#6
「…………帝王も馬鹿だよねェ、利用されてる事に気付いてなかったみたいだし」
「………イーズ」
「わぁ、怖い顔。怒ってんだ」
にへら、といつもの様に笑うイーズ。だがネウロは、その奥に潜む殺気を感じ取っていた。
「………お前、どういうつもりで」
「全く、反吐が出るよ。何が『お前みたいな奴が、多くの人を不幸にするんだ』……?ふざけるなよ、どの口がそう言ってんだ」
笑ったままそう言うイーズ。ネウロは震える声で言った。
「……………お前……まさか最初から」
「そーそ、君も馬鹿だよねェ………俺ちゃんの事、ちゃんと知ってれば気付けたかもしれないのにさ」
「…………!」
イーズの笑みの種類が変わった。暗い笑み。今まで見た事のない知人の表情に、ネウロは思わずゾクリとした。
「……………一国の機密情報まで余さず知ってる様なこの俺がさ……たかがマフィアの占める街の情報くらい、得られない訳がないじゃないのさ」
「…………そうだったな、情報屋……」
「んでぇ、君をここに誘き寄せて、カミーユに殺してもらう算段だったのにな?………残念」
「………俺は、お前に恨みを買った覚えはねェぞ」
「……………そっか、無いか。まぁ当たり前だよね。多分、教えても忘れてるのかもしれないけどさ」
イーズは両手を肩の横で広げ、首を振る。
「君の事は、君の口からは聞いてないけど、まぁ全部知ってるよ。知っての通り、俺は情報屋だから」
「…………」
ネウロの鼓動が、僅かに早くなった。やめろ。言うな。
「君は元々軍人なんだってね。終戦時の階級は少佐……。なかなか腕が立って、戦績も文句無し。……ただ、性格に難があったとか」
「………やめろよ」
絞り出される様に発されたネウロの声。だがイーズはさらに声を大きくして続けた。
「勝つためならどんな手でも使う、自分の命以外は簡単に切り捨てる、敵を殲滅できるなら自分以外が全員死んでも構わない、そんな冷酷な兵士だったんだってなぁ!榊ネウロ」
「…………やめろ‼︎」
ネウロは叫ぶ。王の間に残響が残り、それが消えた頃にイーズは再び口を開く。
「………消したい過去、かぁ?無責任なこったな……それで一体どれだけの人間を殺して来たってんだよ、なぁ」
「……………」
「ずっと、そういう戦い方して来たんだろ?」
「……………お前には、関係ない」
「ある。…………お前、アルヴィンって覚えてるか?」
「……………?」
不意に出て来た名前。ネウロには覚えがなかった。分からない、という顔をすると、イーズはさらに声を張り上げた。
「アルヴィン・フュード……!お前が!殺したんだ!」
「……!」
そう言われて、無意識のうちにネウロは記憶を探った。それを助けるように、イーズが言う。
「…………お前が、タグ持って帰って来たんだろ…!後で探しに行った奴の話によりゃ………アルの周りには他に敵兵が三人倒れてたってんだよ……。そいつらは皆銃殺されてた。お前だろ、やったのは」
「………………」
一つだけ、光景が浮かんで来た。無様に死に行く兵士と、それを見下ろす自分。まだ一等兵の頃。初めて組んだ新米の兵士。その顔は、今思えば、目の前の情報屋と似ている。
「…………あいつ、確か兄がいるって言ってた」
「……………あぁ」
「お前か」
「そうだ」
つまりイーズは、弟の復讐をしようという訳だ。
「何で見捨てた」
「俺は止めた。だが聞かなかった」
「なら助けろよ!」
「……………二人共死ぬよりはいい」
それ以来、だったろうか。味方を捨ててでも、勝利を優先するようになったのは。それ以前は、味方に興味さえ持っていなかった。自分一人。自分が生きるも死ぬも、自分の責任。誰のせいでもない。味方がどこで死のうとも関係ない。それはそいつ自身の責任。
