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第十六話 透子との対話

 透子ちゃんの身体が今にも消えてなくなりそうになっていた。彼女は俺に謝っていたが他人のことを気にしている場合ではないではないか。

「透子ちゃん、その身体……」

「うん。自分でも分からないの」

 声まで消え入りそうである。

「体調は大丈夫なの? 痛みとかない?」

「何も感じない」

「俺が無理をさせてるのかな?」

「違う。出会う前から時々こうなるから」

 異能力を制御できなければ入院を必要とする場合がある。日常生活を送るというのは決して当たり前のことではないのだ。

「それより昨日は本当にごめんなさい。つらく当たるつもりはなかったの」

「謝る必要ない。押し掛けているのは俺の方だし、それにあんなのはつらく当たるうちに入らないよ」

「良かった。嫌な思いをさせていたらどうしようって思っていたから本当に良かった」

「俺の方こそ公園で待つと言って透子ちゃんを家から釣り出そうとして悪かったよ」

 そう言うと、強く顔を左右に振った。

 彼女の意思表示の一つ一つが嬉しく感じる。

「自分でも分からないって言ったけど、どれほど深刻か自分で把握できてる?」

「それも分からない。元に戻るかもしれないし、もう二度と元に戻らないかもしれない」

「俺、能力研究センターに通院してるんだけど診てもらったことはある?」

「小学生の頃に同じ症状が出て診てもらったけど原因は分からないって」

 専門家が分からないとなると厳しいな。

「でもその時は自然に治って学校にも行けるようになったから今回も大丈夫だと思う」

「何がキッカケで治ったか分からないの? それが分かれば治せるかもしれないけど」

「分からない。あの時はお母さんの田舎の学校に転校したけど、それがキッカケか判断できないし」

「そうだよな。分かっていればこんなつらい思いをしてるわけないもんね」

 窓際のソファに座って陽光を浴びる少女はまるでガラス細工の人形のようだった。触れてしまえば壊れるような、そんな脆さが感じられる

「実はさっきお母さんと話していた会話を廊下で聞いていて、今まで会わないようにしていたことを謝りたくなったの。有子ちゃんから無能くんはおもしろい人だと聞いていたから能力で悩んだことがないって勝手に思ってた。でもやっぱり悩んでて、それでもこうして毎日会いにきてくれてたから、それなのに私は自分のことしか考えられないで」

 なんだろう、この胸のモヤモヤは?

 どうして透子ちゃんは悲しそうな顔をしている?

 いや、申し訳なさそうな顔ではないか。

「違うよ。全然違うんだ。俺は同情してもらいたくて透子ちゃんに会いにきたんじゃない。そんな思いをさせるために話したんじゃないんだ」

 このまま感情をぶつけていいのだろうか?

「どうしてそうやって他人のことばっかり考えるんだよ。いまは自分のことだけ考えてあげればいいんだ。自分を見てあげてくれ。人に心配をかけたら申し訳ないとか、問題ないフリをするとか、そんなのしなくていいんだよ。少なくとも俺に負担を感じることはないよ」

 口調がきつかっただろうか?

 俺にも正解が分からなかった。

「私、怖くて……」

 ああ、やっぱり間違ってしまったようだ。

「ごめん。偉そうなこと言うつもりはなかった」

「そうじゃない」

 透子ちゃんの言葉が初めて感情的になった。

「そうじゃないの。私、子どもの頃から人の目が気になって、どうしても、気にしないっていうことができないの。気にしたくないのに、気にしないって決めても、どうしても気にしてしまう。それで人の目が怖くなったんだ。怖いけど、それでも学校を休むとお母さんを悲しませてしまうから、頑張ってたんだけど、でもやっぱり怖くて。教室で頑張って息をしないようにしてるのに、気持ち悪がられて、ちゃんと目立たないようにしてるのに、笑われて。もう、やれることは全部やったのに、それでもダメだから、もう、このままでもいいと思ってる。でも、それだとお母さんが悲しむから」

 どうして気持ち悪がられるんだ?

 なぜ彼女を笑う?

 こんなにも優しい女の子なのに。

「お母さんだけは悲しませたくない」

 手を握ることができたら、どれだけ思いを伝えられるだろうか?

