私から逃げるので 途中で追いかけるのをやめて聞いてみた
何故私から逃げるのかと すると彼は犬が私に食べられるからと言った
なるほど どうやら彼は 私が犬を横取りしてしまうのを嫌がったらしい
なので私は 食べない
と答えると 彼は嬉しそうに私の隣に座った
ニコニコとした笑顔で子犬を見る彼
よほど犬は美味しいのか 今から食べるのを楽しみにしている
そんな風に私には見えた
でも 彼は独り占めしてしまいそうだったので
犬肉麺とかに料理したら 私にも少し分けてくれる様に催促してみようと思う
それ以外ならどうでもいい
しばらくして 子犬は完全にこのアジトに住み着いた
すぐに食べると思ったが なるほど 太らせてから食べる魂胆か 少しは彼も頭が回るようだ
部屋の中で遊ぶ一人と一匹 とても楽しそう ここ最近は仕事も無く
穏やかな日々をすごしている
彼は言った この子に名前をつけてくれないか?
そう聞いてきたので 肉 彼が奇行を始めた どうやら拗ねているらしい
変人の考えることは解らない 仕方ないので タマ と答えると 今度は盛大に転んだ
日に日に彼の変人度も増している 平和な今日この頃だった
タマが来てから 初めての仕事が入った
それはタイミングが悪く タマは病気にかかっていた
前々から前兆はあったが 今回のはそれらの比ではない
生まれつき体が弱いのか よく餌を残したり 変な堰をしたり などはよくあった
今回のはかなり重い 今のタマは痩せて 初めて会った時よりも弱々しい
その弱々しく呼吸する姿 いつ死んでもおかしくないほど
仕事に向かおうとするが 何故かタマのことが気にかかり
アジトから出る時 思わず抱きしめてしまった
タマが来てから初めて抱いた 今まで見ているだけで 触れようとも思わなかったのに
何故かそのときだけはタマに触れたかったのだ タマを感じたかったのだ
その心臓は確かに動いている トクトクトクと一定のリズムで刻まれる鼓動
その温もりはやさしく 不思議そうにこちらを見上げる瞳はただ純粋
しばらくそうしてジッとしていると
タマが嬉しそうに 私の顔を舐め始めた
顔が涎だらけになったが 不快ではなかった
むしろより強くタマを抱きしめたくなった
その光景を見ていた彼 とても穏やかに微笑んでいた
彼は手を伸ばすと タマと私の頭をやさしく撫でた
何故か胸が温かくなった 不思議な気持ち
私の中で生まれつつある それを私は感じることが出来た
今回の仕事内容は待ち伏せ そして暗殺方法は狙撃
なんとタイミングが悪いのだろう
指定の時間はあいまい 今日から明日にかけての深夜 ようするに不明
時間のかかる仕事 私は落ち着かなかった
タマのことが心配で そわそわしてしまっていた
彼は今ここに居無い 彼は別の場所で待機
以前私が銃で倒れたとき以来 彼の積極的な行動 それは早急な仕事の完遂を望んでのこと
私も早く戻りたかった タマは今どうしているだろうか?
そんなことを考えながら 要人を待ち構えている
既に待ち構えてから数刻
要人はいまだ来ない 予定から大分外れた時間
それでも待ち続ける
時折吹く夜風は冷たく 独りで在る私を嘲笑っているかのようだ
ここまで私が独りになるのは かなり久しぶりだった
彼が隣に居るのは当たり前 私が彼の隣に居るのが当たり前
いつのまにかそう思っていた だからだろうか
こんなにも何かが足りないのは 何かが欠けてしまったと そう思ってしまうのは
さびしい と感じることだからだろうか
私には解らなかった
早く彼の顔が見たかった 早くタマを抱きしめたかった 早くみんなで過ごしたかった
そんな想いが私の中で渦巻き 私を切なくさせる 私を弱くする 激しい葛藤が私を苛む
要人が来たのは 夜が開ける直前
太陽が顔を出し始めた頃 高級車に乗りやって来た
その黒塗りの車は 静かに風を切って 夜明け前の街を走る
狙撃スコープを覗く その車はガラスまで黒い 要人の姿はまったく見えない
でも
車が絶好の狙撃位置に来たとき 彼は素早く動いた 爆発音が一回
車の前で爆薬が炸裂する 突然のことに車は急ブレーキをかけるが
スリップしながらも綺麗に止まる
うん いい腕だ
すぐさま車の中から黒服の男が四人出てきた
でも 無用心すぎる
私は四回トリガーを引いた 狙い違わず弾丸は飛翔して 彼らの頭部を貫通した
倒れた四人 苦しまずに逝けただろう それがせめてもの慰め
残りはターゲット一人
彼が車内に乗り込み 命乞いの声が一度夜明けの街に響き すぐに物音一つしなくなった
これで仕事は終わり そして長い夜も終わった 私達は急いでアジトに戻る