ネウロは独りで育った。家族は知らない。戦争時代の真っ只中に生まれ、気付いた頃には軍の養成施設にいて、過酷な環境で育った。元より仲間はいない。人と馴れ合うのは、今でも苦手だ。
「……で?お前は俺を殺しに来た訳か」
「あぁ」
「…………俺は、お前より腕が立つんじゃなかったのか?」
「……………」
「お前自身、殺されるとは考えなかったのかよ」
「それくらい、覚悟して来てる」
「……………だが死ぬ気は毛頭ない、か」
ネウロはイーズへと銃を向けた。そして冷徹な目を向け、言う。
「……躊躇なんかしねェぞ、俺も」
「……………そう来なくっちゃなぁ、そういう態度された方が、後味が悪くない」
「……まず、どうやって俺に攻撃する気だ?」
一見して、イーズは丸腰だった。そもそも、ネウロにはイーズが自分を殺せるだけの力を持っているとは思っていなかった。
特に、イーズに対して思い入れもない。自分の阻害となるのならば、消してもいい。……そう思って、引き金を引いた。
「……………じゃあな」
パァン。乾いた音が響く。そして、続いて聞こえたのは、イーズの声。
「……やっぱ、さっきの傷効いてるな?」
「!」
すぐ近く。ゆっくりと下に視線を移した。短剣を手にしたイーズが、低姿勢でそこにいた。直後、イーズの右手が跳ね上がり、銃身が真っ二つに斬れた。
「………んなっ………」
反射的に、ネウロは銃を捨てて後ろに飛び退いた。上目遣いにこちらを見たイーズが、ニヤリと笑って言う。
「…こういう言葉を知ってるか?」
くるくると、手にした短剣を片手で器用に回しながら、イーズは右手を下ろす。そして少し自慢げにその刀身を見せ、続けた。
「…………“能ある鷹は爪を隠す”………ってな」
「…………………っ」
武器を失ったネウロは、存外に強いイーズに少し焦りつつ、彼の目を見返した。
*****
「……さぁて、どうすんの?もう大人しく殺されちゃう?」
手の中で短剣を弄び、イーズが言う。
「……………」
「……な訳ないっか、ネウロ君、素でも強いんだよねェ」
以前の様に、明るく話し掛けて来る。だが、やはりその中には純粋な殺意が含まれていた。
「………でもさぁ、やっぱりカミーユにやられた傷痛んでるっしょ」
「……!」
「あとユリーヤにやられた傷も?…わぁ、開いたら大変だ」
チャラけた調子でそう言って、クスクスと笑う。
「……………何とも、ない」
「嘘。…………ちょっといつもより動き鈍いじゃんかっ!」
イーズが強く床を蹴った。あっという間に距離を詰められる。逆手に持たれた短剣が、ネウロの胸の傷を狙う。それを左手で阻止し、残る右手はイーズの首を狙う。が、その手はイーズの左手に掴まれ、捻られる。同時に足を掛けられ、転び、背中から床に打ち付けられた。
「………かっ……!」
息が詰まった。衝撃が傷を刺激し、ズキリと身体中に痛みが走った。イーズが逆手に持った短剣をネウロへ向かって突き刺した。だが、ネウロが横に転がって避けたので、短剣は床でキン、という音を立てただけだった。
「…………あーあ」
起き上がったネウロに、イーズはしゃがんだ体勢から追撃する。低姿勢から立ち直り様に短剣を突き出した。ネウロはその腕を脇で挟んで捕らえた。イーズの頭を、振り払う様にして尺骨で強く打った。
「…………あっ…!………がっ!」
床の上を二回転して、俯せに倒れる。短剣は手放さない。頭を抑えながら、イーズは起き上がる。
「……………って………」
「………ハァ……ハァ………ハァ…」
ネウロは肩で息をする。思考は半ば止まっている。身体中を駆け回る、鋭い痛みのせいだった。
獣の目をしたネウロは、イーズに近づいて行く。やっと立ち上がり、フラついているイーズを、ネウロは殴った。
「っ!」
「………………っっ‼︎」
イーズは再び転ぶ。同時に、ネウロの右肩が酷く痛んだ。無視出来ない痛みに、ネウロは顔を歪める。その傍らで、イーズが再び体を起こしながら言う。
