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#4

「もう一度訊く。便利屋はどこにいる」

  宿舎の廊下の隅で、シェスカを庇うようにしてセフィリオが立つ。迫るのはユリーヤ。抜いた刀を片手に、ジリジリとにじり寄ってくる。

「………知るか。ここにはいねェ」

  セフィリオはそう答えると、ユリーヤはうんざりした様に言った。

「嘘をつけ。その娘と一緒にいるのを見てる奴がいる。匿ってるとしたら、お前達だろう?」

「だから知らねえ!」

「早く出せ。でないとお前の大事な工場が崩れるぞ」

「はっ………困るのはお前らだろ…!」

  と、セフィリオは銃を抜いて撃った。正確な射撃。だがしかし、当たらなかった。代わりに首筋に刃が突き付けられた。背後のシェスカがひっと引っかかった悲鳴を上げた。

「困る………?調子に乗るんじゃないよ、お前達みたいな工場はこの街にはごまんとある。大砲だって頼んでるのはお前達だけじゃないんだ、セフィリオ・ミオーネ」

「…………!」

「小さな工場一つ潰れた所で何も困りやしないのさ」

  冷たい刃がセフィリオの首に触れた。動けない。身が竦む。まるで蛇に絡みつかれている様な気分だった。

「むしろ困るのは……お前達みたいな“反逆者”がいる事だ」

「…………反逆者たぁ……俺達はただあんたらに従って武器作ってただけじゃあ……」

  名前を知られている。だからとっくに匿っている事なんかバレているだろう。それを分かっていながら、セフィリオはそう言った。だが事実だ。確かに自分達は帝王の命に逆らってはいなかった。商売に関しては。

  が、ユリーヤはその言葉を逆手に切り返してくる。

「なら今嘘を吐くな。あいつは今どこにいるんだ」

「…………何でそんな必死かねェ?」

「私の部下に手を出した。お前達よりも許せない。……だから、そいつを出せばお前達の事は見逃してやろう」

「………ここにはいない」

「………………そうか」

  ユリーヤが刀を引いた。セフィリオは警戒して動かない。シェスカも一層身を硬くする。

「………………ならその娘を出せ。そいつを使って誘き寄せてやる」

「なっ…………!そんな事…!」

「嫌なら今ここで二人で死ぬだけだ。どうだ?…どうする」

「むっ、娘をそんな事に……!」

「お父さん」

「!」

  シェスカがセフィリオの後ろから呼び掛けた。何か決心をした様な目に、セフィリオは言う。

「馬鹿な事考えるな!……お前はそこにいろ」

「だって!」

「お前はまだ子供なんだ、無茶はするな」

  と、そう言ってユリーヤの方を向く。そして、その後ろに見えた人影に固まった。

  ネウロが銃を構えてそこにいた。ユリーヤは気付いていない様だった。セフィリオが自分に気付いた事に気付き、ネウロは人差し指を口に当てた。

  そして、その口が無音で動いた。

『伏せろ』

  そう読めた。だから、セフィリオはシェスカを抑えて素早くしゃがみ込んだ。

「えっ⁈」

  シェスカの驚いた声。直後発砲音がした。が、続いて高い金属音。セフィリオが目を上げると、ユリーヤはこちらに背を向けていた。刀を持つ手が上がっている。あれで弾いたとでも言うのか。

