#5
「ユリーヤは、逝ったか……」
「ボス………俺達は…どうしたら」
王宮で、カミーユはケストレルの男達と相対していた。リーダーを失い、ケストレルの面々はバラついていた。行方を眩ましたものも少なくはない。……最も、この街の中、いずれは見つかるだろうが。
「工業区の統治に、穴が空いちゃいけねェ。次のリーダーを決めるまでは俺が指示を出す。お前らは直接俺に従え」
「…………は、はい」
「指示のねェ時は普通にいつも通りやれ。……あとそうだ、いなくなった奴も探し出してそう伝えろ。一度傘下に入った以上は、簡単に抜けるなんて許さねェ」
「了解しました」
「よし」
一通りの指示を終え、男達を帰した。一人、カミーユは窓の外を見やる。深夜だ。そろそろ皆を解散させる時間である。
「……………」
失った一人の部下を想う。ユリーヤ。長い付き合いだった。カミーユはバルクールの出身ではない。ユリーヤも同じだ。今は亡き国ユークラインの出身。カミーユはその王家に仕えた貴族の主だった。
故に元より人望は厚かった。ユークライン王家が滅びた後、祖国を奪ったバルクールに反感を持つ者を集め、彼はマフィアへと堕ちた。
ユリーヤは元々、グランドール家に仕えた用心棒だった。グランドールに仕えた者は皆、カミーユの下についた。
バルクール王家を滅ぼす為に、ひっそりと準備を整えた。その間にも多くの者が集まって来た。数を揃えるには、一年で十分だった。さらにもう一年で、兵力を整えた。だが、国全体を支配するにはまだ足りなかった。だから、王家を追い出し、中心の帝都を奪ってさらに準備を進める事にした。
今やここはユークラインの形見である。王は自分。国民は部下と、元からこの街に住む者たち。そのうち、この国全ての王になる。新しい帝国を創る。最早ユークラインでもバルクールでもない、グランドールの帝国を。
もう、そこにバルクールに対する復讐心なんて無いのかもしれない。ただ自分が王になりたいだけなのかもしれない。キッカケが、かつて仕えた王の敵討ちであったとしても、今はただ自分が頂点に立ちたいと思っているだけなのかもしれない。もしかしたら、最初から上に立つ事を狙っていたのかもしれない。敵討ちなんていうのはただの綺麗事で……。
それでもいい。確かに今自分がやりたいのはそれなのだ。部下は自分の言う事にはついて来てくれる。どう導くのかは自分次第。彼らは自分の力なのだ。
………目的達成の為には、多少犠牲は出る。敵も味方も少なからず死ぬ。部下が多少、死ぬのは仕方ない。自分には多くの力がついている。そのほんの少しが欠けた所で何ということはない。…………と、思っていた。
初めてカミーユは、一人の部下の死に対して感情を抱いていた。一番の長い付き合いだったからか。工業区に置いていた為、共にいる時間は少なかった。だがぽっかりとした虚無感がカミーユの中にある。
「…………ユリーヤ」
名を呟くと、じんわりとしたものが胸に広がった。その感覚の意味が分からず、心を探ろうとした所へ、慌てた声が飛んで来た。
「たっ!大変ですボス‼︎」
「……?どうした」
さっき返した男だった。三人いたはずだが、一人しかいない。
「…………しゅ、襲撃者が」
「襲撃者?こんな時間にか?……何人だ」
「そ、それが」
男は少し躊躇ってから、言った。
「………と、東洋人の男一人で………。下は大変な事に…!一緒にいた奴らもやられちまってっ……!」
「……何?」
*****
王宮階下。入り口すぐの広間は血の臭いが漂っていた。レッドカーペットはさらに濃い深紅に染まり、あちらこちらにスーツ姿の男達が倒れている。彼らはカミーユ直下の部下達だった。
その中を、一人の男が歩く。死体の山を踏み越えて、時折まだ息のある者を見つけると、銃弾を撃ち込んだ。
吹き抜けの広間、部屋をぐるりと囲むようにして二階の廊下がある。彼はゆっくりと、その二階へと目を向けた。人影を見つけ、迷いなくそちらへ銃を向け、撃った。二階から狙撃しようとしていた男が仰向けに倒れる。
