表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/24

第十三話 透明な透子

 あれから一年が経過した。一年前の出来事が昨日のことのように思えるが、月日の流れを振り返ればだいたいはそう感じるものだ。

 一年経っても俺は相変わらず特殊能力に目覚められないでいる。やっぱりこの身体に眠っている能力などないのかもしれない。それでも能力研究センターに通う日々は続いていた。高校を卒業する一年半後までは、ずっとこんな調子の日々が続いていくのかもしれない。

 ゆり子先生の研究室は書類が増えたくらいで一年前と変わらず殺風景なままだ。俺が紅茶を淹れる習慣も以前と変わらない。隣の診察室も学校の保健室みたいな雰囲気のまま変わった様子がない。タヌキのぬいぐるみが一個増えたくらいである。もちろん俺があげたものだ。

 今日のゆり子先生は紅茶にゴロっとした蜜漬けのアンズを入れて飲んでいる。三時のおやつにちょうどいいと言っていた。

「あっ、そうだ。今日は久しぶりに有子ちゃんが来るんだった。会っていったらどう?」

「ジャマしたら悪いですよ」

「でも有子ちゃんはわざわざ土曜日を指定してきたのよ? たぶん私じゃなくて笑吉くんに会いたいんじゃないかしら?」

「それなら先生を通さなくていいのに」

 あれから松宮さんとは顔を合わせていない。顔を合わせなくなったキッカケは覚えていない。なんとなく自然消滅した感じだ。昨年最後に交わした会話はやっぱりお笑いについてだった。彼女が『私は人を笑わせる才能がない』と言ったので『そんなことない』と答えたのだ。

 いや、正確には『目の前にいる人を笑わせたいと思う気持ちよりも才能の有無が気になるのなら、確かにその通りだね』と言ったのだ。他にもたくさん話をしたが、今はもうよく覚えていない。とにかく『笑い』というのとても難しいものだと語り合ったのは確かだ。

 どんなことを話しただろうか? 地位や名誉や財産を欲するだけではモチベーションを維持できないとか、壁についても話をした。そうだ、壁だ。笑いに壁はないが、すべての人が壁を越えられるわけではない、ということを話した。壁を壊したり乗り越えたりするのは簡単にできることではないと伝えたのだ。

 今のテレビのバラエティがそうかもしれない。中流以上の出演者が、中流以上の価値観で、中流以上の視聴者に笑いを提供する。もはやテレビは中流以上の娯楽と呼べるだろう。貧困層には心を傷つけられる凶器にしか感じられないものになっている。

 笑いで人生を救われた、と一度でも思ったことがあるからこそ、人を殺せる道具にもなる、と考えられるのである。俺が救われたのは小説『無能者』でムガちゃんに笑わせてもらったからだし、だからこそ俺は自分の人生を人に笑ってもらおう、と思えたのだ。

 でも松宮さんは俺とは逆の判断をしたようだ。お笑いの道を諦めて医療の道で自分の能力を活かすと決めたようである。昨年の暮れに全国異能試験で一位になり、わずか一年で高校を卒業して、今は大学に通いながら臨床医もしているという話だ。

「ニャッホー」

「あら、有子ちゃん。元気そうね」

 噂をすればなんとやら。

「あっ、無能くんもいる」

「よう」

「こんにちワン」

「その挨拶やめろ」

「だってお気に入りなんだもん」

 やはり彼女はお笑いを諦めて良かったようだ。

「有子ちゃん、その白衣似合っているわね」

「ゆり子先生ほどではないです」

「お世辞まで言えるようになったんだ」

「私、嘘はつきませんよ。話を盛れるようにはなりましたけど」

 松宮さんは大人相手の方が話しやすそうだ。きっと今の職場も楽しいのだろう。知的な子には学校の教室は窮屈なのかもしれない。

 それから松宮さんとゆり子先生の二人は最新の医療について情報交換を始めた。横文字の名詞が飛び交う難しい会話なので意味不明だ。こういう時に勉強をしていないと惨めに感じてしまう。勉強をしないバカにしか感じられない独特の疎外感である。

 問題は、これほど虚しい疎外感を味わっても、勉強しようとは思わないことだ。興味がないことにはどうしようもないのである。興味がないことを強制されると苦痛に感じ、自分でも脳が縮まっていると感じられるほどだ。それを経験して無理をするのを止めることにした。

