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第十五話 透子の異変

 土曜日も透子ちゃんの家に行くと決めた。本来ならこの日はゆり子先生と会う日である。でも自分の予定を優先するわけにいかなかった。自分から予定をキャンセルするなんていつ以来だろうか? しばらく考えても記憶にないくらい珍しいことだった。

 でも振り返ると、俺が透子ちゃんにしていることって全部ゆり子先生が俺にしてくれたことではなかっただろうか? 部屋に閉じ籠る俺に本を届けてくれたり、体調を気遣って会いにきてくれたり、会いたくないと言っても会いに来てくれたり……。

 俺は昨日まで自分の意思で透子ちゃんの家に行ってたと思っていたけど、その意思ですらゆり子先生に導かれていたということか。俺という人間って何なんだろう? でも不思議と以前から感じていた、操られているという感覚はないのである。

「透子ちゃんいますか?」

「ちょっと待っててね」

 娘は会わない、と分かっていながらちゃんと透子ちゃんに確認を取りに行ってくれるお母様には感謝の言葉しかない。その手間を勝手に省かれてしまったら、俺としてはもうなすすべがないからである。透子ちゃんと会えるかは、お母さんにかかっているのだ。

「やっぱり会いたくないって」

「そうですか、だったら透子ちゃんに伝えてくれませんか? 俺、日没まで噴水広場にいるんで気が向いたら会いに来てほしいって」

「それは」

 言葉に詰まり、申し訳なさそうな顔をする。

「いや、ただの日向ぼっこですよ。家に帰ってもゲームするだけなんで、だったら公園でやるのも同じですから」

 これ、透子ちゃんやお母さんに気を遣わせないためじゃなく、本当のことだった。無能には無能の取り柄があるっていうことだ。

「分かった。伝えておく」

「お願いします」

 初めてお母さんの微笑みを見た気がする。でもそれで良かったと思うかは別の話だ。やはり透子ちゃんに負荷を掛けすぎていないか気になるのだ。気にし過ぎではないか、と思うのは間違いで、こういうのは常に過敏であるべきだ。なぜなら誰も明日のことを予想できないからである。

 それと透子ちゃんは透明力という珍しい特殊能力を持っているからでもある。それを持つ苦しみなど俺には一生かかっても分からない。だから慎重になるのは当たり前なのだ。そういう風に考えられるのはやっぱり、俺だけが無能! だからなのかもしれない。

 しっかし暑いな。

 ここまで暑いと暑さではなく熱さだ。夏だから日没までたっぷり時間があるし、ひょっとしたら死んじゃうかもしれない。公園に飲み水があるってスゴイことだ。なかったら完全に干上がっていたと思う。今日は彼女も来ないだろうし、明日は熱中症対策が必要だ。


 翌日も透子ちゃんの家に行って、お母さんに噴水広場にいることを告げてから公園に行った。この日は日曜日なので賑わっている。噴水の周りには家族連れが大勢いるのだが、陽射しが強いので長居する人たちはいなかった。日陰が占領されていたので空いているベンチに座った。

 幸せそうな家族を見ても恨んだりしてはダメだ。それは自分の将来の幸せまで恨んでしまうことになるかもしれないからである。公園には誰も透子ちゃんのことを気に掛ける者などいないが、それで薄情だと思ってもいけない。彼らには俺の知らない問題がある。

 俺は誰かに褒められたくて噴水を眺めているわけではない。社会を良くしたくてこんなことをしているわけではないのだ。何だろうな? このところ透子ちゃんの姿に自分が重なっている感覚があるのだ。これが『無能者』に出てくるムガちゃんの境地ではないだろうか?

 でも彼女が出会った異能者と別れて孤独を選ぶ心理はまだ理解することはできないでいる。彼女はどんな理由で孤独を選択しているのだろう? 小説というのはおもしろいもので、同じ本を読み返すと、その度に新たな発見がある。それはでも人生と同じかもしれない。

 分かっていたと思っていたことが分からなくなったり、分からないことがある日突然分かるようになったり、本当に不思議なものだ。ムガちゃんを自分のことのように感じる瞬間もあれば、まったく理解できなくなる瞬間もある。そういう時に、もっと大人になりたいと思うのだ。


 次の日、異変が起きた。透子ちゃんの家に行くとお母さんではなく透子ちゃん本人が俺を玄関で出迎えてくれたのだ。

「お母さん買い物に出掛けたんだ」

 わざとそうしたのだろうか?

