第六話 有子の苦悩
翌日、学校へ行くとちょっとした有名人になっていた。体育館へ向かう廊下を歩いていると知らない人から声を掛けられるのだ。
「松宮と付き合ってるんだって?」
「おまえチャレンジャーだな」
「玉の輿おめでとう」
「無能と有能で能力差ハンパねぇな」
「松宮を引き取ってもらってありがとう」
「将来安泰だな」
「見た目や性格より、女は能力だよな」
「怪我しても放置されるから気をつけろ」
「無能は能力だけにしとけ」
散々な言われようである。あれもこれも全部小島のバカ野郎のせいだ。ちゃんと説明したのにこの様だ。
でも、それはどうでも良くて、その日の放課後、校門の前で松宮さんと仲が良かったと聞いた倉橋さんを待つことにした。人相はすでにリサーチ済である。
家が教育の森の近くならば自転車通学かバス通学になる。部活をしているかどうか分からないので、とにかくひたすら待つだけだ。
下校時間から二時間待って、ようやく倉橋さんが現れた。自転車でこちらに向かってきている。一人だったので話し掛けやすくもある。
「あの」
声を掛けてみたのだが、倉橋さんは俺が見えていないかのように通り過ぎてしまった。こうなると走って追い掛けるしかない。
「倉橋さん!」
信号が赤になってくれたおかげで呼び止めることができた。どうやらイヤホンを耳にして音楽を聴いていたらしい。
「なに?」
ちょっと怖がっている。
「あの、ちょっと聞きたいことがあって」
「誰?」
「あっ、俺は隣のクラスの加東っていうんだけど」
「えっ? ゆっこと付き合ってる?」
呼び名からして仲が良かったのは本当らしい。
「いや、噂はデタラメなんだけど」
「そうだよね。付き合うわけないもん」
倉橋さんは小柄だけどスポーツが得意そうな見た目をしている。それは単純にバドミントンのラケットを持っているからそう見えるだけかもしれない。でもショートにした髪も似合っているし、しゃべり方もハキハキしているし、スポーツ少女そのものという印象だ。
「付き合うわけがないっていうのはなんで?」
「だって男に興味ないもん。あぁ、違うか。ゆっこはね、他人に興味がないんだよ」
「友達じゃないの?」
「中二くらいまでかな?」
「何かあったの?」
そこであからさまに警戒する。
「え? なに? これ何の質問?」
俺はどうも不審がられることが多い。
「いや、最近たまたま松宮さんと知り合って、妹の志望校に通っているから何かアドバイスを聞きたいと思ってるけど、親しくなれそうにないんで」
「ああ、当然だよ。親しくなれるなんて思わない方がいいって。あっちがそんなの求めてないから誰だろうと無理なんだよ」
倉橋さんが自転車を押しながら歩き出す。
「でも仲が良かったんだよね?」
「誰が言ってたの?」
「小島」
「あのバカか」
そこは共通認識のようだ。
「一緒にいたからそう見えただけでしょう? 確かに家が近いから子どもの頃から一緒に遊んでいたけど、ほんと中学に上がった頃から変わったからね。違うな。もっと前からかな? なんかすごい壁を作るようになって、こっちから声を掛けないと話し掛けてこなくなったんだもん」
松宮さんに何があったんだろう?