「…………無理……してまで……ハァ」
強く短剣を握りしめ、隻眼でネウロを睨む。
「生きようとするなよ……なぁ」
「……………」
「お前なんか……!さっさと死ねばよかっ…!」
ネウロがイーズの顎を蹴り、言葉が途切れる。
「………うるせェな………。俺だって……死のうと思った事は何度もある……!」
じわりと、胸の辺りに血が滲んだ。傷が開いた。それでも、ネウロは言葉を発する。
「けどな………!それは逃げてるのと一緒だってな……ある人に言われた…。代わりに償え、と……人の為になれって」
勿論、全ての人の為になれる訳ではない。ただ、誰か一人でも喜んでくれる事を出来ればいい。時には人を殺す事があっても、たった一人でも喜んでくれるのなら、それは少なくとも、戦場での無意味な殺戮とは違う。
………そう言われて、ネウロは便利屋になった。人の為に尽くす。何でもする。配達でも、捜索でも、殺人でも、何でも頼まれた事ならする。
「……………別に、俺がやってる事が完全に正しいとは思わない。だが、世間的に振りかざされてる“正義”以外にも、それがある事は確かだと思う」
「……………償い……?そんなもので……償い切れるものかよお前のは!」
「…………出来なくても、出来る事をやるだけだ」
何が正しいのかなんて。そんなのは一概に決められる事じゃない。だからネウロは中立に立つ。依頼次第でどこにでもつく。自分が狙われれば、その相手は消す。
それが、ネウロの中のルール。例外など、ない。
「……お前の、弟の事はよく知らない」
「…………!」
「だが、覚えてはいる。忘れちゃいない」
ズキズキと傷が痛む。出血も酷いようで、朦朧として来た。
「…………だから……許せ」
ため息と一緒に、ネウロはそう言った。それに、イーズは怒って、叫んだ。
「………………ふっ………ざけるなよ……‼︎」
イーズは飛び出した。ネウロは動かなかった。短剣が、彼の右脇腹を裂いた。
「…!」
その横で、動きを止めるイーズ。ゆっくりと僅かに首を動かし、こちらを向いたネウロの目と目が合った。光を感じない。暗く深い、闇の様な殺気を感じて、イーズはゾワリと背筋を凍らせた。と、次の瞬間、ネウロの右手がイーズの首を捕らえ、床へと押し倒した。反射的に短剣を振るが、左手に止められた。ネウロにのしかかられ、首も絞められて、苦しくて呻きながらイーズは必死に抵抗する。だが想像以上に強い力がイーズを抑え付ていた。
「…………俺を殺したって、戻っては来ないぞ」
「……………っ!」
抑揚の無いネウロの声に、イーズは思わずドキリとして、動きを止めた。闇の様に黒い瞳と目が合う。と、その時右手から短剣を取られた。
「………おぃ……やめっ……」
「…………お前が会いに行ってやれ」
イーズの首から手が離れた。自分の短剣が遠ざかる。それを求めて、イーズは無意識に手を伸ばす。だが届かない。ネウロの両手が、高く短剣を振り上げていた。
「……………やめろっ………‼︎」
イーズの声が、ぶつりと途切れた。返り血に、ネウロの頬が濡れた。自らの剣で心臓を貫かれたイーズは、一瞬硬直し、やがて体の全てから力が抜けた。伸ばされていた手が力なく落ち、目から生気が消えた。
ネウロはイーズから短剣を抜く。そして、力なく開かれた手にそれを握らせた。
「……………」
ゆっくりと、立ち上がる。足元がフラつく。ふ、と不意に笑いが零れた。あの時と同じじゃないか。兄弟揃って。
「あは………はははははは……はははははっ…」
無性に笑いが込み上げてきた。叫びたかった。顔に右手を当てた。何故か目頭が熱くなった。視界が滲む。思わず、天井を仰いだ。心の中がぐちゃぐちゃだった。色んな感情が入り乱れて、心を酷く揺さぶる。傷の痛みなんか、どうでもよくなっていた。