それを見て、他に待ち構えていた男達は手を出すのを躊躇った。敵わない。手を出そうとした途端、こちらがやられる。
そう本能的に悟り、体が動かなかった。
「…………おい」
「……………!」
死体の中に立つ男が、声を発した。それに、ビクリと男達は震えた。鋭い目が、彼らを射竦める。
「……………何してる」
襲撃者、ネウロは動けない男達にも容赦なく攻撃した。
*****
「…………たった一人に……やられた、だぁ?」
「ぜ、全然当たらなかったんスよ……!撃っても撃っても!向こうの攻撃は当たるのにっ……!何なんスかあれ!」
「…………………それ程までとは…」
東洋人、と言われれば思い浮かぶのは今は奴しかいない。
カミーユは歯軋りした。今。このタイミングで来るか。一日を終えようというこのタイミングに。
「…………………クソ…ッ…!」
いくらなんでも、この城にいる部下達を全員殺される訳にはいかない。ここには主戦力が集めてある。無闇に失う訳にはいかないのだ。
カミーユは王の間を出る。廊下に出ると、微かな血の臭いと銃声が聞こえて来た。
「……逃げろ」
「え?…あ、あの…」
「生存者を連れて外へ逃げろ。事が収まれば連絡する。それまでは無事でいろ」
部下の男がどう捉えたのかは分からない。だが、カミーユがそう言ったのは、情けでも何でもない。大切な戦力保持。数が減れば、あっという間にグランドール・ファミリーは弱体化するだろう。小さな戦力の寄せ集め。まだそれ以外の準備が整っていない今、その小さな戦力を失う訳にはいかなかった。
「りょ、了解しました!」
男は少し高揚した様な様子で駆けて行った。任されて嬉しかったのか。内心、馬鹿馬鹿しい、と呟き、カミーユは王の間へと引き返した。
いずれ奴はここへ辿り着く。自ら出向いて迎えてやるまでもない。自分はボスらしく、ここで待ち構えていればいい。
ユリーヤを殺ったのはあいつだろう。なら部下の為に一矢報いてやるのも悪くはない。
「…………ここで消す」
玉座に座り、カミーユは深く息を吐き出す様にして、そう呟いた。
*****
ふと、リヒターは目を覚ました。どうという訳でもない。ただ目が覚めてしまっただけだ。
「……………夜中……」
そう呟いて、リヒターはふと、ネウロの事が気になった。傷の調子はどうだろう、痛んで眠れなかったりしていないだろうか、などと心配して、部屋を覗いてみる事にした。
もぞ、と布団から抜け出し、ベッドから降りる。ひたひたと裸足のまま廊下に出て、ネウロの部屋まで歩いて行った。
寝ていたら悪いので、静かに扉を開けた。
「……………あれ?」
布団が綺麗に畳まれている。部屋に人の気配は無かった。
「………ネウロ?」
急な不安に駆られた。あの怪我で。どこへ行った?
と、隣の部屋からすすり泣く声が聞こえた。シェスカの声だ。無関係には思えず、リヒターはシェスカの部屋へと行く。扉に鍵が掛かっていた事を思い出したが、開けてみると掛かっていなかった。部屋を覗けば、ベッドの上で泣くシェスカの姿を見つけた。
「お、おい、シェスカ!どうした」
そう声を掛け、駆け寄るとシェスカは顔を上げてリヒターを見、そして手を伸ばしてしがみついて来た。
いつもはしない仕草に、リヒターは戸惑う。
「…………お、おい?どうした?」
「……………リヒター」
消え入りそうな声が、痛切にリヒターを呼んだ。
「…………………ネウロがっ…」
「!」
「ネウロが帝王を殺しに行っちゃったっ………!」
「んなっ………」
リヒターは言葉を詰まらせた。そして、ヒヤリとしたものが体の中を駆け抜けた。
*****
誰にも、止められなかった。
理性無きその黒い疾風は、ただ本能のままに駆け抜ける。周りの人間を破壊し尽くす。新たな弾の装填も速い。近くに来た者は蹴り倒す。その侵攻に必死に抗う組員達は、皆抵抗虚しくやられて行く。誰一人として攻撃を当てる事すら出来なかった。
それは鬼神か悪魔か、あるいは死神か、何にせよ、到底誰も彼が人間であるとは思えなかった。