彼は車のハンドルを握りつぶしてしまうかのように強く掴み
それに呼応するかの様に 車は乱暴ながら早急にアジトに向かう
でも 遅かった ・・・・・・・・・
部屋には動くものの気配は無く ただ静寂にして静謐
そう タマは私達を待っていた
冷たくなって・・・ 私と彼はタマを抱き上げる
その小さな体は冷たく 二度と動くことは無かった
何故だろう 何故なんだろう
何故私はこんなにも 強い衝撃を受けているのか
私は死体を見慣れているはず 死体を触り慣れているはず 死体を扱い慣れているはず
なのに何故 何も出来ずに呆然としているのだろう
私には解らなかった
彼は私の抱いているタマを見て ずっと泣いている
時折タマを撫でる手は震え その肉体の冷たさを確認し またさめざめと泣く
何度それを繰り返しただろう どれほどの時間が経っただろうか
太陽はすでに沈み 月が顔を出した
タマがよく寝ていた部屋の隅 私と彼は並んで座り 私はずっとタマを離さなかった
私の膝の上にいるタマは 今にも動き出しそう
でも それはありえない
誰よりも死の近くに居た私 誰よりも死と長く居た私
そんな簡単なことを 理解できない筈が無い
それなのに 何故 やりきれず 割り切れず 胸が苦しいのか
私には解らなかった
しばらくの間 朝が明けてから再び夜になるまでの間
私たちは肩を寄せ合い座り込む
ずっとタマを抱えて ずっと冷たくなってしまった体を撫でていた
彼はその間一言も喋らず泣いていた 私はその間一言も喋らず
・・・何もしなかった 何もできなかった
彼は突然立ち上がり言った お墓を作ってあげよう と真っ赤にした目を擦りながら
私は何も言わずに彼に着いて行く そこはアジトから少し離れた森の中
彼はここでタマを拾ったらしい 彼は黙って穴を掘る
ザッ ザッ ザッ
無機質な音が風に乗って響く
一度掘っては 手が振るえ
二度掘っては 嗚咽を漏らし
三度掘っては 涙を流す
そんな彼の姿を 私はタマをやさしく抱きながら見守る
深い穴はすぐ出来て あとはタマを入れるだけ
私と彼は最後に タマを強く抱きしめ
穴の底にやさしく寝かせる
そして地面に膝を付いて 両手で土を掬い その上に振り掛ける
私と彼とで交互に行う別れの儀式 私達はただ無言
淡々と丁寧に土を掛ける あらかた穴が埋った頃
上層部の土を固め 彼が何処からか持ってきた 木の棒を立て 花を一輪飾り 最後に祈る
これが本当の最後 もう私達はタマに会うことはない そう考えたとたん
私の内の感情が 堰を切って溢れ出した
私は転がるように立ち上がり 当てもなく夜風を切って走り出す
この私の内で暴れるものが何か解らず
その流れから逃げるように 私は暗い森の中を走る
このほほを伝う熱い物はなに?
この胸の内で大きくなるものはなに?
この押さえ切れない感情はなに?
そうかこれは 涙 これは 悲しみ これは 後悔
なんで私はもっと触れなかったの?
なんで私はさびしいの?
なんで私は置いて行ったの?
嗚咽と共に紡ぎ出される言葉 虚空に解けて答える者は無い
私が殺した
タマを殺したのは私だ 少し考えれば解る あんな衰弱した状態 置いて行ったらどうなるか
胸が苦しい 心臓が早鐘を打って 私を責め続ける
ごめんね・・・
漏れた言葉は虚空に消える
いつのまにか 私は足を抱いて座っていた
何処をどうやって来たか 記憶の欠片も無い
仰ぎ見る夜空には 大きな月が浮いている
淡く光る月光が 木々の隙間から漏れ 私を明るく照らす
泣きはらした目に痛い
静まりかえった感情は 胸の奥に沈殿し 溢れ漏らした涙 ほほの上で乾いて消えた
ボロボロになった心 私は知らなかった こんなにも苦痛を伴う痛みがあると
私は知らなかった 心の痛みは身体を蝕むと
立ち上がる足は震え 体には力が入らない
転んでは立ち ころんではたち
何度それを繰り返したか 幾度となく倒れる私は
まるでゼンマイの切れた人形
いや 壊れてしまったDOLL 立つことさえ出来ない
もう疲れた・・・ 全身を包む倦怠感
眠ろうか・・・ 幸いにして気温は低い
上手くすれば逝けるかもしれない あの世というものが在るのならば
タマの元に逝けるかもしれない 私は仰向けに倒れ
そのまま目をつぶ・・・ ろうとした
でも 目の前に差し伸べられた手 彼の微笑む顔を見てしまった
何もかも解りきったかのような やさしい微笑み
なんで・・・ なんで彼は笑えるのだろうか
タマが死んで悲しくない ・・・筈は無い
一日中泣いていた彼 隣に居たのは誰?
私しか居ない 何を見ていた?
泣いている彼の姿 私は何をしていた?