 でもそれはできない行動だ。彼女は男子から触られて不快な思いを経験している。

 触れられることに嫌悪感を抱くかもしれない。

 どうして彼女がそんな思いを抱かなければいけないというのだ。

 子どもに一生そんな思いを引きずらせるようなヤツらが許せない。

 それは自分たちの未来を奪うに等しい行為ではないか。

「汚いとか、気持ち悪いなんて思わない」

 それしか言葉にできなかった。

「汚くも、気持ち悪くもないよ」

 その言葉を受けて、透子ちゃんが俺に訊ねる。

「これでも?」

 そう言って、テーブルに置いてあったコーヒーの飲み残しを手に取った。

 それを、そのまま一気に飲み干す。

 すると、半透明の身体にコーヒーが流れ落ちていった。

 のどから胸元へ下りて、服の下へ消える。

 そうか。

 服がなければ排泄物まで見えてしまうということだ。

「汚い物を見せて、ごめんなさい」

 透明力という異能を持ってしまったがために、彼女だけ他の人なら見えないものが見えてしまうのだ。これを気にしないなんて方が無理な話だ。自分で能力をコントロールできない時期があったとすると、給食の時間にその姿を見られたこともあっただろう。そんなの傷つかないなんて無理だ。しかも自分ではどうすることもできないではないか。なんで彼女だけそんな目に遭わないといけないのだ。

「汚くない。信用できないかもしれないけど、汚いと思わないんだ。信用してもらわなくてもいいや。俺は絶対に汚いと思わないから。ほらっ」

 俺も同じようにジュースを飲んだ。

 飲んでから、意味がないことに気がついた。

 ちくしょう!

「ふふっ」

 俺がもどかしそうにしているのを見て、透子ちゃんが声を出して笑った。頭の悪さの方がよっぽど恥ずかしいことだと思った。

「それ、意味ないから」

 遅いツッコミだけど心地いい。一緒に笑えるって、なんて気持ちいいんだろう。透子ちゃんは一緒にいて嬉しくさせてくれる存在だ。それなのに小学生の時に嫌な経験をしたばっかりに、自分の存在を極力目立たないようにさせていたなんて、怒りを覚える話だ。飲食と排泄をしない人間はいない。それなのにどうして透子ちゃんだけ苦しまなければいけないというのか。絶対に汚いと思ってはいけないことだ。

「有子ちゃんが言ってた通りの人だった」

「俺は聞いた印象と違うけど」

「なんて聞いてたの?」

「地味で目立たないけど、それが、らしいって」

「それは合ってるけど」

「でも楽しいよ。話しやすいし」

「それは無能くんと話しているから」

「バカがうつった?」

「ふふっ」

 また笑ってくれた。こうしてたくさんの笑い顔を集めていけたら楽しいだろうな。ふと、それまで印象に残らないと思っていた顔が可愛らしく感じた。

「私、男の人とちゃんと話をしたのが初めてだから、今こうして話せているのが信じられない。ずっと怖いと思ってたから」

 男子と話したことがない人はいなくはないが、彼女の場合は怖くて話せなかったので、それは特殊なケースと見ていいだろう。

「好きな人もいないの?」

「いない」

 即答だった。

「好きになったらいけないと思ったから」

「そんな」

「やっぱり怖いから」

 髪を無造作に伸ばしているのは、できるだけ肌を隠していたいからだろうか。女性として見られるのを拒否している感じである。

「好きになっちゃいけないなんて、ないよ」

「私はでも好かれるより不快にさせるから」

「そんなの分からないじゃないか」

「でも、みんなそうだったから」

「そんな人たちの基準の中で生きることないんだ」

 何年も抱えてきた思いを今日一日で覆せるとは俺も思っていない。でも言ってあげないといけないことはあるはずだ。

「俺はね、透子ちゃんという人の価値を透子ちゃんの中だけで決めてほしくないと思っているんだ。それはこれから何十年経ってもだ。君と出会いたいと思っている男がこの世界にどれだけいることか、それを君は全然分かってない。理解しようともしていないじゃないか。君が可能性や未来を閉ざすということは、出会いたいと願っている人の未来まで奪うということなんだよ」

 これを過去に傷を受けた人に言って良かったのだろうか? どう受け止めてくれるか分からないが、自問せずにはいられなかった。

「飲み物とってくる」

 透子ちゃんはそう言い残してキッチンの方へ行ってしまった。

 しばらく戻ってこないのは傷つけてしまったからだろうか?