 そういう意味で『無能者』という小説に出会えたのは二重の意味で俺を救ったかもしれない。読書という趣味にも出会えたからだ。勉強ができなくても本を読んでいると言えば、それなりに体裁が整う。これほど便利な人を知的に思わせる道具はないだろう。

 その発想がバカ丸出しだ、という言葉は考えなかったことにしよう。とにかく俺にも夢中になれるものが見つかった、というのは喜ばしいことだ。人生を欲張ってはいけない。夢中になれるものが一つでも見つかっただけで幸せ者なのだ。俺の幸せだけは他人が決めることはできない。

「有子ちゃん何か用があるんじゃなかった?」

 やっと難しい会話が終わったようだ。

「これは、ゆり子先生はもちろんだけど、無能くんにも聞いてほしいことなんだ」

「是非聞かせてちょうだい。笑吉くんも時間大丈夫よね?」

「はい。もちろん」

 ゆり子先生が言っていた通りだ。

「これは高校時代の友達の話なんです。名前は小林透子こばやし とうこといって、普段は下の名前で呼び合っているような関係です。その透子ちゃんが最近学校に行けない、というか家から出られなくて、それで透子ちゃんのお母さんから相談されたんですよね。というのも友達と呼べるのは私くらいで、他に相談できる子がクラスにいないんです。それでわざわざ卒業した私の元に来たんだと思います」

 松宮さんは春に高校を卒業しているから、二年に進級したその透子ちゃんは学校で話せる人がいなくなったということか。

「有子ちゃんは、その透子ちゃんが学校に行けなくなった理由に心当たりある?」

「卒業してから会っていないので定かではありませんが、元々学校が苦手だったと聞きました」

「透子ちゃんのお母様から聞いたのね? その苦手になる理由は聞いた?」

「お母さんじゃないんですけど、本人から小学生の時に嫌な経験をしたと聞いたことがあります」

 いじめを受けたということだろうか?

「それで有子ちゃんが私の元へわざわざ相談に来たということは異能力も関係あるのかしら?」

「はい。でもお母さんからは能力異常が見られるとしか聞かされていないんです」

「その透子ちゃんの特殊能力は何かしら?」

「透明の子と書いて透子ですから、身体を透明にすることができるんです」

 透明力とか、かなり稀有な異能力だ。

「でもゆり子先生、透子ちゃんは家から出たがらないからお母さんでもここに連れて来ることはできないんですよね」

 それだと先生だって調べようがないだろう。

「有子ちゃんのことだから、もうどうするのか決めているんじゃないの? どうしてほしいか要望があるなら早めに言って」

「はい。昔の私に先生がそうしてくれたように、透子ちゃんにも無能くんを引き合わせてみてはどうだろう、と思ったんです」

 そこで俺かよ。

「ゆり子先生はご多忙でしょうし、透子ちゃんは私の友達だから、相談はできても、やっぱり私が力になるしかないんですよね。でも私一人じゃ自信がなくて、もう一緒に学校に行くこともできないし、解決策がまったく思いつかないんです」

 いや、俺にもムリだろう。

「じゃあ早速二人で透子ちゃんのお家へ行ってみたら? こういうのは早い方がいいと思うんだ」

「はい。そうしたいと思います。そうですよね、今すぐ行くべきですよね」

「うん。そうした方がいいと思う」

「では後程またご報告に伺います」

 俺の意思は?

「無能くん行こう」

「えっ? あの」

「笑吉くん、いってらっしゃい」

「いってきます」


 俺って、もうすでにゆり子先生に逆らえないように飼いならされちゃった感がある。先生の指示に従うだけで気持ちよく感じることもあるくらいだ。しかし松宮さんに付き添うのはいいとして、扱う問題はかなり深刻そうだ。それこそ面識のない俺が介入していいのかも判断が難しいところである。

 現在の透子ちゃんがイジメられているかは分からないが、小学生の頃の体験を今も引きずっているとしたら、それはあまりにつらすぎる。そんな彼女に俺なんかが何をしてやることができるというのだろう? 声を掛けるにしても、その言葉も何を言えばいいのか分からない。本当に俺なんかが関わっていいのか? それを透子ちゃんは望んでいるのか?