撃たれた者は確実に急所を撃ち抜かれ、蹴り倒された者は首を折られた。そのうち逃げ出す者も現れた。逃げたか死んだかで、その場には生きている者が少なくなって行った。ネウロが王の間の扉の前に辿り着いた頃には、階下にはもはや死人しかいなかった。
荒い息のまま、ネウロは王の間の扉を開けた。だだっ広い部屋に、ただ一人の男のみがいる。
「…………だいぶ、派手にやってくれたみたいだな」
カミーユは、部屋の入り口に立つネウロに言った。その声には何の感傷も含まれていなかった。
「………お前は、呑気にそこで待ってたってか」
「お前が消したのは、俺の主戦力の約半分。もう半分はとっとと逃した。まだ焦る程じゃあない」
カミーユはゆっくりとネウロへと近付いて行った。
「…………榊ネウロ、だっけか?」
「…………………あぁ」
「お前、情報収集に来たんだってなぁ……」
ネウロの数メートル前で立ち止まり、カミーユはそう言った。ネウロは怪訝に思い、眉を顰めた。
「………何で知ってる」
それには答えず、はっ、と笑ってカミーユは問う。
「一体、誰の差し金だ?」
「それを答える筋合いはない」
「ま、それもそうか、まぁいい。お前を消せばそれで終わる事だしな………」
「…………なら一つだけ答えろ」
「?」
「お前は何者なんだ?」
そう訊いたネウロに、カミーユは面白そうに笑った。
「ハッハッハッハッ……!……何を……あぁ、そうか、仕事だってか。……笑わせる」
と、カミーユは懐に手を入れると、拳銃を取り出した。
「…………これから死ぬ奴がそれを知って、何になる」
「…………………死ぬかよ」
発砲音。それと共にネウロは動いた。黒い影がカミーユの背後に降り立った。ネウロはカミーユの頭へと銃を突き付けた。が、白いコートが翻り、同時にネウロの目の前にも銃が突き付けられた。
「……………速いが、まだ追える」
静止する二人。カミーユは笑う。ネウロは焦りに表情を険しくする。
「……その顔、意外だって感じだな」
「……………この距離なら当たるぞ」
「いいや、俺の方が速い」
「……………どうだかな」
ネウロは引き金を引いた。が、銃弾がカミーユに当たる事は無かった。
「!」
ぐい、と銃を持つ右手が、カミーユの左手によって逸らされていた。放たれた銃弾が床を穿つ。そこからカミーユの方へ視点を移すと、真っ暗な銃口が視界に飛び込んで来た。
「チェックメイトだ」
カミーユがそう言った。銃声が、王の間に響いた。ネウロが倒れる。だがカミーユは舌打ちした。
「………チッ、外したか」
「……………っ!」
弾はネウロの右肩を撃ち抜いていた。逸らされた右腕の方へ、体を倒して避けたのだった。
ネウロは肩を抑えて立ち上がる。利き手側。手に力が入らない。銃を左手に持ち替えた。そして、カミーユへと狙いを定める。
「………ハァ………ハァ…」
「……………辛そうだな」
カミーユもネウロに狙いを定めた。二人の意識が互いに集中する。ギリギリと神経が摩耗する。冷や汗が噴き出してきた。銃を持つ左手が震える。ダメだ。逃げろ。死ぬぞ。冷静な本能がそう告げる。だがネウロは片頬で笑う。
「………………辛いのは、俺じゃない」
「……?……何を」
「考えた事なんかねェんだろう、お前の下で生きる人間の事なんか」
「…………あ?」
「お前みたいな奴が、多くの奴を不幸にするんだ」
「………………」
照準の定まらぬまま、ネウロは撃った。銃弾は的外れな所へ飛んで行った。カミーユは無表情で、言う。
「………知るかよ……そんな、駒の事なんか」
「…………」
「勘違いするなよ、俺はどこぞの王なんかじゃねェんだ。ただのマフィアのトップ。国民なんてものはここにはいねェ。いるのは俺の、ただの駒だ。俺の力だ」
「………………っ!」
「考える?そうだな、俺ァ毎日、駒がちゃんと従順に働いてるかどうかが気になって仕方ねェよ!」
カミーユが撃つ。ネウロは左足を撃ち抜かれ、がくりと膝を着いた。
「………っあ……っ…!」
「いぃーか、この街にはな、俺に従わねェ奴はいちゃ行けねェんだよ。特にてめェみたいな……!俺に刃向かう奴なんかはなぁ!」
