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第十二話 笑顔の答え


 松宮さんは笑わないのではなく、ちゃんと笑っているけど、その笑顔は顔が引きつっているように見えるだけなのである。死んだような顔をしている時が普通の顔で、無表情で唇の端がわずかに上がっている時だけが楽しいと思っているようだ。

「こんにちワン」

 松宮さんの顔が引きつる。

「今のおもしろい?」

 その問い掛けにコクリとうなずいた。やっぱり俺の考えは正しかったようだ。笑いのセンスは置いておいて、とにかく彼女は楽しんでいるのである。

「ニャッホー」

 本日二度目だけど、顔が引きつった。

「もうやめて」

 そう言うと、お腹を押さえた。さすがにこれで腹を抱えるのはありえない。それと顔が怖いので笑っているとは思えないのだ。でもちょいちょい俺との会話で笑っていたのかもしれない。写真で違いを発見できなかったら一生分からなかっただろう。

「松宮さんにちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「いいけど、さっきから胸ばっかり見られてる気がするんだけど」

 胸も気になるけど、Tシャツが問題だ。

「胸じゃなくて、そのTシャツなんだけど、それって毎週同じヤツを着ているけど気のせいかな?」

「気のせいじゃないよ。最近は家でも毎日着てるから。でも洗ってないわけじゃないよ」

 嫌な思い出があるわけではないようだ。

「このTシャツは私にとって大切な思い出なんだ。というより絶対に忘れちゃいけない教訓が詰まっている物なの」

 どうやらケンカしたわけではなさそうだ。

「私、中学生の時に本当に酷いことをしちゃって、ミクちゃんの一言がなかったら最低の人間になっていたかもしれなかったの」

 ミクちゃんとはミック―のことだろう。

「文化祭の時にね、みんなの思い出に残るようなことがしたくて仲のいいグループ全員分のTシャツを作ろうと思ったの。私が絵を描いて、みんなには内緒で準備した方がサプライズになって喜んでもらえるかと思ったんだけど、それがミクちゃんを怒らせたんだ」

 怒らせたからケンカに見えたのだろう。

「文化祭の前の日に持って行ったんだけど、みんなに渡す前にミクちゃんが『そのTシャツのお金はどうしたの?』って聞いてきた。私はみんなからお金を受け取るつもりはなかったから『私が全部払った』って言ったんだ。するとミクちゃんは『渡すならタダはダメ』って言ったの。だから正直に『一枚二千円した』って言ったんだけど、そこで『他の子はTシャツに一枚二千円すら払えない子がいるんだよ』って言われて……」

 その時のことを思い出したのか、涙を流した。

「私はその時ほど自分のことを愚かでバカだと思ったことはない。頭が悪いというのはきっと他人の気持ちが分からない人のことを言うんだよね」

 自分自身に悔しさを感じている言い方だ。

「お金じゃ思い出は買えない、とかじゃなくて、仲のいいグループの家庭の事情まで気にすることができない自分がバカなだけなの」

 松宮さんは貧しい人を見ずに生きていく選択もできた人だ。それでも友達から注意される人生を選んだわけである。

「それで着ないのももったいないから毎日着るようにしているの。ずっと着ていればそのことを忘れないで済むでしょう?」

 生きてきて思うのは、どのタイミングでどんな人に出会うか、というのが、すごく重要になってくるということだ。俺にとってゆり子先生との出会いが重要だったように、松宮さんにとってはミクちゃんという同級生との出会いが重要だったのである。

 こういうのは人との出会いだけではなく映画や本や音楽などにもいえることだ。俺は『無能者』という小説が友のような存在にあたる。おかげで物を考える時はどうしても文字や文章で考えてしまうクセがついてしまったのだ。その考えをいつかファンレターに綴りたいと思っている。