 まるで透子ちゃんが悪いと言っているようにも受け取られかねない言い方をした。

 そんなつもりはなくても、どう伝わるかは分からないことだ。

 知り合ったばかりで踏み込み過ぎているという自覚もある。

 だからといって距離を取ろうとすると不自然に感じさせてしまう。

 人と関わるってなんて難しいんだろう?

 もっとシンプルな言葉で表現すべきだろうか?

 ストレートに思いを伝えたいものだ。

「無能くん、これ」

 透子ちゃんが差し出したのは小説『無能者』だ。

「無能くんはムガちゃんが好きだって」

「あっ、松宮さんから聞いた?」

 変な汗が出た。

「うん。私に『出会いたい人の未来を奪うな』って言ったけど、そういえば無能くんの好きな人って小説の中の人だったことを思い出して」

「いや、それは、あれだよ、理想というか、憧れっていうか、いたらいいなとか、そういう話であってさ、俺も偉そうに言うつもりはなかったんだ」

 こんなオチはいらない。

 せっかくカッコつけることができたのに、二次元キャラが好きというだけで説得力が消し飛んだ。

 しかも、しどろもどろになって言い訳してるし、みっともないったらありゃしない。

 何がストレートに思いを伝えたいだ。

 そんな気持ちを知るはずもなく、透子ちゃんが呟く。

「でもムガちゃんはいいよね」

「読んでくれたんだ?」

 話を変えてくれたので、ありがたく便乗させてもらおう。これから恋愛を語る場合は、もう少し経験を積んでからの方がいいかもしれない。

「うん、昨日あれから読んだんだ。小説は教科書以外で読んだことがなかったけど、あっという間に読み終わっちゃった」

 そう言うと、本を胸に抱えた。

 俺も同じことをした覚えがある。

「読んでみてどうだった?」

 透子ちゃんがじっくり考える。

「ムガちゃんは素敵だけど、自分に置き換えるのは難しいかな。ううん、無理だと思う」

「まぁムガちゃんが人のためにしていることって、読者しか知らないからね」

「そう、作中人物は誰も知らないの。でもそれをムガちゃんは黙ってやるでしょう?」

「俺なら、これだけいいことしてやったぜ、って自慢したくなるからな」

 ムガちゃんは奉仕と献身の人だ。

「だから俺にとっては理想でもあるんだよな。たぶん湯川先生もその理想を描いていると思うんだ」

「他人に黙っていいことをするって難しいもんね。私も理想にはしたいけど」

「でも透子ちゃんって、俺がイメージするムガちゃんに近いんだよな」

「それは地味で目立たない外見をしているという描写があったから?」

 まずかったか?

「いや、透子ちゃんも自分のことよりお母さんのことを大事に考える人だろう?」

「私はムガちゃんのように何かをしたい、って思う人じゃないから」

「あれはどういう心理で人のために力になろう、って考えられるんだろう?」

「それは、無能くんが私にしてくれたことと同じ気持ちなんだよ」

 人から指摘されて初めて気がついた。

「有子ちゃんの友達だっていうだけなのに毎日会いにきてくれたんだもん」

「そっか。自分では意識してなかったけど、知らないうちに俺の行動に影響を与えていたんだ」

「小説の主役が女の子じゃなく、同じ名前の男の子だったら好きになってた?」

「分からない。想像したこともないや。でも主役が女だから男に生まれて良かったと思ってる」

 主役が男ならハマっていただろうか? 答えは否だ。たぶん、ひねくれて、こじらせて、さらなる劣等感を抱いていたかもしれない。

「ムガちゃんは素敵だけど、私は女だから、やっぱり難しいと思っちゃうんだ」

「まぁ、分からなくもない。購買層も男性が占めているっていうし」

「そういうんじゃなくて、足りていないというか、気高すぎるというか」

「松宮さんも似たようなことを言ってたな。でも創作だし仏典や聖書も似たようなもんじゃない?」

 やっぱり男が書く女主人公ものは女性読者からのウケが悪いようだ。これはでも仕方がない。先生も男性読者に恋をさせるために女にしたのだろう。


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