「でもゆっこって頭の中で色んなことを考えてる子でしょう? それなのに何も話してくれないから、こっちもいい加減バカらしくなって。成績に差があるから進む高校が違うと思って、それでもういいやって思い始めたら、わたしも話し掛けるのをやめちゃったの」
こういうのは誰にでもあることだ。
「わたしが話し掛けなくなったら少しは気にするかと思ったけど、全然そんなことはなかった。誰ともしゃべらないでも平気な子なんだもん。ほんと、それを見て、それまで悩んでいた自分がバカらしくなったよ。結局気にしてたのは、わたしだけだったんだよね」
松宮さんは他人を悩ませてしまう人のようだ。
「でもゆっこって子どもの頃は優しい子だったんだよね。だってそれでわたしも一緒にいるようになったんだもん。でも気がついた時には、わたししかしゃべってなくて、つまらなそうな顔をして『バイバイ』も言わずに家に帰るような仲になったんだ」
俺に対してはあれでもよく話してる方のようだ。
「だから知り合ったばかりで親しくなろうなんて思わない方がいいよ。幼なじみのわたしですら心を開いてくれないんだから、もうムリ。妹ちゃんのためかもしれないけど、ゆっこが人のためにアドバイスするとかないから。ほんと自分さえ良ければそれでいい人なんだよね」
しかし、よくしゃべる子だな。
「その、松宮さんに変わった時期があるっていうけど、学校でいじめられたってことはない?」
「ないない。家が大きすぎて学校の先生まで気を遣うくらいなんだから」
「でも、その近寄り難い雰囲気を本人が無視されていると思うことは?」
「本当に知り合いなの? ゆっこを見れば分かるでしょう? 話し掛けてほしくない人なんだから」
言われてみればその通りだ。
「逆にいじめていたということはないよね?」
「だ、か、ら、他人に興味がない人なの。そういうネチネチしたことや一人の人に執着するという感情が一切ないのよ。その点では良かったと思うけどね。でも程度というものがあるでしょう? 一度くらいケンカしたかったって思うほどだよ」
倉橋さんがしゃべり続ける。
「あの子って他人に興味がないけど、自分にも興味がないと思わない? うん、そうだよ。いま分かった。自分にも興味がないんだ。オシャレとか全然しないもんね。子どもの頃はカワイイ服とか着てたけど、あれって全部用意してくれたものだったのかもしれない。中学の時とか、ほんと私服のセンスがヤバかったもん。男子の話も聞いたことがないから、好きな人もいなかったんじゃないかな。自分にすら興味が持てないってヤバすぎると思わない? 親がうるさいからそうなっちゃったのかもしれないな。うん、きっとそうだよ。それがゆっこなりの反抗なんじゃないかな? 反抗って逆らうだけじゃなくて、自分を消すことでもできるんだ」
それが倉橋さんの独自分析だった。確かに親のことを気にしすぎている面があったのはこの目で確認している。そして最後に言った『自分を消す』というのも気になるフレーズだ。まさに治癒力を失った彼女を的確に表している。もっとも異能者が能力を失うことはないので、松宮さんの場合はやはり失ったフリをしているわけだが、それが彼女の反抗なら説明がつく。
「話は変わるけど、倉橋さんの特殊能力って何?」
「うん? 物体浮遊だよ」
「あれ? それだとバドミントンの試合には出られないんじゃなかったっけ?」
「うん、そうだよ」
「いいの?」
「いいもなにも好きでやってるだけだから」
「へぇ」
「重量挙げが好きだったらもっと能力値が高くなってたかもね。でも好きだから仕方ないんだよ」
好きという感情が曖昧なので、実際のところ因果関係は証明されていない。でも多くの高能力者が口にしているので信じる人が多いのだ。
「加東くんの特殊能力は?」
「俺? 俺は持ってないんだ」
倉橋さんの足が止まった。
「ん?」
おしゃべりの倉橋さんが唖然としている。そっちで有名になっていると思ったが、まだまだ知らない人がいるようだ。
「持ってないって、つまり無能ってこと?」
「うん」
そう言うと、倉橋さんが大笑いした。
「無能って、ウケるんだけど」
いや、無能力はギャグじゃねぇし。
「ねぇ、マジで言ってんの? まったくダメな人がいるって聞いてたけど、本当にいたんだ。ちょっと信じらんない」
生徒の間ではダメな人と呼ばれているようだ。
「ねぇ、本当に無能なの? ないフリをしてるだけなんじゃないの? 透視か透明になれるのに隠してたりしてさ」
よくされる質問だが、これだけは真剣に答えなければいけない。冗談を言おうものなら誤解を与えたままデマとなって拡散されるからだ。