「毎日会いに来てくれてるんだよね?」

「うん」

「会わないって言ってるんだけど」

「それは聞いてる」

「それなのに、どうして来るの?」

「話がしたいと思って」

「私、大丈夫って言ったのに」

「それも聞いた」

「有子ちゃんに頼まれたんだね」

 どう答えるべきだろうか?

「いや、最初は確かに頼まれてついて来たんだ。だけど今は違う。今は透子ちゃんと話がしたいからここに来ているんだ」

 そう言っても何一つ表情が変わらなかった。

「何日待とうが、私、行かないよ」

「でも今日は会ってくれた」

「それはお母さんがいないから」

「うん」

 せっかく会えたのに器用に話ができない。

「お話することもないし」

「あっ、いや」

「もう、来なくても大丈夫です」

 口ごもることしかできず、結局それ以上話をすることができなかった。そうなると、もう引き上げることしかできない。この、せっかく回ってきたチャンスに凡退する情けなさよ。さすがにこの日は噴水広場へ行く気力がなかった。

 しかしここで次にどうするのか、と考えられるのが一流の選手ではないか。ダメだと思ったら諦めるか辞めることしかできない。スポーツをしているわけではないのに強引に引用してみたが、それくらいのことをしなければ前進など不可能だ。

 それにこの日は収穫もあった。それは透子ちゃんの態度や話し方や表情に変化が感じられたことだ。前に会った時は無理して笑っていたけど、今日は言葉に感情がなく終始淡々としていた。きっとあれが松宮さんの言う素に近い透子ちゃんだ。

 一見すると距離があるように感じられるけど、実は無理をしていない分だけ俺に気を許してくれているように感じられるのである。ひょっとしたら俺の方が気負いすぎていたのかもしれない。もっと普通にしていてもいいのではなかろうか?

 明日も行こう、ということでもう一度トライしてみることにした。今度は気負わず肩の力を抜いて話をすればいい。公園で待つというのもやめた方がいいかもしれない。それだと強引に家から引っ張り出そうとしているみたいで鬱陶しいはずだ。


「昨日娘と会ったんですって?」

 今日はお母さんが玄関で出迎えてくれた。

「はい。でも上手く話すことができませんでした」

「娘も同じこと気にしてたけど」

「えっ、そうなんですか?」

「話すのが苦手な子だから」

「それは良かったです」

「あら、どうして?」

「得意な子だと俺も頑張らないといけないから」

「おもしろい子ね」

 そう言って、お母さんが笑った。

「少し上がっていかない?」

「いいんですか?」

「うん。娘が下りてくるか分からないけど」

「じゃあ失礼します」

 今日は素直にお言葉に甘えることにした。

 それからリビングでソファを勧められた。

「ジュースでいい?」

「はい。お願いします」

 こういう時、『お構いなく』って言うんだっけ?

 まぁ、どっちでもいいや。

「娘から聞いたけど加東くん無能なんだって?」

「はい。生まれた時から無能です」

「珍しいわね」

「世界でも類を見ないそうです」

「うちの娘も珍しいけど、大変だったでしょう?」

「いいえ、気楽なもんですよ」

「それは男の子だから、そう考えられるのかな?」

「それはあるかもしれませんね」

 透子ちゃんのお母さんはアイスコーヒーを飲んでいる。年上の女性と差し向いで話をしても緊張しないのは普段ゆり子先生と話しているからだろう。

「でも無能で悩んだ時期はなかった?」

「一時的にはありましたけど」

「やっぱりそうよね」

「部屋に閉じ籠ってゲームばっかりしてました」

「でもちゃんと学校に行けるようになったんだ?」

「そうですね」

「キッカケはなに?」

 そこでゆり子先生との出会いや小説『無能者』について簡単に説明した。それを透子ちゃんのお母さんが真剣に聞いてくれた。

「俺ほんと単純なんで、無能者の主人公を好きになって自分も主役になれるような存在なんだ、って思い込むことができたんです。そっからは気分が楽になれましたね。他人をバカにするようなヤツは主役になれないヤツだ、って思うようになりましたし。といっても、その分ちゃんとしないとカッコつかなくなるので自分を追い込んで苦しくなることもあるんですけど。でもそういうのは映画観たり、マンガ読んだり、ゲームしたりすれば忘れるんで、得な性格してると思います。いつも勉強しろって怒られるけど」