「…………いるじゃあないか」

「…………………何なんだよお前らは本当に……」

  ネウロは余裕なさげに笑った。背後からの射撃。それを防いだ目の前の女の事が、信じられなかった。

「お前を探してたんだ。……どこに隠れてた?」

「どこにも。ただ出掛けてただけだ」

「………ふぅーん、呑気なモンだね」

「狙いは俺なんだろ。そいつらからは手を引け」

「あぁいいさ、あんたを殺れればそれでいい」

「……簡単に殺されやしないさ、俺は」

「……………どうかねぇ…」

  ユリーヤはニヤリと笑った。その後ろから、セフィリオが叫ぶ。

「おい!何でここにいるんだ!」

「リヒターに言われて来たんだよ。……ビンゴだったな」

「………っ……あいつ……っ!」

「工場の被害は⁈どうなの!」

  シェスカはネウロに訊いた。心配で仕方なかったのだ。

「……………大丈夫、俺が行った時にはまだ死者は出てなかった」

「………良かった……」

「目の前に敵がいるのに、よくもまぁ安心出来るものだね」

  下にしゃがみ込んだままのシェスカ達を見て、ユリーヤが呆れ顔で言った。

「…………まぁ、お前達は見逃す約束だ。手出ししやあしない。…けど、その代わりにな」

  刀の先で、セフィリオの手から拳銃が弾かれた。床を滑った銃は、ユリーヤの足元で止まり、突き下された刀に貫かれて壊れた。

「………………‼︎」

「下手に手ェ出されちゃ困るんでね」

「……元々そんな気ねェよ。……で、あんたはいつまで俺らと喋ってんのかな」

「は?……………!」

  ユリーヤはハッとして振り向く。至近距離でネウロに銃を後頭部へ突きつけられていた。その銃口は今目の前に。

  ネウロは引き金を引いた。血飛沫が飛ぶ。が、その直後、ネウロは咄嗟に飛び退いた。さっきまでいた所に刃が突き出される。

「………!」

「…………よく避けたね…」

  右頬と右耳から血を流し、ユリーヤが言った。痛みに僅かに顔を歪めた。だがそれも一瞬だった。

「そりゃこっちのセリフだよ…」

  半分呆れて、ネウロは言った。疾い。とてつもなく。

「しかし、無粋だねェ、後ろからいきなり撃つなんて」

「それくらいしなきゃ……いや、それくらいしても当てられないんだろ」

「…………掠りはしたけどね」

「避けれねェよ、普通は」

「んじゃあ今度は私から行こうかねェ」

「!」

  下からの斬り上げ。飛び退いたネウロに、今度は横薙ぎの攻撃。攻撃方向と同じ方向に体を倒し、そのまま転がって避けた。勢いで起き上がったネウロは、ユリーヤへと弾丸を二発撃ち込む。だが両方とも弾かれる。見えてるかの様だ。弾の軌道が。

「…………そうか」

  ネウロはふと事を思いついて、小さく呟いた。そして、斬りかかって来たユリーヤを避ける。振り下ろされた刀が床を傷付ける。僅かな硬直時間。背中側に周り、足元に撃つ。

「っ!」

  振り向くユリーヤ。右足を弾丸が貫いた。がくりと右膝をつく。明らかに反応が遅い。……正面から撃った時は、もっと反応は早かった。

  最初に背後から撃った時も、避けはしたが掠った。

  ネウロはユリーヤの弱点が見えて来た。……避けられている理由も大方分かった。そこを、何とか突けば。

  刀を杖に立ち上がったユリーヤは、一度刀を切り払ってからネウロへと構えた。

「…………チョロチョロと動き回って。情けないよ」

「…………………」

  ネウロは答えない。代わりに、銃を撃った。カキンと刀が火花を散らした。跳ね返った球が天井を穿つ。

「…………………見てんだな。やっぱり」

「…………おや」

  ネウロの言葉に、ユリーヤは一瞬目を見開き、笑った。

「気付くのが早いね」

「それしか考えられねェからな」

  銃口と目線。ユリーヤはネウロのそれを見て、銃弾の軌道を予測していたのだ。だから背後からの射撃には反応しきれなかった。だが元々運動能力のいいユリーヤである。それでも致命傷を避ける事は出来た。

「…それじゃあ、簡単に私が背後を取らせると思うかい?」

「…………さぁな。もう二度取った」

「これから、だよ、坊や」

「!」

  痛む足など気にもせず、ユリーヤは力強く床を蹴った。上から素早く振り下ろされた刀。ネウロは咄嗟に右に飛び退いて避けた。銃を構え、反撃する間も無くユリーヤはネウロを追撃した。廊下の壁際、ネウロはしゃがみ、横に転がる。嫌な音を立てて、コンクリートの壁が浅く抉れた。

「……………!」

「ほらほら」

  そう言って笑って、ユリーヤは次々と攻撃を仕掛けて来た。だがネウロもそう弱くはない。疾い猛攻を全て避けきる。だがそれで精一杯だ。反撃する余裕などあるはずもない。

(………いや、構えてちゃ見られるんだよな)