「ない。ちゃんと能研で検査を受けて無能であることは証明されているから。定期的に調べてもらっているから絶対だよ」
「でも無能なんてことあるの? 何時代の人? 昔の時代からタイムトラベルしてきた人とかじゃないよね?」
「昔に戻れるといいんだけど」
タイムトラベルなんて能力はない。
「倉橋さんは物体を持ち上げることができなくなるなんてことはないの?」
「ないよ。ありえない」
「異能力を使う時ってどんな感じなの?」
「そっか、無能だから分からないんだ。もうね、息を吸ったり吐いたりするのと変わらないよ」
これは同じように表現する人がたくさんいる。
「ただね、わたしの場合は重い物は持ち上げられないんだ。ちょっと見てて」
そう言うと、自転車から手を離した。
しかし手を離しても倒れなかった。
でも、浮かない。
そこに留まっているだけだ。
「自転車だと、これが限界なの」
自転車くらいは持ち上げられないと進学校に合格することはできないだろう。だから無能の俺でも通える学校にいるのだ。
次の土曜日、俺はゆり子先生の元には行かず、松宮さん家の近くにある児童公園へ向かった。緑生公園という名称のようだ。松宮さんと会う約束はしていないが、通院途中にある道なので会える可能性は高い。もし会えたら一緒に研究センターへ行こうと思ったのだ。
今日は小学生の子どもが多い。球技をやるグループと滑り台やブランコなどの遊具を独占しているグループに別れているようだ。
「あっ、松宮さん!」
予想通りに現れてくれた。
それが嬉しくてベンチから自然と腰が浮いた。
「松宮さん」
手を振ってみたが、こちらを見てくれない。
イヤホンをしていないので聞こえているはずだ。
黙って俺の目の前を通り過ぎようとしている。
完全に無視する気のようだ。
「松宮さん」
近づいて声を掛けてみた。
それでようやく立ち止まってくれた。
「なに?」
「どうして立ち止まってくれないの?」
「怖かった」
「何が?」
「ストーカーがいるって思ったから」
「は? そんなわけないだろう!」
顔を引きつらせているので真面目に否定しないといけない。必死に見えて余計怪しまれることになっても、俺はとことん真面目に返すつもりだ。
気がつくと松宮さんはベンチに座っていた。仕方がないから俺も付き合うことにする。隣に座られるのが嫌なら松宮さんが移動すればいい。
思えば公園のベンチで女子と並んで座るというのは昔からの憧れのシチュエーションだった。その相手が松宮さんだとは想像もできなかったけど。研究センターへ行くという目的がなければ、どこからどう見ても高校生のデートだと思われるかもしれない。
「センターに行かないの?」
「まだその時間じゃないから」
話し掛ければ、ちゃんと答えてはくれるようだ。
「そういえば『無能者』はもう読んだ?」
「うん」
「どう思った?」
松宮さんがしばらく考える。
そして、さらに考える。
無言が続くので質問を忘れたのかと思うほどだ。
かなり待って、ようやく口を動かした。
「この世界に無能者は確かにいると思ったよ」
一言だけで充分だった。いや、それ以上の言葉はないかもしれない。その感想を聞けただけで喜びを感じる自分がいる。なにしろ彼女は無能者の存在を認めてくれたわけだからだ。つまりそれは俺という存在を認めたことと同義となるわけだ。これ以上なにを望むというのか。自己の存在証明ほどこの世に尊いもなんて在りはしない。その本を書いた作者に改めて感謝したくなった。
「あっ!」
松宮さんの声と共に園内が騒然となった。
小さな女の子の悲鳴も聞こえる。
一体、何があったのだろう?
そう思った瞬間、駆け出していた。
子どもが集まり人だかりになっている。
どうやら怪我を負ったようだ。
怪我したのは浮遊力を使って空を飛んでた子だ。
子どもは力を制御できないので事故に遭いやすい。
意識がない。
若木の枝が太ももを抉っていた。
出血も多く、思った以上に危険な状態に見える。
小さな子がずっと泣いていた。
園児の保護者が電話をしている。
こうなると救急車を待つしかない。
病人は瞬間移動で一緒に連れて行けないのだ。
事故現場で役立つ人はやはり治癒力者である。
サイレンの音が近づいてきた。
救急車が来たようである。
教育の森には大学病院が近くにあるのだった。
これならもう心配はいらないだろう。
ベンチの方を振り返ると、松宮さんがうつむいたままじっと固まっていた。
まるで何事も起こっていなかったかのようなたたずまいだ。
この状況で微動だにしなかったのは松宮さんただ一人ではなかろうか。
でも事故に気がついたのは俺よりも早かったはずである。
「松宮さん」
声を掛けても反応を見せない。
「もしかして本当に能力を失ってしまったの?」