早足で近寄って来たカミーユは、ネウロの腹を蹴飛ばした。
「…………っ!……がはっ……」
床に転がり、俯せの状態で吐血するネウロ。起き上がろうとした所で、カミーユはネウロの側頭部を蹴った。仰向けになったネウロの腹の上に、カミーユは足を乗せ、その顔に銃を向けた。ユリーヤにやられた傷が刺激されて、痛んだ。
「…………くっ…」
「………………大した事ねェじゃねェかよ、何でお前なんかがユリーヤを殺れたんだ」
呆れたような声に、ネウロは掠れた声で言う。
「…………とどめは……俺が刺したんじゃない」
「……………あ?」
「お前の言う、駒に殺られたんだ」
「……!」
カミーユの反応を見て、ネウロは皮肉気に笑う。
「…意思を持つ人間が、必ずしも従順であるとは限らない」
抑えられたまま、ネウロは淡々と言葉を発する。
「嫌なもの全部封じ込めて、従ってるフリをして。……そんなのは従順とは言わない」
シェスカの言葉。ケストレルに怖じけず応戦する工場の作業員達。皆、自我を持っている。彼ら彼女らは、カミーユの従順なる駒などではない。
「……………いい事教えてやるよ、“帝王”。物事には、優先順位ってものがあるんだよ」
「………!」
「お前に従うのは、それを守る為だ。お前が、大事なんじゃない」
大切な仲間と、平穏と。波風立てずに過ごす為に。嫌な事だってやってのける。だが、そこに涙があるのはいけない。
「…………見えてなかったろう、何も」
「……………うるさい、黙れ…!」
カミーユの銃から放たれた弾が、ネウロの頬を掠めた。硝煙を上げる銃口を、ネウロは見つめて笑う。
「………ほら、何も見えてない」
その右手には、銃が握られていた。そして、その銃口からは硝煙が上がる。パタタ、とネウロの顔に血が落ちて来た。カミーユの左胸が、紅く染まっていた。ぐらりと後ろに傾いて、倒れるカミーユ。解放されたネウロはゆっくりと立ち上がり、仰向けになるカミーユの腹に足を乗せ、銃を向ける。
「…………お返しだ」
「……………あ……ぁ…畜生……」
吐血するカミーユ。その右手が、ネウロへと銃を向けた。その引き金が引かれるより早く、ネウロが撃った。糸が切れた人形の様に落ちる腕。ユリーヤに刺されたとどめと同じ様に、額を撃ち抜かれていた。
「…………ツメが甘い…な、まだ」
最初から、こうしていれば良かったのに。シェスカがやる前に。自分が油断せずにしてれば。彼女はああはならずに済んだのに。
罪無き少女に、罪を負わせた。そんな重いものを背負うのは、自分だけでいい。
この帝国は、終わるだろう。“帝王グランドール”は死んだ。もうこの街に畏怖の象徴はない。……訪れるのは、平穏か、混沌か。だがここの人間も、そうヤワではないだろう。いずれは立ち直る。…………もしかしたらまた、元の帝都に戻るかもしれない。
一人。ネウロは息絶えた“帝王”を見下ろした。………結局は人間、殺せば死ぬ。何を恐れる事がある。愚かな。何も恐れる事などなかった。
………帰ろう。もうこの街にいる必要はない。そう思って、顔を上げた。と、不意にその背に声が掛けられた。
「あっれー………殺られちゃったのかぁ……」
「‼︎」
一瞬、幻聴かと思った。信じられなかった。なぜ、その声が今ここで聞こえるのかと。聞こえるはずがない。だが、声は再び言う。
「…………残念だな……君を消してくれると思ってたのに」
声は、ネウロの心を深く抉った。じんと体の芯が痺れた。心臓が大きく波打つ。見たくない。だが、ネウロは半ば声に引かれる様にして振り向いた。
「……………全く、どうも君に関わった組織はどれも消されちゃうみたいだねぇ………怖い怖い」
「………何で、お前がここにいる」
「んー……?何、その敵か味方か迷ってるみたいな顔」
「何でここにお前がいるんだ‼︎イーズ‼︎」
ネウロが叫ぶと、彼は下目遣いにネウロを見て、言った。
「…………気安く呼ぶんじゃあねェよ」
金髪の、隻眼の男。ネウロをここに招いた男。彼をいつも手助けしていた情報屋。
そこにいたのは他でもない、あのイーズ・リーリアだった