ただ黙って何もしなかった 彼はタマの死と向き合ったのだろう
でも 私は逃げた
こんなにも私は弱かったのか こんなにも彼は強かったのか
差し伸べられた手は 私の手をやさしく掴み 私を立たせる
足の震えは不思議と消えていた
彼は言う 大丈夫だから 僕がついてるから
優しい言葉が私を包む
傷ついた心を癒し 凍り付いていた心を溶かす
彼は私が立ち上がるのを 満足そうに見届けると 手を握ったまま歩き出す
・・・だそうとした
でも 私の足は動かなかった
いや 動かさなかった アジトに戻るのはイヤ
タマが居ない部屋 今の私には耐えられない
”どうしたの?”
私は彼を無言で見つめる
”帰りたくないの?”
”うん”
”タマが居ないから? ・・・さびしい?”
”・・・うん”
”そっか じゃあ・・・その・・・ね”
彼は急に押し黙ると 何故か顔を赤くし
佇まいを正して 私を見つめ言った
”とても言いにくいことなんだけど・・・”
”こんなときに言う台詞じゃないけど・・・ 聞いてほしいんだ・・・”
彼は視線を何度も外し 私をチラチラと何度も見て とても恥ずかしそうに言った
おそらく私がこの世に生まれてから 一番心に響いた言葉
何があっても決して忘れないと誓える言葉 それは使い古されているけど
とても重要で意味のある言葉だった
”一緒にいよう”
始め何を言ったのか解らなかったけど
言葉は徐々に浸透し 私の内で反芻し 意味を咀嚼してやっと解った
途端に湧き上る感情は 絡まり解けてせめぎ合う 又しても暴れまわる感情
でも 不思議と不快ではない
むしろ熱くなにかを突き動かす 言葉にしたくても出来ない想い
なにか言わないといけない
でも なにを言えばいいか解らず ただこくんと頷いた
その瞬間 彼は飛び跳ね飛んで 騒ぎ騒いで 転んでこけた
その顔は痛がってもいて 嬉しがってもいた
彼はばつが悪そうに 笑って誤魔化した そんな彼が面白くて私も笑った
決して大きくはなく 多少ぎこちないながらも 私は笑えた
彼は一瞬キョトンとし 次の瞬間には泣いていた
急いで立ち上がり いきなり私に抱きついてきた彼
その長い両腕で 私を強くやさしく包んでくれた
”なんで泣いているの?”
すっぽりと彼の腕に納まったまま聞く
”まだ悲しいの?”
”ううん違うんだ 嬉しいんだよ”
”嬉しくて泣くの?”
”そういうこともあるんだよ”
”なにが嬉しいの?”
”君が笑ってくれたこと”
”なんで嬉しいの?”
”初めて笑ってくれたから 告白を受け入れてくれたよりも 何十倍も嬉しいんだ”
彼は満ち足りたように言う
”そう・・・”
私も嬉しい そっと 始めは遠慮がちに 彼の胴に腕を絡ませる
でも 我慢できなかった
始めて感じた人の温もりを もっと感じたかった
力一杯彼を抱きしめる 彼もそんな私に付き合ってか もっと強く抱きしめてくれた
彼の鼓動が聞こえ 彼の体温が心地よく 彼の気持ちが伝わってくる
安心しきってしまったからだろうか 私の瞳からまた 一滴の涙がこぼれ落ちた
それは悲しみの涙ではなく
嬉しくて 幸せで 温かくて 独りではない と感じることが出来たから流れた涙
きっと世界で一番温かい涙
”・・・キス しよっか”
彼はまた笑ってしまうような とても緊張した顔で そう言った
”・・・うん”
彼の唇と私の唇が ゆっくりと近づき触れ合い絡み合う
触れ合わせただけのキス
それなのに より彼を感じることができた
いつまでそうしていただろうか
体が溶け合ってしまった 一つになってしまったかのような感覚
唇を離したのは どちらからだったろうか
互いに見つめ合い 微笑み合って
額をコツンとぶつけ合う 先に口を開いたのは彼
”何処か遠くに行こっか?”
”何処かってどこ?”
”何処でもいいから遠いところ 血も硝煙も殺しも無い場所に 邪魔するものの無い場所に 二人で逃げようか”
”・・・うん”
私はなんのためらいもなく
ただこくんと頷いた 彼がいれば私はなにもいらない 彼がいれば何処にでも行ける
そうだ その前に私にはやることが出来た やらなければいけないことが出来た
”タマのお墓に行こう? 言わなければいけないことが出来たの”
そう彼に言った すると彼は微笑みながら もう一度私にキスをすると
”そうだねちゃんと報告しないと 僕達は家族なんだって”
と言ってくれた
今度は私から彼にキスをしてから 彼と手を繋いでお墓に向かう
私たちはお互いに顔を見合わせ 笑いあいながら 大切な家族の元に向かった
それを見ていたのは まん丸なお月様 明るく森を照らし 私達を導いてくれた
タマ・・・・・・・・・
私今幸せだよ ・・・ ・・・ ・・・END or Last Story
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