  構える余裕がない。精密な射撃は出来ない。だが引き金を引く事は出来る。………威嚇射撃くらいになら、なるか。

  ユリーヤの攻撃を掻い潜り、撃った。適当な射撃は見当はずれな所に当たる。だがユリーヤを怯ませる事が出来た……と、そう思った。

「何だい、おふざけかい?」

「っ!」

  ユリーヤは止まらない。硬直時間を課せられたのはユリーヤじゃない。ネウロの方だった。ほんの僅かな時間だが、熟練者の戦いでは、その隙が命取りになる。

「ネウロっ‼︎」

  悲鳴と混じったシェスカの叫び。袈裟懸けに斬られ、血が飛ぶ。よろめいて、後ろに下がった。胸を抑えて膝を着く。

「ぐっ……」

「おやおやぁ……何だい、あっさりと」

  皮肉気にユリーヤはそう言って、垂れた頭の首筋へと、刀を突き立てようとする。が、その刃はネウロの手によって阻まれた。革の手袋に刃が食い込み、掌を傷付けた。

「……っ………コイツっ……!」

「ぬああぁぁぁ‼︎」

  驚愕に固まるユリーヤへと、顔を上げたネウロは刀の刃を握り、引っ張った。引き寄せられたユリーヤの体。その胸に、銃を押し付け、躊躇いなく引き金を引いた。

  銃声が響いた。銃弾は容易くユリーヤの体を貫通し、廊下の窓を割った。一瞬の出来事。ネウロが身を引く。ユリーヤが倒れる。それを見下ろすネウロ。ハァハァと乱れた息をしながら、足元に広がる血だまりを見ていた。

  そして、ゆっくりとシェスカ達の方へやって来る。足取りはフラフラとして、今にも倒れてしまいそうだった。

「………ネウロ……怪我が」

「…………大丈夫………。帰ろ…う」

「ネウロ!」

「おい、大丈夫か⁈おい!」

  ガクリと膝を着いたネウロ。シェスカとセフィリオが慌てて支える。意識が朦朧としていた。……あぁ、死ぬだろうか、と頭の片隅で考えた。


  *****


  ユリーヤはまだ生死の境を彷徨っていた。

  心臓を撃ち抜かれた。少し生きられたとしても、本当に僅かな時間だろう。即死でもおかしくはない傷を負ってなお彼女が意識を保っていたのは、一人の男への気持ちだった。

(………カミーユ)

  我が主。尊敬する人。尽くしたい人。今ここで簡単に死ぬ訳には行かないと、そう思った。

  例え彼が、ユリーヤを使える捨て駒くらいにしか思っていなかったとしても。それでもいい。自分がそうしたいから。

  自分が死んでも、あの便利屋を殺せば彼は私を褒めてくれるだろうか。…………そんな事は、どうだっていい。

  ゆっくりと、ゆっくりとユリーヤは体を起こした。腕に力を入れると、傷が痛んだ。それでも体を起こす。揺らぐ視界。既に膝を着いた便利屋の姿が見えた。チャンスだと、片頰で笑った。落ちていた刀を握り直した。立ち上がる。足を踏み出した。ふらついた足取りで、その背後へと歩み寄る。刀を振り上げた。もうこの一撃で、終わる。

  そう確信し、笑った。自分の死への覚悟、相手を葬り去る喜び。…………だが、その笑顔は銃声に掻き消された。

  頭に来た一瞬の痛みと衝撃。……何故。

  便利屋は背を向けている。男の銃は奪った。……誰が。

  男から横に視線をずらした。硝煙を上げる銃。それを握るのは、ずっと男の後ろで隠れていた少女だった。

  眉間を撃ち抜かれたユリーヤは、今度こそ意識を失い、後ろへ倒れた。


  *****


「……シェスカ…」

「…………ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさい…ごめんなさい………」

  銃を握り締め、シェスカは震えた声でそう呟き続けていた。体を丸め、まるで呪文のように、延々と繰り返す。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ……」

「シェスカ!」

  セフィリオがシェスカの肩を掴んで、顔を上げさせた。涙で濡れた娘の顔に、セフィリオは思わず抱き締めた。

「…………お父さん………私」

「………ごめんな……お前にこんな事させちまって」

  シェスカは銃を捨てて、セフィリオの胸に顔を埋め、すすり泣き始めた。ネウロは朦朧とする頭で、その様子をただ眺めている事しか出来なかった。

  思考が停止している。どうして彼女が銃を持っていたのか、どうして的確にユリーヤの頭を撃ち抜けたのか。疑問ばかりが渦巻いて、何一つ答えを見つけられなかった。

  ただ一つ、ふと頭に思い浮かんだのは。

  ……………俺のせいだ。

  何とも言えない、責任感と、後悔。もう反撃する力も残っていない自分を庇って、彼女は代わりにユリーヤの命を奪った。自分は助けられた。自分よりも幼い少女に。

  悔しさが湧き上がった。その時、ぐらりと体が倒れた。視界が真っ暗になる。冷たい床の感触、自分の血の匂い。そして、セフィリオとシェスカの慌てた叫び声。

  …………死ぬのか。そう確信した。やがて体の感覚は無くなり、何も分からなくなった。


  *****


  …………目を開けると、白い天井が見えた。きょろきょろと目だけを動かす。窓から差す光が眩しかった。ふと気配を感じて、左へ顔を動かした。そこには眠った男の姿がある。

  ……リヒター。

  心の中でその男の名を呟いた彼は、ゆっくりと体を起こした。胸が痛んだ。見れば、服を脱がされ、上半身は包帯でぐるぐると巻かれていた。右手も同じく包帯で巻かれていた。ズキズキという痛みを感じながら、ネウロは生きている事を確信した。