「………ははははははっ……馬鹿かっ……!何も変わってないじゃないか………っ‼︎」
右掌と、頬が濡れた。何故、笑っているのか、涙なんか流しているのか、ネウロには全く分からなかった。ただ、不純な感情が心を満たしていた。
しばらくそうしてネウロは、独りで笑い、泣き続けていた。
*****
夜が明け始めていた。リヒターとシェスカは眠気も忘れて、王宮区へとやって来ていた。普段この区には滅多に来ない。主にグランドール・ファミリーの組員が住んでいるからだ。
だがそんな事よりも、彼らはネウロを捜す事の方が大切だった。シェスカに言った言葉からして、もうネウロは戻って来ない。生きていても、出て行ってしまうだろう。黙って別れるのは、嫌だった。せめて、ちゃんとお別れがしたかった。
「……………ネウロっ……」
シェスカは思わず呟いた。『友達なんかじゃない』、と突き放された。だが、シェスカは受け入れられなかった。向こうが離れて行くなら、こっちから近付けばいい。あの寂しそうな背中を、シェスカは放っておけなかった。
王宮の正門前へとやって来た。そこで二人は思わず息を呑んだ。そこには血生臭い光景が広がっていた。
開け放された正門。その前で息絶える、組員と思しき男二人。そしてその奥で無惨に殺されている多くの組員。生きている者は一人としていない。シェスカは体の芯がつんと冷たくなる様な気がした。……これ、全部ネウロがやったの…?
「………シェスカ、大丈夫か」
シェスカの様子を気にして、リヒターが言った。彼の顔も少しばかり青かった。シェスカは首を縦に振る。
「……………うん」
とは言え、心境は複雑だった。果たして、自分は今もなおネウロをちゃんと迎えられるのだろうか。……拒絶して、しまわないだろうか。
そしてもう一つの危惧。…ネウロが戻って来た時。それは。
「………おい、あれ」
「…………え?」
リヒターの声に、俯いていたシェスカは顔を上げた。と、王宮の入り口付近に、人影が見えた。
「……………ネウロ……?」
紅く血で汚れた、黒ずくめの男。彼はゆっくりと、時折フラつきながらこちらへ歩いて来ていた。
「………ネウロっ‼︎」
「お、おいシェスカ!」
たまらずシェスカは走り出した。死体の中を走り抜けて、ネウロの元へと駆けた。
「ネウっ………」
数メートル前で立ち止まり、途中でシェスカは言葉を詰まらせた。ネウロは血塗れだった。返り血と、自らの血で。
彼はシェスカに気付くと、顔を上げた。その顔は疲れ切っていて、感情が一切感じ取れなかった。だが、シェスカの顔を見て、心なしか安心した様に見えた。
ぐらりと、ネウロの体が傾いた。あっ、と慌ててシェスカが手を出す前に、後ろから追いついていたリヒターがその体を支えた。
「うおっ………おい、酷い怪我じゃねェか……って、傷開いてやがる……………」
「………リヒター」
シェスカはリヒターに弱々しく声を掛けた。リヒターは振り向いて、シェスカに言う。
「シェスカ、先生に連絡。……病院まで連れてった方が早そうだしな」
「……………分かった」
ふ、と唐突に眩しい光が差した。その方向を見れば、太陽が城壁より少し頭を出していた。
……終わったんだ、とシェスカは思った。ネウロは戻って来た。つまり、“帝王”は、死んだという事。この街の支配も、じきに終わるだろう。
「…………終わったんだ」
口に出して、呟いた。不意に涙が溢れた。困惑しながら、シェスカは目を擦る。
「あ……あれ……」
「……………おいおい、困るぜシェスカ」
リヒターが呆れた様に言って、笑う。
「それは後に取っとけよ」
「………う、うん…」
……終わったんだ。もう一度、シェスカは心の中で呟いた。ごし、と濡れた目元を拭った。キラキラと太陽光が輝いて見えた。まるで、新たな始まりを告げているかの様に。