「毎日同じTシャツを着ている理由は分かったけど、犬なのか猫なのかは分からないな」

「ああ、これね」

 Tシャツの絵柄を指先でつまんでみせた。

 その時、なんとなくいい匂いがしたような気がした。

「これは犬と猫の両方なの。ちょうどグループが犬派と猫派に分かれていたから、どっちにも見えるようなデザインにしたのよ」

 なんというセンスだろう? 普通派閥が二つに分かれたなら仲良く二つ並ばせればいいものを、松宮さんは強引に合体させてしまったわけだ。

「それより考えてくれた?」

「うん?」

「先週、私のパートナーになってほしいって言ったでしょう?」

「あ、ああ」

 やっぱり聞き間違いではないようだ。

「それで返事は?」

「それが、その、いきなりだったんで、まだ考えがまとまらなくて、それで、どうすればいいのか」

「前向きに検討しているっていうこと?」

「それも含めて検討中というか」

 松宮さんの眉根にシワが寄る。

「考えてはくれているのね?」

「それはもちろん考えているよ。でもほら、卒業までに決めてくれればいいって」

「言ったけど、それは本格的にやるなら卒業後の方がいいっていう意味だよ」

「やる?」

「うん」

 松宮さんの純粋な目がこちらを見ている。

 これは冗談が通じない目だ。

 真面目に答えなければいけない。

「あの、松宮さん、俺はやるにしても、そういうのはちゃんと互いの気持ちがピークに達した時にしたいと思っているんだ。だから、まずは好きという気持ちを確かめ合う作業から始めよう。いや、急ぎたい気持ちもあるんだけど、ちゃんとしたい気持ちの方が強いんだ」

 松宮さんの目が点になっている。

「無能くん、なにドサクサにまぎれて告白してんの? 好きとかそういうのいらないでしょう? 男女のお笑いコンビに恋愛とかいらないから」

 お笑いコンビ?

「私は無能くんのツッコミに惚れたけど、その好きは恋愛の好きと同じなわけないでしょう? 夫婦漫才がしたいわけじゃないんだからね。無能くんがそういう目で私を見るならお笑いなんてできっこないよ。お笑いの世界ってそんな甘い世界じゃないんだからっ」

 こんにちワンやニャッホー程度のギャグで笑うような人に説教されてしまった。プロを目指してはいけない一番ダメなタイプの素人だ。困ったことに、そんな人がお笑いを目指している。松宮さんは毒舌家タイプの志望者だが、素人の説教や毒舌ほど見苦しくて不快なものは他にない。

 毒舌で笑いが取りたいならまずは金を払う人がいる前で笑わせることだ。そこを避けるとただの悪口と変わらなくなってしまう。しかし俺はなんてバカなんだろう? お笑いでコンビを組んでほしいという誘いを勝手に愛の告白と受け取ってしまったわけだ。

 いや、『パートナーになってほしい』というワードに違和感があったのだ。それを感じていながら考えないようにしていた自分がいる。思い返すと失恋フラグが立ちまくっていた気がする。突然の告白に浮かれまくっていた時点で爆死する予感があったではないか。

 その幾つもの失恋フラグの伏線をキレイに回収してしまうのだから、やはり俺は無能なのだ。この、フラグがビンビンした状態で浮かれる哀しさよ。俺はやっぱり一生恋愛には縁がなさそうだ。と言いつつ、これが逆張りの伏線にならないかと期待している自分が一番悲しくなる。