  少し飛んだ記憶を探る。……ユリーヤにやられた傷で、自分は死んだはずだった。だが、生きている。

「…………おい」

  ベッドの横に置かれた椅子の上で眠るリヒターに、ネウロは呼び掛ける。だが起きない。……疲れているのだろうか。

  なら寝かしておいてやろうか、とネウロは黙ってベッドから降りる。リヒターの横を通り過ぎ、部屋を出ようと思った所で。

「………死んだかと思ったよ」

「!」

  掛けられた声に、驚いて振り向く。と、ゆっくりとリヒターがこっちに振り向き、笑った。

「…………良かった」

  へら、と気の抜けた笑顔。その顔には疲れが出ていた。

「……ずっと、俺を看てたのか」

「二日間ねー………。医者がね、もう駄目かもっつってて」

「…………医者?」

「俺らがよくお世話になる人だよ。こんな機械業じゃ、勿論怪我人も出る事あるし、試射中に暴発事故だって起こり得る。そんな訳で色々とね。……まぁ、信頼出来る医者だよ」

「………そうか」

「まだ三日は安静だぞ、傷が開く」

「………………シェスカはどうした」

  ネウロは気になってそう訊いた。と、リヒターの顔が一瞬暗くなる。斜め下を向いて、少し小さな声で言った。

「……聞いたよ。大体。……落ち込んで……つか、ショックで部屋に引き篭ってるよ」

「……………」

  ネウロは部屋を出た。リヒターが止めたが、聞かなかった。廊下に出る。隣がシェスカの部屋だったはずだ。

  と、部屋の前を見るとセフィリオがいた。ドアに背を預け、塞ぐようにして立っている。

「…………起きたのか、まだ寝てろってリヒターに言われなかったか?」

「…今日は仕事はいいのか」

「修復が進んでねェ。思ったより設備の被害が酷くて、稼働出来そうにねェよ」

「…………そうか」

「シェスカに用か?」

「様子を見たい」

「やめとけ。俺でも入れてくれねェよ。内側から鍵を掛けてやがる」

「…………」

  ネウロは扉の方を見つめた。……驚いた。色んな事に。

「…………シェスカはな、射撃の腕じゃ、うちの工場で一番だったんだよ」

「!」

  唐突にセフィリオが話し始め、ネウロは彼に視線を向けた。セフィリオは俯いて、淡々と話す。

「でも、あいつが人を撃った事なんて無かった。それで良かったんだ。あいつも少しは大人になっちゃいるが、所詮はまだ子供だ。…………あんな辛い事、させちゃいけなかった」

「……………」

「……だが………ロイが」

「?」

「……前、シェスカを宅配に連れて行ってた奴が、イーグルの奴らに殺られた時、心配して迎えに行ったリヒター達に連れられて一人帰って来たシェスカは、『助けられなかった』と言ってずっと泣いてた。………だから……もう俺にはどうしてやればいいのか、分からないんだ」

  セフィリオは悔しそうに歯軋りして、そしてネウロに言う。

「…………あんたには、分からねェのかもな。人を殺める辛さなんか。……けど、それでも」

「分からなくなんか、ない」

  セフィリオの言葉を遮って、ネウロは言った。

「………俺が今、そう感じないのと、人のそれを分からないのとは違う」

「……!」

「……最初から、こうだった訳じゃない。積み重なって、ただそれが何でもない事になってしまっただけだ」

  殺す事に、感情などいらない。あるのは本能のみ。それで良かった。余計な物は自分を死に追いやる。躊躇いを持ってはいけない。生きる為にはそれが必要だった。

  そういう環境で、育って来た。その時代が終わってなお、染み付いたその感覚はもう抜けない。

  だが確かに、初めは眠れない事もあった。気分が悪くなる事だって。それが普通だった。だが習慣とは恐ろしいものである。慣れてしまえば、何ともない。

  ズキリと傷が痛んだ。シェスカの様子を見るのは諦め、ネウロは部屋に戻る事にした。

「……………なぁ、教えてくれよ、便利屋。一体、どうすればいいのかを」

「!」

  ネウロがドアノブに手を掛けた時、セフィリオはそう言った。ネウロは首だけで振り向いた。だが何も答えず、ただ扉を開けて部屋へ入った。ガチャンと音を立てて閉まる扉。扉の前でしばらく立っていると、リヒターが声を掛けて来た。

