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第十話 有子の告白

 つまらないことを話してしまったかもしれない。結局その日はそれ以降一言も言葉を交わさず別れてしまった。

 来週も同じ場所で待ってる、と言ったがちゃんと聞こえていたか分からない。もっと楽しい会話を選ぶべきだっただろうか?

 そういえば松宮さんと知り合って一か月以上になるが、これまで一度も笑った顔を見たことがないような気がする。今度は笑わせることを第一目標にして会ってみるのも悪くない。一体彼女はどういうことで笑うのだろうか?

 そこでもう一度だけ倉橋さんに会ってみようと思った。彼女なら笑いのツボを知っているかもしれないからだ。


 部ではなく同好会ということで、練習場は古い方の体育館だ。冷房がないけど風がないので競技を行う上では好都合という話だ。

 通路を歩いているだけで体育館の中から楽しそうな声が聞こえてきた。その声を聞いているだけで、こちらも楽しい気分になる。

 中に入ると二十人以上の女の子がバドミントンの練習をしていた。みんな薄着でタンクトップの子もいる。

 色んな物が揺れていた。きっと世の中には様々な感触を必要としているために大きさがそれぞれ異なっているのだろうと思えた。

 しばらく見学していようとしたら、すぐに場内がザワつき始め、倉橋さんが俺の元へ急いで駆けつけてきた。

「ちょっと何しにきたの?」

「倉橋さんと話をしようと思って」

「ここ男子立ち入り禁止だから」

「そうなんだ」

「入り口に張り紙があるでしょう?」

 浮かれて目に入らなかったようだ。

「ごめん」

「いいから出て」

 と言って、外に引っ張られてしまった。

「わたしの知り合いだと思われるでしょう?」

「一応、知り合ってはいるけど」

「やめて。何も知らない他人同士だから」

 とりあえず水飲み場に場所を移した。

 倉橋さんがゴクゴク水を飲んでいる。

 Tシャツの下は水色の下着だ。

 それを見ないように我慢するのがつらかった。

「で、話ってなに?」

「松宮さんについて他にも聞きたいと思って」

「もうないよ。いないところで話すのも嫌だし」

「それはそうだね」

「聞きたいことがあるならさっさと聞いて」

 急かされると焦ってしまう。

「いや、その、松宮さんと知り合ってしばらく経つけど、まだ一度も笑顔にすることができなくて、それでどうすればいいのかなって」

「え? 二人はどういう関係? それってやっぱり付き合ってるの? 言っとくけど好きでもないならそういうことは考えない方がいいよ」

 意外と真面目な忠告だ。

「それはつまり勘違いさせるから?」

「まぁ、そういうことかな」

「でも俺は楽しい会話がしたいだけなんだよ」

「だから前にも話したけど笑わせることなんてムリなんだって。ほんといつもつまらなそうな顔をしてるんだもん」

 確かに俺といるときもつまらなそうだ。

「でも不思議なのは『楽しい』って聞くと『楽しかった』って答えるんだよね。でも無理やりそう答えているとしか思えないんだ。だって修学旅行の時の写真を見返したら、やっぱり同じ顔しかしてないんだもん。他の写真も全部そう。楽しそうな顔なんて一枚もないの」

 作り笑顔もできないということか。

「昔の写真を見ると全部つまらなそうな顔をしてるから無理やり付き合わせちゃったのかな? なんて思ったりして、こっちが落ち込むんだよね。だから無理やり笑わせようとか、そんなことはしない方がいいと思うよ。誘えば断らないけど、ただ断れないだけなんだと思う」

 確かに振り回している感じがする。

「恋愛感情がないならなおさらだよ。男に対して免疫がないどころか不信感すらあるからね」

「過去に何か嫌な経験でもしたの?」

「そういうのはないけど、ドラマやマンガだと金持ちの娘ってヘンな男を好きになることがあるでしょう? それが心配なんだよ」

 それを俺の前で言うか? でもそんな心配しなくてもこの世の中に俺のことを好きになる女は一人もいない。無能者の時点で恋愛の対象外だ。

 しかし倉橋さんはなんだかんだ言って心配しているようだ。でもそれは単に心配性とか親身になってしまう性格っていうだけかもしれない。誰が誰をどのように、またどのくらい思っているかなんて当の本人にしか知り得ないので第三者が考えても意味はない。