「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど」

 訊ねた松宮さんの表情は、俺が落ち込んでいるとは思っていないようだ。

「男の人って好きでもない人から告白されただけで好きになっちゃうものなの?」

「それは男とか女とか関係ないだろう? 相手が意識していると思ったら意識するさ」

 納得できる答えではなかったようだ。

「でも、無能くんって好きな人いなかったの?」

「いないよ」

「本当に?」

「女子には俺が見えてないからね」

「そんなことないでしょう?」

「嫌われなければそれでいいんだ」

 俺が好きになったところで、っていう話だ。

「でも理想の女性はいるんじゃない?」

「いや」

「だって、さっき熱く語ってたでしょう?」

「さっきのは理想っていうか、ただの妄想かな」

「その妄想に出てくる人の顔は誰?」

 改めて問われると思い浮かばなかった。

「タイプの人とかいないの?」

「タイプは、あっ、いや、なんでもない」

「なに?」

「いや、笑うからいいよ」

「笑える人なの?」

「引く人もいるかな?」

「でも、いるんだ?」

 これ、完全に答えないといけない流れだ。

「どういう人がタイプなの?」

 まぁ、別に隠すことでもないだろう。

「ムガちゃんだよ」

「ムガちゃんって、『無能者』の?」

「うん」

 そう『ムガちゃん』というのは小説『無能者』の女主人公である義生無我のことだ。最近になってコミカライズされて一部で人気もあったりする。俺は小説から入った古参のファンだが、作品を幅広い人に知ってもらうにはありがたいことなので、うるさいことは言わないようにしているのだ。俺がイメージしたビジュアルよりも胸が大きすぎるような気がするけど、聖母のような雰囲気はしっかり感じられるので文句はない。

「え? 無能くんって作品の中身ではなくムガちゃんが好きで私にオススメしたの?」

「いや、もちろん作品そのものが好きだよ。だけどムガちゃんは作品から切り離しても魅力的だよ」

 松宮さんが首を捻る。

「マンガや小説のキャラを好きになってもいいの。だってそんなのは映画やテレビに出ている人を好きになるのと変わらないものね。でも『無能者』のムガちゃんはないかな。いや、ああいうキャラが男の人に人気が出るのは分かるんだ。でもやっぱりムガちゃんはダメだよ」

 今どき創作物のキャラに恋をするのは珍しいことではない。でも松宮さんはなぜだかムガちゃんだけは止めとけと言う。それがどうしても俺には納得できなかった。まるで自分を否定されたかのような錯覚までおぼえる。どこがいけないというのだろう?

 義生無我ぎしょう むがは現在十五歳の女の子だ。奇しくも俺と同い年である。彼女が人類最後の無能力者として生きている姿も俺と同じだ。彼女は色んな人と出会いながら、いつも最後に孤独を選択して人々の前から去っていくのだが、それがシリーズの縦軸としての謎になっている。

 横軸のテーマは出会った人との交流である。とにかくムガちゃんという子は献身と慈愛だけしかないような女の子だ。人類最後の無能者なので何の取り柄もないのだが、とにかく健気に人と接する姿が涙なくしては読み進めることができないのである。

 結論としては好きにならない方がおかしいのだ。

「小説はおもしろかったし読んで良かったと思っている。続編だって読みたいよ。でもムガちゃんを好きになるのは違うと思う。これはけなしているんじゃなくて、やっぱり作者が男性だから普通の女の子のはずが女神のように描かれているのよね。それは作家さんの技術や力量が不足しているとかではなく、やっぱり究極の理想像として描かれちゃっているから、私には違和感があるのかな?」

 俺はそう思わないので見解の相違だろう。

「現実の女の子ってね、もっと醜い部分を抱えているものなんだ。『無能者』のムガちゃんはあえてそういうのを排除して描かれているみたい。きっと作者の湯川先生も知っているんだよね。それでもあえて男の子に夢を与えようとしてムガちゃんを書いているのかもしれない。だって主人公に利己的な部分が一切ないなんておかしいんだもん。本を書くくらいの人なら、それくらいみんな知っているでしょう?」

 松宮さんはそういう感想を持ったかもしれないが、俺の感想は違う。それは数万人いる読者の中でも俺にしか理解できないことだ。それは俺だけが本物の無能者だからだ。無能者のムガちゃんの気持ちは俺にしか理解できないといっても過言ではない。

 自分で言うのも何だけど、世界中でただ一人無能者として生を受けてしまったら、ムガちゃんのように献身的に慈愛を持って生きるしかないのである。ムガちゃんがいつも孤独を選んでいる理由は、俺のように疑わずに信じてくれる人を探しているからなのではないだろうか?

「女の子はね、嘘をつくし、酷いことも言うし、言わなくても頭では思ってるし、自分のことしか考えられない時があるんだ。それでもそういうのを絶対に許さないと罰するのではなく『それも人間だよね』って抱きしめてもらいたいものなんだよ」

 そう言われても、俺はムガちゃんを探すまでだ。


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