「……お、戻って来たのか」

「………………もういい、お前は戻れ」

「……えー…なんだよ、冷てェな」

「ありがとう。もう大丈夫だ。心配ない」

「………………そっか。ま、ずっと部屋にいるのも何だもんな。疲れたし、戻るわ」

「あぁ」

  ネウロの横を通り過ぎて、リヒターは部屋から出て行った。一人残されたネウロ。俯き、目を瞑る。

『教えてくれよ、便利屋』………

  セフィリオの言葉が脳裏を過った。迷った顔。助けを求める顔。そんな顔をされるのは、慣れている。だが、なぜだかいつもとは違う風に、心が揺れた。拳を握り締めた。切れた右掌にズキリと痛みが走った。だが力は緩めない。どうしてだか、胸が熱くなった。その感情が何なのか、ネウロには理解出来なかった。


  ******


  夜中。シェスカは独り、ベッドの中でうずくまっていた。目を閉じれば額を撃ち抜かれたユリーヤの顔が浮かぶ。眠る事など出来なかった。布団から顔を出すのも怖かった。顔を出せば、そこに彼女が立っているような気がしてならなかった。自身が起こす衣擦れの音でさえ怯えた。少しの音が怖かった。だから、ノックの音がした時、シェスカはビクリと震えた。そして、必死になって、叫ぶ。

「………来ないで‼︎」

  返事はない。扉には鍵が掛かっている。入って来れるはずなどない。だが、キイと扉が開く音がして、足音が近付いて来る。シェスカは身を固める。錯乱した頭はただ恐怖で埋め尽くされた。やがて、男の声が掛けられた。

「……………助けてやる」

「……!」

  声に、シェスカの心はいくらか落ち着いた。だがまだ布団から出れずにいると、声は続ける。

「報酬は、いらない。もう前払いして貰ってるようなものだからな」

「……………ネウロ」

  シェスカは僅かに顔を上げた。ベッドのすぐ傍に立ち、こちらを見下ろしているネウロが見えた。彼はシェスカと目が合うと、踵を返して、部屋を出て行こうとした。

「……ネウロ!」

  どうやって入ったとかいう事より、言葉の意味が気になって呼び止めた。 覚悟を決めた様な声。いつになく真剣さに満ちた声に、シェスカは何とも言えない寂寥感を感じた。

「………まさか、グランドールに」

「………」

  ネウロは答えない。だがそれは肯定も同然だった。

「ダメだよ!……わ、私なんかの為に」

「お前だけの為じゃない」

  そう言って、ネウロは僅かに振り向いた。

「………………だが、確かにお前が俺に依頼した」

  そして体ごとシェスカの方へ向いて、言った。

「俺は、この帝国を終わらせる」

「‼︎」

「グランドール一人を斃しても、この街は変わりゃしないだろう。だから俺は今日、多くの人を殺すだろう」

「………ネウ……」

「だから、もう俺を迎えなくていい。こんな人殺しと、一緒にいたくないだろ」

「……………っ…」

  見覚えのないネウロの目に、シェスカの心は不安に揺れる。そんな。嫌だ。もう会えないって事?

「行かないでよネウロ!まだ怪我も治ってないじゃない!」

「……………体の傷なんか、いつでも治せる」

「………!」

「……………けど、心の傷は治せない。………これで、最後だ。もう傷付かなくて済む」

「………行かないで、ネウロが死んじゃうのが一番嫌だよ」

  震える声で言うシェスカに、ネウロはやはり淡々と言った。

「…………………忘れるな、シェスカ」

「…!」

「俺達は、友達なんかじゃない」

  キュウと、心の芯が冷たくなった。急に突き放された気がした。目の前にいるのに、ネウロが遥か遠くにいるように感じた。自分だけだったのか、ネウロを友達の様に思っていたのは。なら、ネウロにとって私は何。ただの依頼人の一人?

  呆然とするシェスカをよそに、ネウロは部屋を出て行く。残されたシェスカ。ポタリと、シーツに涙が落ちた。

「………違うよ……違うよ…」

  月明かりが差す部屋で、シェスカは独り寂しさに震えた。


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