 子どもの話を聞いてるとは思えない眼差しだ。

 話の聞き方で尊重されているのが分かる。

 透子ちゃんのお母さんはすごく素敵な方だ。

「透子もゲームでもすれば気晴らしになるのかな」

「興味がないと気晴らしにならないと思います」

「そういうものかしら」

「好きじゃないと苦痛に感じるかもしれませんし」

「そうよね」

「それに俺の話は参考にならないかもしれません」

「あら、どうして?」

 ふと、妹の明子の顔が思い浮かんだ。

「透子ちゃんは進学校に通ってるじゃないですか。うちの妹も合格するために必死に勉強していて部屋に籠りっ放しなんですよね。家にいて勉強机に向かうことができるだけでも、俺から見たらすごいことですよ。俺一度も誘惑に克ったことないですもん」

 透子ちゃんのお母さんが笑ってくれた。

「妹さんには楽しいお兄ちゃんがいて羨ましい」

 透子ちゃんが一人っ子なのは別にお母さんの責任ではないだろうに。子どもの有無で責任を感じる必要なんてないのだ。

「でも進学に関しては私の希望でもあったのよね。どうしても娘にはいい学校に入れてあげたいと思ったの」

 そこで表情に陰影が浮かんだ。

「あの子が希望したことだったのかな? 結果的に父親と別々に暮らすことになったし、何も言ってこないけど心に思うことはあるわよね」

 家庭の事情なので、そこは何も言えない。

 でも俺には妹がいる。

 妹は何を考えているのだろうか?

「うちも父親と離れて暮らしてるんですよね。俺は気にしたことないけど、だからといって妹も気にしていないかといったら、そこは分からないです。いくら俺が『仕事の都合は個人ではどうにもならない場合がある』と納得していても、妹が同じように考えているかは知りませんし。そこで割り切らないとダメだと押し付けるのもおかしいので、父さんを擁護したり味方になったりしないんです。そこは父親と妹の問題だから、俺が入るとどっちかを少数派にしてしまうんですよね。だから妹や父さんには何も言わないんです」

 そして、それが必ずしも正しい姿勢だとも思っていない。本音の部分ではもっと妹の力になってやりたいと思っている。でもそんなことを透子さんのお母さんに言っても仕方ない。向き合うべきは妹なので、ここで自分をアピールするのはカッコ悪いことだ。

「私そろそろ買い物に行かなくちゃいけないの」

 そう言うので、タイミングを合わせて俺もおいとましようと思ったら、お母さんに引き止められてしまった。

「あなたは帰らなくていいの。良かったら、もう少しここにいてくれないかしら?」

「いや、でも、人様のお家ですし、俺なんかが残っていいのか」

「家を出るとき娘に声を掛けてみる。部屋から出てくるか分からないけど私がいない方がいいでしょ」

 そう言って、買い物に行く支度を始めて、本当に俺をリビングに残して出て行ってしまった。いや、俺だからいいものの、っていう話でもない。俺も一応十六だし、性に興味がないわけじゃないのに、というか一番興味を持つ年頃だ。俺なら絶対に俺を家に入れたくない。

 でも、だからといって勝手に下着を漁ることはない。さすがにそれをやったらお終いだっていうことくらいは分かっている。でもでも、俺の母親に比べて透子ちゃんのお母さんは何倍も綺麗なのだ。いや、そもそもそんなことを考えちゃいけないんだった。

「あの、昨日は、ごめんなさい」

 透子ちゃんがいきなりリビングに現れるなりそう言った。

 力のない表情だ。

 それは身体が消えかかっているから、そう見えるのだろうか?


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