「よかったら松宮さんの昔の写真とか見せてもらうことってできないかな?」

「え? ちょっと待って、怖いんだけど」

 また怖がらせてしまった。

「ストーカーとかじゃないよね? 確か加東くんだっけ? 加東くんは自分が思う以上に気持ち悪いからね」

 気持ち悪いにもランクがあるが、面と向かって言われるのは、それほど深刻ではない。気にしなくていいレベルである。

「ストーカーじゃないし、迷惑を掛けるつもりはない。本当にただ笑わせてみたいだけなんだよ。たったそれだけで世の中が変わるかもしれないんだ」

 倉橋さんが若干引いている。

「す、すごいメンタルだね」

「俺は、ただの無能者さ」

 残念そうに俺のことを見ている。

「じゃあ、わたしそろそろ行くね」

「あっ、今度会うとき写真見せて!」

 倉橋さんは急いで体育館へ戻って行った。ちゃんと声が届いただろうか? 松宮さんの写真を見せてもらうにはもう一度会いに行かないといけない。


 今週のゆり子先生はとてもリラックスしていた。好きな音楽を聴きながら俺の話を聞いて、ソファで横になり、昼寝の準備をしている。

「気にすることないんじゃないのかな? 有子ちゃん昨日は特に変わった様子はなかったから」

「でもそれは先生に対してですよね? 俺はなんかまずいことを言ったような気がするんです」

「あらどうして? 泣かせちゃったから? でも人は嬉しくても泣くものよ」

「いや、あれは嬉し泣きしているようには見えませんでしたけど」

 実際はずっと顔を伏せていたので見えなかった。

「嬉しかったんだと思うの。人間って『すごいね』とか、『よくやったね』とか、称賛されることで大きな喜びを抱くのは確かよね。でも『つらかったね』とか『よく我慢したね』って言われるのも喜びなのよ。苦しんできた人ほど救われたと感じられるんじゃないかしら。笑吉くんが他人の身になって考えたことで、有子ちゃんは初めて人から理解されたと思うことができたのかもしれない」

 だとしたら彼女は何て孤独な女の子なのだろう。

「大きなお家に生まれて治癒力という最高スキルまで持ってるんだものね。羨ましいと思う人はいても、大変だなんて思われたことがないと思うの。やっとじゃない? やっと自分を可哀想だと思っても悪くないと思えたんじゃないかしら。束の間だけれど初めて悲劇のヒロインになれたのよ。それまではひたすら置かれた環境に感謝しなくちゃいけないと言い聞かせていたと思う。でもそんなの息が詰まるわよね」

 生まれてくる場所と授かる特殊能力を選べないのは松宮さんも一緒なのだ。自分の意思で嫉妬される家に生まれてきたわけではない。

「人生は短く感じる時もあれば長く感じる時もあるじゃない。長く感じる時に感謝することしか許されないって、息ができなくなる。たまには悲劇のヒロインになることも許してあげないとね。『つらいね』って、『かわいそうだね』って、言ってあげるのも優しさだと思うの」

 気がつくと、ゆり子先生は夢の中へ行ってしまったかのように眠りについていた。同じフレーズが出てくる時はだいたい眠たい時だ。

 そういえば俺は先生に『つらいね』とか『かわいそうだね』なんて言ったことがない。「すごい」系の褒め言葉ばかりだ。悲劇のヒロインになることを許してほしい、というのは先生も思っていることなのだろうか? たまには先生も言われてみたいということか?