 そうだ、やっぱりここは確かめておくべきだろう。

「あの、松宮さん」

 白衣の彼女が住宅街の真ん中で立ち止まった。

 なんとも不思議な光景だ。

「どうかした?」

「いやその、いま歩きながら考えてみたんだけど、俺が一緒に行っていいのかな、なんて思ってさ」

 松宮さんが自分の胸に問うている。

「実は私も同じことを考えていたんだ。無能くんについて来てもらうのは、自分一人で背負うのが嫌なのかなって思ってるんじゃないかって」

 白衣を着ているから気がつかなかったけど、そういえばずっと松宮さんは不安げな顔をしている。白衣だとそれが分かりにくいのだ。

「でもね。去年一緒のクラスだった時に無能くんの話をしたら会ってみたいって言ってたんだよ。きっとそのことが頭に残ってたんだね」

 俺の知らないところで俺の話をしてくれる人がいるのか。それだけで俺も透子さんに会ってみたくなった。でも力になれるかは別の話だ。去年とは事情も精神状態も違うだろうし、今は何とも思われていない可能性の方が高い。

「どうしたらいい?」

 ここにきて俺に判断を委ねるのか?

「よし、決めた。俺、一緒に行くよ。松宮さんが誘って、ゆり子先生が大丈夫と判断したんだ。だったら迷う必要はなかったんだ。足りなかったのは俺の意思だったんだな。俺も背負うのが怖かったんだよ。でももう大丈夫。俺の意思で一緒に行くよ」

 足踏みしたけど、こういう自分の意思を一つ一つ確認していく作業が俺には必要なのだ。トロいと思われても欠かせないことなのである。


「ここが透子ちゃんのお家」

 俺の家と変わらない二階建ての一軒家だ。父親が単身赴任で留守がちにしているというのも俺の環境に近い。

「あら有子ちゃん、早速来てくれたの」

 出迎えてくれたのは透子ちゃんのお母さんだ。三十代後半の若くて綺麗な人だった。でも表情に陰りがあるので見ているだけで心配になる。

「そちらの方は?」

「私の友達です。透子ちゃんとは初めてですけど」

 そっか、俺と松宮さんは友達なのか。

「とりあえず二人とも上がって」

 そう言われて、リビングへと案内された。

「透子に声を掛けてくるわね」

 そう言うと、透子ちゃんのお母さんは廊下に出て行った。階段を上がって行ったので子ども部屋は二階にあるのだろう。

 それにしてもよそ様の家にあがるというのは緊張するものだ。友達の家に行く機会などないので、ここ十年経験していない緊張だ。

「松宮さんは前にもこの家に来たことあるの?」

 首を振る。

「友達といっても学校の中だけの関係なんだよね」

 そこは別に気にすることではない。子どもの頃のように近所の公園で遊ぶようなことをしないので高校の友達とは淡白な関係になりがちだ。

 でも、趣味が合えば別なのだろうか? なんとなくだけど松宮さんとは十年間音信不通でも再会したら今と変わらない付き合いができそうだ。

「ああ、有子ちゃん」

 小林透子さんがリビングに現れた。

「すごい、白衣着てるんだ」

「う、うん」

「隣の人が無能くんだっけ?」

「は、はじめまして。加東笑吉です」

 あっけにとられながらも、挨拶を返した。

「はじめまして。小林透子です」

 名前の通り透明感のある見た目だ。

「有子ちゃん、久し振りだね」

「う、うん」

「卒業してから会ってないんだっけ?」

「そ、そうだね」

 松宮さんはなんとか平静を装おうとしているのが俺にも分かった。俺も動揺して言葉が出ないどころか、目線の置き場に困るくらいだ。

「今日はどうしたの?」

「う、うん。透子ちゃんに元気がないって、お母さんから聞いて、それで心配して来たんだけど」

「もう、やだな、うちのお母さん心配性だから」

 俺たちから離れたところに立っているお母さんが心配そうな目で娘の様子を見ている。しかしお母さんの心配性を心配している場合ではない。

「でも、学校休んでるんだよね?」

「今週に入って休んだだけだよ」

「学校で何かあったの?」

「何もないよ。夏休み前で気が抜けたのかな?」

 いや、どこをどう見ても気が抜けたというレベルではない。これは急いでゆり子先生に診てもらった方がいい状態である。

「お母さんが余計なことしてごめんね。有子ちゃん忙しいんでしょう? 私は見ての通り元気だから心配いらないよ」

 そう言って笑ったが、俺はこれほど哀しげな笑顔を見たことがなかった。なぜなら透子ちゃんの顔や身体が半透明になっていたからである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