 でも俺なんかが『つらいね』なんて知ったような口を利いてしまうと機嫌を損ねてしまいそうだ。やはり人を選びそうな言葉ではある。ゆり子先生は松宮さんが喜んでいると言っていたが、それはあくまで先生の推察だし、実際のところは松宮さん本人にしか分からない。


 翌日、先週と同じ中学校の非常階段で松宮さんと落ち合うことができた。来ないかもしれないと思ったが、ちゃんと約束できていたようだ。でもこれは倉橋さんが言っていた通り、単に断れないというだけなのだろうか? だとしたら、もう約束はしない方がいいような気もする。

「先週、元気がないように見えたけど、俺と一緒にいるのが嫌ってことはない?」

「嫌なら来てないよ」

「でも楽しそうじゃないから」

「常に楽しそうにしてないとダメ?」

「いや、そんなことないけど」

「どうしてみんな同じことを言うんだろう?」

 そう言うと、また身体を小さく丸くした。背中を押されると下まで階段を転がっていきそうでヒヤヒヤする。ちなみに今日も先週と同じTシャツだ。

「無能くんだけは違うと思ってたんだけどな」

「だから、そのままでいいって」

 そこで会話が途切れてしまった。

 ここからしばらく無言が続けば気詰りを感じても不思議ではないのだが、彼女はまったく気にならないようだ。本来は俺自身もまったく気にならないタイプの人間だ。でも松宮さんに気まずい思いをさせているかもしれない、と考えると気になってしまう。他者と接するということは、考える必要のないことまで考えてしまうということなのだろう。だからコミュニケーションは難しい。

 社交的に見える人が得な性格をしているか、といったらそんなことはない。コミュ力が高く見える人は、そう見えるように努力している人だ。結局は他人からどう見られたいか、という話だと思う。俺の場合は教室で話し掛けられたくないから自分から話し掛けないようにしているのだ。でも本当に人との会話が苦手な人もいるので、それも物事の一面を捉えた認識でしかないだろう。百人いたら百面体のサイコロになるという話だ。

「……私」

 松宮さんが顔を上げて、ゆっくりと口を開いた。

「無能くんとの出会いに特別なものを感じたんだ」

 突然の告白だった。

「最初は出会い方が普通じゃないからそう感じたんだと思ったけど、そうじゃないの。特別なのは無能くんだったのよ」

 俺が特別な存在?

「それは特殊能力を持たない無能者だからというわけではなく、もっと深い心の部分で誰でもない自分を持っている人だと思ったの」

 俺が誰でもない自分?

「もちろん現在の無能くんがあるのは特殊能力を持たなかったことと関係がないわけじゃない。でも能力がないのは紛れもない事実なの。それでもちゃんと受け入れているじゃない? 人から何を言われてもちゃんと突っ込んで必死に否定する。雑草のように引っこ抜かれ、虫のように潰されて、それでもしぶとく生き抜くって、繁殖力の違う人間には難しいことよ」

 俺に対する評価が褒められているのか貶されているのか段々と分からなくなってきた。でも松宮さんの顔は真剣だった。

「私は小さい頃から周りの目を特に気にする子どもだった。親や先生だけでなく友達の顔色も気になって仕方なかったの。頭に思い浮かんだことも、これを言ったら嫌な思いをするんじゃないかな? なんて考えて一言も口にできなかった。ミイちゃんは何でも口にしているようで、ちゃんと他人のことを考えているのよね。私はダメ。思ったことを口にすると傷つけちゃう」

 いや、倉橋さんも大概だぞ。

「これを言ったらおもしろいのに、って思っても傷つけてしまうのが分かっているから言えなくなってしまうの。それで次第に話し掛けても返事が返ってこない子って思われてしまうのよね。本当は瞬時に言葉が思い浮かんでいるのに」

 彼女が我慢していることは分かっている。

「でもそんな私でも無能くんには何でも話せてしまう。言いたいことを我慢せずに言えるのよ。自分でも自分にビックリしているんだから」

 松宮さんの目がキラッキラッしている。

「やっと生まれて初めて自分の気持ちに気がつくことができたんだ。嘘偽りのない自分に巡り逢えたのは無能くんのおかげだよ」

 これって愛の告白ではないか?

「だから私のパートナーになってほしい」

 急展開とは、急に展開するから急展開なのだ。


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